第四章 雪の密室 2
昨夜の夕食の品について、少し水を向けると留まることを知らずに話し続けたヴィクトリアだが、ジュリアンが今後について質問すると困ったように首を傾げた。
「さあ、どうなるんですかね。私はもう今年で四十五なんです。転職するならこれが最後。どこか、こぢんまりとしたお屋敷で、お料理も作ることができるようなところがあればいいんですが」
「ですが、本家に在籍していらっしゃるんでしょう? このままそちらへお戻りになるのかと」
当然の質問に苦笑する。
「本家にはコックがおります。専属の者が何名もね。私の出る幕なんてありゃしませんよ。夏と冬、こちらでお食事の準備をするようになって、私はそれがすごく楽しいことだと気付いてしまったんです」
本当は他にも色々と理由はあるのだが、一番はこれだった。
「貴女にとっては、このお屋敷の滞在期間がとても大切な時間だったんですね」
「ええ。……ですから、というわけではございませんが、アーヴァイン様のことは本当に残念で」
ここに来てから主の話をまったく持ち出していないことに気付き、慌てて付け加えた。そうではないと断りながらも、ヴィクトリアにとってアーヴァインは、この屋敷で料理の腕を披露する場を与えてくれるだけの主だと言っているようにしか聞こえない台詞に、ドジを踏んだと内心ひやりとした。
だが、そう取られてもいい。
一人の人間として、ヴィクトリアはアーヴァインを心底軽蔑していた。
仕事のやり方や、周囲の人間に対する態度はもちろん、一番、今でも許せないのがヨランダのことだ。
本人に罪はないと思っている。
彼女は身寄りがない。天涯孤独の身だった。ストーン家のメイドの職を失うことができない、後戻りできない状態では、アーヴァインの求めを断ることなどできない。
しかも、ブレンダが亡くなってからならまだわかるのだ。ブレンダと離れて本家にいたときに、というならわかるのだ。まだ許せる。許せる余地はあった。
しかし、ブレンダの世話役としてヨランダがこの屋敷に来ているときに。ブレンダがまだ存命中に。
それは、男として、人としてとうていヴィクトリアの許容範囲を超えていた。
「ユリシーズさんが西棟から東棟に行くことはできないとはっきりおっしゃっていましてね。となると、犯人は東棟に潜んでいたことになる……ストーン家の皆さんの仲はどのようでしたか?」
昨日の晩餐に出席していたにも関わらず、ジュリアンが笑顔でそう尋ねた。
最悪以外、どう答えろと言うのだろう。
長男のチャールズは、順調に自分の手に社長の座が転がり混むとは思っていなかっただろう。もちろん、周りも同感だ。しかし、最終的には彼がストーン・カンパニーを取り仕切るのだろうなとも思っていた。初めは形ばかりの社長だ。後ろでアーヴァインが控え、少しでもミスを犯しそうになれば叱責を飛ばす。そうやって粗治療で成長させていくしかないと。それは、プライドの高い彼にとって苦行以外の何ものでもない。
ドロシーやヘレンはその事態に満足などするはずがない。絶対に横やりを入れるだろうし、自分の夫を押したことだろう。まあ、エドガーはそれ以前の問題になってしまったが。
オリバーやナンシーも、クインジーがあれだけ有望だともしかしたらと考えていたかもしれない。だが彼らは正直この時点でアーヴァインを亡くせば反対に立場が悪くなる可能性の方が大きい。
本来あるはずだった今日の話し合いは、世間の風習に倣い、順調に進めば手に入れられないストーン・カンパニーを手に入れられる絶好のチャンスだったはずだ。
アーヴァインの死亡により、それが叶わなくなった。
チャールズ以外昨日のあの発表以降にアーヴァインを殺す理由は思い当たらない。
「ごらんの通りです。良くはありませんでしたよ」
考えていたことをすべて胸の底に押しやって、ヴィクトリアは簡潔に答える。
別に、隠しておこうと思ったわけではない。
先ほどヨランダが言っていた。全員に話を聞くと。
ヴィクトリアがわざわざ弁舌を振るわなくとも、ワンダがその役目をしっかりと負ってくれるだろう。彼らも同じ話を二度聞かなくて済むというわけだ。それにワンダの方が無駄に詳しい。
「それでは最後に。昨日は札を使って女性四人が一緒の部屋にいましたね?」
「ええ。一度出たら入れないと聞いたので、ジラにぎりぎりにトイレにいかせてね。七時までとは言われていたのですが、六時半に部屋を出ました。支度があるものですから」
「……ありがとうございます。申し訳ありませんが、ワンダさんを呼んでいただけますか?」
話すなと言っても話し続ける彼女を前にして、知っていることは何かありませんかと聞いたときの恐ろしさを彼らは味わうことになるのだろう。
わかりましたと答えて部屋を後にしながら、セイラたちの苦労に同情のため息をついた。
セバスチャンは、厨房でヴィクトリアの手伝いを黙々としているユリシーズを見つけ、声を掛ける。
「風が止んだから、屋敷の周囲を見て回りたいそうだ」
そう言って自分のすぐ後ろに控えているクライドを、身体を少しだけずらすことでユリシーズの目に晒す。
彼はうなずくと、むいたジャガ芋をヴィクトリアへ渡し、簡単に手を洗って厨房の入り口横に掛けてあった上着を着込む。
セバスチャンとクライドも、すでにコートを羽織っていた。
「あんたも行くのか?」
ユリシーズの問いに軽くうなずく。
いくらクライドが我々と同じ仕える者といえども、セイラ・オブライエンのお付きだ。ユリシーズだけに任せて粗相があってもならないし、第一自分も屋敷の周囲は確認しておきたかった。
「それでは、正面玄関から出て行きましょう」
方針はセバスチャンが決める。だが、先導するのはユリシーズだ。彼の方がこの雪に慣れている。
一晩降り続いた雪は、かなり厚みを増していた。足跡など一つも見あたらない。また手分けして雪かきをしなければならないだろう。もう少し雪が小降りになったらユリシーズを手伝おうと心に留め、周囲を注意深く見渡す。
何か普段と違うものはないか、どこからか侵入した形跡はないか。目を懲らして探した。
だが、反時計回りに、つまり東棟の方へ向かって進んで行ったものの、特にこれといって新しい発見はない。
誰もが、屋敷の中の人間ではないといいと望んでいた。それは当然だろう。良く見知った相手が殺人者であれと願う人間などそうそういない。兄弟仲が悪いとは言え、そこまで卑劣なことを考えるような彼らではない。小さなころから見て来たからそれはよくわかっている。
詳しい状態はまだ聞き及んでいないが、突発的に何かあったに違いない。
と、そこまで考えて、自分が外部犯を除外している事実に気付いた。内心苦笑する。
しかし、この雪の中。屋敷の中を隅々まで知っている自分たちの目をかいくぐって人を殺すなどという行為は不可能に近い。しかし、外で隠れているにはこの雪は厳しい。昨夜もし犯行に及びここから逃げて行ったとしても、生きていられるとは思えない。
事故であればと願うのだが、アーヴァインは間違いなく他殺だとジュリアンが言い切った。
麓の道が開通すれば、好奇の目がずらりと並ぶのだろう。そちらへの対応も考えなくてはならない。ストーン・カンパニーもしばらく騒がしくなるだろう。
最後のつとめだ。精一杯のことはしよう。
「どうでしょう?」
黙々と隣を行くクライドに話しかけると、彼は軽く首を振る。
「正直特に変わった場所はないようですね」
もう少しで元の場所、正面玄関へ出る。肩に積もった雪を払いながらセバスチャンもうなずいた。
「中庭も見てみたいのですが」
「それでは、正面までは行かずに入りましょう」
彼の言葉に応え、ユリシーズは左へ折れる。西棟と正面玄関の隙間をぬってブレンダの庭と呼んでいる温室のある中庭へやってきた。
昨夜セイラとジュリアンが通った道筋もすっかり新雪によって消えていた。そういった意味では、もし誰かが抜け出てももうわからない。人間はこの寒さに一晩耐えられないだろうが。
もし、魔生生物なら。
ふと浮かんできた言葉に、ばかばかしいと頭を振る。
食堂でケヴィンが漏らしたあの答えに、自分は随分と惹かれているようだ。それならば悪さをしたものはいないと言える。
魔生生物に関しては、実はよく知っていた。この屋敷のアーヴァインの書斎には、関連する本がいくつも並べてある。古い物から最新の物まで、主はよく目を通していた。セバスチャンを相手に知識を披露することがあった。
あまり褒められた趣味ではないので、表ではおおっぴらに話すことはなかったが、だいたいの歴史と、流れは把握している。
最近読書の虫になってきたケヴィンのことだ、入ってはならないと言われているアーヴァインの私室にもこっそり出入りしているようだし、魔術に興味があるとも言っていた。きっとあの部屋の本を読んでいたのだろう。
「温室も覗いて良いでしょうか?」
「そうですね。一応見ておきましょう」
ユリシーズが無言で鍵を開ける。これは、昨日の夜、就寝前にユリシーズと二人でしっかりと鍵を掛けたことを確認している。温室は他に入るところはまったくないし、壊されている場所もなかった。侵入は難しい。もちろん、今朝も屋敷中を見て回ったときに誰もいないと調べている。
しびれるような寒さから開放され、暖気が肺に吸い込まれる。それには花の香りも含まれていた。ユリシーズの努力の賜だ。ブレンダから引き継いだこの温室には彼女が好きだった花が咲き乱れている。
文句も言わず、言われたことは完璧にこなす。寡黙な下男を、セバスチャンは高く評価していた。
そんな彼が声を上げるので、珍しいとそちらを見やる。
中央の像の足もとでかがんでいる。
「どうした?」
近づくと、彼の手もとが見えた。花が少し踏み荒らされている。
「朝、皆気が立っていたから、誰かが踏んでしまったんだろうな」
「でしょうねえ。言ってくださればすぐに整えるのに」
そう言って彼は倒れた花の茎を二、三度さする。すると見る間にオレンジ色の花が首を起こす。
「センチェリネアですか。しかし、こういった場所では珍しいですね。もっと、人通りが多いところに添える花と認識していました」
クライドが花の名を言い当てると、ユリシーズは相好を崩した。ブレンダの手伝いをするうちに、彼はそうとうの花好きになっていた。
確かにセンチェリネアは人に踏まれても少し撫でてやれば元に戻るという不思議な性質を持った花だった。花自体も可愛らしくファンも多い。だが、特性に注目が集まり、花の美しさは二の次で扱われることが多い。
「ブレンダ様がこの花がお好きだったんです。特にこのオレンジ色のものが。なので年中この像の周りに咲かせるようにしているんですよ」
像はブレンダを模している。その提案はアーヴァインからされたものだ。今でもあのときを覚えている。
「そうだったんですか。確かに、お写真で見かけた奥方様のイメージによく合いますね。明るいオレンジ色が写真の中の明るい笑顔に」
アーヴァインもよくそう言っていた。
温室を後にするとき、クライドがその鍵を求めた。
もちろん、セバスチャンは喜んでそれを渡す。
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