5 過去 3
市立の病院へは姉を形式として運んだらしい。よくニュースで言われる<心肺停止>というやつだ。
救急車に乗せる段階で姉はもう冷たくなりはじめていたと母はあとから私に言った。法的に死んでいるか生きているかを判断できるのは日本では医師だけなのだ。医師による死の宣告を受けるために病院に行ったようなものだ。
私が、その夜の夜更けに市立の病院についたとき、母は誰も居ないだだ広いガランとした待合室の大量のソファーの中一人で頭を
もっと取り乱しているかと思ったがそうでもないので、少し安心した。
「
そう一言だけ母言った。
私は、母の近くには行ったと思うが無言だったと思う。
すべてのことがあまりにも一度におきすぎていた。
少し離れた所に居た婦警が母の近くにやってきた。県警として母に付き添いとして付けてくれているらしいが、母は婦警には関心がない様子だった。
私も、母の隣へ同じソファーに座った。どれくらい経っただろう。病院の車回しに一台の覆面パトカーがやってきて、止まった。
刑事が一人非常灯だけ付く病院内に入ってきた。
検死の関係の打ち合わせに刑事が着た様子だった。
途端、母がバネ仕掛けのようにはね上がり、叫びだした。
「刑事さん!、刑事さん。
「近田さん、落ち着いてくだい。現在、非常線と検問を実施しています。県警が全力を上げて矢部翔一を追っています」
刑事は極めて冷静な口調で言った。
それでも、母は収まらなかった。
婦警が母の肩に手をかけた。
「奈央だけではないんです。丁度帰宅した、内の人とあの男がもみ合いになって、全部一瞬でなにがなんだかわからなかったんですけど、矢部翔一がうちの人もあのカッターナイフで刺して、無理やり車に乗せて走り去ったんです」
私はその時始めて矢部翔一が父にまで手をかけていることを知った。
「どうか落ち着いてください。目下、全県警をあげて鋭意、追跡中です」
警察はどことどこに検問を置いてとか非常線はどこでとか細かいことは言わなかった。
母は狂ったように言っていたが、矢部は車で逃げているのだ。しかも人を二人も刺しているとなると相当飛ばしていて時速80キロ程度で逃げいているだろう。発生から何時間経った?。もう県境まで逃げていてもおかしくない気がするが、私はまだ只の高校生に過ぎず黙っていた。
「島川くん」
刑事が婦警に声を掛けた。
島川と呼ばれた人の良さそうな婦警は母と正対すると
「お母さん、大丈夫ですから」
と言った。これは不適切な言葉だった。家族半分を刺されて大丈夫なわけがない。婦警の島川は無理から母を待合室のソファーに座らせようとしたが、母は島川婦警の手を払いのけると堰を切ったように喋りだした。
「矢部翔一の車も知っています。車の名前までは知りませんが、スポーツ・タイプの後席はあるんだけれど、ものすごく狭くて座れないような、、色は真っ白で
母には、テールライトの形だけはやたら印象に残っているいらしい。
「近田さん、その話は最初に駆けつけた制服警官に話されたそうで、捜査一課の全刑事が情報は共有しています。陸運局との照会で車ももう数時間で特定されるでしょう。ご心配なく、矢部翔一は逃げられません」
しかしこの刑事は完全に間違っていた。
矢部翔一は捕まらなかった。
少なくとも、この五年間逃げおおせている。
刺された父と白いスポーツ・カーとともに今もどこかを逃げている。
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