11 過去 6
「警察は何をやっているんですかぁ!」
母の甲高い声が上がり框のところから聞こえる。
異様に低い声で刑事が玄関先でボショボショ母に話しているのが続いて聞こえる。声の感じから
事件から二日経った。
数時間前、姉が検死のため躰をY字に切り開かれそして縫い戻され”物”となって帰宅した。見たわけではない知識と知っているだけ。
姉、
ちなみに矢部翔一はまだ捕まっていない。
今日は、応接間で角刈りの
一応私が受験生ということで県警としても配慮はしてくれるが県警は人が日替わりこちらは、一人。
若い高校生と言えども、バテ気味だ。
なにより経験したことのない出来事の連続これが余計に疲労を生む。
甲高い母の金切り声が数分ごとに聞こえてくる。
「お母さんの声はあまり気にしないで」
この二日でいろんな刑事が居ることも学んだ。スーツにネクタイの普通のサラリーマンタイプ。手帳さえ持っていなければ犯罪者かと思うようなヤバそうな人。やたらめったら命令口調の人。とてもこちらの心情の変化に気を使う神経質タイプ。
また、聞き出すテクニックも多種多様だ。ほぼ誘導尋問的なものから、事実だけ淡々と確認していく人。わりと関係ないことまでペラペラ話す刑事。
私の方は日にちが経つごとに完全に受け身のどんどん喋らない戦術に変化していった。
丁度怒られてい幼児や保育児のようにだ。
単純に県警の取り調べにこちらが合わせても無駄というか疲れるだけだということがわかったからでもある。
それに知っていることはもう一とおり喋ってしまっているからでもある。
ニュースでは姉が人を助ける仕事に付きたいとか中学の文集で書いたものが読み上げられていたがもう警察は姉のすべてを掴んでる。
「陸くんから見て、お姉さんってずばりどんな人?」
佐山刑事が尋ねる。佐山刑事の細い目からは表情は伺えない。この質問には事件当日にも答えた。
「きれいでスポーツも勉強もできて自慢の姉でした」
もう姉について過去形で答えるのもたった3日で板についた。
「仲は良かったほう?」
「それほどでもないと思います」
「たくさん彼氏が居たから?」
来た。
佐山刑事の表情は全然変わらない。
「そうかもしれません、他の姉弟の関係をあまり知らないので」
ふーと佐山刑事の大きなため息。ぼかした答えには不満らしい。
「矢部翔一については?どう思ってた?」
「別に、、二三回しか会ったことがないし、喋ったのも一度だけなので」
佐山刑事の眼孔が更に鋭くなった気がした。私も佐山刑事を睨んでる。こうしている間に姉を刺し殺し、父を刺し拉致してシルビアで逃げている矢部翔一をあなた達は野放しにしている。
「わからないっていう意味?一回喋っただけでも思うところあったでしょう?どんな感じがした?」
じゃあ逆に訊きたいが、刑事さんは一回喋っただけに男のなにを掴みなにがわかるというんだ。とはさすがに言わないが、まだ高校生の私は露骨に表情に出ていたと思う。
「軽い感じ、かな?」
私はぼそっと答える。
この質問にも何度も答えているが正直言って毎回変わっているような気がする。
佐山刑事の表情は何一つ変わらない。
しかしこの日は手のひらを返したようにウィンドブレーカーの懐から一枚のPCプリンターの紙を出した。
「この男、知ってる?」
A4の用紙には大きく若い男が写っている。おそらく姉のPCかスマホから取り出したのだろう。画像としては不自然に男のわきでぶちっと切られている。姉の部分だけ切り取ったらしい。
「知っています」
「名前も?」
「ハイ、
姉の矢部翔一の前の彼氏だ。
「どんな人だった?」
質問が直截だ。過去形。前の彼氏だとも警察は掴んでいるらしい。
「見かけただけで、話したことはありません」
「そう」
意外にそんなりだ。こっちの
輝ける姉の冴えない弟は事件後も使えない冴えない男なのだ。
そして、このことは私が知っている限りの姉の彼氏の全てに当てはまる。
これは私が姉を神格化は大げさにしても、いつも見上げてきたからかもしれないが
姉に本当につり合う男性と出会ったことは少ない。
まぁ男には不自由せずとっかえひっかえしていた姉だし、私や家族に見せていた彼氏も選んでいた可能性がある。
逃走中の
姉は恋をしていたというより、恋に恋していたようにも私には見えた。犬が散歩で飼い主と追いかけっこを楽しむみたいな。
「そのお姉さんのボーイフレンドがこの坂木栄人から矢部翔一に変わったわけだけど、その円満に移行したのかな?その辺知ってる?」
「知りません。わかりません」
それだけは本当にわからないし、知らない。二股三股も当たり前の姉だ。坂木栄人が事件の動機や事件そのものに関わっているのか?。
ちょっと虚を突かれた。
こっちが驚愕だ。おそらく私の驚きの表情を佐山刑事は感じとっただろう。
「いや、貴重な時間をありがとう。受験なんだろ、大変だと思うけど勉強頑張って」
「ハイ、がんばります」
佐山刑事は応接間から逃げるように去っていった。母の金切り声はもう聞こえなくなっていた。
私は、必死で日常を守ることにだけ集中している、そう受験勉強にだけ集中している。
センター試験まであと、一ヶ月だ。
それだけを考える。800点満点で8割9割を目指す。
逆に高3の受験期間で助かったかもしれない。帰宅部でやることのない高2や高1だと本当におかしくなっていたかもしれない。
母は間違いなくおかしくなっている。今から思えば、母の狂気はこの葬式の前後が一番ピークだったかもしれない。
私の家の前、いや周囲の日常は完全に変わってしまった。
護衛のためと称し、サイレンは鳴らしていないものの、パトカーが常時ではないが時刻を若干かえ夜中のありとあらゆる時刻に位置まで丁寧に変え家の周囲に停車している。
夜中にトイレに行ったときに、停車中のパトカーの赤いランプでいきなり照らされ驚き目覚めてしまい寝付けなくなる時がある。
近所の人もそうだろう。
矢部翔一はいまだ逃走中だ。しかし犯人は犯行現場に舞い戻ると言うが、うちにもう一回訪れることがあるだろうか?。
姉経由でそれほどうちを憎んでいるのか。父と命がけのナイフでのバトルを起こしたのだ。
ありうるかもしれない。これも、最近良く考えることだ。まだ若い女子大学生の姉が死んだのだ。可能性がある限りなんでもおこる気がする。
そして聞き込みは事件を見た母にだけでなく、近所の家々すべてに幾度も幾度もかけられる。もう何組か何人かの刑事は顔見知りになったが、違う刑事が時間を変え近所の人のところへ何度も訪れる。
そしてその後にマスコミが訪れる。警察が何を尋ね、あなたはそれにどう答えたか尋ねる。
警察は天下御免だ。しかしこれはやりすぎだろう、という頻度でこの宅地分譲地一体を闊歩しうちのこと近所のこと、すべてをあぶり出す。
母は、近所の人に会うたびに何度も頭を下げ警察の代わりに謝る。
「非常線と検問の場所変わってたぞ」
親友の
私は、先に書いたとおり明日は学校を休むが学区随一の進学校に通い続けた。
成績順に露骨にクラス分けされるうちの学校では比較的毎年クラス分けが行われるのであまりベターっと付き合う友達はできにくい。
友人たちの反応も様々だ。
家族が殺人事件に巻き込まれた私に露骨に近づかないもの。
涙まじりでお悔やみを言う女子。
おれが警察に代わり犯人を捕まえてやるとまでいう男子。
担任の男性教師は
「大変だったなぁ」の一言だけ。メガネの奥の目からは心の底から言っているかどうやらわからない。
うちの高校は学区全体から広く全生徒が通っているので比較的遠距離から通っている友人も多い。
中林は昼休みに私の席までやってきて続ける。
「最初の非常線と検問から比べると今度のはお前の家から離れてた」
近くで弁当やパンを食べる女子生徒の集団が私と親友の会話を興味津々で盗み聞きしているのを背中で如実に感じる。
私は警察でもないので答えようがない。
だが、答えは明瞭だ。
警察は矢部翔一を捕まえ損ねた。
矢部翔一は最初の警察の予想より遠くに逃げた可能性があるのだ。
私は、片頬の頬を歪めて、笑顔ともなんともとれない顔をつくる。
「車で逃げたって話だから」
私はぼそっと言う。そうだ、車な一時間に100キロは移動する。日本一の大都市の通勤圏にある私の県からもう大都市まで到達し瀕死の父を連れてシルビアで列島縦断の旅にお出ているかもしれない。
中林は少し驚いた表情。どうやらニュースでは車の件は発表されていないらしい。
今度は、中林が笑顔ともなんともとれない顔をつくる。
5限が始まるチャイムが私と中林の間をどうにか取り持ってくれる。
進学校だけかもしれないが、高3の12月にもなろうものなら、多少授業中内職して受験勉強をしていても先生も咎めない。
従ってぼーっとなっている私をも教師は咎めない。
目立たない冴えない男はこういう利得もある。
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