第二章 混沌の晩餐会 1

 ここでは夕飯の時刻はいつも決まっていた。

 そして、少し前になると皆、隣の居間、つまり先ほど客人を囲んでいた場所に三々五々集まってくる。

 私はまたあの白々しい晩餐会が始まるのかとうんざりした。特に女性のやりとりは、相手の受け止め方で一八〇度変わるとても陰湿なものとなる。もし悪いように受け止めて抗議しようものなら、『そんなつもりはなかった。そんな風に受け止めるのは、普段からそう考えているのだろう』と、反対に追い詰められる材料にされるのだ。男達は火の粉が自分にかからぬよう、それでいて自分の立場が危うくなろうものなら同じように攻撃の側にまわるのだ。手札はいくつも持っている。不利な流れになろうものなら他人の醜聞を場に拡げる。そうやって、不毛な会話は家長の退席まで続く。 

 よくもまあ、それでも毎度集まるなと呆れるのだが、それを家長が望んでいるのだから、ということになるのだろう。

 子どもたちは大人の会話の空気を敏感に感じ取りながらも、騒ぎ立てるようなことはしない。その躾に関してはストーン家は完璧だった。きっと、将来は親と同じような会話をするのだ。

 使用人もこの夕飯の席が一番緊張する場となった。

 旗色の悪い人物の給仕を少しでもミスすると、ここぞとばかりに集中砲火を浴びてしまう。

 だが、今年は少し趣向が変わった。

 客人だ。

 三人の来訪者に皆が浮き足立っている。オブライエンは本当に、あのオブライエンなのか。

 彼ら二人が加わったところでも、あの悲惨な会話を繰り返すつもりなのだろうか。

 少女の希望により、供の者と思われる灰色の髪をした男も一緒に夕食の席に着くらしい。メイドたちが裏で何か聞けるかもと思っていたのに残念だと話していた。

 今夜の晩餐は、どのような事態が引き起こされるか、皆、少なからず楽しみに思っていた。

 

 

 テーブルの支度ができたと、居間から食堂へ続く扉が開かれた。扉の脇にはメイドが二人軽く頭を下げて立っている。

 向かって右手にワンダ。黒髪がぎゅっと頭の上でまとめられ、青い瞳を軽く伏せることで礼の変わりとしている。常にぴしっと制服を着こなし身のこなしに隙はない。ただ、とてもお喋り好きで詮索好きな彼女は、そのことをいつも叱られている。だがそれはもう魂に刷り込まれた彼女というものの一つなのだろう。珍しい来客の正体を知りたいと、瞳の奥が好奇心に満たされているのを誰もが感じ取った。

 反対側の左手には、ジラの母親、ヨランダがいた。ワンダと同じように輝くような赤毛をきっちりしばっていた。制服の着こなしも完璧であるはずなのだが、どこか頼りない。軽く肩を前に倒し、人が自分の前から消え去るまで、じっとやり過ごしている。

 途中ジラを産むために休みを取ったものの、メイドとしての能力は高く評価されていてこの別荘で再び仕えることとなった。子連れでの採用は初めてだ。異例といってもいい。だからこそ、おかしな噂も飛び交った。もちろん、ジラの父親に関してだ。そしてそれは、限りなく事実に近いとも言われ、ワンダでさえ、おおっぴらに話題に出すことをしなかった。

 つまり、アーヴァイン・ストーンとの子であると。

 六年前と言えば、ブレンダ・ストーンが闘病生活を送っていたころだ。

 誰も直接そのことについてアーヴァインに聞いた者はいない。もちろん、そのようなことを聞くのは憚られるというのもあるし、聞いてもしそうだと言われたら、また問題が増えることになるからだ。

 そう。相続だ。

 アーヴァイン・ストーンも今年で六十四。そういった懸念が子どもたちの頭に常によぎるような歳だった。

 食堂には長いテーブルが、真っ白のクロスを掛けられて準備されていた。顔が映るほど磨き上げられた銀の食器に、弾けば割れてしまいそうなほどの繊細なグラス。燭台がいくつも並び、ナフキンが複雑な形に織り込まれている。

 家長のアーヴァインが一番奥の席に陣取り、アーヴァインの右手にナンシーとオリバー夫妻。ドロシーと、ガブリエル。そしてその子どもたち。さらにクインジーと並ぶ。普段はその隣りにパトリシアが座った。

 左手にチャールズとファティマ。子どもが二人。エドガー、ヘレンでマイケルとなる。ブレンダが生きていたときは、アーヴァインのちょうど向かい。一番遠い席に彼女が座った。妻を隣ではなく、向かいにしていたのは、彼女がそれを望んだからだ。みんなのことを見渡せて楽しいとよく言っていた。

 今日は客人のセイラがアーヴァインの向かい、ブレンダの席に座る。クインジーの隣にクラウド、マイケルの隣にジュリアンとなる。

 再びドロシーに案内されてきたセイラたちが席に着くと、一分もしないうちにアーヴァインが食堂に入った。

 皆無言で席を立つ。

 一番奥の自分の席に行く前に、アーヴァインはセイラの前で歩を止める。

 長身の彼を前にして、多くの人間はその存在に圧倒される。昔はストーン家の金と言われた髪は白くはなれどもその量、質ともに若き日のまま。澄んだ空色の瞳はより視線の重みを増している。

 だが、少女は口元に上品な笑みを湛えたまま、アーヴァインを真っ向から見据えた。

 ほんの少しの間、二人の間に降りた沈黙に、他の者は息を飲む。

「オブライエン殿には災難であったかもしれませんが、我々にとっては大変喜ばしい機会です。見るのも見飽きた雪ぐらいしかありませんが、滞在中は是非ゆるりとおくつろぎください。何か足りぬ物があればなんなりと」

 長年命じてきた男の低い声が食堂に響く。

 それに対してセイラは目を細め、にこりと笑う。

「三人で突然押しかけてしまって、本当に申し訳ありません。でも、助かりました。色々と気遣っていただいてとても感謝しております」

「何か足らぬ物があれば、遠慮せず」

 そして、アーヴァインは彼女の傍に立つジュリアンへ視線を移した。彼もまた、緊張することなく口元には薄い笑みを浮かべている。

「レノックスか」

 吐き捨てるような言い方に、その場にいた者は顔を見合わせる。彼らを招き入れたドロシーの顔色が一瞬で青く変わる。

 だが当の本人はまるで他人のことのようにどこ吹く風と表情を変えず、薄く笑ったままだ。

「何十年ぶりだろうか」

 アーヴァインは重い声のまま続ける。

 ジュリアンは肩をすくめた。

「初めてかと」

「ほう……そう言い逃れているのか。で、今の名は?」

 再び肩をすくめる。

「お聞きになっているでしょう。ジュリアンです。ジュリアン・レノックス」

 差し出された手を、アーヴァインは少しの間見つめて、そして握る。

 ジュリアンの眉が軽く動いた。

「私が会ったのは誰だったかな」

「父ですね。ジェームズ・レノックス」

「J・Lか。まあいい。うちの子どもたちに悪さは教えんでくれ」

「人聞きの悪い」

 そこでようやくセイラが割って入った。

「お知り合いなのね」

 ジュリアンは困ったように首を傾げ、アーヴァインはセイラに向き直ると丁寧に頭を下げた。孫ほどの年の少女相手に、普段はとても大きく越えられない山のようなアーヴァインが、今はひっそりと体を縮こまらせているように見えた。

「我がストーン・カンパニーの、上得意であるL&DのLです。昔会う機会があった。実質的な経営はDのドミンゴがしているが、新しい商品のアイデアはほぼLから発せられると聞き及んでいたのでね、どれほどの人物が来るかと思えば、今ここにあるのと変わらぬにやけた若造でした」

「父に会ったのなら、若造はお互い様だったんじゃないですか?」

 軽口を叩くジュリアンに、アーヴァインはじろりと一瞥をくれる。

「まるで生き写しかのような顔をして。別人を名乗るには無理があろう」

「レノックス家の遺伝子はたいそう頑固なのですよ。だいたい、そのとき会ったのが僕だとしたら、完全に化け物じゃありませんか」

「あの時会ったお前も化け物じみてたさ……まあいい。皆も座れ。夕食にしよう」

 彼の言葉が契機となり、アーヴァインが席に付くや否や、厨房に近い扉が開かれ女たちがいくつも皿を運んできた。

 先にドロシーが言ったように、確かに料理はなかなかのものだ。味はもちろん、彩りも計算されて客人も誉めそやす。

「道に迷われたとのことですが、そういえば本当はどちらへ行かれるはずだったのでしょうか? 足止めされてしまって、用事は平気ですか?」

 アーヴァインの隣に座るオリバーが、セイラに聞こえるよう、割と大きめの声でそう尋ねた。少女はフォークを皿へ置くと、口を軽くぬぐってうなずく。

「山を越えて、少し行ったところにある知り合いのお屋敷に伺う予定でしたの。先ほどお電話をお借りして、遅れると連絡しました。もともと特に日を決めてのものではなかったので、私たちはそれほど困ってはおりません。むしろこちらへご迷惑をおかけしてしまいました」

 そんなことはない、光栄だと大人たちが笑顔で言い合う中、アーヴァインも重くうなずいた。

「レノックスさんは、普段は王都セントラルの本社にいらっしゃるんですか?」

「いや、僕はあちこち飛び回っているんで、王都には年に何回か帰る程度です」

「それは意外だ。L&Dカンパニーの新商品はいつも斬新な目線で作られた魔導具が多い。父のおっしゃる通りならそれらはレノックスさんが考えたものなのでしょう?」

「お父上殿もおっしゃっておられたでしょう? 噂です。あくまでも、噂。優秀な社員が多いから、彼らが日々努力した結果でしょう。まあ一年に一度二度、アイデアを出さないわけでもないですが、その程度です。あとは風の向くまま気の向くまま。世界中をあちこちふらついてます」

「そういった暮らしの中で、時に素晴らしい考えが浮かんでくるのでしょうね」

 ドロシーが一緒になって彼を持ち上げる。

 初め父があんな態度を取ってまさに血の気が引いた。だが、その後のやり取りを見るに、それほどジュリアンを邪険にしているわけではなさそうだった。セイラがいる手前かもしれないが、出て行けと言い出さなかったのは大きい。

 それならば、あの、世界的企業L&DカンパニーのLと懇意になっておかない手はない。

「兄さんも見習われたらどうかしら? いつまでも頭が固くて。仕事には柔軟さが必要よ?」

「なんだと。俺のどこが頑固なんだ」

 口調はおどけていたが、目は笑ってはいなかった。当然だろう。誰だって、今日のこの場で恥はかきたくない。自分をネタに話が進むのは嬉しくない。

「あら、お気づきじゃないの? そんなところはお父様にそっくりよね。でもお父様は仕事にはその頑固さを持ち込まないから上手く会社を回しているのよ」

「確かに兄貴は昔から融通が利かないよな」

「いつもへらへらとしているお前には言われたくないね。どうなんだ? お飾り社長の汚名は返上できたのか?」

 始まった。

 誰もが心の中でつぶやいた。

 夕飯時の兄弟三人の言い合いは、もはや恒例行事。だが、客人のいる今日も催されるとは思ってもみなかった。変に止めれば戦場はさらに拡大する。本人たちが状況に気づくまで下手に口を挟まないほうが賢明だった。

 また、セイラたちも彼らの口論を気にする風もなく、目の前の皿を片付けることに専念していた。

 しばらくして、止むことのない言い合いに、これではまずいと思ったのか、クライドの隣に座っているクインジーがジュリアンに尋ねた。

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