魅惑的な甘い低音



 城に戻ると心配そうな顔をしたドロテアと、少し驚いた顔の初老の男が居た。


「オリーブ、私の妻になるエリカさんです。彼女に客室と、とっておきの夕食の手配を」

「お部屋は既に。夕食の品目はいかがなさいましょうか?」

「そうだな。私の妻には至高の美食を与えるべきだ。このロペルス・ヴィペールの人生を掛けた究極の美食集三巻から、喜ばしい日の為の食事を」

 出版してるのかとエリカは驚く。

 どうも、食べ物の話になると、彼は活き活きとするようだ。

「ではそのように。それにしても……まさかロペルス様がこのように嫁を娶られる日が来るとは……よく逃げ出しませんでしたな」

 オリーブと呼ばれる彼は涙を拭うしぐさをする。

 逃げてよかったのか。エリカは衝撃を受ける。変な人だとは思ったが、使用人にまでそんな扱いを受けているのだろうか。

「ドロテア、やっぱり靴をダメにしてしまったわ。替えを用意して頂戴」

「は、はい。どの靴をお持ちしましょうか」

「赤いの。ほら、さくらんぼの色のやつ」

「すぐに用意いたします」

 靴はただの口実。速くロペルス王子から開放されたい一心で彼女に命じた。

「エリカさん、晩餐は是非一緒に」

「え、ええ。そうね」

 エリカが答えれば彼は心底嬉しそうに笑む。

「あなたのような美しい女性と食事を出来るなんて、光栄です」

「そう、かしら?」

 まぁ、食事くらいなら。そう思いかけて、彼の食事が異常なことを思い出す。

(夕食に雑草なんて出てこないといいけど)

 二人仲良く食中りなんて絶対嫌。エリカは少し警戒を見せる。

「ロペルス様、エリカ様は長旅でお疲れでしょうから、夕食の時間まで休んでいただいてはいかがでしょうか」

「ああ、そうでした。では、私はその間、料理人たちの監視をさせていただきましょう。私の妻にふさわしい料理を出せないようでは、全員私の夕食になっていただきます」

 くふふふふと彼は不気味な笑い声を上げる。

(無理、絶対無理。こんなのが夫だなんて耐えられない)

 これは大脱走を計画するしかなさそうだ。もしくはこっそり王子を毒殺するか。

 しかし、毒に関しては王子の方がエリカより何十倍も詳しい。すぐに気付かれるか既に対策を施されているかのどちらかだろう。

「ロペルス様、あまりそのような冗談を口にしてはエリカ様が怯えてしまいますよ」

「おや、これは失礼。私としたことが……いくら私が食にうるさくとも人間を丸ごと食べたりはしませんよ」

「……そ、そうよね……うん。普通食べたりしないわ」

 エリカは無理やり笑顔を作る。

 しかし引きつっていることは自分でも否定できなかった。丸ごとは食べなくても調理して食べるかもしれないという想像は消えてはくれない。

「そう怯えないでください。ええ、冗談ですとも。さぁ、客室に案内させていただきましょう。許されるなら、私の見立てたドレスを着て頂きたいのですが」

「そうね、丁度よかったらそれを着させていただくわ」

「ええ、実は、あなたのご家族にお願いして、事前に用意させていただいていたのですよ。あなたが来るのをとても楽しみにしていました」

 うっとりとそう言う彼に一層危険を感じる。

 彼は王子で無ければただの変態だ。

「肖像画よりずっと美しい。ずっと美味しい。あなたのような人を妻に迎えられるこの喜びを、どう表現していいのやら……すみません。私は少しばかり……自分の世界に浸りすぎるようで……民にも心配されているのです」

 クリーヒプランツェにはロペルス王子以外に王位継承権のある王族が居ない。彼が王位を継承しなければ王家が途絶えてしまう。その肝心の王子がしょっちゅう拾い食いをして食中りを起こしていれば民も心配するだろう。

「私の両親は、私を更正させるよりはさっさと結婚させて子を設けさせたほうが王家の為だと考えています。しかし、私とて、民を、国を愛しています。出来れば、私が民のために尽くしたい」

 意外な言葉にエリカは驚く。

「まぁ、ご両親の言いたいこともわからなくも無いわね。一人しかいない王子が拾い食いして食中り起こしてばっかりいたら国の未来が心配になるもの」

「可愛い顔をして、意外とずけずけ言いますね」

「この性格のせいで見合い話が五回も吹っ飛んだの」

「おや。それは私には好都合です。そうでなければあなたに出会えなかった。それに、私ははっきり言ってくれる方が傍に居たほうが嬉しい」

 ロスペル王子はうっとりとエリカを見つめ、頬に触れる。

「あなたの肖像に一目惚れしたことに間違いは無かった。それ以上に、あなたと過ごすと、呼吸するごとに惹かれていく……」

 囁く低音にどきりとする。

 ロペルス王子は意外にも魅惑的な甘い低音の持ち主だった。

「ロペルス王子こそ、肖像画に偽りなしという印象よ。でも、その髪、どうして二色なの?」

 大半は毒々しい緑色なのに、毛先の中指一本分くらいは鮮やかな赤になっている。

「ああ、伸びると色が抜けてしまうんですよ」

「毛先を切らないの?」

「切ってもすぐ伸びますし……どうも、論文を書いたりしていると髪に構う時間が無くなって、結局このくらいの長さになるんです。このほうが結ったりできて案外快適だったりもしますよ」

 そう言ったかと思うと、彼は足を止めた。

「ああ、ここが暫くあなたの部屋になります。存分に寛いでください。婚儀の日程が決まりましたら、正式な部屋を整えますね」

「え?」

 そんなに急ぎ足なの?

 エリカは驚きのあまり、言いたいことの半分も言えない。それと同時に、森であっさりと彼の求婚を受けてしまった自分を恨む。

(いくらかっこよく見えたからって……一生のことなのに……)

「ああ、一瞬の別れすら惜しい……そうだ。夕食の後は私の自慢の温室を案内させていただいても?」

「えーっと、今日は疲れたから、明日ではダメかしら?」

「勿論構いません。そうですね。長旅でお疲れでしょうから、疲労に効くお茶でも用意しましょう」

 そう言って、彼はゆっくりとエリカを椅子に座らせる。

「あら、この椅子……」

「おや、お気づきでしたか。レーベンの職人の手によるものです。家具は、レーベンの職人の仕事が素晴らしいので」

 彼はそう、笑んでエリカを見る。

「ああ、先に聞いておくべきでした。食べられないものはありますか? 苦手な食べ物は?」

「えっと、辛いものと酸っぱいものが苦手です」

「おや、それでは楽しめる食材が限られてしまいますね。勿体無い」

「女の子はお菓子だけあれば幸せですから食べ物で冒険したりしませんよ」

 エリカがそう告げると、ロペルス王子はあからさまに驚いた顔をする。

「なんたること……私の妻が食への関心が希薄……しかしまぁ、私があなたの口に合う物を見つけ出せばいいだけの話ですね」

 彼はすぐに開き直ったようだ。

「では、エリカさん。夕食の用意が整いましたら声を掛けに来ますね」

「ええ。楽しみにしてます」

 社交辞令だ。

 きっとロペルス王子の食卓だ。恐ろしいものが出てくるに違いない。

 これは覚悟しなくては。

 エリカは深いため息を吐いて、ドロテアを招く。

 まずは身体を清めたい。それが先決だった。

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