1 過去 1

 あのときの光景は恐らく死ぬまで忘れることがないだろう。


 私は高校で受験のための物理の補習授業を受けたあと、日か落ちかけ暗くなった家路を自転車に乗って帰っていた。

 私は、生まれてからこの方、輝ける姉の永遠に冴えない弟という役回りで、その分おとなしく手のかからない子として母の美奈子みなこからは認識されていたようだ。

 成績の良かった姉を追い越すことはないにしても、追いつけ追い越せの小中学校を過ごした。ちなみに姉は運動も得意だったが、私は運動の方はからきしだめだった。その分勉強は頑張った。私にとっての唯一の生き残るすべだったかもしれない。クラスでも下の方のヒエラルキーに属し勉強ができることでどうにかその存在を哀れなほど小さく誇示していた。で、高校はどうにか学区で一番の進学校に合格した。

 当然、その高校は家からかなり遠く、毎日一時間ほどかけて自転車で雨の日も風の日も通っていた。

 私は、中学までは成績が良いほうだったが、どうやら良すぎる高校に入ったらしく、高校で成績は中の下で、ここでも、姉を追いかけるのと同じくクラスメートについてくのがやっとだった。

 しかし、卒業生や進路指導室の先輩の合格者の名前を見ているとどうにかクラスメートについていけさえすれば、なんとかどこぞの名前のとおった大学にいけそうだった。

 家でも、姉を追いかけ、高校でも、クラスメートを追いかけていたのだ。

 できるかどうかは別にして、後を追いかけるのは慣れている。

 ママチャリの前籠に参考書もたくさん入った重いカバンを入れ小一時間かけ学校と家を往復する時間だけが、私には唯一の息抜きの場だったのだ。

 バイパスの大型トラックやバスがビュンビュン走る脇の歩道を右折して山のほうに向かった所に私の家がある宅地があった。

 今でも鮮明に覚えているが、そのバイパスから一本曲がった瞬間からななにかがいつもと違った。

 とにかく、赤かった。すべてが赤かった。緋色というべきなのだろうか。

 大手の住宅開発業者がまとめて分譲した住宅地なのだが、山に沈みつつある夕日より赤いものが私の目に飛び込んできた。

 二台のパトカーのパトランプだ。

 サイレンは止めているものの、隣の家の壁、向いの佐藤さんの玄関。斜向はすむかいの工務店を営む土屋さんのハイエース、そして私自身。

 すべてのものを真っ赤に染めていた。

 日が沈み当たりが暗くなればなるほど、そのパトランプの明かりは強くなっていくように感じられた。

 どうということもなく、私は自然といつもより数メートル先で自転車を降り、押して家に向かった。

 家の門扉の前には、後部のハッチを大きく上げた救急車が止まっていた。


奈央なおーっ、奈央なおーっ」


 母の絶叫が聞こえ、姉が乗っているであろう、ストレッチャーがその絶叫とともに家から出て私の目の前をとおっていった。

 私は顔から血の気が引く思いがもうすでにしていた。

 母は姉の乗ったストレッチャーにしがみつくように寄りかかり、そのままいっしょに救急車に乗っていった。

 救急車のストレッチャーに掛けられたビニールの幕がすでに真っ赤だった。

 姉の顔には長い髪の毛が覆いかぶさり、表情までは伺いしれなかった。

 本当は、私自身が見たくなかったのかもしれない。

 姉と母を載せた救急車はそれから嫌に長いあいだ、発車しなかった。引受先の姉が収容される救急病院を探していたのだが、そんなことを私は知る由もない。

 そのとき、声をかけられた。


近田陸ちかだりくくんだね」


 制服の警察官だった。パトカーでやってきた警察官だろう。

 私は返事ができなかった。驚いたような顔をして警察官を見ただけだ。


「お姉さんが大変なことになってね、じきに機動捜査班が駆けつけて簡単な事情徴収が行われるから、お姉さんのためにもできるだけ捜査協力してね」

 

 警察官はそういった。


 捜査班?捜査?。事件なのか?。私は、自然と自転車を立てると救急車のほうに数歩歩み寄っった。心臓だけがバクバ音をたてて体内で鳴りひびいていた。

 すぐに、母と姉を載せた救急車はサイレンを鳴らし始めて、発進していった。


 やっと気付いたが、家の周りには、野次馬と近所の人がバラバラと集まっていた。

 そして制服警官によって黄色い規制線がはられようとしていた。まるでドラマか映画か推理小説だ。

 野次馬は追い払われようとしていたが、住宅が規制線の中にある住民は構わないらしかった。

 私が、一生忘れることのできないという光景はそんな規制線やパトカーのパトランプの赤ではない。

 私は、ぼーっとしたままだがいつもと同じ車庫の脇に自転車を止ると、開けっ放しになった家の玄関に幽霊のようにとぼとぼ歩いていった。

 忘れることが出来ないであろう光景は見慣れたその玄関だった。


 当たり一面、真っ赤で血の水たまりが三和土いたるところに出来ていた。赤というより衝撃の赤だった。あってはならない赤。

 そして鉄臭い強烈な血の匂い。

 

 "姉の血だ"


 と漠然と思ったことも覚えている。

 それと、どこにでもあるち血まみれのちょっと大型の文房具のカッターナイフ。

 それが血の水たまりの上がり框のど真ん中に落ちていた。


「陸くん、、、」


 目に涙を浮かべた向いに住む佐藤さんのおばさんが私に声をかけてきた。

 ここで、私の記憶は途切れる。

 

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