第三章 雪とともにやってきたもの 3

 その後少しもめた。

 泣き、叫び、騒ぐ親類縁者。そのすぐ周りで呆然としている使用人たち。そして、次のステップへ進みたくてイライラしているセイラ。

 ジュリアンはそんなセイラを見て不謹慎にも笑う。もちろん、心の中でだ。

 クライドは無表情を決め込んでいつも通りセイラの一歩後ろに控えていた。だが、はらはらと落ち着かないでいるのがわかる。彼の極端に感情を表に出さない姿も、こうやって付き合っていくうちにそれなりに読み取れるようになっていた。今は、いつセイラが爆発するか心配でたまらないのだ。すでにその兆候は見えている。ストーン家に着いてからずっと彼らの望むお嬢様像を貫いてこれたのが奇跡と言ってもいいだろう。特に、この予定外の事件が始まってからは。

 ここは爆発する役目を自分が負って、クライドの心労を少しでも軽減してやるのが普段なら正しい選択なのだろうが、少し今は事情が違う。

 先ほどセイラが心配してくれたように、ジュリアンだけが、アーヴァインの部屋に行き来する術を持っていた。下手に前へ前へ出るわけにはいかないのだ。

 すると、さすがは長年仕えた執事とでも言おうか、いち早く立ち直り、少し考え込んだ後に、チャールズへ近づく。

「チャールズ様、麓にこの件をお伝えすべきかと」

 茫然自失としていた長男は、その言葉に我に返る。

「あ、ああ。そうだな。うん。そうすべきだ」

 そして皆へ振り返る。

「とにかく、移動しよう。みんな居間へ……いや、食堂に行こう」

 反対する理由がなかったのだろう。誰もがアーヴァインの部屋の傍の階段を下りる。北側の通路を通って西棟へ移動し出した。

「それじゃあ僕は中庭を通って」

 一人廊下を南へ下ろうとすると、セイラがついてきた。もちろん、クライドも。後ろからセバスチャンがあちらの扉を開けておくことを請け負った。

「外は寒いし雪まみれになるよ?」

「いいの。少し頭を冷やした方がいいから」

「彼らも大変なんだよ」

「わかってるわ。八つ当たりする相手が見つかっていないのがいけないのよ」

 後ろからつかず離れずついてくるクライドから、笑いの気配を感じた。ジュリアンも口元をゆるめる。

 出会ったころよりはさらに背が伸びた気がする。彼女の父も母も背が高いから、セイラもきっとそれなりの高さになるだろう。こうやって、真上から彼女を眺めていられるのもあと少しだけだ。

 南北に延びる廊下の、ちょうど真ん中くらいに扉がある。ロックが二つ。かなり厳重な物だ。きっちり外して扉を内側へ開くと、雪が塊となって舞い込んできた。

 本当に行くのかと聞く前に、セイラはぴょこんと飛び出す。クライドが内側から鍵を掛けることを請け負うので、ジュリアンも真っ白な世界へ飛び込む。

 二人は昨日の中庭の道を思い出し、雪にはまらないよう慎重に進んだ。あっという間に頭と、肩が雪まみれになる。

 今日のセイラは黒のドレスで、真っ白な中に黒い後ろ姿が見え隠れした。大して離れていないはずなのに、見失いそうでハラハラする。

 横切るのに五分かからないはずの中庭だが、二人は随分長い道のりをやってきた気分だった。暖まっていたからだが、芯から冷える。

「こちらです、オブライエン様」

 セバスチャンの声に、顔を上げると灯りが見えた。ジュリアンとセイラはオレンジ色の光に導かれて屋敷の、食堂へと入った。

 ヨランダが二人へ柔らかいタオルを差し出す。礼を言って身体に積もった雪を払い、髪の毛を拭いた。

 どう考えても彼の方が遅いだろうと思っていたのだが、クライドがもう到着しており、せっせとセイラの世話を焼いている。大急ぎで走ってきたようだ。

スーツの裾と、靴にも雪は入り込んでおり、脱ぎたい衝動に駆られるがぐっと我慢した。どうせ東棟と西棟を行ったり来たりするのだろうし、そうなればいくら乾かしたところで元の木阿弥だ。騒動が収まってから靴を替える方が早い。

 他の皆は席に着いていた。その前には軽い食べ物と飲み物が置かれているが、大人たちの皿はまったく減った様子がない。

 昨日と同じ、ジュリアンたちの席にもすぐにお茶が運ばれてくる。

「ブランデーを入れましょうか?」

 ワンダがジュリアンに尋ねる。

「少しだけ」

 部屋の中は暖かいが、身体の中心がまだ寒さにしびれている。ほんの少しのアルコールが、胃にしみる。

 セイラも同じように紅茶に口をつけていた。だがそこへ、チャールズが現れる。

「オブライエン様……電話に出ていただけますか?」

 彼は当惑したように、彼女を見た。反対にセイラの表情に緊張が走る。だがそれも一瞬で、クライドが椅子を引き、立ち上がるとチャールズの元へ向かった。

 この家には外部へ繋がる電話は一つしかないそうだ。

 この調子ではいずれ唯一の外部との連絡手段も破壊されてしまうかもしれないなぁと、不謹慎なことを考えた。雪山、吹雪、閉ざされた空間。大昔好きこのんで読んだミステリーの知識がどっと押し寄せる。

 招待した人間が犯人というのも多いのだが、と思い出していると、セイラがチャールズに先導され帰って来た。

 その表情は――怒っている。だが先ほどの苛つきは軽減されている気がした。対してチャールズは完全に当惑している。微量の怒りを含んでもいた。

「麓は? 警察はなんて?」

 ドロシーが噛みつくように言うと、チャールズはさらに顔をしかめる。

 答えを待っている彼女をよそに、もったいぶったように座ると、冷めた紅茶を一口飲んだ。

「チャールズ?」

 我慢できずに今度はファティマが隣の夫に尋ねる。

「警察は来ない。正確に言えば来られないんだ。吹雪が止むまで」

 それはわかりきっていたことだ。この天候では空からは難しい。

「それで、エドガーとお義父様のことは?」

 低く、押し殺したような声に、誰もがぎょっとした。ヘレンはじっとチャールズを見やる。

 見つめられた彼も動揺し、やがてその泳いだ視線がセイラで止まる。自然と皆が彼女を見る形となった。

 そこで、いつの間にか目の前のさらのサンドウィッチを片付けていた彼女は、厳しい表情でうなずく。

「先ほど電話で、命じられました。私が今回のこの件の初期捜査において、全権を任せられました。以降は私の指示に従ってください」

「初期捜査!?」

 ナンシーが声を荒げるが、慌てて居住まいを正した。

 驚くのも当然であろうと、その振る舞いには何も言わずにただセイラはうなずき続けた。

「後ほどお一人ずつお話を聞くことになるかもしれません。また、アーヴァインさんのご遺体をあらためて調査することになります。今はまあ、あの部屋に近づくことはできませんが、二十四時間後、つまり今夜以降、彼の部屋に入ったり物に触れたりすることはご遠慮ください」

「どう言うこと!?」

 ドロシーもまた怒りをあらわにする。だがそれに、セイラが答えるよりも早く、女性の病的な笑い声が起こった。

「何よ、何をそんなに笑ってられるの! ヘレン!」

「だって、当然じゃない。当たり前でしょう? わからないの?」

 茶色の髪を振り乱してヘレンが今度は食ってかかる。

「ねえ、レノックスさん。お義父様の死因は? どんな風に死んでいたの?」

「ヘレン!」

 遠慮のない彼女の言葉に大人は血相を変えた。ファティマは隣に座るアイザックを抱きかかえる。

「子どもの前でやめてよ!」

 滅多に大声を出さないファティマの叫びに、辺りは一瞬シンとする。

 そこを狙いすましたように、セイラの落ち着いた声が響いた。

「では、お子様たちは隣の居間へ。誰かに見ていてもらって、私の話を聞きたい方はこちらへ残っていただきましょう」

 親に追い立てられ、子どもたちが移動する。残りたいワンダを無理矢理ヴィクトリアが隣の部屋へ連れて行き、最後にヨランダがジラを伴って居間へ通じる扉を閉めた。

 ヘレンの手元にあるのはどうやらアルコールらしい。頬がだんだんと赤く染まって行っている。だが、夫を失い、家長まで死んだとあっては、彼女を責める者は誰もいない。ドロシーと睨み合いを続けてはいるが、セイラが話す環境は整った。

「それでは、始めましょうか。ジュリアン、アーヴァインさんはどのように亡くなってたの?」

 指先でもてあそんでいた万年筆を目の前に置いて指さす。

「後で見たいと言うならお見せしますが、僕があの部屋に入ったとき、アーヴァイン氏は――首を吊って亡くなっていた」

 受け止め切るのにどうも時間がかかるようで、質問は常に遅れて、一気にやってくる。

「自殺なの!?」

「遺書は!」

「そんなはずないわ」

 彼らは口々に、要約すれば『信じられない』と叫んだ。唯一、いや、二人、ガブリエルとクインジーだけは眉をひそめたままだ。

「入ってすぐ右手にある、彼の書斎的スペースの上に、太い柱が通っていますよね。あそこへ紐をかけていました」

「フフフ。嘘よ。あり得ないわ。あのお義父様が自殺ぅ? 自殺させることはあったとしても、自分が自殺するような人じゃないわよ」

 ヘレンの言い方には多々問題があるが、全員同じ気持ちなので諫める者がいない。

「まあ確かに。索条痕も調べていないし、自殺とは断定できないね。僕に今言えるのは、彼は確かに亡くなっていて、死後硬直がかなり進んでいたから最低六時間は経っている。形としては首に紐を巻いて吊られているってところだね」

 実際遺体を見ていないし、目の前の現実として認識できていないのか、皆気分が悪くなったりする様子はないようだ。悲しみもいまいち実感できていないらしい。ジュリアンの台詞に嫌悪感を示しはするものの、それだけだった。

「間違いないわ、殺されたのよ。エドガーを殺した人間が、お義父様も殺したんだわ!」

 ヘレンはそう言って立ち上がった。目をつり上げ、歯をむき出して叫ぶ。

「この屋敷に他の人間はいなかった。つまりね、この中の誰かがエドガーを殺して、お義父様を殺したのよ!」

「ヘレン!」

 強い叱責の声。チャールズもまた、眉を怒らせて立ち上がっていた。だが、彼女は止まらない。ジュリアンの前まで来るとさっと手を出す。

「あの札を頂戴」

 そうきたか、と思いつつ、素直に従う。一応予備に数枚持っていたのでそのうちの一つを取りだし渡した。

「適当に食べ物をもらっていくわ。私とマイケルは警察が来るまで絶対外に出ない。捜査でもなんでも、勝手にするがいいわ!」

 そう言って大股で居間へ続く扉を開けると、無理矢理息子の腕を掴み彼女たちは出て行った。

 チャールズが青い顔をしてセイラを見やる。

「よろしいんですか?」

「止めても無駄でしょう。本当にこもっているのなら、それはそれで良いかと思います。エドガーさんを亡くされて気が立つのもわかりますし」

「申し訳ありません」

 何に謝っているのか微妙な空気が流れつつも、セイラはうなずいて見回す。

「それでは続きを。皆さんにとっては不快な話でしょうが、ヘレンさんの言葉にも一理あります。外部からの侵入者は先ほどチャールズさんに屋敷中を見てまわった限り存在しなかった。居間もどこかになんらかの方法で潜んでいるかもしれませんが、証拠がない限り絶対ではありません。まず、ジュリアンにアーヴァインさんのご遺体を詳しく調べてもらいます」

「父の遺体を!? その必要があるの?」

 ドロシーが怒りを孕んだ疑問を投げかける。だが、セイラの厳しい瞳の前に黙った。

「とても重要だと思いませんか? 殺人ならば、加害者がいる。自殺ならば、それを決意させた何かがある。エドガーさんの死が要因の一つかもしれないし、それとはまた別のものかもしれない」

 セイラはそこでいったん言葉を切り、食堂を見渡す。

「昨日の様子では決してそのような兆候は見られなかった。話し合いをさせるつもりだったんですから。死ぬ気である人間が、翌日のパーティーの予定を組みますか? それと同じです。また、エドガーさんの死にショックを受けてはいたでしょうが、彼の死に繋がるような動揺は見つけられなかったように思います。もちろん、お会いして一日の私の印象ですから、何十年も交流のあった皆さんなら何かもっと違った感想をお持ちになったかもしれませんが」

 応える者はいない。

 先ほど口々に叫んだ言葉がすべてを表していた。

 アーヴァイン・ストーンは自殺をするような人間ではない。

「やっぱり……、エドガーさんはお義父様と間違えて殺されたのかしら」

 ファティマが唇を震わせて言う。

「やめろ」

「でも、あなた……」

「やめないかっ!」

 夫の厳しい叱責に今度は肩を震わせる。

「やめてちょうだい、ファティマ。いくら出来の悪い弟だからって、間違って殺されたなんて腹立たしいわ」

 ヘレンも口を引き結びそう言った。

「不確定な要素がこう多くては、状況の把握も難しい。ですから調べられることを調べたいのです。まずはアーヴァインさんのご遺体。これが一番情報を得られるものだと思われます」

 チャールズはセイラの視線を受け、ようやくうなずいた。

「わかりました。お願いします」

「まずはそれを確認してから、次のお話に移りましょう。お互い無駄なことを考えずにすみます」

 自殺か他殺か、はたまた事故死か。

 まあ、あの死に方で事故死はないだろうが。

「お願いできるかしら?」

 セイラがこちらを向いてにっこり笑う。

「もちろん」

 こちらも笑顔で快諾した。そんな場面ではないとわかっていながらも、条件反射のような物だった。

 

 魔導が効かないようになる前に、セイラの部屋に鞄を広げておいた。魔導が施されている鞄は大変便利だ。見かけ以上のものを詰め込んでおける。だが、そのほとんどが本人を認識し開けるタイプなので、今となってはジュリアンには無用の長物だった。とある国の言葉では猫に小判。また別の国の言葉で、豚に真珠を投げるようなもの、と言う。

 ときたま、こういった事態に出くわすので、鞄の中に鞄を詰める方式を採用していた。今回は旅行鞄が三つ。帰りの車はセイラには悪いが少々手狭になるだろう。

 そのうちの一つから、道具を取り出して彼女とクライドに渡した。マイク一体型のヘッドフォンだ。別の万年筆に取り付けてあるカメラからリアルタイムで映像を彼らの前の小さな画面に映し出すようになっていた。ジュリアンだけでなく、同時にセイラたちにも気づいた点を指摘してもらおうといった趣向だ。

 これは、ジュリアンの身の潔白を証明するための手段でもあった。

 変な疑いを持ってもらってはたまらないというのがお互いの共通の見解だ。

「それじゃあ、行って来るよ」

 一応、今後のためにこの映像は屋敷の中の人間には見せない。彼らから事情聴取という名の談話を終えるまでは。

 しかし行く先々でどうしてこうトラブルが舞い込むのだろうと首を傾げる。呼び込んでいるのはセイラか、それともジュリアンか。職業柄仕方のないこともあるが、この頻度は何かしらの原因があると思わざるを得ない。

 ジュリアンに対しての不信感は当然出た。もし、アーヴァインが殺されていた場合、容易に出入りできたのはジュリアンだと、オリバーが指摘した。その通りだ。しかし、その意見はセイラが退けた。彼の補佐は、ガードラントも許可している。つまり、ガードラントが彼の身元を保証する。それでも足りないと言うのなら、もしなにか不都合があった場合――今回はこれはジュリアンが犯人だった場合となる――、オブライエンが保証すると言ってのけたのだ。

 それにはナンシーが夫の腕を引いて黙らせた。

「正直保証してもらって本当にいいものか悩ましいね」

 ジュリアンがつぶやくと、耳の中に直接セイラの笑い声が響いた。

『色々実績があるからじゃない?』

「そうなのかなあ」

 記録を取っているからはっきりとは言わないが、盗賊王のどこを保証するというのだろう。

「まあ、期待されただけの働きはするけどね」

『ジュリアンはいつも期待した以上のことをしてくれるわ』

 そう言ってもらえるのはありがたいが、こうやって元家長の遺体を目の前にすると、たいした事実は得られないような気がする。

 こうなってしまうと、あの威厳はどこかに消え、六十を越えた一老人でしかない。人は死んでしまえばただの肉の塊だ。肉体には価値も何もない。

 そんなことを考えながら周囲を見回した。遺体を下ろすまえに確認しておけることはしておこう。

 部屋は荒れていない。

 アーヴァインの部屋は、扉を入ってすぐの場所に、少し空間がある。エントランス代わりだろう。右手に書斎。今彼が死んでいる部屋がある。左手に行くと、バスとトイレ。そしてベッドルームとなる。カメラで部屋の写真を撮りつつ、何かおかしなところはないか、注意して見ていった。広い机に椅子。その後ろに天井まである棚。そこには書籍はもちろん、いくつか酒の瓶が並んでいた。机の上にグラスが一つ置いてある。ブランデーが少し、底の方に残っていた。

 昨日は十一時には間違いなく全員が部屋に入った。ジュリアンも、札の枚数が三夜分に少し足りないことを考慮し、クライドの許可を得、セイラの部屋のソファで寝たのだ。もちろん、クライドは自分のベッドを使うように言ってきたが、もともとどこでも眠れるタイプであったし、ソファはストーン家にふさわしい物だったので断った。

 部屋の扉を少し開けておいたので、何か騒ぎがあれば気がついただろう。よっぽど抜き足差し足でない限り、部屋の前を通ったら起きる自信があった。

 階段は東棟の南と北に一つずつ。

 ジュリアンが寝ていた部屋は二階の一番南。東棟にいる、ストーン家の類縁は、自由にアーヴァインの部屋を訪れることができた。だが、朝の七時まで、他の棟へ行く北と南の通路は閉鎖されていたのだ。これはこの屋敷を常から任されているユリシーズと、アーヴァインにしかできない操作だった。つまり、もしも彼が殺されたというならば、ユリシーズが関わっているか、この東棟にいた人間が犯人となる。

「この部屋自体に特におかしな場所は見あたらない。さて、彼を下ろそうかな」

 ジュリアンより身長が低いとはいえ、下ろす作業はかなり骨が折れた。

 踏み台に使ったであろう椅子をずらし、窓辺にあったもう一つの椅子に乗り、ロープを切る。結び目は重要な証拠になることもあるのであえて触れなかった。

 遺体を少し遠ざけて寝かせた。流石に息が荒い。死体に対する嫌悪感はないのだが、見ていて気分が良いものではない。死後硬直はさらに進んでいる。

「ロープは……カーテンの物みたいだ。あちらにはあるが、こっちのカーテンには付いていない」

『ホント。タッセルの片方がないわ』

 濃い青のカーテンに金の太いタッセルが窓の一方にはついているが、もう一方は隅に寄せられているだけだった。ジュリアンの部屋にあったものと変わらないようだ。

「……目に点状出血。喉をかきむしった跡がないな。自殺か――いや、違うな」

 タッセルを動かすと、首に青紫の跡があった。タッセルの縄目と一件符合しているように見えるが、それは首の後ろまで、ぐるりと一周になっている。

「普通はさ、縄目は耳の後ろを通って今回みたくゆるめに巻いてある場合は首の後ろに跡が残るはずがないんだ」

 人の身体は重力に引かれ、だからこそ首吊りは成立する。

 ゆるめに巻いてあれば、少し暴れた場合の縄のこすれが首の前側から横にかけて残る。

「さらに、だ。ほら見て。アーヴァインさんの襟が縄に挟まってる」

『そうね……自らロープに頭を入れたのならば、こんな風にならないわ。つまり、誰かが彼が自殺したように見せかけた』

「ああ。喉をかきむしった、抵抗した跡がないから、先に何かしらの方法で気絶させられていたのかもしれない。例えば、後頭部を殴るとかね。今見ただけではわからないけど」

『気絶していただけで死んではなかったから、窒息の兆候があったのね』

 ここまではある意味予定通り。

 屋敷の誰もが、アーヴァイン・ストーンの自殺を信じてはいないのだから。

「ねえジュリアン。部屋の他の部分も映してきてくれないかしら」

「おやすいご用だ」

 ベッドメイキングされたまま、皺一つ見られず、アーヴァインは夜床に就く前だったことがわかる。風呂も、前日使った様子が見られない。換気扇は回されていなかったから、乾いてしまったということもないだろう。寝室の窓は中庭を見下ろせる。反対に書斎の窓は湖と四阿を眺めることができた。

『つまり、アーヴァインさんは昨日私たちと別れ、部屋にこもったあと、あまり時間が経たないうちに殺されたということね?』

「死体観察だけだから、詳しい時間は出せないしね。それでも夜中の零時をまわらないうちだとは思うんだが……」

 耳の奥で、微かに話し声が聞こえた。言い合いするような声に、立ち上がり、足早に部屋を出る。

 階段を下りると、廊下のずっと向こう、セイラたちの部屋の前に小さな子どもの姿が見える。こちらに気づくと字のごとく飛び上がるように一階へ下りていった。クライドがこちらを見て軽くうなずく。セイラが頭を出し、手を振った。

「どうした?」

「さあ。何か話そうとしていて、貴方の顔を見たら飛び上がって走って行っちゃったわ」

「あれは、ケヴィンだよね? そう言えばいつもなんだか僕を見てたなあ」

「そうね。私も気づいていたわ」

 とにかく一度部屋に入ると、手を洗ってソファに座る。クライドが紅茶を頼んでくれていた。つまり、セバスチャンの口からジュリアンの検屍が終わったことが漏れるのだろう。

「私ね、もしかしたら一発で犯人を名指し出来るかもしれないわ」

 セイラが得意そうに言う。

 だが、年の功だ。それくらいはこちらだって把握している。クライドも気づいているのだろう。なんとなく優しい笑みを見せたような気がした。

「残念だけど、それだけじゃダメだよセイラ。それは、単に部屋にいた証拠にしかならない。一番疑わしくはあるけど、とぼけられたら終わりだろう?」

 ジュリアンの指摘に、彼女は口元に手を当て眉をひそめる。色々シミュレートした結果、確かにその通りだと認めた。

「せっかくいい案だと思ったのに」

「ただまあ、僕らが追いかける相手を限定できるかもしれないけどね。証拠は後から探すかい?」

「……いいえ。ギリギリまでそれはやめておきましょう。ただ、タイムリミットがあるから、そのときは」

「そうだね。さて、次は何を調べようか」

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