二、振り返る過去
第七話
―――
車の中で気を失ったように眠った原因は、結局わからなかった。あの時見た夢とも幻ともつかない出来事の事は取り敢えず棚に上げ、恭介は会社へ電話する事にした。
まず遅刻、いや無断欠勤した事への謝罪。心配してくれた事への感謝。そしてこれからの身の振り方について、を直属の上司である課長に伝えた。
「どうもすみませんでした。ご迷惑をおかけして……でも心配して頂いてありがとうございました。」
「いや、それより大丈夫かね。やはり少しの間ゆっくり休養を取った方が……」
「えぇ、その事なんですが……今日から一週間、休みを頂けませんか?お願いします。」
課長の言葉を遮り、一気に捲し立てた。そう言った恭介の顔は決意に溢れていた。
「あ、あぁ……君がそう言うのならゆっくり休みたまえ。入社以来一日だって休んだ事がなかったんだ。きっと疲れが溜まってたんだよ。一週間じゃ足りなかったら、有給はまだたっぷりあるから遠慮なく言いなさい。」
安堵の色を濃くした課長の声に苦笑しつつ、今思いつく連絡事項を手短に伝えた後、電話を切った。
「ふぅ~……」
ため息をつくと部屋のベッドに凭れかかり、そっと胸元を押さえた。
少し気分は悪かったものの、自分に鞭打って何とか車で家に帰ってきた。心配する両親に最近の体調不良について話をすると、疲れたから休むと言って自室に引っ込んだ。
そしてたった今、会社に電話したところだった。
「はぁ~……疲れた…」
盛大に深呼吸をすると、崩れるようにベッドに転がった。
正直に言うと会社に電話するという行為は今の恭介には苦痛だった。出来るものなら父に代わりに電話をしてくれと頼みたかった。
しかしいい大人がそんな甘えを口にする訳にはいかない。だから勇気を振り絞って会社に繋がる番号を発信したのだ。
何が嫌なのか、何を恐れているのか、自分でもわからなかった。ただ電話をかけるという行為、誰かと話すという事自体が恐く感じ、それに呼応するかのように心臓がドキドキと狂ったように鳴り響き、恭介を苦しませるのだった。
「僕は本当にどうしたんだ……?」
誰にともなく呟く。しかしその声は一人だけの部屋に虚しく響いただけだった。
「とにかく!」
恭介は無理矢理明るい声を出して立ち上がった。
「このままではダメだ。何とかしないと……」
もやもやした気分は吹っ飛ばして、取り敢えず栄養を取るべく階下へと降りていった。
―――
「やっぱり食欲ないのか。」
勢い込んで来たもののさっぱり食べる気になれず、居間のソファーでだらしなく寝転んでいたところに父がやってきて言った。
「うん……食べようとは思うんだけどさ、実際食べ物見ると吐き気がして……」
「そうか……」
父はそれだけ言うと、ソファーの上で起き上がった恭介の隣に腰を降ろした。
そしてしばらくの間何やら考え込んでいたと思ったら、急に恭介の肩に手をかけてこう言った。
「恭介、落ち着いて聞いてくれ。」
「う…うん……」
迫力に押されるように頷く。何を言われるのだろう?会社を休んだ事を怒られるのだろうか……?
「お前、一度精神科を受診してみないか?」
「え……?」
精神科……?
恭介は一瞬、その言葉の意味がわからなかった。精神科?何で?自分は至って正常……
と、そこまで思ったところで言葉に詰まる。
「ここ最近のお前の様子、明らかに変だろう。母さんに聞けば、ほとんど何も食べてないそうじゃないか。今日の事だってそうだ。こんな事今までなかったじゃないか。俺も母さんも、剛だって心配してるんだ。何か原因があるんじゃないかって。」
そう言った父はふと台所に目をやった。恭介もつられてそちらを見る。
「!!」
そこにはこちらを見つめる母が立っていた。そしてその目には今にも溢れそうな涙がきらりと光っていた。
「母さん……僕が泣かせたのか……?」
恭介は愕然とその言葉を口にした。
今まで親を、母を泣かせた事なんてなかった。小さい頃から良い子にして、反抗期だってないに等しかったのに。
「はっきり言おう。今のお前は異常だ。これ以上悪くなる前にちゃんとした所で診てもらいたいんだ。だから……」
父の声を聞きながら、しかし恭介の意識は別のところへと向いていた。
そう。まるであの時見た夢に出てきた黒い壁を、探し求めるかのように虚ろな目で……
「知り合いに頼んで良い病院を紹介してもらった。明日、そこに行こう。」
シャッターが下ろされたかのように、恭介の意識はそこでぷっつりと切れた。
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