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 湯浅杏奈ゆあさあんなはいつものフードコートの端の端を占領していた。本当はそうでもないらしいがオセロなら必勝形だ。私はPCのソフト相手だと四隅をきっちり取って負けたことすらある。


りくくん、ここ」


 フードコートの無料の紙コップを揺らして、私を呼ぶ。


「待った?」

「文庫本、一章分」

 

 そう言って、杏奈は革の綺麗なブックカバーの付いた文庫本をまた揺らして私に見せる。


「ごめん、ちょっと営業先で話がはずんじゃってお得意先だからこばめなくて」

「うーうん大丈夫」


 とかぶりを振る杏奈。最近前髪を短く切ってオン・ザ・眉毛にしたらしいが、明らかに失敗している。高校生みたいだ。しかも去年まで中学生の高校一年生。美容師にうまく伝えられなかったらしい。しかしそれが可愛らしくも思える。


「何食べてたの?」

「中華、揚そば580円」


 ショッピングモールのフード・コートも昼間は混み合うが、平日の夕方となると途端客が減る。みんな家路につくのだ。

 こんなところで格安デートをしているのは私と杏奈ぐらいだ。

 そしてそのショッピングモールの最上階のシネコンで割引のレイトショーの映画を毎週見る。


「陸くんはどうすんの?、もう映画始まっちゃうよ」

「ポップ・コーンでごまかす」

「あれ高いしいつも残すじゃん。下の食料品売り場でなんか買ってく」

「やめとく家で帰ってから喰うわ」

「さすが実家マン」


 ふたりとも、会社は違えども入社一年目のペーペーの平社員だ。給料は互いにしれている。


「それより映画どうすんの?」

「あの刑事もんのやつは?」

「もうレイトショーでやってないよ、昼間だけ」

「とりあえず、ロビーへGOだな」

「らじゃ」


 二人でエスカレーターへ急いで乗り込む。

 シネコンのロビーでああだこうだと私と杏奈。客を急かすようにロビーには大型の時計がぐるぐる秒針を回している。


「SFみたいんだけど」

「杏奈、女子だろ」

「うちホラーとか追いかけられる系駄目なの知ってんでしょ」

「追いかけるシーンがない映画なんてないだろう」

「じゃあ今回は"貸し"にしとくわ」


 と杏奈。概ね杏奈がブーブー言っておいて杏奈が譲ることが多い。このつもりつもった"貸し"が少し私には少し怖い。



 映画を見終わったあと、真っ暗で真冬で寒い中ショッピングモールを出た街頭の暗がりで杏奈が私に訊く。


「予告編の時言ってた話ってなに?」 


 はっと現実に戻される私。心臓がとまりそうになる。 


「また今度」


 と私は小さな声でぼしょぼしょと言葉を濁す。


「なにそれ?」


 と杏奈は言いつつ、ぱっと私に軽いキスをする。杏奈にはいつも虚を突かれる、いやすべての女性にはだ。

 

 杏奈はショッピングモールに併設された私鉄のホームへ寒さのせいで首をすくめ走って向かっていく。

 私は、また杏奈にきり出すことが出来なかった。

 これで何度めだろう。

 原付きが止まっているショッピングモールの駐輪場へ重い足取りで私は向かう。

 手袋、暖パンと防寒をきっちり確かめてから原付きに乗り家へ実家へ目指す。15分程度の原付きでの輪行りんこう

 足取りが重いのは寒さのせいではない。

 実家の門扉のライトは消えている。母がいつももったないとか言って消すのだ。

 夜には全く出歩かない母にはわからないのだろう。こちらは不便極まりない。

 車庫の軽自動車の隣に原付きを止めると玄関に回る。

 そして、私は玄関の扉に手をかける。

 この時が一番恐怖に襲われる。

 矢部翔一に刺された姉の姿を見たわけではない。

 それでも、恐怖に襲われる。一度など、帰宅したにも係わらず心を落ち着かせるため近所を10分程度散歩したこともある。

 扉は、5年前と一切かわっていない。

 玄関に溢れていた水たまりとはもう呼べないほど大きな血の跡、そして血の匂い。

 それが蘇ってくるのだ。

 玄関を開けたところにその血の大きな水たまりの中に瀕死の姉の姿さえ見えるような気がする。


 相当、覚悟を決めて鍵を開ける。ドアノブをひねる。

 いつもの、何事もない玄関と上がりかまちがあるだけ。

 姉の死後、現場保全と捜査のため半日そのままにしたせいか、姉の血は簡単には掃除できなかった。

 やむを得ず玄関と上がりかまちの部分だけリフォームした。

 そのことでさえ、姉に関して罪を感じる。

 私は重い気持ちを抱えながらいつも帰宅する。

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