第二章 混沌の晩餐会 3
「セイラは魔導を使うの?」
出て行ったマイケルを気にすることもなく、ジェイクが尋ねると、彼女は気分を変えるように少しトーンを高くしていいえと答えた。
「残念だけれど魔導の才能はないみたい」
食事中よりは幾分くだけた口調だった。少し残念な様子で軽く首を振る。
「ただそうね。私もケヴィンと同じ。魔導を知ることは大切だし、興味があるから勉強はしているわ」
ごくりとツバを飲む。
ちらりとジュリアンの顔を盗み見て、ケヴィンは口の中がカラカラに乾くのを感じながら最初の質問をした。
「なら、魔生生物も……?」
その単語に、アイザックやジェイクはきょとんとした顔を向けてきた。
妹のローラもだ。
しかし大人たち二人とセイラは微妙に表情を変えた。それがどんな意味を持っているのかはわからないが、気を引いたのは確かだ。
「セイラさんは魔生生物を見たことがある?」
ジェイクたちはすでに彼女のことを呼び捨てにしていた。だけどケヴィンはこの中でも一番年上で、彼女がどれだけの地位にいるのか、よくわかっている。だからたとえこちらが呼び捨てにされようとも敬意を払うと決めていた。
それでも多少砕けた口調になってしまうのは仕方のないことだった。
セイラは少し悩んでいるようだった。
視線を宙へ彷徨わせ、後ろを仰ぎ見る。すると控えていたクライドが彼女の横へ並び出る。
「ケヴィン様。私が代わりにお答えさせていただきます。……魔生生物は、関わった場合国の決まりで機密保持の契約を結ぶこととなるのです。お嬢様が関わっていても、その内容を話すことはできないのです」
これは、ケヴィンに対してかなり配慮した返答だった。つまり彼女はあるのだ。
「ねえ、魔生生物って何? 魔導なの?」
妹のローラが苛立ちを隠すことなくきつい目をして聞いた。必死に自制しているが、このまま放置しておけば間違いなく爆発する。客人の前であまり見せたくない様だ。
仕方ないので説明してやることにした。
「魔導っていうのは、受動魔導と能動魔導という二つにわけられるんだ。知らないだろうけど」
「知ってるわよ!」
ローラは馬鹿にされるのが嫌いだ。知らないことも知っていることになる。その方が余計な説明を長々することがなくて楽だ。長年無駄に兄をやっているわけではない。操作などお手の物だ。
「そうか。まあ、その二つを上手く組み合わせていろいろなことをしたり、商品が作られていくんだけど、それとはまったく違った別の系統にあるのが魔生生物なんだ」
「だから、それが――」
言いすがるローラを手のひらで制した。ちょっとかっこいい。
「魔生生物というのはその名の通り、魔から生まれた生き物ってことだよ。魔というのは魔導エネルギー。つまり魔導でできた生き物。色々定義はあるんだけど、簡単に言えばそんな感じ」
細かく話すには魔導の知識がなさ過ぎる。これで十分だろう。
「魔生生物の中にはこの世界に元からある生物を基にして作られるものもあるんだよ」
ジュリアンが正しく次へのステップの材料を提示した。
彼の声を聞くたびにぞくりと背筋が寒くなり、シャツの下に鳥肌が立つ。
「生き物って、犬とか?」
ジェイクが無邪気に尋ねるので、ケヴィンはにこりと笑ってうなずいた。
「そうさ。犬とか、猫とか、……人間とかさ」
ぽかんと口を開けて、すぐにぎゅっと眉をひそめたその顔に少し満足する。
「まだ続きを詳しく聞きたいか?」
嫌悪感ありありに首を振るその姿を見ると、さらにいじめてやりたい衝動に駆られる。だがそこでジェイクと、平気そうな顔をしてはいるがやはり顔がこわばっているアイザックへ救いの手が入る。
「あまり怖がらせては可哀想よ」
くすくすと上品に笑いながらセイラが言った。そして二人に向き直る。
「魔生生物を創り出すことはもうだいぶ前に禁止されたの。今じゃそんな恐ろしいことをする人はいないわ」
美しい少女の言葉に、彼らはあからさまにほっとした表情を作る。ローラはと言えば、自分から話題に食いついておきながら、完全に興味をなくしたようで隣のジュリアンに何事か話しかけていた。我が妹ながら一般的な嫌悪感や罪悪感といったものをどこかに置き忘れてしまったようで、少し心配でもあった。
「でもまだ昔創られた魔生生物はこの世界のどこかに潜んでいるんでしょう? ガードラントが魔生生物を管理しているって!」
「管理!?」
それは答えられないと、再びはぐらかされるかと思っていたのに、彼女はびっくりしたような目でこちらを見返す。
「え、うん。人の皮を被った魔生生物たちを、ガードラントの軍は管理して集めてるって噂が……」
実は母のドロシーには内緒だが、学校で魔導研究会に所属している。本気で魔導を学ぶ者から、ただ知識を集めているケヴィンのような者までその目的は様々だった。この噂もそこで聞いたものだ。
「へえ。なかなか楽しそうな研究会だね」
ジュリアンは茶色の目を細めて本当に楽しそうな顔をする。
「本当に。だけど、その噂はちょっと、信憑性に欠けるわね」
もちろん、そうだ。それには同意する。少し水を向けただけだった。
「なら、魔生生物はずっと姿が変わらないっていうのは?」
そちらを見ないように自制するのに必死で、彼女の答えを聞き逃した。
えっ、と声を上げると、そこには彼女の笑顔があった。だが、ケヴィンにはそれが笑顔には思えなかった。
「確かに年をとらない魔生生物もいるようね」
ローラは魔導が使えない。知らないだろうと言われて思わずムキになってはみたが、すぐに興味も薄れた。それより隣のジュリアンへ話かけている方が楽しい。彼は仕草が洗練されていて、貴族女性として扱われているようで気分がいい。
「ねえねえ、もし良かったら中庭を見に行かない?」
小さな声で話しかけると、彼は中庭? と聞き返してきた。
「ええ。お祖母様が好きだったお花がたくさんあるの。中庭の温室に。あとね、魔導石の塊も置いてあるのよ」
「それは、是非見てみたいね――」
目を輝かせる彼にうなずいてみせる。
「――ガードラントの軍は管理して集めてるって噂が……」
ケヴィンの言葉に、ローラはもちろん、ジュリアンが反応した。
「へえ。なかなか楽しそうな研究会だね」
「本当に。だけど、その噂はちょっと、信憑性に欠けるわね」
艶やかな黒髪。一本一本まるで意識を持った生き物のようにすっと伸びている。きっと彼女が振り向くと、絶妙のバランスでそれらは宙を舞うのだろう。
「なら、魔生生物はずっと姿が変わらないっていうのは?」
兄はまだ食い下がる。何をムキになっているのだろう。珍しいことだ。この二年ほどでケヴィンは変わった。前は一緒に走り回っていたのに、大きな本を抱え、遊ぶ自分たちの横をすまして通り過ぎるようになった。母は落ち着いたと喜ぶが、ローラはどこか面白くなかった。
「確かに年をとらない魔生生物もいるようね」
きっと望んでいただろう台詞を聞いても、ケヴィンは黙ったままだった。
その沈黙が少々おかしいと感じられるくらい間が空いたところでローラは立ち上がる。
「中庭の温室に行きませんか?」
「ああ、そうだ。そうしようよ。魔導石の塊もあるそうだよ」
ジュリアンが提案に乗り後押しする。気をよくして、椅子を降りると、絨毯に座るアイザックとジェイクを無理矢理立たせた。
「魔導石の塊? 先ほどお話しに上がった採掘場から取れたものかしら。是非見たいわ」
セイラも立ち上がる素振りを見せた。するとクライドがさっと手を差し出す。彼女は軽くその上に手袋に包まれた右手を乗せると歩き始める。慌ててローラは先導した。
「こちらへ!」
正面玄関と、この西棟をつなぐ道を通らなければ外へ出られる。つまり、緑色に輝く壁の横にあるスイッチを押してから壁に触れれば良いのだ。
夕食が終わったあと、少し雪が降っていた。だがそれもつい先ほど止んだ。温室までの道はしっかり雪かきされていたが、今止んだばかりの雪までは手が回っておらず、ローラはうっすらとした柔らかい雪の上を進んで行った。
温室は特殊な硝子で出来ており、外気に影響されず室内とそう変わらない温度を保っている。夜間は灯りが付いていなければ硝子が鏡のようになって、中が見えなくもなる。
今は灯りが煌々と周囲を照らし、浮かび上がるように温室の中が見えていた。人影がある。先客のようだ。
「クインジーおじさまだわ」
ローラは少し足を速めた。表に出た途端、暖まっていた身体がまるで氷のように冷たくなった。早く暖かい温室に入りたい。
他のメンバーも同じ気持ちだったのだろう。アイザックに至っては最後の距離をローラを追い抜いて駆けて行った。
「やあ、みなさんおそろいで」
クインジーが扉の開いた音で気付き、こちらを振り返る。彼は上着を着ておらず、ネクタイも外していた。セイラたちの姿をみとめると、慌てて自分の身なりを点検している。
「温室にご招待したのよ」
「それはいい考えだね、ローラ」
褒められて、気分がいい。自然と笑顔になる。寒さが徐々に緩和されているのも一役買っていた。
温室に入った途端、みんなそれぞれが思う場所へと散って行く。ローラはもちろんジュリアンの後を追いかける。
「素晴らしいね。誰が手入れしているんだろう」
小さな庭園がそこにはあった。彩りを考えて設計された花壇、鉢植え。大きくなりすぎないよう品種改良された実のなる木。さらには小さな川と、川にかかった橋まである。大きさは食堂を細長くしたぐらいで、中庭の半分ほどの面積を持っていた。
「普段はユリシーズ。だけど、本来はおばあさまの温室だったの。おばあさまがこういったものが大好きで、おじいさまが命じて作らせたのよ」
特に素晴らしいのが中央にある魔導石でできた像だった。花の女神だそうで、その周りにはたくさんの花が植えられている。
「あれは、魔導石だよね?」
初めて見た客は誰しもがそう言う。そしてこの屋敷の人間はみな同じ返事をするのだ。
「もちろん!」
「なんとも、豪快というか金持ちのすることはわからないなぁ」
「ジュリアンもお金持ちでしょう?」
「いや、まあ、そうなんだろうけど、魔導石をここまで惜しみなく使って等身大の像を造るとか、考えてもみない。これだけでどれほどの価値があるか……」
「でもおじいさまが言うには質は良くないんですって。屑石だって言ってたわ」
違う。おっしゃっていたわ、だ。上品に話そうと意識しているが、普段使い慣れない言葉は難しい。母が何度も叱っていたことが、ようやく今身にしみる。
「屑石とはいえ、だよ。魔導石は種石を特別な溶液で大きくすると聞いてるけど、にしたってこれだけ大きな物を作るにはそれなりの年月が必要だろう? もちろん手間も」
「これはおじいさまが結婚二十周年記念にプレゼントして差し上げたと聞いたわ」
目がぱっちりとして、髪は緩くうねり、身体には布を巻き付けている、そんな像だ。手は優しく目の前に差し出され、あの腕の中へ飛び込みたい衝動に駆られる。
「この女神像のモデルはブレンダの若い頃の姿だと聞いていますね」
いつの間にかクインジーも隣に立って像を見つめている。
「それはまた、たいそうな美人だったんですね」
「それはもう。アーバイン伯父さんはかなりの難関を勝ち抜いて彼女にプロポーズをしたと聞いています」
「あら、私はおばあさまの方がおじいさまにぞっこんだったって聞いたわ」
「そうなのかい? 誰が言ってたんだろう?」
「ワンダとか、セバスチャンとか」
「相思相愛だったのかもしれませんね」
ジュリアンがこちらを振り返ってにっこり笑った。ローラも笑みを返す。
「青い瞳と金色の豊かな巻き毛。お母様は血は繋がっていないのにパトリシアが一番似ているって言ってたわ」
優しくて穏やかな祖母を、ローラは愛していた。だからそんな祖母に似ているのは心底羨ましい。だが、クインジーは一瞬顔をしかめた。ほんの短い間だが、偶然にもローラはそれを盗み見ることができた。
彼は祖母をよく思っていないのだろうか? 祖母が亡くなったのは四年前。ローラはまだ六歳だった。六歳の記憶は正直曖昧だ。けれど、クインジーがブレンダを嫌っていたとは到底思えなかった。
ジュリアンは次の場所へと移って行った。
クインジーはそのまま動かない。
「クインジーおじさんは、どうしてここにいるの?」
温室はそう珍しいものではないだろう。何度も来ているし、何度も見ている。屋敷から出て、わざわざ雪の積もっている寒い夜に外を歩いてまで見に来るものなのだろうか?
そんなローラの疑問を感じ取ったのか、彼は笑って頭を掻いた。
「実は夕食でちょっとお酒を飲み過ぎてね。シャワーを浴びるのも酔いが覚めないとと思って、それなら少し歩こうかな、とね。湖の方は暗いし、この温室ならちょうどよい暇つぶしになると思ったんだ。ユリシーズが新しい花を入れたと言っていたから」
「ふうん」
今日の晩餐は普段よりさらにつまらない物だった。せっかくお客様がいるからいつもの言い合いはないと思っていたのに、それどころかアーヴァインが宣言した後、いつも以上にイライラとしてお喋りなんてもっての他だ。
まあ、食事の後、隣の居間での第二段合戦がなかっただけましだったのかもしれない。
大人たちは子どもを残して散って行った。
あまり無闇な飲み方をしないローラの父ガブリエルでさえも、今日は少しお代わりの数が多かったように思う。
「大人は大変ね」
ローラの言葉に虚を突かれたクインジーは、少ししてから笑った。
「本当に、大変だ」
その言葉が想像以上に重苦しくて、ローラは視線を下げる。
女神の周りの花壇の花が、くったりと頭を下げていた。
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