ロペルス・ヴィペールは食中り
高里奏
棒人形のように細い人
レーベン王都から馬車で一月掛かる距離に、クリーヒプランツェはある。
レーベンにはまず無いような珍しい植物が沢山あり、異様な臭いに包まれているのが最大の特徴だが、この国は非常に多くの優秀な研究者を抱える医療がとても発達した国だ。
なんでも王族が率先して植物の研究をしている変った国で、毒と薬に関することでは世界一を誇っている。
レーベンとは長き冷戦状態が続いていたが、クリーヒプランツェの王子ロペルス・ヴィペールとレーベンの王の姪、エリカ・リヒトの婚姻を以って国交を回復することになった。
なんでも、エリカの肖像をたまたま目にしたロペルス王子のご指名が入ったらしい。
馬車の中、エリカは思わずため息をつく。
まだ結婚なんてするつもりは無かった。どうせなら、ハウルの国王のような美しく、逞しい素敵な方と結婚したかった。
ちらりと、ロペルス王子の肖像を見る。
随分長身に描かれている。それに、髪の毛の色が毒々しい。お顔だってとてもじゃないが参考に出来ないだろう。絵はいくらでも美化できる。それなのに、あの毒々しい色を使われているということは、余程醜いお人なのだろう。
エリカは再びため息をつく。
あと少しで城に着いてしまう。
ロペルス王子に会いたくない。こっぴどく振られてしまったと言って、国に帰れたらどんなにいいだろうか。
お願いまだ着かないで。そう願う心も空しく、馬車が止まってしまう。
「お待ちしておりました、エリカ様」
格式高い礼服に身を包んだ初老の男が声をかけた。
答えてはいけない。
ロペルス王子と会うまでは一言も発してはいけない。
エリカは誇り高きレーベンの王家の系譜。クリーヒプランツェで見下されるわけにはいかない。
代わりに使用人のドロテアが話をする。
「申し訳ございません。こんな日に、王子はまた、森に入ってしまい……」
どうやら王子は不在のようだった。
「ドロテア、森に行くわよ」
「は、はい、エリカ様。あ、その前に履物を」
「……私、木靴って嫌いよ」
「しかし、森では折角のリスを汚してしまいますので」
エリカは既に何度目か分からない深いため息をつく。
憂鬱。
そもそもエリカは森に入るのは好きじゃない。
王宮の庭の薔薇の迷路で、歳の近い友達と遊ぶのが好きだ。なのに、クリーヒプランツェにはエリカの好きなものは何一つ無い。
「先に私が様子を見て来ましょうか?」
「私は、さっさと済ませたいの」
そう言ったところでエリカは自己嫌悪を感じる。
(あー、最悪。こんなこと言いたいわけじゃないのに)
確かにこの長旅も、得体の知れない婚約者にもうんざりしているけれど、ドロテアに八つ当たりしたいわけじゃない。
「あ、エリカ様、お待ちください。ロペルス王子のいらっしゃる森は逆方向ですよ」
「それを先に言いなさい。愚か者」
言いたくないのに勝手に攻撃的な言葉が口に出てしまう。
いい加減、湯船にゆっくり浸かって、ふかふかの寝台でぐっすり眠りたい。
エリカの今の一番の望みはこの長旅の疲れを一刻も早く取りたいということだ。
ずかずかと城下町を通り、町外れの森に入り込む。
異様な臭いがする。
少なくともレーベンには無かった、強烈な臭い。毒々しい色の植物と、エリカの知っているものの倍はあるであろう大きさの鮮やか過ぎる虫……。
エリカは必死に悲鳴を飲み込んで王子を探す。
「ロペルス王子? あの、エリカです。エリカ・リヒトが参りました。いらっしゃったらお返事を聞かせて」
出来るだけ、余所行きの可愛らしい声を作ってみせる。
お行儀よくしないと。レーベン王家に恥をかかせるわけにはいかない。レーベンの王族は民を照らす太陽でなくてはいけないのだから。兄のように完璧に振る舞わなくては。
しかし、周りの景色を見て緊張する。
城下町から一歩外れただけだというのに、異世界に紛れ込んだかのような深い森。
強大な木々には蔓が巻きつき毒々しい花を咲かせ、鮮やか過ぎる虫の群れが点々と姿を誇示している。
はやく帰りたい。涙が出そうになるのを堪え、先に進むと人が倒れているのが見えた。
「きゃっ」
思わず悲鳴を上げる。
「あ、あの……生きてますか?」
そっと近付くと、棒人形のように細い人だった。
細い人は震える手をエリカに伸ばし、呻く。
「……ううっ……胃、胃薬を……」
「は?」
思わず変な声が出る。
「……そ、それを口にしてしまい……」
指先に、毒々しい植物と、鮮やかな虫がいる。
「……まさか、その虫を食べたの?」
「あれはここらではよく見かけます……私の鞄を……」
そう言われ、エリカはあたりを見渡す。
かなり傷んだ布の鞄を見つけた。
「これ?」
「はい……中に、赤い小瓶があるのでそれを……」
エリカは言われるままに鞄を探る。
妙な鞄だ。虫眼鏡や紙の束の他に、試験管や小さなナイフが入っている。
「これ?」
「ええ。ありがとうございます」
弱々しく瓶を受け取ると、一気に飲み干す。
すると、すぐに顔色が回復した。
「いやぁ、すみません。ちょっと見たことの無い草があったので、口にしたら……見事に有毒でした」
「普通見たこと無いもの食べないんじゃない?」
呆れて問う。
「私は食べたことの無いものはとりあえず口に入れてみます。ああ、先ほどの虫ですが、生で食べるとやや酸味が強いのですが、火を通すと甘みが増してなかなか食べやすいですよ」
「いらない。食べないから」
「それにしても、こんなにおいしそうなお嬢さんに助けていただけるなんて、光栄です」
舌なめずりする男に、本能的な危機を感じる。
「ところで、ロペルス王子を見ませんでした?」
エリカははやくこの男から離れたいと思いつつ訊ねる。
「え? 私をお探しでしたか? もしや……あなたがエリカさん?」
エリカは頭を抱えたくなった。
「なんと、これは運命か……ああ、私の目に狂いは無かった。美しい、芳しい、滑らか……ああ、あなたを食べてしまいたい……はっ、すみません。取り乱しました」
どうも、エリカの婚約者は食い意地が張っているらしい。食べることしか考えていなさそうだ。
「あなたが来て下さらなければ、私は三日ほどあの場に放置されていたでしょう。あなたは私の恩人だ。どうか、私と結婚してくださいませんか」
さっきまでの醜態はどこへ消え去ったのか、彼は恭しく跪いてエリカの手を取る。
「え……それは……国同士のなので、私が決めることではありませんわ」
「私は、あなたが自分の意思で私の妻になってくれることを望んでいます」
とても、あの食べることしか考えていない王子と同一人物だとは思えないほど、輝く瞳で見つめられる。
「……は、はい……」
肖像画よりずっと美しい人だ。少し顔色が悪いのは先ほどの食中りのせいだろう。
「よかった。あなたのような美味しそうな、美しい人が私の妻になってくださるなんて、何たる幸運」
にっこりと笑む彼は少し不気味な気配を持っている。
「あ、あの……いつまで手を握っているおつもりで?」
「ああ……少しくらい味見しても構いませんね?」
「へ?」
エリカは何を言われたのか暫く理解できなかった。
手の甲に突然のねっとりと湿った感触。
「な、何するの!」
思わず手を振り払った。
信じられない。手を舐めるなんて。
「すみません……つい。しかし、私の目に狂いは無かった。あなたは間違いなく、美味しい人間です」
ぞわりと背筋が凍る。
(こいつ……危険だ……)
エリカは二歩後ろに下がったところで、ぐしゃりと嫌な音を聞く。
「な、なに!?」
「ああ、勿体無い。折角の白血虫の卵を……」
「な、なによそれ……もう、嫌! こんなとこ!」
エリカはその場から走り出そうとしたが、すぐにロペルス王子に止められた。
「な、なによ」
「そっちは足場が悪いので、慣れない方には危険です。よければ私が城まであなたを運ばせていただきたいのですが」
突然舐めてくる男と得体の知れない大量の虫のどちらがマシか考える。
「……舐めたら頭突きするわよ?」
「おや、なかなか勝気で可愛らしい人だ。ええ、今は我慢します」
彼は笑ってエリカを抱きかかえる。
「前々から夢だったのですよ。こうして、妻となる女性を抱きかかえるのが」
「……他に候補はいなかったの?」
「そうですねぇ、十年ほど前に真剣に結婚を考えた人がいましたが……見た目に反して不味かったので国外追放になっていただきました」
彼はどこか楽しそうにそう語る。
「まさか、食べたの?」
「いえ、少し味見を。ただ、あそこまで不味い人も珍しいものですが。ああ、私の従者のオリーブですが、彼は名前に反して、意外にも甘ったるく濃厚な味がしますよ」
どうやら王子は誰構わず【味見】をしてしまうらしい。
「その情報はいらなかったわ」
エリカは頭を抱える。
黙っていれば、少し不健康そうだけれども美しい人なのに、口を開けばただの変態だ。
思わず流れで求婚を飲んでしまったが、この先が不安だ。
本当にこの人と上手くやっていけるのだろうか?
エリカは何度目か分からない深いため息をついた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます