四、消えゆく感情

第十六話


―――


(また、ここだ……)

 辺りはまた闇の世界。恭介は壁に手をついてみた。冷たくて硬い。そしてそのまま、壁伝いに歩いていった。


 父と母と話をして納得した部分と不満が残る部分があって、何だかすっきりしない気分だった。特にあの時見た夢が尾を引いて、父に強くあたってしまった事を後悔していた。

(あんな事言うつもりじゃなかったのにな……)

 一人ごちる。あの時の父の顔は忘れられなかった。悲しみと悔恨の念が入り交じったような表情だった。

「はぁ~……」

 恭介は壁から離れて、その場に腰を下ろした。深いため息が出る。


 あの時見た夢は、全部本当の出来事だった。剛の誕生日、プラモデルの事、自分自身の誕生日。他にも同じような場面が何度もあった。

『お兄ちゃんだから我慢しなさい。』という両親の台詞は、耳にタコが出来るくらい聞いた。でもだからといって何の罪もない剛を恨むのは筋違いだって自分でもわかっていた。そんな自分に嫌気が差したし、両親に対して憎んでしまった事を心の底から謝罪した。


 どのくらい座っていたのだろう。ふと顔を上げた時だった。あの真っ黒い穴が姿を現したのだ。

「あれは……」

 恭介は立ち上がった。あそこを通ればまた元の世界に帰れる。しかし恭介の足は動かなかった。

「本当に戻っていいんだろうか。」

 真っ黒い穴に向かってそう問いかける。


 父にあたってしまった事、母の話を聞いて複雑な気分になった事。その他にも家族や自分の事について色々と考えた挙げ句、中々足を一歩踏み出せなかったのだ。

「…………」

 真っ黒い穴が口を開けて待っている。しかし恭介はいつまで経っても前に進めないでいた。迷っている内に黒い穴はスーッと静かに閉じてしまった。


「あ……」

 こんな事は初めてだった。恭介は茫然とその場に立ち尽くしたのであった。




―――


 それから一週間、恭介は眠り続けた。その間両親は交代で病院に泊まりこんで見守ったが、中々目を覚まさないのでますます心配して高林医師に相談した。


「昏睡状態という訳ではなく、ただ眠っているだけのようですが、やはりこのまま目を覚まさないのは心配ですね。」

「何とかならないんでしょうか?」

「う~む……」

 高林医師が考え込む。その時だった。

「先生!黒木さんが目を覚ましました!」

 高林医師が座っていた椅子から勢いよく立ち上がる。両親も顔を見合わせ、立ち上がった。

「先生!」

 両親がすがるような目を医師に向ける。医師は頷くと言った。

「行きましょう。」

 三人は廊下を急いだ。



「恭介!」

「黒木君。」

 三人が病室に入ると、恭介はベッドに起き上がっていた。呼びかけにゆっくりと振り向く。

「黒木君、具合はどうだい?」

 高林医師がそう問いかける。恭介は何も言わず、顔を正面に戻すと俯いた。


「恭介、痛い所とかない?少しでも具合が悪いなら先生に言うのよ?」

「そうだぞ、我慢しなくてもいいんだからな。」

 両親が側まで来て言っても、恭介は顔を上げなかった。

「たくさん寝て逆に疲れたかな。わかった、診察は後にしよう。今はゆっくりしていなさい。」

「はい……」

「では私はこれで。お父さん、お母さん。疲れない程度にお願いしますよ。」

「はい、わかりました。」

 高林医師が出ていく。両親はベッドの脇の椅子に二人並んで腰を下ろした。

 三人はしばらく無言だった。気まずい空気が辺りを包む。そんな静寂を破ったのは恭介だった。


「あのさ、」

「ん?どうした?」

「僕……このまま入院するよ。」

「……え?」

「その方がいいだろう?家に帰ってもまたいつ暴れるかわかんないし、父さんも母さんも本当はそうした方がいいって思ってんだろう?」

 投げやりにそう言うと窓の方に視線を移した。

「な、何を言っているんだ。そんな風に思う訳ないじゃないか。」

「そうよ、恭介。何を言ってるの?」

 二人は少し慌てて立ち上がる。それでも恭介は窓から視線を逸らさなかった。


 恭介はわかっていた。両親は心の中では入院させた方がいいと思っている事を。そして自分でも自分が恐かった。

 また暴れて家族に迷惑をかけるんじゃないか、またあの闇の世界に閉じ込められて眠り続けるんじゃないか。


 そう心配するくらいならいっそこのまま入院してしっかり治してもらった方が、自分にとっても家族にとってもいいんじゃないか。そう思ったのだ。


 恭介の衝撃の言葉に、病室はまた静寂に包まれた。恭介は居たたまれなくなって両親の方に視線を戻す。両親は凄く複雑な顔でこちらを見ていた。


「……わかった。後で高林先生に相談しよう。」

「え?いいの?」

「お前が言うならそうしよう。きちんと治して、元気になって帰ろう。」

 父が笑顔で恭介の肩を叩く。

「恭介、待ってるからね。」

 母も満面の笑みで恭介の顔を覗き込んだ。


 本当は止めて欲しかった。矛盾しているようだが、『一緒に帰ろう。暴れても大丈夫。』と、言って欲しかったのに……


 恭介は内心の思いを悟られまいと、必死に笑顔を作って隠したのだった。



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