第一章 予定外の来客 4

 夕飯までさあどうしようと暇つぶしの仕方を考えていると、向こうからチャールズがやってくる。相変わらずピリピリしていて、話しかければ弾けてしまいそうな雰囲気に辟易しつつも、エドガーは陽気に手を挙げ挨拶をする。

「やあこれはこれは敬愛する我が兄上」

「……お前、また飲んでいるのか」

「ビリヤードか飲むくらいしか暇つぶしの材料がないんでね。唯一の楽しみは今年は欠席だ」

 そう言うとチャールズはあからさまに顔をしかめる。

「人の女房にちょっかい出すなよ。明らかに嫌がられていたのがわからないのか」

「嫌がられるとなおさら構いたくなるのが世の常だろ? 旦那は何も言わないし」

「クインジーは言わないんじゃなくて立場上言えないだけだ。やめろ。みっともない」

「どっちにしろパトリシアは今年は来てないからね。俺の楽しみは酒とビリヤード。後で少し相手してくれよ」

 ストーン家の金髪と青い目。だが、誰も母ブレンダの巻き毛は手に入れられなかった。アーヴァインの妹の息子、つまりエドガーの従兄弟にあたるクインジーの妻は、血が繋がっていないのにそのすべてを備えていた。

 白い肌と薔薇色の唇。木漏れ日のようにこぼれる笑顔が退屈な年末の楽しみだったのだ。

 妻のヘレンも確かに美人でいい女だが、気の強さが歳を経るごとに顔に出て来た。今年で二十五だったと思うが、あと五年も経ったらドロシー並みのツンとした雰囲気に変わるのかと思うとぞっとする。

「そうしてやりたいのは山々だが、客が来ているらしいぞ。お前、シャワーでも浴びて酒抜いてこい」

「客? 父さんが呼んだのか?」

「いや、違う。――とにかく、そんな酒の匂いをまき散らして会っていい客じゃないらしい。そのだらしない服装もあらためろ。いいな」

 言いたいことだけ言うと、チャールズはさっさと西棟へ向かう。

 相変わらずの兄貴面に反感を覚えながらもそちらに向かって腰を折り、礼をする。

「仰せのままに」

 服装に関しては、確かにチャールズの言う通りだ。若い頃のアーヴァインとそっくりな彼は、これから夜会にでも出かけるのかと聞きたくなるほどきっちりと髪を固め、流石に燕尾服は着ていないものの、今日も折り目が正しくついたスーツ姿だった。

 それに引き換え自分は同じくスーツであるとはいえ――ヘレンに毎朝着るものを決められるのだ――いつの間にかネクタイがなくなっているし、シャツのボタンもだらしなく開いている。

 客がいるのなら最低限とは自分でも思う。

 仕方ないと、東棟へ向かうため、玄関ホールの一番東側へ移動する。酒で多少足下がふらついているのはご愛敬だ。

 通路の出入り口までくると、緑色の光を放っている壁に向かって手を伸ばす。すると今まで壁だった部分がひときわ輝き、そして消えた。向こうには薄ぼんやりと七色に光る通路が現れる。

 これは登録した者しか開くことができない。エドガー達はもちろん、子ども達もここに来て一番最初に登録をするのだ。見ず知らずの人間が勝手に玄関以外から入り込むことはできなかった。

 通路は外にあるというのに今までいた玄関ホールと温度が変わらない。風も、積もっている雪も侵入できない。通路の下の雪は常に溶かされるようになっていた。

 一分もかからずに、通路の終わりへ来ると、また自動的に壁が消え、東棟へ到着する。

 もちろんエドガーが東棟へ入った数瞬後、通路は消えてなくなった。

「よおクインジー」

 通路から出た時、ちょうど従兄弟のクインジーが部屋から出てくるところだった。

 彼もまたスーツをきっちりと着こなしていた。茶色の少々癖のある髪を寝癖の跡を見せないようにとしっかりなでつけている。黒縁眼鏡の奥の青い目がストーン家のものより少々濃い。チャールズよりも歳は三つほど若かったはずだ。しかし、見かけはもっと若々しい。普段から身体を鍛えているそうで、三十後半のくたびれ始めた老いの色はまるで見えない。

「やあ、エドガー……」

 その後に続く言葉はチャールズと同じだ。が、彼は賢明にもそれを飲み込む。だからいつもこちらから言ってやるのだ。

「暇でね。すっかり酔っぱらいさ。だけど、どうやら客がいるらしいぞ。酔いを覚ましてこいって兄上殿に言われてしまったよ」

「お客?」

「ああ。よくわからないが。居間にでもいるんじゃないか? それより、パトリシアが懐妊だってなあ。おめでとう」

 すると、彼の周りの固い空気が緩んでいく。

「ありがとう。この年でやっとだ」

「パトリシアは俺より一つ下だったっけな。まあ、本当によかった。それで今回は来てないのか?」

 よく見ていなければ気づかないほど、ほんの少しだけ、クインジーは顔をしかめ、慌てて取り繕いうなずいて表情を隠す。

「そうなんだ。年齢も年齢だし、医者もなるべく安静にしておいた方がいいって言うから。ここはやっぱり、寒い」

 そう言って中庭を見た。

 東棟は、廊下が中庭側にあり、部屋が湖側にずらりと並んでいる。中庭に面した壁には、大きな硝子の窓が一定間隔ではめ込まれており、外を見渡すことができた。

 中庭は、下男のユリシーズが丹精込めた花が咲き乱れる。そう、花の季節には。

 今は雪に覆われ、何もかもが真っ白に化粧されている。唯一中央にある温室の周りだけが、雪の侵入を阻んでいた。

「初産だもんな。まあ、心配するのもよくわかるよ。ヘレンの時も大変だった。せっかくだからあんたも一緒にいてやればよかったのに」

「そうしたかったんだけどね」

「……叔母上か」

「ここに来るのは一族である証で、欠席するなんてもっての他だそうだ」

 彼は肩をすくめて首を傾げた。

 クインジーの叔母であり、アーヴァインの妹のナンシーならきっとそう言うだろう。嫁いで名字もカーロフに変わっている。だが、十年ほど前に夫のオリバーの事業が失敗し、アーヴァインがそれを助けた。今はストーン・グループの系列会社で働いている。

 父親と違ってクインジーは先見の目を持っていたのか、父親の会社ではなく、ストーン・グループの一つで働いていた。かなり有能で、実力主義のアーヴァインにはだいぶ目をかけられている。

 そう、飲んだくれの名ばかりの息子よりもずっと認められているのだ。

「ま、そんなわけで俺は風呂だ。また生まれそうになったら教えてくれよ。祝いの一つでも送るからよ」

「ああ。ありがとう」

 二人はそう言ってわかれた。

 

 どんないわれの客人かは知らないが、教えてもらって顔を出さないわけにはいかない。

 クインジーは玄関ホールを通り、西棟へ向かった。通路を渡りきったところで小さな影が飛び出してくる。

「……ジラ?」

「あ、申し訳ございません」

「いや、怪我はなかったかい? またマイケルと遊んでいたのかな」

 少し赤みがかった金髪を、二つに分けて結んでいる。紺色のワンピースがまたよく似合っている。今年で確か六歳になったはずだ。ここで働くメイドの娘だ。エドガーの息子、マイケルとは一歳違いで、打ち解けやすかったのだろう。二人が遊ぶ姿をよく目にした。

 この別荘には半年前にも来ていたが、子どもの成長は早い。また大きく、女の子らしくなっていた。

 生まれるのが男の子か女の子か、生まれるまでわからないようにしようとパトリシアと相談して決めたが、女の子ならジラのように可愛い子だといいねとこの間も話したばかりだ。

「いえ、わたくしは大丈夫です。クインジー様は――」

「私に『様』はいらない。前にも言っただろう?」

「ですが、母が許しません」

「……そうか。それなら仕方ないか」

 メイド頭のヴィクトリアは厳しい。ジラの粗相は母であるヨランダの責任だと彼女が叱られるのだろう。

「あ! クインジーおじさん! 今日着いたの?」

 二階へ上がる階段から、小さな男の子が駆けてくる。金色の巻き毛と茶色の瞳がくりくりとしていて、ヘレンによく似ている。

「やあマイケル。君も大きくなったなあ」

 飛びついてくるのを抱き上げて、ついでにそのままぐるりと回す。少年は声を上げて喜んだ。

「ねえ、パトリシアは?」

 ここに来ると常に一緒にいる彼女の姿を、マイケルがきょろきょろと探し回る。

「ああ。彼女は今ね、おなかに赤ちゃんがいるんだ。だから動くのが大変で今回はおうちで留守番なんだ」

 すると、マイケルはあからさまにがっかりした様子で肩を落とした。

「彼女も君に会えないのが残念だと言ってたよ」

「うん……」

 これは困った、どうやって元気づけようかとマイケルを抱えたまま悩んでいると、メイドが一人こちらへやってきた。ジラの母親、ヨランダだ。

「クインジー様、いらっしゃいませ」

 まずはこちらに挨拶をする。紺色の長いワンピースと白いエプロン。ジラの着ている物と同じだった。メイドはみなこの格好をしている。

「やあヨランダ。君も元気そうでなによりだね」

 社交辞令のその言葉に彼女は深々とお辞儀を返し、本来の目的だったのだろう、ジラの腕を取る。

「お客様がいらっしゃったの。今日はあまりうろついてはだめよ」

 子ども達は互いの目を見て少し不満そうに口を尖らす。

「マイケル、お客様に会った?」

「ううん。知らない」

「それじゃあ、私と一緒にご挨拶をして、その後私の部屋でジラと遊ぶといいよ。もちろん、君のお母さんたちが許してくれたらだけどね」

「うん! そうする!」

 すぐさまマイケルはうなずき、ジラは自分の側に立つ母の顔をみつめた。

「クインジー様……」

「私も今回はパトリシアがいないから、実は退屈なんだよ。君もお客様が増えた分忙しいだろう?」

「……ありがとうございます」

 どこか頼りない印象を与えてしまうヨランダだが、彼女もここに随分と長く勤めるメイドだ。大切な戦力だろう。エドガーに付き合ってビリヤードをやってもいいのだが、酔っぱらい相手では真剣味に欠けてどうもやる気がでない。

「それじゃあ後で迎えに行くから。さ、行こう、マイケル」

「うん!」

 居間は二つあった。西棟を南から、つまり玄関ホールから来てすぐにある、食堂横の簡単なお茶を飲んだりするものと、二階の中央にあるビリヤード台の置かれたかなり広めのものだ。

 客が来たばかりなら、まずはお茶だろう。ヨランダも、二階に上がらないクインジーを止めずにいたのでその読みは間違っていないようだ。

 クインジーの前を小走りに行くマイケルについて、彼も歩く。

 いったいどんな客なのか。

 毎年一族だけのこの白の別荘に、誰がこの客を呼んだのだろうか?

 そんなことを考えているうちに、マイケルが扉の前で手招きをする。空調管理はされているとはいえ、冬のこの屋敷はどこからともなく冷気が入り込んでくる。今も扉は重く閉ざされていた。

「さあ、開けるよ。身だしなみはいいかい?」

 そう聞くと、彼は誰の真似をしているのか、手の平にツバをつけて髪の毛をなでつけた。その手で握手をされる方はたまらないだろうなと思いつつ、まあ、クインジーが黙っていれば誰も気づかない。

 少年が必死に背筋を伸ばすのを確かめると、ゆっくりと扉を開けた。

 途端に笑い声が溢れて来る。

「あら、クインジー。マイケルも来たのね」

 居間にはすでに屋敷中の人間が揃っていた。

 二人に呼びかけたのはクインジーの母、ナンシーだった。他には父のオリバー、ヘレンにドロシーの夫ガブリエル。ファティマとチャールズもいる。子ども達はそれぞれ親の周りに勢揃いしていた。

 会えば誰の客かはわかるだろうと踏んでいたのだが、なおいっそう謎めいた。

 男が一人、黒いスーツに灰色の髪。前髪がかなり長く、目にかかって表情がよくわからない。クインジーに軽く黙礼したのでこちらも慌てて返す。そして立ったままの彼に対して、居間の中でも一番上等な椅子に腰掛けていたのは艶めく黒髪の少女だった。白い肌に血を吸ったように赤い唇。そして薄紫の水晶のような瞳。かなりの美少女だが、歳はケヴィンとそう変わらないだろう。立ち位置から、男よりも彼女の方が主であるに違いない。

「さあさあ、いつまで扉を開けっ放しにしておくの。風が吹いて寒いわ。こちらへ来て」

 ナンシーに言われるがまま進み出る。

「こちらはヘレンの息子のマイケルよ。今年で確か、七つだったかしら」

 突然現れた人形のような美少女に、マイケルはまごついてお辞儀をするのが精一杯だった。それをローラやアイザックがくすくすと笑う。

「いらっしゃい、マイケル」

 クインジーの上着の裾を掴んでいた彼は、慌てて母親の元へ駆けていく。ヘレンは淡い緑色のスカートを穿いて二人がけのソファに座っていたが、彼はそのスカートに埋もれるように抱きついた。

「それで、こちらは私の自慢の息子。クインジーよ」

「初めまして。クインジー・カーロフです。お目にかかれて光栄です」

 そんな台詞、たかだか十三、四の少女に投げかけることがあるとは思ってもみなかった。だが、不思議なほど自然に言葉がついて出たのだ。

「セイラ・オブライエンです。こちらこそ、突然お邪魔をしてしまいました」

「オブライエン……?」

 少女も立ち上がって軽く会釈する。その姿が驚くほど優雅だった。青いドレスは膝下くらいまでで彼女の動きに合わせてふわりと舞う。また、同じ色の手袋をはめていた。

 クインジーが思わず漏らした言葉には、軽く微笑んで何も言わない。

 セイラが座ると、彼も空いているソファに腰を下ろした。

「セイラはね、山を下りられなくなっちゃったんだよ!」

 ジェイクの言葉にその親を見る。二人は並んで座っていた。彼らがそろっている場合はほぼ間違いなく話をするのはチャールズだ。ファティマはいつも黙って微笑んでいるだけだった。

「ふもとから連絡があったんだ。ここへ来るための一本道が雪崩で通れなくなったそうだ。彼らは道を間違えて登って来たんだが、帰れなくなってしまった」

「それでうちへご招待したというわけよ。本当に災難でしたわね。道が通じるまで是非ゆっくりしていってください」

 ヘレンがチャールズの後を継いだ。無理矢理会話を自分の側へ引っ張っていった。

「まあ雪以外何もないところですけれど、食事はなかなかのものですよ。ええ。ヴィクトリアの料理はプロ並みです。もう一時間もすれば夕食ですし、楽しみにしてくださいな」

 ナンシーもすかさず参加する。確かに母親の言う通り食事は旨い。

「さきほどのお茶菓子も、とても美味しかったです。楽しみです」

 セイラがそう言うと、ナンシーは何度も何度もうなずいて満足そうにしている。

「あとね、ジュリアンもいるんだよ!」

 アイザックの台詞に再びチャールズへ視線を向ける。だが彼もその人物については知らなかったようで首を傾げた。

「ジュリアンは私の友人です。今回の旅行に好意でついてきていただいたのですが、すっかり迷惑を掛けてしまいました」

「迷惑だなんてとんでもない。僕は一緒に旅が出来るだけで大満足さ!」

 扉の開く音とともに、耳に心地よいテノールが響く。台詞が多少芝居がかって聞こえるが、セイラは立ち上がってそれまでのすました笑顔から本当に嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。

「お疲れ様!」

 そのまま彼に駆け寄ると、彼の腕に手を絡めた。

「お待たせ。荷物は部屋へ運んでおいたよ。――みなさん。ジュリアン・レノックスです。しばらくご厄介になりますがどうぞよろしく」

 俳優が舞台が上がったあと挨拶をするように、彼女の手をそのままに、器用に挨拶をした。

「さあ、長旅でお疲れでしょう。身体も温まったと思いますし、お部屋で夕食までゆっくりなさってください」

 長身のジュリアンの影に隠れていたドロシーがそう言って彼らを居間の外へ導く。

「ご案内致します」

 傍に控えていたヨランダが、一歩前に出るが、すぐにドロシーが打ち消す。

「私がご案内するわ。あなたは夕食の準備を手伝って頂戴」

 そしてまた、セイラへ向き直る。

「父が夕食の席でご挨拶申し上げたいと」

「ええ。では夕食のときに」

 セイラとジュリアンは腕を組んだままドロシーの後に続いた。いつの間にか入り口から正反対の場所にいたはずの男もその後に控えている。移動したことにまったく気づかなかった。

 それにしても、とクインジーは突然現れ去っていった男の顔を思い出す。

 とりわけ美青年というわけではないが、人好きのする、いわゆる好青年だろう。歳はパトリシアよりも若い。ヘレンよりは少し上二十六、七くらいか。

「レノックスか……」

「知っているのか?」

 クインジーのつぶやきに反応を示したのは、意外にもチャールズだった。

「いや」

 咄嗟にそう短く返事をする。彼はしばらくこちらをじろじろと眺めていたが、やがて立ち上がった。

「アイザック、ジェイク。部屋に戻るぞ」

 子どもたちはええっ! と抗議の声を上げるが、父親の視線の険しさにすぐ口を閉じる。

 のろのろと動き出す二人を従えて、ファティマとチャールズは居間を退出した。マイケルもヘレンに腕をとられる。去り際にちらりとこちらを見たのは、さきほどの後でジラと遊ぶ約束のことだろう。食事の後でも、明日でも、まだまだたくさん時間はある。軽くうなずき返すと不満そうではあったが大人しく部屋を出て行った。

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