第四章 雪の密室 1

 エドガーに続きアーヴァインも命を落とした。

 ちょっとした歯車の不具合が、全体へ大きな影響を表す。よい例だった。

 アーヴァインを横暴と言う者がいる。エドガーを無能と罵る者がいる。しかし、それでもストーン家の一員で、大切な歯車の一つだった。

 その歯車を壊す原因を生み出したのが自分であることも重々承知している。

 ブレンダという肉体が滅びて数年。毎年のこの行事は、雪雲とともに不安を運んで来た。

 限界だったのかもしれない。

 ストーン家にこだわり続けるこの行為が、限界だったのだろう。

 そう思わずにはいられなかった。

 この滅びの力は、どこまで影響を及ぼすのだろうか。

 山を下りた後も、ずっと続くのだろうか。

 

 

 ワンダは子どもたちの前にケーキを取り分けながら、彼らの親と、あのきれいな客人がしている話を聞きたくてうずうずしていた。

 もともと平穏とは言い難いストーン家の集まりだったが、今年は酷い。まさかあのアーヴァインが死ぬなんて思いもよらなかった。

 冗談で、何度も、彼は平和な死に方はできないと言ってきたが、それが現実となってしまうとは。

 ユリシーズは早くも今後の自分の身の振り方を心配していた。その気持ちはわかる。彼はこの屋敷の管理人だ。他の召使いたちはアーヴァインがやってくるとき限定で、街にある本家の屋敷に仕えていた。アーヴァインが死のうとも、長男であるチャールズが後を引き継ぐだろう。長女のドロシーならともかく、彼は締まり屋ではないし、チャールズの妻ファティマは生粋のお嬢様だ。使用人は多ければ多いほど良いという考え方だった。

 だから、少々好奇心が強いという以外は、それなりに仕事もできるワンダ――そうでなければこちらの屋敷に連れてこられないだろう――は解雇の心配をする必要はなかった。

 問題は、そう考えながら、ちらりと彼女を見る。

 細々と働くその横顔を盗み見る。

 問題はヨランダの方だ。ヨランダと、その娘のジラだ。

 ジラがアーヴァインとの間に出来た子どもだというのは、周知の事実だった。彼女ももう勤めて十年近くになる。その間の一年半、ジラを出産するために休みを取った。普通ならそこで終わりになるのだが、アーヴァインは再び彼女を雇い入れ――正確には休暇を与え――、さらには子どもを傍で育てることを許可した。

 破格の扱いだ。

 さらに驚くべきは、当時健在だったブレンダも一緒になって彼女たちを擁護したのだ。

 それに対して、実子たちはあからさまに不満顔をしていた。いや、次男のエドガーは大して気にしてはいなかったが、その妻であるヘレンは他の誰よりもあからさまにヨランダを敵視していた。

 彼女は間違いなく解雇されるだろう。

 ただし、遺言に何かが書かれていなければ。

 あれだけの身代を築いた人だ。確かに今夜話し合わせるとは言っていたが、それ以前に仮の遺言書ぐらい残しているだろう。何せ六十を軽く越えているのだから、己の身の老いも感じていたはずだ。

 正直わくわくしてたまらないのだが、流石にそれを表に出しては辞めさせられかねない。沈痛な表情は崩さず、かといって子どもたちに不安を与えすぎてもいけない。絶妙な顔を作り出す。

 それでも子どもたちの相手は気が抜けない。大人が鼻白む質問を平気で投げかけてくる。

「ねえ、ワンダ。おじい様が殺されたって本当なの?」

 これになんと答えればいいのだろうか。

「さあ、私は難しいことはわかりません」

「難しくなんてないじゃない。殺されたか、そうじゃないのか、でしょう?」

 ローラが食い下がる。困った。

 セバスチャンからアーヴァインは殺された証拠が出たとは聞いていた。ただ、まだその詳しい状況は知らない。遺体を調べた客人たちは、すぐに大人を呼び集め、一人ずつ話を聞くと言い放ったのだ。

 まるで容疑者扱いだとガブリエルが憤然としていた。娘婿で、普段は大らかに、そして抜け目ない様子の彼が、あそこまで感情をあらわにしているのを見るのは初めてかもしれない。厨房で酒を求めて自室に引っ込んでいる。子どもたちの面倒まで手がまわらないのだろう。

 そのうちワンダの番も来る。そのときはなるべく情報を引き出さねばと今から気合い十分だった。

 というよりも、この手のかかる子どもたちから早く解放されたい。

「ねえ、ワンダ! どうなんだよ!」

 ローラの子分其の一、アイザックも一緒になって彼女に尋ねる。これは、暴れる前の予兆だ。ここを上手く切り抜けなければ大騒ぎになってしまう。

 なんと切り返そうか、考えあぐねていたところへ救いの手が差し伸べられた。

 ローラの兄であるケヴィンだ。

 二年ほど前は彼も一緒になって暴れる方だったが、去年の暮れあたりからめっきり落ち着いた。勉強も、良くできるそうだ。神経質なところが見え始め、父親の血が表面に出て来たように思える。

 特に今日は、普段に増して静かで、彼が発言するまですっかりその存在を忘れていた。

「やめろ、ローラ」

「なによ。兄さんは気にならないの!?」

「うるさい! 静かにしろっ!」

 その様は、ファティマを頭ごなしに怒鳴りつけるチャールズそっくりだった。妹はぐっと唇を噛んで、何かを堪えている。涙を、ではない。この少女はそんなもの二年前に忘れて来ている。

「さあ、お坊ちゃまお嬢様。お昼ですよ」

 ワゴンにいい匂いのするスープやパンを載せて、厨房の扉からヴィクトリアが現れる。扉の向こうで成り行きを窺っていたのか、とても良いタイミングだ。

 何か言いたそうにしているが、食事中に暴れると、ヴィクトリアが容赦なく怒る。彼女は自分の作った料理に絶大な自信を抱いており、それをないがしろにされれば主人だろうと子どもだろうと関係ない。もちろん、彼女の料理は掛け値無しに美味しいし、子どもたちはしぶしぶ席に着くことになった。

「ヨランダ。ジラと先に食事をしておいで」

 ヴィクトリアは子どもが好きだ。なんだかんだとジラのことも可愛がっている。朝からばたばたしていて、ワンダも彼女たちも満足に物を食べていなかった。サンドウィッチを少しつまんだだけだ。育ち盛りのジラに、それは辛かろうと思っての言葉だった。

 ヨランダもそう察したのだろう。ジラの手を引き、頭を下げて食堂を出て行く。ジラも同じようにして昼食へ向かった。

 その後ろ姿に、なんとなく眉をひそめる。

 あの娘は今年で六歳だ。それなのにあの落ち着きはいったいどうしたものだろう? 小さな頃からそうだったとヨランダは言う。なんというか、気が利きすぎていて怖いのだ。

 子どもらしく走り回って遊ぶ姿が見られない。大人の顔色を読むのではない。そう、立ち振る舞いが大人を感じさせるのだ。

 この屋敷がそんな彼女にしてしまったというならば、残念なことなのかもしれない。境遇が、そうさせてしまったと言うならば、なんと可哀想なことだろう。

 あの二人は、今後どうやって生きて行くのだろう。

 そんなことを考えながら世話をしていると、あっという間に時間が経つ。ファティマがやってきた。

「アイザック? ご飯はもう食べ終わった?」

「うん! ママは?」

 息子の質問に、彼女はふわりと笑う。どこかやつれた笑みだった。

「私ももう少ししたらいただくわ。あのね、オブライエン様が貴方にも少しお話がしたいんですって」

「セイラが!」

 少年が瞳をきらきらとさせ、椅子から飛び降りた。

「オブライエン様よ。それかセイラ様」

「だって、セイラが、『セイラ』でいいよって言ったんだもん!」

 よっぽど嬉しいのかぴょこぴょこと跳ねて先を行く。ファティマはその後ろ姿に苦笑し、もう一人の息子、ジェイクを振り返った。

「次は貴方にも聞きたいっておっしゃっていたから、ここで大人しくしていてね」

「はーい」

 次男もお行儀よく返事をした。セイラ・オブライエンの威力は大人だけではないようだ。

 ふと、すぐそばのケヴィンを見ると、顔色がとても悪い。

「ケヴィン様? 大丈夫ですか?」

 彼はぶんぶんと首を振る。

 それは大丈夫なのか? それとも大丈夫じゃないのか。判断に窮す。

「お坊ちゃま?」

 ヴィクトリアも心配そうに近づいてくる。

「お兄様、怖くなったのね! おじい様が殺されたから、だから怖くなったのよ」

 ローラが意地悪そうにそう言うと、彼はキッと妹を睨み付けた。今度は彼女も負けてはいない。テーブルを挟んで向かいに座っていたのが幸いして、つかみ合いにはならなかったが、それでも、次の少年の言葉には、その場にいた全員が驚きと、困惑の声を上げる。

「僕、犯人を知ってる」

 ちょうどそのとき、ヨランダとジラを伴い、執事のセバスチャンが入ってきたところだった。

 彼は持っていた盆を危うく落とすところだった。

 ワンダは、執事のあのように焦った様子を初めてみた。尊敬すべき点は多いが、同時に彼の完璧主義にはうんざりしている。珍しいと内心面白く思った。いや、今はそれ以上にこの少年に追求すべきときである。

「ケヴィン様? それは、どういう意味ですか?」

 困惑した口調。だが内心はワクワクしている。ゾクゾクかもしれない。いい知れない興奮に、鳥肌が立つ。

「誰よ! 誰なのよ!」

 ローラが先ほどとは違った怒りを伴い兄に詰め寄る。

「ケヴィン様?」

「おやめなさい二人とも。ケヴィン様も、あまり軽率な振る舞いをなされませんように」

「知ってるなら教えなさいよ! 誰がおじい様を殺したの!」

「ケヴィン様! 犯人とは?」

「ワンダ! ローラ様っ!」

 執事の、最後の警告とも取れる叱責すら、二人は無視した。

 そして、重いケヴィンの口が開く。

「犯人は魔生生物だよ」

 ワンダはヴィクトリアに連れられて、食堂を後にした。

 

 食事中だと言うのによくまわる口だ。

 目の前のメイドのそれを眺めながらユリシーズは食欲もないのにもくもくとヴィクトリアの作った食事を口に運び続ける。

 同じ口なのに、ワンダはそこから言葉を出し、自分は物を入れ続ける。

 奇妙な光景だなと思った。

「魔生生物って、よくわからない。ヴィクトリアは知ってる?」

「あれだろう? 禁忌の魔導って奴だよ。凡人にはとんと縁のない物さ」

「ふうん。私魔導もよくわかっていないから」

「魔導は一部のお偉い人達にしか利用できるもんじゃないよ。私らにゃ身分不相応だ」

 よくわからないな、とワンダは繰り返した。

 わからないと言いつつも、この屋敷の魔導の管理はきちんとこなしてるじゃないか。そう言いかけてやめる。またそこから話が広がりかねない。

 そのお喋りさえなければねえと、普段から散々言われているのに、彼女はへこたれなかった。

 確かに悪い娘ではない。が、少々人のことまで首を突っ込みすぎるのだ。

「このお屋敷もどうなるんだろう。ユリシーズさんは、どんな雇用条件を結んでるの?」

 人が気にしていることを平気でさらりと聞いてくる。

「どんなもこんなもないよ。普通の、ごく普通のものさ」

 口にスプーンをくわえたまま、彼女は眉を寄せた。

「それじゃあ、もしかしたら、運が悪けりゃ馘首よね」

 嫌なこともさらりと言ってしまう。

 ヴィクトリアがちらりとこちらを見た。止めるか? と聞いているのだ。年に二度か多くても三度しか合わないユリシーズだが、ヴィクトリアは年がら年中ワンダの手綱をさばいているのだ。止め方も心得ていた。だが、首を振って返してやる。どうせここで止めてもどこかで言ってくる。一度言いかけたことは言わなければ居心地が悪いのか、後回しにされるだけだ。

「でも、たぶんそれはないわね」

「なぜだ?」

 予想していなかった彼女のつぶやきに、勢い込んで反応し、スープが気管に入った。げほげほと咳き込むユリシーズの背中をワンダが叩く。こういったところは優しい気のいい娘なのだ。

「だって、アーヴァイン様のこの館に対する執着は尋常じゃないでしょう。遺言に、今後どんな風に扱えって、絶対書いてあると思うけどなあ」

 館に対するというよりも、妻のブレンダに対する執着が並大抵のものではなかったと思う。特に晩年。若い頃よりも、年老い、ゆったりと時間が流れるようになってからのアーヴァインとブレンダは、それは仲がよかった。

 夏は避暑地として適した場所だが、冬はこの通り。吹雪に遭うこともある。寒さの厳しいところだ。だからこそ美しい部分もある。朝靄の中、太陽に照らされた湖の氷は神秘的な風景だ。天気が良く、体調も良い日は、いつの間にか四阿にアーヴァインが座り、そのひとときを楽しんでいるのを目にしている。それでも、寒さが骨身にしみる土地だ。子どもたちはアーヴァインがいるからこそやってくるが、彼が死んだ今、来年からの集まりは間違いなく開かれないだろう。

 そんな場所だったが、ブレンダは気に入っていた。以前、どこがよいのかとぶしつけながら聞いてみた。金色の巻き毛を揺らしながら困った顔で微笑む姿に、愚かな質問をしてしまったと後悔したものだ。とにかく全部、と言われて、それ以上は聞けなかった。ただ、あの『とにかく全部』は嘘でないと思う。体調を崩して床に就きがちになった頃、最後の三年、ブレンダはこの屋敷に滞在し、そしてこの屋敷で息を引き取った。仕事で忙しい身でありながら、アーヴァインは足げく通ったのだ。

 だからこそ、あのジラの存在はユリシーズにとって信じられないものだったのだ。まだブレンダが亡くなってからというならわかるのだが、亡くなる三年前。つまり、ちょうどこの屋敷に越して来た頃に、ヨランダに手をつけたのだ。まだ、ヨランダが本家のお屋敷にいて、寂しさを紛らわすためというならば、辛うじてわからなくはない。しかし、ヨランダは、ブレンダの世話をするためにこちらの屋敷についてきていたのだ。

 まさにこの屋敷で。

 ふう、とため息をついて腰を上げる。

 そこへ声がかかった。

「ユリシーズさん。オブライエン様がお呼びです」

 まさに今考えていた相手、ヨランダが、厨房横の使用人たちの休憩スペースへ顔を出した。

「この、俺にですか? オブライエン様が?」

 いったい何のご用だろう。何か不自由があったのだろうか。

 こちらの心中を察したのか、ヨランダが首を振る。愛想のない娘だ。しかし、仕事は的確だし余計な口も聞かない。メイドとしてはそれが一番重要だ。

「全員にお話を伺いたいそうです」

 魔導は知らなくても、オブライエンの名はさすがに存じ上げている。ガードラントになくてはならないオブライエン家だ。

 困惑しながらも、指定された、今回は使われていない東棟一階の空き部屋へと向かった。途中窓の外を見ると朝方よりも吹雪は、わずかに勢力を弱めているようだ。天気予報通り、夜にはやみそうだ。これでやっとこのおかしな空気が元に戻るのかとほっとする。

 ユリシーズは一年を通してこの屋敷に住み、この屋敷の整備をしてきた。シーツや食料は客が来るときに準備すればよい。だが屋敷全体のメンテナンスは、日々の仕事だった。

 確かに一人では大変なところもあるが、ユリシーズはこの屋敷を愛していたし、ブレンダの後を引き継いで温室の花々を丹精込めて育てている。それが気に入っていた。

 アーヴァインは気むずかしいところもあったが、使用人にはどちらかと言えば優しいタイプで、良い主であったといえよう。

 年が年なので、死に対しては耐性がついてきている。ブレンダが亡くなったときに、その辛さは嫌と言うほど身にしみた。それ以来、どこか鈍感になってしまったように思える。

 つまり、主の死を、あまりにあっさり処理出来てしまい、それに対して驚いているのだった。

 他の使用人たちも同様だろう。

 それに、ストーン家の人間と違って自分たちには仕事があった。

 主の死は、ユリシーズの職が危ぶまれる部分はあったが、どこか遠くの存在だった。

「失礼します」

 ノックをしてそう言うと、中から返事があった。どうぞと言われるがままに入ると、セイラとジュリアンがソファに座り、彼女のお付きであるクライドがその後ろに立っていた。

「お仕事中お呼び立てして申し訳ありません」

「いえいえ。滅相もない」

 使用人の仕事は主人の言う通りに動くことだ。アーヴァインはもういないが、彼が生きていたらオブライエンの命令に背くことなど許しはしまい。

「さあ、座って。リラックスしてください。お茶も用意しましたから」

 反対の立場ならいくらでもあるのだが、まさか茶まで勧められるとは思わず戸惑う。だが、あまり無様な体をさらせば、何を言われるかわかったものではない。ユリシーズは余計なことは一切せずに、ただ勧められた椅子に座ってじっと次の言葉を待った。

 彼が飲み物に手をつけないとわかると、セイラはうなずいてジュリアンを見た。今度は彼が話す番だ。

「まず、一応事実確認等もしますので、不愉快にさせてしまう部分があるかもしれません。みなさんに質問していることですので、できるだけ正確に、明解にお答えいただければと思います」

 うなずく。

「それでは、まず昨夜のことを。東棟と西棟を行き来するための道をふさぎましたよね。それは、間違いなく貴方とアーヴァインさんしか操作できないのでしょうか?」

「あれは、鍵と、パスワードが一緒になっていなければ使えません」

「パスワードが漏れることは?」

「それは絶対にないです。しかも毎回お屋敷にやってくるたびに変えるので、去年と同じというわけにはいかないのです」

「その変える作業はアーヴァイン様が?」

「ええ。そうです」

「つまり、アーヴァインさん以外は、貴方がどなたかに鍵を貸し、パスワードを教えるか、貴方自身が操作するかしか、昨夜あちらの西棟から東棟へは来られなかったと?」

「ええ。その通りです。ですが、私は誰にもパスワードを教えたりはしません」

 ユリシーズがあっさりうなずくと、彼はなんとも形容しがたい表情になり、最後には笑った。

「実直なのか愚図なのか……まあ、前者なんだろうけどね」

 ひどい言葉なのだろうが、彼の言い方がそんな色を帯びておらずユリシーズは次の台詞を待つ。昨日からどこか芝居がかったこの男は、どこか憎めない。

「貴方のその言葉はつまり、僕らと貴方を除けば東棟にいるストーン家の人間が犯人だと言っているも同然なんですが」

「そうでしょうね」

 この言葉は彼を驚かせたようだ。一瞬大きく目を開く。

「我々使用人には、アーヴァイン様を殺して得する者など一人としておりません」

 役目をきちんと与えられている現状が、使用人にとって一番の状況なのだ。

「私はこのお屋敷勤めです。アーヴァイン様の夏と冬の訪問がなくなれば、こんなへんぴなところにある屋敷など、もしかしたら売り払われ、私はお払い箱になるかもしれない。この年で失業は辛い」

 ジュリアンはよくわかると頷く。

「執事の方は、ストーン家に仕えているんですよね? 彼はそのまま職を失うことはない」

「どうでしょう。セバスチャンは、アーヴァイン様の執事だと再三言っていましたし、アーヴァイン様が最後の主だと公言してました。きっと今回のごたごたが収まったら辞めないわけにはいかない。形式的に引き留められはするんでしょうが、きっとそれも断る。けれど、彼は仕事をせずにはいられないタイプの人間だ」

 ヴィクトリアは確かに料理は旨いし仕事も早い。だが、ブレンダがこの屋敷で静養しているとき、こちらの屋敷勤めとなった。そうしている間に本家に同じような立ち位置の人間が現れたらしい。仲があまりよろしくないようで、二人が仕事に立つと空気がぎくしゃくとし出す。互いが互いに悪口を言い合う。問題は、ヴィクトリアではなく、あちらが立場が上になっていることだ。本家に帰ってもどうなるかはわからない。

 ワンダは、彼女のお喋りを一番嫌っているのはファティマだということを知らない。他人の噂話には散々首を突っ込んでいるくせに、自分のことは把握できていなかった。

 そして、ジラは言うまでもない。

 セバスチャン以外を詳しく話す気はないが、彼は勝手に何か納得がいったようにうなずいていた。

「それぞれが職を失う危機感はあったんですね」

「自覚があるかどうかはわかりませんけど、私から見ればみんな危険な立場にあったと思いますよ。ああ、だけど、ワンダはこの屋敷が保護されるだろうから私は安泰だと言ってましたね」

「それはなぜ?」

 ジュリアンに会話を任せていたセイラが口を挟む。自然と彼女と向き合うようになる。透き通るような白い肌とメイドたちが言っていたが、血管が薄く見えるような病的な様子ではない。健康的な肌であり、なおかつ外に降る雪のような色をしていた。すみれ色の瞳は、じっと見つめていれば吸い込まれてしまいそうだ。

 それまでの滑らかな喋りができなく、つっかえながらワンダの見解と、この屋敷とブレンダの関わりを話した。

「ワンダは、溌剌とした方ね」

 ものはいいようだと、ユリシーズは感心する。

「それじゃあ、反対に。ストーン家の人々はアーヴァインさんを殺して得すると?」

 また質問の紡ぎ手がジュリアンへ移動する。

 東棟にいた人物。すなわちストーン家の人間。

「さあ。私には小難しいことはとんとわかりません」

 肩をすくめて目をそらす。

 そうしてユリシーズの番は終わった。

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