第一章 予定外の来客 2

「参ったな。この道を行くのが一番早いって聞いてきたんだけど」

「この道真っ直ぐ行っても行き止まりよ!」

 すかさずローラが言う。

「それに、エネルギーが切れてしまったのはまた別の問題です」

 黒いコートの男がたたみかける。

「確かに予想以上にエネルギー食ったなぁ」

「そーゆうのを、燃費がわるいって言うんだよね」

「仕方ないだろ。気に入ってる型なんだよ」

 初めの男は苦笑してケヴィンの頭をぐしゃぐしゃとかき回した。見ず知らずの人間に、自分の息子がそのようなことをされたら、顔には出ずとも心の中で苛立つのだが、今回は不思議とそのような感情はわき上がって来なかった。百八十を越え、渋茶のコートの上からでもわかるがっしりとした体つきの彼はジュリアン・レノックスと名乗った。耳に心地よいテノール。体格に似合わない繊細な物腰が、品の良さを窺わせる。

「うちの者に予備の魔導エネルギーを持ってこさせましょう」

 自然とそう口をついた。

「ご迷惑をおかけします」

 ジュリアンに手厳しい一言を漏らした男が、ドロシーに深々と頭を下げた。少し長めの灰色の前髪が、同じ色の瞳を隠している。それは青くも見える不思議な色合いをしていた。黒いコートに黒い手袋。ブーツも黒で統一されている。夜の闇に紛れたら見つけることは難しいだろう。

 彼のその態度は、丁寧とは少し違う。そう、何かに仕える者のしぐさだ。となると主人はジュリアン――ではない。明らかにこの三人の中で彼女がトップに立つ者だ。

 首の周りだけ毛皮がついている真っ白なコートに、ベージュの手袋をしている。黒い、腰まであるだろう髪が雪の中でひときわ艶やかに波打っていた。コートの裾からは濃い青のドレスがのぞいている。ブーツはここまで歩いてくるのに少し汚れてしまっているが、それでも丁寧に磨かれているのがわかる黒いものだ。

 何より印象的なのが薄いスミレのような紫の瞳と、薔薇のように赤い唇。白い肌との対比で思わずみとれてしまう。

 セイラ・オブライエン。ジュリアンは彼女をそう紹介した。

「本当にご迷惑をおかけしてしまって。申し訳ありません」

 謝罪を述べながらもそのように聞こえない。それでいて癇に障らない彼女の言い回しはドロシーが手に入れたくても入れられないものだ。一代で財を築いた、成り上がり一族と影で言われ続ける。仕方ないとはいえ、心穏やかではない。けれど、こうやって富裕層に身を置けば置くほど、彼らとの決定的違いを見せ付けられる。育ちの違いだ。これは、ドロシーには無理だ。だから、気にしていない振りをするしかないのだ。暗い劣等感から目をそらし続けるしかない。

「いいえ。気になさらないでくださいな。それにしても間違って来たのがこちらの山でよかったわ。もう一つ手前の山にはそれこそ人ひとりおりませんもの」

 まあ、と少女は薄い紫色の瞳を大きく開き、そして口元をほころばせる。表情の一つ一つが愛らしい。

「不幸中の幸いだったわ」

 両手を胸の前で合わせ、にっこりと笑う姿に皆がみとれた。

「本当に不幸中の幸いだ。セイラがこちらの道を選んで、ね」

 ジュリアンが言うと、途端に彼女の表情が変わった。大人びたものから、子どものそれへと変化する。そうなると年相応の、十三、十四の顔になった。

「だって、私がお店で訊いたら、確かにこの道だと言ったんですもの」

「僕はもう少し先だって言ったのに。セイラは地図を見ていなかっただろ」

「でも私は確かにこの道だって聞いたのよ。ねえ、クライド!」

 口を尖らせて黒尽くめの男へ振り返るが、彼は従順な僕でありながらも意見ははっきりと言うタイプのようだ。

「その件に関しましては、レノックス様と同意見ですね」

「まあ、クライドまでジュリアンの味方をするのね!」

 腰に手を当てて憤慨する少女に、ケヴィンが挙手する。

「僕はセイラ嬢の味方だよ」

「僕だって!!」

 追いついてきたアイザックが、きっと何の話かもわからずに、それでもすかさず手を挙げた。ジェイクまでがそれを真似する。

 セイラは満足げにうなずいて男二人を見上げた。ジュリアンは肩をすくめてクライドを見るが、クライドは口元に小さく笑みを浮かべただけだった。

「たぶん、だけれど。途中の道が雪でつぶれていたんだと思うわ。一昨日かなりの量が降って、誰も利用しない道の除雪は後回しにされるのよ」

 ドロシーは、不毛なやりとりを終わらせるためにも、限りなく正解に近くどちらも満足がゆくであろう答えを提示した。

 そこへ後ろから声がかかる。

「ドロシー様」

 振り返ると別荘の管理人でもあるユリシーズと、ストーン家に古くから仕える執事のセバスチャンがすぐ後ろに迫っていた。呼びに行ったヘレンはいない。自分勝手な彼女のことだ。お役御免とばかりに屋敷に戻ってしまったのだろう。

「ああ。車の魔導エネルギーが切れてしまったんですって。予備があったはずよね? 持ってきてちょうだい」

 備蓄はまだまだあるはずだ。冬はエネルギーを消費するのでかなり多めに持ち込んでいる。車一台分ぐらいたいしたことはない。

 だが、セバスチャンとユリシーズは困ったように顔を見合わせた。

「まさか予備がないの?」

 ここに着てまだ二日だ。二週間はゆうに暮らせるほどの燃料はあるはずだ。

「いえ、魔導エネルギーはあるのですが、たった今麓から連絡が入りまして、少し下ったあたりで雪崩が起こったそうです」

 銀の口ひげが、喋るごとに動く。ドロシーはそんな執事の口元をじっとみつめた。

「残念ですが、道が完全に塞がってしまい、復旧は明後日以降になるとのことです」

 つまり、燃料を提供しても彼らはこの山を降りることができなくなってしまったのだ。

「それは参ったなあ」

 ジュリアンがつぶやく。クライドも眉を寄せる。

 反射的に、言葉が出ていた。

「オブライエン様たちにお部屋を用意してさしあげて」

「ドロシーさん!」

 ファティマが驚いたように名前を呼ぶ。

「お父様には私から話すわ」

 初めにセバスチャンを、そしてファティマを軽く睨むと、打って変わっての笑顔を三人へ、セイラへ向ける。

「ずいぶん冷えてしまったでしょう? 暖かいお茶を準備させましょう」

 少女は見え透いた謙遜すら述べなかった。

 ただ感謝する。

「お心遣いありがとうございます」

 どうあがいたところで麓に行けない。つまり今夜の寒さをしのげるのはこの屋敷しかないのだ。

「ご家族でお過ごしのところ、お邪魔をしてしまいますね」

「いえ。毎年変わらぬ顔ぶれでして。たまの変化は良いものです」

 ジュリアンの言葉に余裕を持って受け答える。

「ただどちらにしろ車はここまで持って来たほうがよいかもしれませんね。ユリシーズ!」

「承知いたしました」

 下男が来た道を駆けて行く。

「じゃあ僕が車を取ってくるから、セイラとクライドは先に行っていてよ」

「荷物もたくさんあったでしょう? 一人じゃ無理よ」

「ユリシーズにも手伝わせます。さ、少し日が翳ってきました。ほら、ケヴィン、ローラ。あなたたちもそろそろ中に入りなさい」

 セイラとクライドが招待主であるドロシーに従って歩き出すと、子どもたちは遊び足りないとわめくことなくついてきた。ファティマの戸惑った雰囲気を背後に感じながら、それを気にする素振りを見せないように前だけを見た。

  この、ストーン家の冬の別荘。白の屋敷に客人を招きいれるのはドロシーだ。最高の客人を接待するのは、当主かまたはそれに準ずる者でなければならない。

 ファティマの実家は貴族の血を引いている。それなりに裕福な家庭に育っていた。おっとりしていて、たまに呆れるほど身勝手で。彼女はこの状況が飲み込めないだろう。

 ドロシーは内心ほくそ笑んだ。

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