第一章 予定外の来客 3
「セバスチャン? どうだったの」
ヘレンは廊下を早足で行く執事の背中に声を掛ける。誰よりも早く、次々と物事をこなすくせに、せわしない印象を与えない彼は、流れるように振り向くと一礼した。
「道に迷われたそうですが、麓へ続く道が雪崩でふさがれてしまいました。そこでお客様にお部屋を用意するようにと……」
「誰が!? ……ドロシーさんが?」
「はい」
「お義父様には許可をいただいたの?」
「いいえ。ドロシー様がこれからお話にあがるそうです」
何を考えているのだ。
この屋敷でアーヴァインに許可を得ず、できることなどたかが知れている。年の瀬の迫ったこの時期。一族で過ごすためにやってきたこの別荘に、簡単に部外者を招き入れるなど。
だが、そんなヘレンの考えを見透かしたように言った。
「ヘレン様のご心配はもっともですが、アーヴァイン様も許可を出されると思います」
「長年勤めてきた執事の勘ってやつ?」
ヘレンはファティマのように実家が裕福でも、貴族の血を引いてもいない。普通の中流家庭に育った。こんな風に別荘をいくつも所有していたり、家に執事やメイドがいるのが当然の暮らしは夫のエドガーと結婚するまで夢にも見たことがなかった。
未だに当然のように物を頼むのには慣れないし、戸惑いを隠せない。
仕えることを仕事とする彼らへの接し方がつかめていないし、それに誇りを持っているのを理解できない。
言ってしまってから、自分の言葉にどこか皮肉めいた色合いが乗っていなかったかと内心ひやりとした。セバスチャンはストーン家に仕えるとはいいながら、どこまでもアーヴァインの執事である。直接的に告げ口をするようなことはないだろうが、言葉の端に何かを匂わせでもされたらたまらない。
だがこちらの心配はよそに、もし感じ取っていたとしても執事はそれを態度に表すようなことはなかった。
どこまでも従順を崩さない。
「お客様方の物腰はもちろんでございますが、ケヴィン様とそう変わらないお年のお嬢様がいらっしゃられました。オブライエン様です」
思わず、笑いが漏れるのを止められなかった。
「やだ。それこそ怪しい限りじゃない。オブライエンよ? このガードラントでオブライエンと名乗る物腰優雅な少女だからってこと? むしろ逆じゃないの」
偽名だ。
はっきりとそう言う前に、執事の鋭い眼光に慌てて口を閉じる。
「……つまり、それにふさわしいであろうとあなたが判断したのね」
ガードラントはこの世界で最大の国土を保有する、強力な国だった。政治、経済、文化、魔導、そして軍事。あらゆる面においてトップのこの国を支える柱に、将軍オブライエンがあった。その名を出せば泣く子も黙ると言われており、ガードラントでオブライエンと言えば、将軍オブライエンを指す。
「将軍のご令嬢、アリス・オブライエン様には一人、お嬢様がいらっしゃるとか」
「オブライエン将軍の孫娘がいまここにいると?」
はい、とは言わない。
だが確信があるのだろう。
それならば、ヘレンは遅れを取ったことになる。
「それでは、お部屋の準備をしなければなりませんので」
黙り込んだ彼女を置いて、執事はメイドに指示を下すためその場を立ち去った。限りなく早く、そしてスムーズに動く両足をじっと見ながら、次に自分がどう立ち回るかを計算し始めたヘレンは、まず自分の息子を捜すことから始めた。
「これでもまだだとおっしゃるんですか!」
「まだだ」
間髪入れず断言され、チャールズは唇を噛んだ。耐え難い苛立ちを、アーヴァインにぶつけるわけにもいかず、握りしめた拳は赤黒く色を変える。
「ですが――」
さらに食い下がろうとしたところで、目の前に手の平が現れる。
アーヴァイン・ストーンは今年で六十四。だがぴんと伸ばした背筋と、皺の少ない張りのある肌はまだ五十前半だと言っても通用するほどだった。だが、その手は、今まで数々の裁決を下してきた片鱗が見て取れる。職人ではないが、その手だけは年相応の皺が刻まれている。
口を閉じ、アーヴァインの視線の先を見ると、彼の妹であるドロシーが彼女に似合う、淡い黄色のパンツスーツで歩いていた。こちらの姿を見つけると、早足になる。
四つ下で今年三十五だったはずだ。母ブレンダゆずりの青い瞳と金色の髪。だが豊かな巻き毛ではなく、彼女は性格と同じストレートの髪をボブカットにしていた。
「あら、兄さんもここにいたのね」
屋敷の東側。湖への小道の途中で四阿にいる父を見つけた。あの場所へ近づくことはできない。アーヴァインが屋敷へ戻って来るところをやっと捕まえたところだった。
邪魔が入ったことに対する苛立ちを極力表にださないよう、それでいて威厳を保ったままうなずく。
「お父様お客様です」
「客? こんな山奥に?」
答えたのはチャールズだ。そんな兄にくすりと笑いかけドロシーがうなずいた。
彼女のこの態度は気に入らない。どこかお高く止まって、そんな反応はお見通しだと言われているようだ。昔からこうだったが、最近とくに鼻につく。
「父さんのお客ですか?」
尋ねてから、父の顔がそうではないと物語っていることに気づいた。
「それがね、道に迷ってすぐそこまで車で来たんだけれど、魔導エネルギーが切れてしまったんですって」
「間抜けな話だな」
「それで、木の間からうちの屋敷が見えたからここまで歩いていらしたの」
「それならさっさと分けてやればいいだろう。そんなことまで父さんに許可をとる必要は、さすがにないぞ」
「わかってるわよ。兄さんは相変わらずせっかちね」
またくすりと笑う。
気取って、いったいなんのつもりだ。
馬鹿にしてるとも思える態度に、何か言ってやろうと口を開いた瞬間、アーヴァインがまた手の平でこちらを制する。
「迷い人が客になったのか」
「ええ。お父様。それが、麓からついさっき連絡が入りましたの。雪崩で道がふさがってしまったそうです。復旧は明後日以降だそうよ」
最後はチャールズへ向けて言う。
「だから、ご招待したんです。車に丸二日こもってるわけにもいかないでしょう? 部屋は余っているし、三人くらいうちはなんともないから」
「招待したって、お前……」
アーヴァインに相談せずに何を。
続けようとしたのを遮るように、今度は明確にアーヴァインから尋ねる。
「名は?」
それを待っていましたとばかりに、ドロシーの瞳が輝いた。
「セイラ、セイラ・オブライエン嬢」
「……オブライエン?」
聞き返すチャールズに彼女はええ、と嬉しそうにうなずく。
「他は?」
父の瞳は間違いなくその奥に光を灯していた。
「お供の方がクライドと呼ばれていたわ。もうひとかたがジュリアン・レノックスさん」
「レノックスだと?」
「え、ええ……お知り合いですか?」
オブライエン以上の反応。だがその答えは得られなかった。
何も言わずに廊下を歩き出し、途中で振り返る。
「お前が招待した客だ。責任を持ってもてなせ」
「ええ。喜んで」
「夕食の時に挨拶しよう」
そう言って、今度こそ彼のこの別荘での居室、東棟の二階、一番北の部屋へ向かって行った。
後ろ姿を黙って見送る。廊下の奥の階段へ、アーヴァインの姿がすっかり吸い込まれて二人はようやく動き出した。
すぐにでもその場を去ろうとするドロシーを慌てて呼び止める。
「オブライエンってのは、本当なのか?」
「さあね。偽名だとでも?」
「そりゃあ、疑うさ。ガードラント王国の、オブライエンだぞ?」
「その名を騙れば好待遇って? でも考えてみてよ。確かに今は雪で道が塞がって、世間から物理的には切り離されてる。でも魔導のラインはきちんと繋がっているからガスも電気も問題ない。電話だって通じるわ。確認しようとすればいくらでも確認できる。……まあ、その確認するという行為が失礼に当たるからと実際はやらないけど。そこまで読んでなお騙ってるって言うわけ?」
「それは……」
口ごもるチャールズに三度くすりと笑う。
「いいから兄さんもお会いしてごらんなさい。あなたの、自慢のお貴族の血を引く妻よりもずっと洗練された仕草に疑いの念も吹き飛ぶから」
「俺の妻を悪く言うのは許さないぞドロシー」
「悪くなんて言ってないわ……事実よ? 部屋の準備が出来るまで居間にお通ししているの。お話するといいわ。それじゃあ私は夕食に少し注文をつけてくるから」
ひらりと手を振ると、来たときと同じように颯爽とこの場を去って行く。
チャールズは人知れずため息をついた。
せっかくアーヴァインを捕まえたのに、言いたいことの半分も言えずにドロシーに邪魔をされ、しかも客が来たとなれば今後も話す機会はぐっと減るだろう。アーヴァインは夕食後仕事の話をするのを好まない。頭の中がクリアな午前中、遅くとも夕食前までだ。
この別荘に滞在中、なんとしてでもアーヴァインの許可を得なければ、自分の会社での立場が危うい。
もう一度、大きく息を吐いて、チャールズは居間のある西の棟へと向かうことにした。
オブライエンの真実を見るためでもあるが、それ以上にアーヴァインが反応したジュリアン・レノックスに興味があった。ありふれた姓だ。
この白の別荘は三つの建物から出来ていた。南にはこの別荘の玄関ホール。他に余分な部屋は作られていない、本当に出迎えるためだけの建物だ。西に細長くあるのが食堂や居間、ビリヤードなどの娯楽施設を備えた西棟。湖に近い東棟はそれぞれの寝室を兼ね備えた部屋がいくつもある。もちろん客室もそこにあった。
棟から棟へ移動するのは半透明のチューブ状に作られた通路を通るしかない。東棟と西棟を結ぶ北側にある通路は一階に一本通っている。南側には玄関ホールとをつなぐ短めの通路だ。どれも使用しないときは消えていて、人が渡ろうとすると、自動的に扉が現れ、チューブが向こう側へと繋がる。最新式の魔導技術が使われていた。
ドロシーは北側に去って行った。その方が一階にある厨房へ近いからだろう。後を追うのもためらわれ、チャールズは南の玄関ホールを通って行くことにした。
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