第十二話


―――


 最初に病院に行った日から三ヶ月程が経っていた。その間に六回通院し、その度に高林医師のカウンセリングを受けた。そして薬を処方してもらい、毎日朝と夜の食後、就寝前に服用している。


 あれから何度か意識をなくしたり、あの闇にいる感覚を味わった。外出が恐かったり運転が出来なかったりして、部屋に引き込もってしまっている。会社も結局辞めた。目まぐるしく変わる環境に、恭介自身ついていけていなかった。


「はぁ~……」

 深いため息を吐いて座っていたベッドに横になる。さっきまで読んでいた本が、音を立てて下に落ちた。

「暇だ……」

 一人ポツリと呟く。家にあった本はもうあらかた読んでしまった。他に趣味のない恭介は毎日毎日やる事がなくて困っていた。好きで家の中に閉じ籠っている訳ではないので、たまにこんな毎日が嫌になる時がある。だからといって外に出ようなんて気は起きないのだが……


「図書館にでも行こうか。でも……」

 近くの図書館を思い浮かべる。以前は頻繁に通っていた。本ももちろんだが、あの独特の雰囲気が好きなのだ。しかし今の恭介は、部屋から出る事ですら勇気がいる。


「母さんにでも頼むか。」

 そう言って起き上がると、落ちた本を拾い上げて机の上に無造作に置く。そしてその隣にあった携帯を手に取った。

「あ、もしもし?母さん?」

『どうしたの?』

「あのさ、本借りたいから図書館に行ってきて欲しいんだけど。」

『何を借りればいいの?』

「紙に書いとくからさ、後で取りに来て。」

『わかった。もうすぐご飯よ。』

「そっか、もうお昼か。じゃあまた部屋に持ってきて。」

『はい、じゃ後でね。』

 母の若干疲れたような声を聞いて複雑な気持ちになりながらも、恭介は通話を切った。


 毎日の食事は部屋で食べるようになり、家族と話をしたい時はこうやって携帯を使う。同じ家にいても直接話さず電話でコミュニケーションを取るという事は普通じゃないとわかっていても、煩わしいと思ってしまうのだ。両親は今のところ何も言わないが、心配や迷惑をかけている事だろう。


 ふと外から楽しげな声が聞こえて、恭介は閉めっぱなしのカーテンに視線を投げた。

 最近は外を見るのも嫌で、カーテンは一日中閉めたままにしていた。一人きりで部屋に閉じ籠もり、他との関わりを完全にシャットアウトして過ごしていた。


「このままじゃいけない……」

 そう思いはするが中々行動に移せない。そしてそんな自分にイライラして、ますます自分が嫌になっていくのであった。


「そうだ、図書館で借りる本、メモしないと。」

 恭介は慌てて机に近寄り引き出しからメモ帳を取り出した。

「え~っと……」

 スマホで好きな作家の名前を検索して、取り敢えず目についたタイトルを紙に書いていった。

「よしっ!」

 書き終わったメモ帳を机に置くとまたベッドに座る。やる事がなくなってしまった恭介は、ボーッとする頭で辞めた会社の事を思い出した。


 途中だった企画書は一番信頼していた後輩に託したが大丈夫だろうか。手直ししなくてはいけない書類が溜まっていたけど、あれはどうしただろうか。なんて事を考える。


 最初のきっかけは些細なミスだった。しかし今はこんなにも大きなものを失ってしまっている。

 五年勤めた会社、そこで培ったスキル、一緒に頑張ってきた同僚、先輩、後輩……そして今、家族までもが壊れかけている。


「苦しい……」

 絞り出した声は掠れていた。手のひらを広げてみると、細かく震えている。


(僕はどこまで墜ちていくんだろうか……)

 震える手を見つめながら心の中で淋しく呟いた。




―――


「恭介。」

 母から借りてきてもらった本をベッドの上に仰向けになって読んでいた時だった。父が部屋のドア越しに声をかけてきた。恭介は慌てて体を起こした。


「何?」

「ちょっといいか。」

「いいよ。」

 返事をすると父が戸惑いながら入ってきた。

「どうしたの?」

「いや、なに……お前と少し話がしたくてな…」

 父はしどろもどろになりながら椅子に座った。しばらく難しい顔で思案している様子だったが、ようやく顔を上げて思いきったように言った。


「どうだろう。そろそろ部屋から出たらどうだ?いつまでもこのままじゃいられないだろう。」

 いつか言われるだろうと思っていたが、少なからずショックだった。

 いつまでもこのままじゃいられない、何とかしなくては。そう強く思っているのは恭介自身なのだから。


「別にいいじゃん。出たくないんだから。」

「何だと?」

 途端に父の眉が吊り上がる。恭介は少し怯みながらも続けた。


「出たくないんだから無理して出なくてもいいよ。」

「そんな事言うなよ。母さんだって父さんだって心配してるんだ。家から出なくてもいいからせめて一緒に食事くらいは……」

「嫌だって言ってるじゃん!」

 恭介は耐えきれなくなり、持っていた本を父に向かって投げつけた。


「!?」

 驚いている父だったが、恭介の方がビックリしていた。

 こんな事今までなかった。父に物を投げつけるなんて……


「何をするんだ。」

「出たくない……出たくないんだ!僕だってわかってる。だけど体が言う事聞かないんだよ。何度言い聞かせたってダメなんだよ!」

「恭介……」

 ベッドの上で蹲る恭介を、父は何処か悲しげな顔で見下ろしていた。


「悪かった。もうしばらく様子を見よう。」

 優しくそう声をかけて肩に手を置いてくれる。恭介は力なく頷いた……



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