15 現在 5
姉の
寒い冬の朝。
家の玄関口で近くの常徳寺の僧侶による読経が続く。狭い玄関なので全員入り切らないので扉は開け放たれている。
家の前の通りにはパトカーではない数台の警察車両。
上がり
玄関の横の鍵掛けには姉の遺影と位牌が臨時に不自然に置いてある。
遺影であれなんであれ姉の姿は美しい。
そして永遠に5年前のままだ。
そして捜査本部が置かれた我が家が管轄内である警察署の署長さんに、一番近い交番の地域課担当でそのトップの制服警官、ここからの警察官は制服である。
そしてまだ親しくしてくれている向かいの佐藤さんのおばさん。
そして入り切らないのでどんどん玄関からあふれるように、数名の制服警官が続き、県の地方紙のメディアが一番外に続く。
読経の声だけが静かに続く。
今日は命日だが正確に言えば、5年前のこの早い朝の時間、姉はまだ生きていた。
そんなことだけが頭に浮かぶ。
そして私もまさか姉が数時間後に死ぬとは考えずに高校に通っていた。
いつもと変わらない一日のはじまり。
しかし、いつもと全然違った一日のはじまり。
すべてを変えてしまった一日のはじまり。
今日は辛い、大変な一日となる。
この4年間毎年繰り返してくたのだ。5年経とうが変わりはない。
だが、変わったものはたくさんある。
県警のトップである県警本部長が変わった。名刺だけくれて名前を覚えられない人から名刺だけくれる名前の覚えられない人へ。
捜査一課の課長も変わった。事件当時の課長の名前は覚えているが思い出したくない。顔も見たくない。犯人の矢部翔一を捕まえられなかった男だ。忘れたくても忘れられない。
事件から丸二年目の移動で捜査一課の課長から県内の田舎の方のC級の警察署の署長になったらしい。
未解決事件の責任を取らされて移動になったのか、栄転なのか警察組織には疎い私にはわからない。
噂や地方紙に記者によれば、ギリギリ栄転だという。警察署といえば、県内でも7つか8つしかない。
たとえ県の端っこの警察署でも公務員の地方採用でそこの県のトップ8に入ればすごいことだろう。
しかし、その男が在任中に矢部翔一を捕まえられなかったことを私は永遠に忘れない。
大声でそのことをわめきとちらしながら世界中を走り回りたいぐらいだ。
一度その捜査一課長から直接事情聴衆を受けたことがある。
『変な探偵ごっことか、敵討ちとか考えないでね』
私は、矢部翔一と同じくらい、この元捜査一課長に恨みをもっている。
なにより、変わったのは我が家だ。
四人家族から二人家族へ。庭はどうにか体裁を保っているが庭木はいつも伸び放題。家屋の中も修理が出来ずに荒れ放題。
家の前の通りもこの命日だけ掃き清められる。いつもは汚れ放題。
母と私とでこの姉の死んだ家という名の犯罪現場でお互いを支え合いどうにか暮らしている。
矢部翔一は未だ逮捕に至っていない。のうのうとこの日本の何処かを自由に闊歩している。
白髪になりきった母の髪の毛が顔にかかって表情が伺えない。
突如、僧侶の読経が終わった。
何度頭を下げたかわからないが、再度全員で姉の冥福を祈り、遺影、位牌に対して頭を下げる。
地方紙、地方局のカメラマンのフラッシュとシャッター音がきこえる。
メディアは容赦ない。
この5年間、母はメディアに対し顔も出しコメントも出しているが、私は、、、。
私は、インタビューは受けるものの顔出しはNGの姿勢で取材に臨んでいる。
これは、私の意思ではない。母がそうしろ、といったのだ。
言ったと言うより強く主張した。決定を下した。
私には未来があるとか、世間に出るのは私一人で十分とか偉い剣幕で私に迫った。
顔見せが姉への親愛、家族としての義理立てになるのだろうか、と悩んだ時期もあった。
姉への弔いが一通りすむと、本部長や署長、現・捜査一課長のお偉方は母に挨拶して帰っていく。
彼らが付き合うのはここまでだ。ここからは、制服警官と母と私で矢部翔一の指名手配書のビラとティッシュ片手にまず近所中に挨拶回りと呼んでいるが謝罪をして回る。
うちは被害者だが、姉が関係した事件で事情聴衆を何度も受けさせたことを警察官とともに丁寧に詫び、そしてもう一度何か思い出したことはないかと尋ねる。
ギリギリ向かいの佐藤さん家族とはまだ世間話する中ではあるが、うち、近田家は孤立している。
完全に孤立している。
正直、近所で殺人事件などあると迷惑だろう。
事件直後はそれこそ、幾度も刑事に痛くもない腹を探られ、情報提供といいつつ近所の悪口を強要させられたわけだ。
それに、これは未解決事件ということが一番の問題なのかもしれないが、近所、町内で犯罪や事件があると、町名がつく近隣の地価が大きく下がるらしい。
これは、犯罪被害者の遺族になってはじめて知った。
日本で土地と住宅といえば一番の財産だ。
これは迷惑を確実に超えた現実の大問題だ。
最初の一周忌あたりは捜査一課の刑事がきっちり同行していたが二年目から制服警官のみになった。
母は普段は憔悴しやつれた雰囲気を出しているが、この命日だけは、人が変わったように目には闘志を燃やし、姉の死を姉の事件を風化させてなるものかと、張り切りまわる。
母の
姉も
ここでも、姉の影に隠れた冴えない弟だった私は、老いた母の影に隠れる冴えない息子になり
そして、犯罪被害者家族と人柄の良さそうな警察官の一行は、メディアも連れて最寄りの電車の駅へ向かう。
もう昼下がりになり、典型的な大都市圏のベッドタウンの駅である。駅前にはタクシーとバス用のロータリー。駅構内には惣菜ですべてが済ませられるスーパー。そして普通電車しか停車しない。
主婦や早く学校がひけた学生等のまばらな客しかいないが、母はここからもう一段ギアを入れ直す。ロータリーのど真ん中に陣取り駅の通路を通るすべての人間に対し体育の教師並のハンドマイクを片手に語りだす。
「私の娘の奈央は五年前の今日、矢部翔一によって殺されました、、、、、」
この
私と制服警官はビラとビラが入ったティッシュを配りまくる。
私はこのビラ配りが得意ではない。閉口しているレベルだ。受け手の全員がほぼみな迷惑そうなのだ。
誰もがこの寒い中、足の歩みを一歩でも緩めるだけで辛そうだ。
相手の目の前まで行って進路を塞いでまで渡せない。
それとこの駅を利用する街の住人は100%事件のことを知っている。
未解決なことも。
それも、私も足を鈍らせる。
だが、世の中悪い人ばかりではない。心から同情してビラとビラの入ったティッシュを貰ってくれる人も居る。
これも変に辛い。同情されているのだ。
私にとっての苦行は午後いっぱい続く。いや正確には小雪がちらつくような宵の口まで続く。夕方の帰宅ラッシュを母と警察官と私が逃すわけにはいかない。
もうそのころには、母の声は枯れている。
「奈央は将来、人のために役に立つ仕事に付きたいと言っていました、、、、、、」
嘘だ。
いや母にはそういった事があるかもしれない。
が、私が見たところ楽しめるだけ楽しむのが姉の流儀だった。ぶっつけ本番でいきあたりばったり気分次第、やれるところまでしかやらない。他人にいやがらせをしたりはないが、自分に得にならないことはしない。自分がおもしろくないことはしない。
しかし、それが人間だろう。ちがうか?。
私も防寒対策はしているが、午後8時前の宵の口は一日の疲労もあり一番つらい。配る対象は完全にコートを着たサラリーマンになる。
夕食を自宅で食べるサラリーマンと外食で済ませたり飲んで帰るサラリーマンですこし駅構内から吐き出される乗客の客足が鈍ってきた。
数刻前から少し気づいていたが、駅の出っ張った入り口の脇に人影が居たような気がしていた。
午後9時でこの活動は毎年終わるのだが、その午後9時の数分前だった。
駅の大きな出入り口の脇の市民にビラを渡そうと私がふらっと寄った瞬間だった。
突然、暗がりからにゅーっと防寒具のジャンパーに包まれた太い腕が現れた。刹那気がついたら、私はその腕に胸ぐらを掴まれていた。片手には大量の予備のポケットティッシュを持っていたので、余計にふらついた。
胸ぐらをつかまれると畢竟、その掴んだ相手の眼の前に引き寄せられる。
相手が大きいと思ったが、そうではなかった。私がよろけそうになり姿勢が低かったのだ。
「おい、こんなこと毎年やってどうなるっていうんだ?」
男はそう言った。男は姉の元彼、
私が知っている坂木栄人より髪は幾分短く刈られていた。
「え、本当に死んだ奈央のためになると
坂木栄人は畳み掛けより一層私の胸ぐらを締め上げた。
姉の名前を第三者に出されたことで、私の中で何かが弾けた。
私は学区一の進学校に通っていたガリ勉だ。当然喧嘩などしたことないし、小学校の時の小競り合い以外で相手に露骨な暴力を振るったことなど一度もない。
しかし、毎年徒労に終わるこの命日の地域の聞き込みへの謝辞。捜査協力への呼びかけにも正直うんざりしていた。
どうしてあやまらなければいけないのだ。
しかし、その怒りを坂木栄人にぶつけるのもお門違いなことはわかっていたが
気がついたら、私は貧弱にもほどがある変なパンチを坂木栄人の頬に狙って出していた。
パンチは頬などには当たらず、坂木栄人の首の横を撫でる程度に終わった。
坂木栄人も大きく仰け反って避けていたらしく、また私がいきなり殴りかかるとは思っていなかったらしい。
大きくのけぞり、そのまま尻もちをついた。
私が更に坂木栄人に詰め寄ろうとすると、二三人の制服警官が私と座ったままの坂木栄人の間に割って入った。
「どうしました?」
「なにがありました?」
人の良さそうな制服警官たちがあくまでも穏やかな顔で私と坂木栄人に交互に尋ねる。
怒りも相まってか息は坂木栄人より私のほうが遥かに荒い。
坂木栄人が被害届を出せば私が暴行罪でその場で逮捕か任意同行だろう。
坂木栄人はゆっくりと立ち上がるだけで何も言わなかった。
「私が全部見ていました」
一緒にティッシュを配っていた女性警官がしっかりとした声で真後ろから言った。
これが一番抑制効果があった。仕掛けたのは坂木栄人、手を最初に出したのは私。
そして、これは、もうこれ以上はやめろという宣言でもあった。
男性警官たちは、
「大丈夫ですか?」とか、
「お怪我は」とか、両者に声を掛けあくまでも、どこまでも、穏便に済ませるつもりらしい。
母は、しわがれ声のままハンドマイクを握り、必死に情報の提供を訴え気付きもしていない。
立ち上がった坂木栄人の顔を見て今度は私が驚いた。坂木栄人は憤怒の表情を浮かべていた。
「痛くもねえ腹まで探られて事件関係者がどれくらい迷惑をこうむるかよく考えろ」
それは、私にでなく、その場に居た警察官全員に発せられていた。
「さっさと
声は大きく荒かった。
そのころになって、母も坂木栄人と私の騒ぎにに気づいたらしい。ハンドマイクの声がとまった。
そう言うと、坂木栄人は
姉の矢部翔一の前の彼氏だ、そうとう調べ上げられたことは想像に難くない。
「もうだいぶ冷えてきましたしこの辺で辞めますか」
一人の年配の制服警官が言った。
母はきっとその警官を睨みつけたが、言葉もなく同意した。
私が母の近くに歩み寄ったときに母が言った。
「事件直後。坂木栄人がずーっと任意で調べ上げられてて、父親が体調を崩して心理内科に通うことになってるらしいわ。奈央をもて遊んだ一人のくせしてざまあみろよ」
母はそう、坂木栄人が消えた暗闇に向かって小さく言った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます