12 現在 4

 休日の遅い朝。

 郊外型の元パチンコ店の広すぎる駐車場に青いかわいい軽自動車が停まっている。

 その脇には私と湯浅杏奈ゆあさあんな

 我が県の休日の国道は大都会へ向かわない限り比較的すいている。


「がんばって、いくぞー」

「おー」

「さぁ声出していこうー」

「おー」


 杏奈が声を掛けそれに応える私。


「もうペーパー・ドライバー化がね、どんどん迫ってるからね、なんとしてもね、それこそね、石にかじりついてもね、食い止めないとね」

「前、運転したのは、いつ?」

「それ、いきなり、訊いたらだめなやつ」


 私を指差し唇を尖らす杏奈。怒った顔も少しかわいく感じるが杏奈の目は真剣だ。


「買い物とかで広い駐車場とかあるところに定期的に何日かおきに車でいけばいいんじゃないの」

「それが出来とったら、こうなってないんだわ」


 黙り込む私。


「今日はね、りくくんの援護と支援と介護と介助を受けてね、名栗渓谷への死の行軍往復ハ千里だわ」

「そんなに距離ないよ。県内だから普通余裕でしょ」

「私はそれぐらいの気構えでいると思ってくれ給え、この<あおし>君はね、来年ニューモデルが出るという極秘情報をディラーがキャッチした型落ちしかけの激安オプでナヴィが付いとらんからね、陸くんが迅速にして的確でナイスなナヴィを私にしないとふたりともあの世行きだからね覚悟してくれ給え」

「らじゃ」

「よーし気合い入れていくぞー。声出していこー。」


 私はさっさと後部座席に乗ると杏奈が車外から私を睨みつけている。


「殺すぞ、陸くん」


 私は狭い軽自動車の車内を避け、いちいちドアーを開け締めして助手席へ。そしてシートベルトを締めロードマップを膝の上へ。いったい何号線になるのか?、面倒くさい。

 ところが杏奈が<蒼し>君に乗り込んでこない。


「なにやってんの?」


 と反対側の助手席から運転席側の車外へ私が身を乗り出し尋ねると


「ナヴィは余計な時以外喋らないようにきっちり後方確認だわ。陸くんも習っただでしょ」

「・・・・・・・・」


 杏奈が乗り込んでからも、かなり時間がかかったが、<蒼し>君は駐車場内を信じられないくらいぐるーっとものすごい大回りして車道へ


「ウィンカー、ウィンカー」

「ナヴィはうるさいんだわ、左右確認左右確認と」


 マッチ箱ぐらい小さな大きさの後続車のときに車線へ合流。


「機長、しばらく真っ直ぐです」

「らじゃ」


 杏奈のハンドルを持った肩の位置が上がりすぎてハンパじゃない。


「杏奈、リラックス、リラックス」

「らじゃ」


 しかし杏奈の肩は少し下がったものの肘のはりかたが今度はひどい。


「杏奈、肘ダウン、ダウン」

「これが私のスタイルなの」


 杏奈は<蒼し>君を初心者かペーパードライバーらしくものすごい低速で走らせるのかと思いきや、これが意外や意外、めちゃめちゃ踏み込んで走る。


「これ、ちょっと飛ばし過ぎなんじゃない」

「流れに乗れと習ったんだわ。しかし、わりと余裕じゃないか陸くん。杞憂とはこのことなり」

「だと、いいんだけど」


 たぶん、田舎の直線道路をだーっとまっすぐ走るのは一番楽な運転ではなかろうか、信号の度のストップ・アンド・ゴーや町中での右折や縦列駐車に比べては。

 しかし、田舎の下道の国道なだけに時折ものすごい高速で走る車やトラックのパッシングに会う。

 これまたものすごく怯えるのかと思いきや真逆である。


「てめー、殺すぞっ。ファーック」


 杏奈はハンドルから右手を放し中指まで立てる始末だ。


「杏奈、見えるって、バックミラーから」

「用心棒が助手席にタダで乗っ取るわけで陸くんが揉め事は対処し給え。ファッキュー、レッツゴー」


 これにはさすがに『らじゃ』と答えられない。私の深く大きなため息。しかし、走っても走っても車内がなかなか温まらない。冬のドライブといえ手袋にダウンジャケットを着たままである。


「ヒーターはどうなってるのでしょうか?機長」

「デフロッサーが好きではないので全部切っとるんだわ」

「えっ。全部?」

「なんか、前からぶわーってなるの嫌なの、陸くんはナヴィなんだから暑いとか寒いとか言う権利はないの」

「この車いつ車検とおったのよ?デフロッサー効くでしょ」

「私、文系だから家の窓の結露とか窓が曇る仕組みがもう一つわからんのよ、ちょっとはドライバーの快適な運転環境の改善と維持に協力しなさい」

「マジで寒いんですけど、機長」

「しょうがないなぁ。陸くんそこの真ん中らへんのスイッチをどれか押しなさい」

「らじゃ」


 どうやら、杏奈はバイク感覚か夏しか運転するつもりはないらしい。


「これもね、私のキャリアアップの一貫なのよ。今、内勤の事務だけどね、外周りで各営業所の管理のやつにね志望合格するとね、総合一般職のね。なんちゃらアドバイザーになるんだわ」

「冬は内勤に戻れんの?杏奈、凍え死んじゃうじゃん」


 杏奈がちらっとこちらを睨む。


「総合一般職のなんちゃらアドバイザーになると今より給料、15パーアップだよ陸くん」

「そんな上がってないじゃん」

「君は今日はエライ、つっかかってくるね。黙ってナヴィしなさい」

「会社の車、デフロッサーついてなくて、ちゃんとしたナヴィが付いているといいね」


 杏奈あんなは応えない。

 渓谷に向かうプランそのものが誤りだったことを徐々に私と杏奈のドライブは実感させられる。

 どんどん車線が減り道幅が狭くなるのだ。往復二車線が一車線に、すれ違うのがやっとだったり。

 杏奈の対向車とのすれ違い方がひどい。

 こんな渓谷の近くの細い道では、お互いが際に寄せ合い譲り合うのが交通マナーだと思うのだが、杏奈は頑として道路の脇や際へは寄せず、対向車に避けてくれっといわんばかりにただただ徐行か停車してやりすごすだけだ。

 露骨にむっとした顔をしてすれ違う対向車のドライバーも居る。


「杏奈もうちょっとだけ寄せないと、、、、」


 と気を使いながら声をかけると。


「上手いほうが避けるのが社会的には適材適所なんだな。総理も国会でよく言っとるだろう」


 と、にべもない。

 助手席の私が対向車のドライバーに慇懃無礼なほど丁重に頭を下げる。


「お腹が減りませんか。機長」

「道路マップで進行方向に対して一番近くかつ右折しなくていける”道の駅”を探しなさい。そして的確な指示をドライバーに出すように」

「らじゃ」


 わたしは、スタート時膝の上に置いていた表紙がぐるんぐるんに曲いた道路マップを知らない間にグローブボックスに閉まっていた。

 ずっと膝の上に載せたままというのも不快だろう。

 しかし、これがいけなかった。

 本当にいけなかった。


「財布もグローブボックスの中ですか?機長」

「免許証もだよ、決まっとるだろ」


 たぶん、私が買い出しに行く係になるんだろうなぁとぼんやり思い、グローブボックスを開けようとした瞬間。

 眼の前を杏奈の青いセーターの袖が横切った。

 反射的にわたしはのけぞったが、運転中の杏奈が運転などそっちのけで飛び込むように私の眼の前に飛び込みながらせり出し、左手でグローブボックスを抑えようとしているのだ。


「杏奈、あぶない!」


 私は叫んだ。

 車はそれほど大きく方向を変えたわけではなかったが、脇のほうへ向きを変えていた。

 私は必死で杏奈の運転をサポートするために横から無理やりハンドルを握り戻したがこの戻し方が大きすぎた。

 車は大きく蛇行し反対車線に飛び出した。

 ものすごいクラクションの音とともに対向車が迫る。

 白いミニバンである。

 私は、もう一度男の力で、ハンドルを戻す。

 再度杏奈と私が乗った軽自動車は道路の脇へ。

 完全な蛇行運転だ。


「杏奈!」


 限界だ。杏奈もブレーキを踏んでいたが、私も杏奈の足の上からブレーキを必死に踏んだ。

 後続車両のことなど微塵も考えられなかった。むしろ後ろから追突ぐらいで済んだほうが良かったとも思える。

 幸い、後続車両はかなり後ろで十二分な車間距離があった。

 しかし、けたたましいクラクションとともに、国道の路肩に強引に急停車した私達の軽自動車を追い抜いていった。

 音波に関する物理的ドップラー効果だけが残る。

 

 路肩に停まった私達の軽自動車は脱輪さえしていなかった。

 ふたりとも、しばらく言葉がなかった。

 私の胸は心臓の音が外に聞こえるんじゃないかというほどドクドクと鳴っていた。

 杏奈は私のほうに髪を顔にかけ突っ伏していたが、それでも左手はグローブボックスの扉を抑えていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る