第一章 予定外の来客 5

 さて、とガブリエルは嘆息する。

 少し前までは人で一杯だったこの場所が、あっという間に残すは四人。彼とその子どもが二人。そしてクインジーだ。

 チャールズは夕食前に子どもの着替えをさせたかったのだろうが、こちらの二人はそこまでする必要はなさそうだ。ケヴィンはすっかり読書に夢中で、表で遊べとドロシーがおいやっているくらいだ。今もどこからひっぱりだしてきたのか、分厚い表紙の大きな本を、足の上に置いて大人しくしていた。ローラはうろうろしてはいるが、いつもと違うこの雰囲気に戸惑っているのだろう。部屋から出て行こうとはしなかった。先ほどまで外にいたらしいが、やんちゃではあっても女の子といったところだろうか。服を汚さず遊ぶ術を身につけていた。

 つまり一番暇をもてあましてるのは自分自身であって、クインジーを話し相手にするくらいしかない。それに、話題に上げなければいけないことがあったのを思い出す。

「聞いたよ。パトリシアが懐妊だそうだね。おめでとう」

 何か考え込んでいたのだろう。話しかけられてはっ、と顔を上げた。

「あ、ああ。ありがとう」

 彼のまとう空気が一段と柔らかくなる。

「予定日は?」

「ちょうど二ヵ月後だ。なあ、当日は俺はいったい何をしたらいいんだろう」

 仕事の時には見られないとても不安な表情に、思わず噴出してしまう。アーヴァインに認められた男が初産におたおたする姿は見ものだろうなと思いつつ、自分のときもそう変わらなかったとやはり、思い出して笑う。

「俺たちにできることなんてないさ。せいぜいまだかまだかと時計とにらみ合うくらいだ」

「そうか」

 何か有益なアドヴァイスでももらえると思っていたのだろうか。軽く息を吐いて、クインジーは茶色の髪を手で梳いた。

 羨ましいなと、鏡の前の姿を思い出す。

 彼とは一歳しか違わない。しかも自分の方が三十五で若いのだ。なのに、ここ数年頭のてっぺんが気になって仕方ない。横で熱心に文字を追うケヴィンの頭をなでる。子ども特有の柔らかく、ふさふさとしている髪に自分でも馬鹿らしいと思うが軽い嫉妬を覚えた。

「で、どっちなんだ?」

 続けられる会話に、クインジーが首を傾げる。

 仕事以外ではとことん鈍くなるらしい。

「性別だよ。男か女か」

「ああ。生まれてくるまで知らないようにしてるんだ」

「へえ。そうか。うん、それじゃあ祝いは生まれてから準備しよう」

「頼むよ」

 本当はどちらかわかっていた方が、事前に準備できて楽なのだが、まあそれは本人たちの自由なので野暮なことは言わない。余計なお節介を言う気はない。

「何が生まれるの?」

 二人の会話を聞いていたローラがガブリエルの隣、ケヴィンとは別の方へ座ってこちらを見上げる。青い瞳はドロシーの、ストーン家のもので、お願いだから女傑と呼ばれる彼女のようにはなってくれるなと願いを込めて頬をなでた。

「ほら、クインジーの奥さんのパトリシアを覚えているだろう? 金髪で、くるくる巻き毛の」

「わかるわ! だって去年の今頃会ったもの」

 冬はほぼ強制的に参加となるのだが、夏の集まりはかなり自由になっている。

 ケヴィンのサマー・キャンプがあったので、それならと夏は来なかった。

「彼女に赤ちゃんができたんだ」

「あら、やっとなのね」

「ローラ!」

 思わず厳しい声で娘の名を呼ぶが、本人はなぜそんな風に言われなくてはならないのかわからずにきょとんとしている。

 クインジーはそんな二人を見て苦笑していた。

「すまない」

「いや、正直自分でもそう思う」

 なんとなく気まずい雰囲気に、話題を変えようと気になっていたことを聞く。

 先ほどチャールズも問いかけた『レノックス』だ。

 ありふれた姓だと思うのだが、義兄のあの態度が気になる。

「誰か知ってる人なのか?……レノックス」

 途中で首を傾げるので、続けてその問題の名を言う。

「別に特別珍しいわけでもないだろう?」

 今までの人生に数人、同じ姓と出会っている。もし気にしているというならば、あのオブライエンとセットであるところだ。

 ガブリエルがそう言うと、クインジーはしぶしぶながらうなずいた。チャールズにはすぐさま否定をした彼だが、ガブリエルには普段からかなりのところを話す。お互いストーン家一族に属しながらどこか疎外感を持っている身だからだろうか。

 そして、疎外感を持っている二人が、今一番アーヴァインに期待されているというのは皮肉な話だ。

「ネブラ座の、事件を覚えてるか?」

「ああ。こけら落としで役者が亡くなったってやつだよな」

 クインジーはうなずく。

 ずいぶんと派手な事件だったわりにはあまり騒がれることがなく自体は沈静化したように思える。圧力がかかったのだなと、あからさまにわかる事件だった。

「あの場にL&Dカンパニーの重役がいたって噂があってさ」

「へえ。もしかしてあの車椅子の男か? まあ、ありえるだろうな。あんな一等地に豪華な劇場を作るんだ。強力な支援者がいなけりゃ無理だろう」

 L&Dカンパニーは、魔導関係の商品を手広く扱っている一流企業だ。他のどの同業者よりも常に一歩先へ行く商品を売り出す。質も高く、誰もが憧れる会社だった。

 ストーン・グループも魔導石にエネルギーを込めてさまざまな商品を売り出している同業者に当たるが、どちらかというと大量に魔導石を購入するL&Dカンパニーはこちらにとって上客にあたった。企業仲も一応は悪くない。

 現在社長職に就いているのが、事故で足が不自由になったルネ・ドミンゴという人物で、これがまたなかなかのやり手だ。車椅子の男と言えばルネ・ドミンゴのことを指すほどに有名人でもある。

「L&DカンパニーのDは彼、ドミンゴのDだろうと言われてる。あそこも代々血族の人間が継いでるからな。だけど、もう一つの頭文字Lが何かは未だに明かされてない。だろう?」

「それが、レノックスのLだって言うのか?」

「あの事件に、国が手を出してきたって言うのを聞いたんだ。それに、誰も、L&Dカンパニーの重役がいたとは言っているが、それがドミンゴだとは断言しない」

「それだけで? お前にしては飛躍しすぎていないか?」

 クインジーは慎重な男だ。慎重で、ここぞと言うときの決断は早い。もちろんそれだけではなかった。

「事件の規模に対して情報は驚くほど少なく、簡潔だった。変な噂を入れ込めないほど明解にされていた。――国が、オブライエンが絡んだとも言われてるんだよ」

「ほう……」

 それは面白い。そして、そうなると実に簡単な疑問が頭をよぎる。

「なあ。この白の別荘以外何もない山に、本当にオブライエンと、レノックスが単に道に迷ってやってきたと思うか?」

 ガブリエルの問いかけに、クインジーも眉をひそめた。

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