第二章 混沌の晩餐会 2

「魔導のアイデアを出されているのなら、さぞかし魔導にも長けていらっしゃるんでしょうね」

 この世には魔導と呼ばれるものがあった。それはエネルギーの塊で、生活の中に深く浸透している。魔導エネルギーを上手く使うことによって本来不可能なこと――たとえば物を宙に浮かせたり、外敵の侵入を防いだり――を可能にした。車を動かすのも魔導エネルギーだ。もちろん、全部がそれで補われているわけではなく、電気エネルギーも使われている。だが、後者はその製造過程で環境汚染が危ぶまれたりすることも多く、国の水準が高ければ、魔導エネルギー利用率も格段に上がった。

 ただし、誰もがこの魔導エネルギーを上手く扱えるわけではない。

 生まれたときの才能による。

 魔導エネルギーは人や大地、大気など、ありとあらゆる場所に存在しているが、それを抽出し、思うようにできるのは、全人口の〇.〇一%以下だ。

 ただし、研究が進み、札や、魔導具を用いることで誰でも手軽に魔導エネルギーを利用することができた。L&Dカンパニーはそういった道具を売る会社だった。

「ところが、僕は魔導はまったくなんですよ」

「本当ですか?」

 思わず疑いの声をあげてしまうクインジーに、ジュリアンはにやりと笑う。

「しかし、だからこそ、かもしれませんね。魔導を使えないからこそ、魔導がこんな風にあれば、こんな風な使い方ができればとついつい考えてしまう。未だに限界がよくわからなくて、好き勝手にアイデアを出して、うちの研究員を泣かせています」

 そんなものなのかと、みんなが考え込む。

「なので僕はもっぱら試作品を試す側の人間です。札や、魔導具ですね。ストーン・カンパニーさんの魔導石にはお世話になりっぱなしですよ」

 魔導石は質が良ければ良いほど魔導エネルギーのロスが少ない。世の中の魔導具は魔導エネルギーを補充する方式なので、高価な品物のほとんどがストーン・カンパニー製だった。

「十年前に良質な採掘場を手に入れられたそうですね。先見の明というやつですか?」

 ジュリアンの言葉に一瞬クインジーの顔が歪んだ。ナンシーの横に座るオリバーもはっとした表情をしてフォークを置いた。カチャリと硬質な音が響く。

 ピンと張り詰めた空気を、わかっていてやっているのか、それとも本当にわかっていないのか、ジュリアンは自分の問いに対する答えを表情で求めていた。

 やがてそれに応えたのは、アーヴァインその人だった。

「実はあれは、もともとそこの、オリバーの持ち物だったんだ」

「ほう」

 すると、オリバーが続きを語り始めた。

「事業が行き詰まってしまってね。工場を手放さなければいけなくなってしまった。しかし、そうなるとどこも足元を見られてしまって、自分の望むようにはなかなかにいかなかった。それを助けてくれたのが、アーヴァインだったんだ」

 オリバーはそう言って、一瞬顔を歪めた。だがそれもすぐに元通り。諦めが入った不思議な笑顔を浮かべる。

「彼は他と比べ物にならないほど高額な値段で工場を敷地ごと買い取ってくれたんだ」

「オリバーは勤勉な男だ。あの時は少し運が悪かった。真面目にやってきた会社を解体しなければならなかったが、なるべく借金など残させたくなかったんだよ」

「おかげで従業員にはきっちりと退職金を払うことができたし、今はストーングループで仕事もしている」

「有能な人間を手放してしまうのは惜しかったからな」

 二人は互いを見て笑う。

「そして、その買い取った土地から良質の魔導石が出たというわけですね。善意の行為がさらに富を呼んだ」

「そう言うことだ」

 アーヴァインは満足そうにうなずくと、ソテーされた白身魚を豪快に口へ放り込む。六十を越えてもなお、生気に溢れていた。

「うちの息子のクインジーなぞ、早々に父を見限りストーン・カンパニーに勤めていましたからね。先見の明があるというならこいつがまさにそうですよ」

「やめてくれよ父さん。何度も言ったろう? 家の事業を継ぐにしても、他で色々と世間を見たかったんだ」

「それならばストーン・カンパニーはまさにうってつけですね」

「だが、クインジーを手放す気はないぞ。とっさの判断力や気勢を見る力はここにいる誰よりも抜きん出ている」

 実子を差し置いてのアーヴァインの台詞に、一瞬ナイフとフォークを止めるが、すぐさま彼は軽く礼をする。

「大変ありがたいお言葉です。ただ、過大評価されすぎている気がしてなりません」

「謙遜するな。チャールズは何でも自分の周りでことが進むのを望む。他人へ任せることができない。今のままでは有能な社員ではあっても社長業は難しいだろう」

 父の辛辣な評価に、チャールズは傍目に見てもわかるほど顔色を変えた。

「エドガーはエドガーで真面目さが足りない。勤勉さもだ。その二つがなければ有能な社員にすらなり得ない」

 酷評された本人はいたって暢気なものだった。誰もが手を止めている中、彼と、セイラだけはそのまま食べ続けている。ヘレンはそんな夫の姿に怒りを隠していない。

 話を振った張本人であるジュリアンも、さすがに肩をすくめただけでそれ以上何も言わなかった。火に油を注ぐ結果を恐れたのだろう。

 またもや微妙な沈黙が降りようとしたとき、第一の肉料理がやってきた。助かったと、一同はしばらくそちらへ熱中している振りをした。子どもや客人は別として、ストーン家の大人は、アーヴァイン以外肉の味を満足に堪能できなかった。

 特にドロシーは、質問を投げかけるか否か、その判断に迫られていたのだ。

 やがて、質問せずに悔やむよりも、行動を起こして悔やんだ方が良いと意を決して顔を上げる。父親の皿が空になったのを見計らって尋ねた。

「お父様。先ほどのお言葉……、チャールズが次期社長ではないということですか?」

 あえて兄と呼ばずに名前で尋ねる。

 その瞬間、大人たちの手がぴたりと止まり、多種多様な瞳がドロシーと、そしてアーヴァインへ集まった。

 家族の期待と不安を伴った視線に、アーヴァインはナプキンで乱暴に口をぬぐう。

「夕食の後で話題にしようと思っていたんだが、まあ、ちょうどいい」

そう言うと、彼の瞼の奥の瞳がいっそう鋭くなった。

「私も今年で六十四だ。四年前にブレンダを亡くし、己の身にも死の手が伸びてくるのがわかる」

「そんな、お義父様はまだまだ元気ですわ」

 ファティマの言葉に、皆が同調する。だが、アーヴァインは首を振った。

「自分のことは自分が一番わかっている。それを自覚出来ないで今の地位にしがみついていれば、やがては会社が傾く。まだ余力を残した状態で引退するのが自分にとっても、周りにとっても良いのは明白だ。しかし、」

 彼はそこで言葉を切った。テーブルに座っている者すべてを見回す。最後に予定外の来訪者であるセイラに目を止めた。彼女も薄いすみれ色の瞳を真っ直ぐアーヴァインへ向け、臆することなく受け止めている。

「そう決心した今年、そこへ貴女がやってきたのは瑞兆なのだろう」

 セイラは視線を固定したまま小首を傾げる。

「私が一代で築き上げたこの会社。可愛くないはずがない。器の足りない者に譲って、潰されでもしたらかなわない。だからといって、そう。言葉を失ってる場合じゃないぞ、チャールズ。お前は長男だ。世の習いとして、世襲というものがある。それが何より余計な遺恨を残すことが他の場合よりも少ないということも知っている。……そこでだ。明日、夕食の後。お前達は存分に議論するがいい」

 アーヴァインの子どもはハッと顔を上げた。

「最終的に決めるのはこの私だ。それは変わらない。だが、その前にお前達が思うところを心ゆくまで話し合うがいい。それを聞き、判断しようと思う。その席にはヨランダとジラも同席させる」

「父さん!」

「お父様!?」

 チャールズとドロシーの叫び。他の面々も顔色を青くしている。

「何故かとは聞くな。わかりきっていることを再度確認するのは愚か者のすることだ。これはもう、決めたことだ」

 今年のアーヴァインはどこか違う。

 何が違っていたか今明らかになった。

 彼は、本気で引退をしようと思っているのだ。後継者に世界でも有数の優良企業、ストーン・カンパニーを任せて。そして、遺産の配分の仕方も、考えている。

「すべてまでとはいかずとも、彼らもその議論に同席してもらい公平な目で意見を頂戴すればいい」

 公平な目。オブライエンの目。いや、むしろジュリアン・レノックスはライバル会社と言ってもいい、L&Dの取締役。議論が相手の足を引っ張る泥仕合と化すのをほどよく抑制するだろう。暴露し合うことは、最終的にはストーン・カンパニーにとってマイナスだ。そんな弱点があると見せつけてしまう。

「よろしいかな?」

 同意を求められ、少女は大人びた微笑みを浮かべた。

「ご招待いただいたお礼となるのならば喜んで」

 肉料理が下げられ、口直しのシャーベットが彼らの前に並ぶ。

 だが、チャールズたちはその後の料理を味わうことができなかった。いかにして自分をアピールし、周りを蹴落とすか。いや、それよりも仲間に引き入れた方がいいのか。自薦より他薦の方が印象はいい。だがそれならば何を餌とするべきか。

 口を規則的に動かし、頭の中はめまぐるしく動く。

 いつもはゆっくりとこの食事を堪能する彼らだが、今宵はスピードを増した。誰もが早く自室へ帰り、パートナーと話し合う必要があると感じていたからだ。

 食事の後は隣の居間で食後の珈琲を楽しむのが常だったが、大人達は早々に辞退した。セイラ・オブライエンがいようとも、だ。

 残ったのは子どもたち。ようやく変に大人に邪魔されず、素敵な客人を話す機会がやってきたのだ。

 セイラは先ほどと同じ一番上等な椅子に腰掛け、クライドはその背後に影のように立つ。

 ジュリアンは長椅子に腰掛け、その隣にドロシーの子ローラが出来うる限り上品に座っていた。少年たちは直接絨毯に足を投げ出してセイラとジュリアンの周りに集う。彼らにとっては会社の行く先よりも客人への興味が上だった。

「王宮で暮らしているの?」

「何をしに行く途中だったの?」

「旅行好きなの?」

「一年にどのくらい旅行するの?」

「旅行はいつもレノックスさんと一緒なの?」

 矢継ぎ早に投げつけられる質問に、セイラは一つ一つ丁寧に答えた。反対に彼女から質問されることもある。そのときは我こそはとこぞって答えるので、子ども達の声が重なり何が何だかわからなくなる。そうやってひとしきり笑って過ごした。

「レノックスさん。試作品を試すって言っていたでしょう? 今何か持っていないの?」

「ジュリアン、でいいよ。ローラさん」

「じゃあ私もローラ、で! ねえ、何か面白いものを見せて!」

 彼はそうだなと天を仰ぎながらしばらく考え、立ち上がると胸ポケットから一枚の札を取り出した。呪符だ。部屋の端に行き、ジャケットの内ポケットから万年筆を取り出すと、札に何か書き加えた。

 そして口先で小さくつぶやくと、札が青白く輝き、端にポッと火が付いたかと思うと空中で消えた。

「さあ、こっちにおいで」

 絨毯に座る少年に手招きをする。

 アイザックとジェイクが顔を見合わせ、兄の威厳を示すためかアイザックが立ち上がる。

 だが、ジュリアンへあと半歩というところで彼は歩みを止めてしまった。

「どうしたのよ、アイザック」

 ローラが不審な顔をして尋ねると、彼は振り返って眉間に皺を寄せていた。

「ううん……」

「ほら、あと少しだよ」

 だが、アイザックは首を傾げたままだ。

「もう! どいて!」

 と、今度はローラがジュリアンに突進するが、やはりあと少しのところで止まってしまう。二人は顔を見合わせ首を傾げる。

 そんな彼らを見て、ジュリアンは笑う。

「それがこの札の威力なんだ。なんだか、近寄れない。近寄る気が起きない」

 再び小さく何事かつぶやくと、二人はハッとして笑う彼に駆け寄った。

「すごい。何でかしら?」

「作り方は企業秘密」

 ウィンクして、元の位置に戻る。

「どんなときに使うの?」

 マイケルが尋ねると、どんなときだと思う? と反対に質問された。

「わかる?」

 セイラに聞くと、彼女は少し黙ってから口元で微笑む。

「例えば、誰かに近づいて欲しくない物があるような場所、かしら」

「近づいて欲しくない?」

 ジェイクが首を傾げる。

「とても大切なものを隠しているとか、重要な人の集う場所とかね」

「そう。他にも危険物があるところなんかにも使えるんだ。危険、触るなって書いてあるとついついいたずらしたくなる人もいるからさ」

 子どもたちは感心したように何度もうなずいている。

「まあ、ある程度魔導を使う人には効かないんだけどね」

「あら、そうなの。まあでも、入っちゃいけないところにわざわざ入ろうとする人なら、呪符自体を無効にするくらいどうってことないのかもしれないわよね」

「そう。これはそこまでは想定していない軽めの物なんだ。……みんなは魔導は使える方なのかな? ケヴィンは?」

 一番年長のドロシーの息子に尋ねると、彼はびくりと肩を揺らして首を振る。

「僕は会社を継ぐから、魔導の原理を知るのはいいことだけど、実際魔導を使って研究者になるのはダメなんです」

「そしつがあるって言われたのに、もったいないわよね」

 ローラは兄の能力に軽く嫉妬している。自分にあれだけの力があったら絶対に練習してみんなをあっと言わせてやるのにと、普段から豪語していた。

「マイケルもそしつがあるって言われてたよな。けど、弱虫だから魔導が怖いんだって!」

 ジェイクがシシシと笑った。

「やめろよジェイク」

 口を尖らせてうつむいてしまったマイケルを見て、アイザックが慌てて止めた。

「そうよ。あんまりいじめるとパトリシアみたいに来なくなっちゃうわよ」

「えっ!? パトリシアはいじめられたから来ていないの!?」

 驚きの声を上げたマイケルに、ローラは意地悪そうな笑みを浮かべた。

「お母様がおっしゃってたわ」

「でも、クインジーおじさんはパトリシアに赤ちゃんができたから、大事にしないといけないからだって言ってたよ」

「あら、そうなの? ならそうなんじゃない?」

 どこまでもからかう口調を消さない。

「パトリシア、いじめられたから……」

 反対にマイケルはどんどんうつむき自分の世界へ入って行く。

「妊娠したのなら、このように寒い場所への移動は身体に差し障りがあるでしょう。今回の集まりを控えるのは、当然のことのように思えますが」

 彼の落ち込みようがあまりに哀れだったのだろう。それまで一言も口にせず、じっと黙って立っていたセイラのお付きがマイケルを慰めた。

 少年も慰められているのがわかったのか、曖昧にうなずく。そして、すくっと立ち上がった。

「僕、もう行くね」

「あら。子どもは寝る時間?」

 自分のことは差し置いてローラが言う。だがマイケルはそちらへちらりと視線をやっただけで何も言わずに、セイラたちへ深々と頭を下げる。

「お先に失礼します」

 きちんと躾けられている証拠だった。

「良い夢を」

 セイラが代表してそう答え、少年は居間を出て行った。

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