第十四話
―――
意識を失っている間、恭介は夢を見ていた。
あの真っ黒い、闇の世界にいるのではなく、そこは二十年前の我が家だった。
そこには恭介と剛、そして両親がいて、幸せそうに笑っていた。食卓にはご馳走とケーキが置かれていて、そのケーキの上には『お誕生日おめでとう!』と『剛、五歳』の文字。
そうか、これは剛の五歳の誕生日だ。あの時の夢を見ているのだ。と恭介は思った。
剛の隣に座っている恭介は誰よりも剛の誕生日を喜んでいる様子だった。何故そんなに嬉しいのか、それはある約束をしたからだった。
五歳になったら、自分の持っているプラモデルの一つを剛にあげると言ったのだ。そう言った時の剛の喜び様は、ベッドの上で飛び跳ねて空まで飛んでいってしまいそうな勢いであった。
そんな弟の姿を見て、あのプラモデルは大事な物だったけれど、あげると言って本当に良かったと思ったのだった。
母がケーキを取り分けてくれる。やはり剛が主役なので、剛には一際大きなケーキが配られた。
喜んでケーキを頬張る剛に向かって、『剛、お誕生日おめでとう!』と心の底から祝福した。
場面は変わり、今度は兄弟で使っていた部屋だった。
剛が二段ベッドの上でこの間の誕生日に兄からもらったプラモデルで遊んでいる。それは飛行機のプラモデルだった。
「ブーン!ブーン!」
声を出してその飛行機を飛ばす真似をする。何度か繰り返していく内に、剛は何だか物足りなくなった。
「よしっ!行くぞ!」
少し考えた後おもむろにベッドの上に立って、空中めがけて狙いを定めた。
「えいっ!」
剛の手が飛行機から離れる。しかし案の定重力で呆気なくフローリングの床に落ち、粉々に壊れてしまった。
「あーあ……」
華麗に飛ぶはずだった飛行機の残骸を、剛は無表情で見つめていた。
「どうしたの?今変な音が……」
そこへ恭介が顔を出す。次の瞬間、床の上の残骸を見て真っ青になった。
「剛…これ……」
「うん、壊れちゃった。」
何でもない事のように言う。恭介はみるみる内に目に涙を溜めると、階段を駆け下りた。
「お母さん!剛が…剛が僕があげた飛行機を……」
「何、どうしたの?」
夕ご飯の支度をしていた母に泣きつく。母は何事かと料理の手を止めた。
「剛が僕があげたプラモデル、壊したんだ!」
「えっ?」
母がビックリした顔をする。と、そこへ剛がキッチンに入ってきた。
「お兄ちゃん、壊してゴメンね。でも一番いらないやつ、僕にくれたんでしょ?」
「……え…?」
剛の言葉に、ショックのあまり声が出ない。
一番いらないやつだって?一生懸命作って一番上手く出来た飛行機、大事だったけど剛へのお祝いにプレゼントしてあげたのに……
「お母さん……」
助けを求めて母を振り返る。母は困った顔をしながらこう言った。
「ほら、剛だって悪気があった訳じゃないんだし……恭介はお兄ちゃんでしょ?許してあげて。お父さんに言ってまた新しいプラモデル買ってもらいなさい。ね?」
『そういう事じゃない!』と言いたかったが口をつぐんだ。何を言っても同じ事だ。恭介はそっとキッチンを出た。
剛は本当に悪気がなかったのだろう。あの言葉だって素直に口から出ただけだ。なのにこんなにも心に影が落ちるのは何故だろう?
母に庇って欲しかったのか、剛に面と向かって反論出来なかった自分を慰めて欲しかったのか。
そのどちらもくれなかった母に対して、黒い感情を抱いた最初の出来事だった。
また場面は変わって、今度は恭介の誕生日だった。複雑な顔の恭介、反対にはしゃいでいる剛。
そんな二人を困った顔で見ている両親。食卓にはご馳走とケーキが置かれていた。
『お誕生日おめでとう!』と『恭介、七歳』の文字。
数ヵ月前と同じようなシーン。でも恭介の表情は雲泥の差だった。剛の誕生日の時は嬉しそうに笑っていたのに、今日は終始無言で仏頂面。そんな恭介に母は取りなすように言った。
「ほら、剛はまだ小さいから。恭介はお兄ちゃんでしょ?ケーキ食べよう?」
恭介の目の前のケーキを指差し、食べるように促す。恭介は頭を横に振った。
「だって、何で剛の方が大きいの!?」
そう、仏頂面の原因はケーキの大きさだった。
今日は自分の誕生日なのに、剛の方がケーキが大きいのだ。これでは恭介だって黙っていられない。
「この間の剛の時は剛が主役だからいいけど、今日は僕の誕生日だよ?僕が主役じゃん!それなのに何で……?」
「まぁまぁ、恭介は今日で七歳だろう?大きいケーキは剛に譲ってやりなさい。」
父が言う。恭介はもう悲しいというよりやり切れなさを感じて黙った。
「さ、食べましょ。」
母がホッとした表情で箸を持った。
「そうだな、ほら剛も食べなさい。」
父も安心したような顔で剛を促す。剛は大口を開けてケーキを頬張った。
恭介はそんな三人を何処か冷静な頭で眺めていた。
『剛が小さいから。』『恭介はお兄ちゃんだから。』
この頃から両親がよく使う言葉だった。これを言えば恭介が黙ると知っているからだろう。
黙らざるを得ないではないか。本当の事なのだから。
楽しそうにはしゃぐ剛、その剛を笑顔で見つめる両親。
恭介の心の中に黒い滴が一滴、ポツリと落ちたのだった……
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