第三章 雪とともにやってきたもの 2

 翌朝、七時をまわると待ちかねていたかのように、食堂脇の居間へ皆が集まってきた。ヘレンは腫れ上がったまぶたに、メイドが準備した冷たいタオルをあてている。マイケルもまた赤い眼をしていたが、もう泣いてはいないようだった。彼が父の死を理解できたのかは、ジュリアンにもわからない。ただ、小さな子どもが泣く姿はやはり見ていて気持ちの良いものではないなと、内心ため息をつく。

 他の面々は、突然のエドガーの死をまだ現実のものと思っていないというよりは、己の身の心配の方が上回り、処理しきれていないようだ。

 誰が次男を殺したのか?

 迷い込んだ凶悪犯か、それとも――。

 疑問が堂々巡りで、昨夜は過去最悪の夜となったことだろう。

 朝早くから支度をすることができなかったと、メイドたちがくるくると働き続ける中、セバスチャンの入れた珈琲や紅茶でひととき心を落ち着けていた。

 そのぬくもりに不安が和らぐ。

 最初に気づいたのは、誰だったか。

 いや、誰もが気づいていたが、言い出そうとはしなかった。

 口にすれば、何かが始まってしまう。あまり良くない予感を胸に抱きつつ、大きな振り子の時計が時を刻むのをじっと待っていた。

 そして、時計が八回。無情にも彼らの心臓に鐘を打ち付けたところで、チャーリーが席を立った。

「父さんを見てくる」

「私も行くわ」

 ドロシーも立ち上がると、我も我もと皆が起立する。座ったままなのは、ヘレンと、そしてセイラたち客人のみだった。

 だが、みんなで押しかけても仕方がないと、結局チャールズとドロシー、そしてセバスチャンの三人が西棟から東棟のアーヴァインの自室へ向かった。他の人間は使用人も含めてこの居間で待つことになった。

 だが、当然の結果と言えよう。

 彼らはすぐに引き返してくることとなる。そして、ジュリアンに尋ねるのだ。

「レノックスさん。あの札を無効にする、何かは、ないのでしょうか?」

 ジュリアンを、大いに不審がっていたあのご老人も、彼の持ち込んだ札はきちんと使ったようだ。さすがL&D製とでも言おうか。

 実は、外からも別の呪文を唱えれば無効にできるのだが、それもまた札を使った人間でしか無理だった。昨日の夜は、間違えて出てしまったと起こされてはたまらないと思い、また、夜中にうろうろするなとの意味も込めてああいったのだが、当の本人が部屋の中にいるとなればどちらにしろ使えない。この話はセイラたちには教えてあるが、他の人間は知らない。

 彼の思わしくない表情に、三人は顔を見合わせた。

「お義父さんはいなかったのか?」

 ドロシーの夫、ガブリエルが妻に聞くと、彼女は首を振る。そして、皆に聞こえるよう、重苦しく答えた。

「何度も呼びかけてみたけど、ちっとも反応がないの。こちらへ帰って来てから内線で呼び出してもみたんだけど」

 受話器を取る者はいなかったということだ。

 各部屋には使用人に用を言いつけるための内線電話が設置してある。ああいったものは寝起きの悪い泊まり客を起こすために、かなり頭に響く音がする。

 部屋へ入ろうにも札の護りは完璧だった。中にいるのならば、中から出て来てもらわなくては困る。

「どうにかならないの? ジュリアン」

 セイラが不安を隠そうとせずに尋ねてきた。彼女のその気持ちはよくわかる。何を不安がり、何に憤っているのかも、ジュリアンには痛いほどよくわかった。そして、それに耐えねばならぬ理由も。

「うーん」

 悩むのにはそれなりの理由がある。

 だが彼女の心労を考えれば、それらの理由は取るに足らない。ただ、渋って見せて、こちらに負担があることを見せねばならない。

 その相手が例えセイラだとしても。

 すぐさま否定しなかったので、セイラは奥の手を感じ取った。だからジュリアンの次の言葉を黙って待った。

 だがストーン家の人間はその彼の態度を出し惜しみと感じたようで食ってかかる。

「何か方法があるのなら教えてくれ。部屋で父が、――倒れているかもしれないだろう!」

 死んでいるかもしれないと言わなかっただけましかと、ストーン家の長男を見やる。

 目尻がひくひくと動き、かなり精神的に追い詰められているのがわかった。

 だが、そこで引くほどジュリアンもお人好しではない。

 立ち上がると、彼とジュリアンの身長はほぼ同じくらいだった。じっと彼の目を見る。その視線に、チャールズは内心の動揺を隠そうと必死であらがっているが、瞳の奥が揺れる。

 弱いな、と思いつつ、確かにこれでは次期社長を任せるのは悩むはずだと老人に同情する。

「出し惜しみするにはね、それなりの理由があるんですよ。チャールズさん。まず一つ目は至ってシンプル。すごく、高価なものなんです。きっと、あなたの一年の給料でも払えないほどにね」

 それは情に訴えるよりも明確な答えだった。

 長男はぐっと言葉を飲み込む。

「お金の問題じゃないでしょう!? 父の安否がかかっているのよ」

 ドロシーが勢いを削がれたチャールズに変わり、ジュリアンと彼の間に割って入る。

 だが、その金は自分がどうにかするとも言わないのだなと心の底で笑いつつうなずいた。

 そして、セイラへ、クライドへ向き直る。

「しばらく僕は使い物にならなくなるかもしれない」

「というと?」

 セイラが眉をひそめた。

 先ほどの心配とはまた別の、ジュリアンにとってちょっと嬉しい彼女の表情。

 でも違うんだと、少し困った顔を作った。

「もし君に何かあったとき、咄嗟に君を守ることができないかもしれないんだ。特に、魔導に関して」

「魔導に関して……」

 ジュリアンの言葉を繰り返す彼女に、再びうなずく。

 ストーン家の人間がどうなろうと構わないのだが、セイラが傷つくことは避けたい。それは、嫌だった。

 せっかく運転手としてと無理矢理ついてきたのに、肝心のときに役に立てないのは後悔してもしきれない。

 だが、方法があるのにそれを隠していて、彼女に失望されるのはもっと嫌だった。セイラがジュリアンのからくりに気づけば、今回黙っていたことも知られてしまう。

 だから本当は、ここでセイラが許可を出さないのが理想だった。

 そうなるわけがないと、わかりきっていても願わずにはいられなかった。

「仕方ないわ。私も十分気をつけます。だから――」

 彼らの助けとなって、と。

 それを断ることもせず、結局彼女に従うのだ。

 情けない。

 だが、彼女に振り回される自分もまた、好きなのだ。

 

 ジュリアンが準備を始めたところで、セイラは厳かに宣言した。

「まず、屋敷の他の場所にアーヴァインさんがいないことを確認しましょう」

 これにはチャールズがすぐさま従い、二組の班を作ると東と西に散った。

 窓には昨日の夜中から降り続いている雪がこんもりと積もっている。エドガーの遺体が気になりはしたものの、四阿は雪も吹き込まないようになっているらしい。便利な物だ。そして、あの空間にそれだけアーヴァインが当初からこだわりをもっていたのだということがわかる。――いや、ブレンダ・ストーンがか。あの四阿といい、中庭の温室といい、亡きアーヴァインの妻の影がこの屋敷にはちらついている。

 玄関を入ったホールの壁には、大きな美しい女性の絵が掛けられていた。それも、後で聞いてみればブレンダだという。

 よっぽど愛していたのか。

 ならば何故。

 ちらりと、部屋の隅に立ちつくす少女に目をやった。今年で六歳だという。あの青い瞳はストーン家の、アーヴァインの色だ。昨夜同席させると言ったときの周囲の反応をみるに、メイドとの間に作った子どもなのだろう。少女は六つ。ブレンダ・ストーンが亡くなったのは四年前。妻を失った悲しみからという言い訳は通用しない。

 クライドに聞けば、まだ早いと言って話を打ち切られる。

 ならばジュリアンに聞いてみるか? それを考えはした。だが、次の瞬間セイラの頭の中に、はしたないという言葉が浮かぶのだ。

 はしたないのか。

 そこでセイラの思考が止まる。

 クライドだと聞くことは出来ても答えは得られない。ジュリアンでは聞くことすらためらってしまう。その差はいったいなんだろう。

 堂々巡りの予感がして、いったんその考えは止めて置くことにした。今考えるべきはストーン家次男、エドガーを殺した犯人。

 セイラは、それがこの館内にいることを確信していた。

 ひそひそと、囁くようにさえずる居間へ残った女たちを眺める。

 夫が出ていった扉を、何度も振り返るナンシー。何に怯えているのか、始終肩をすぼませ震えているファティマ。不機嫌を隠そうとせず、唇を噛んでいるドロシー。夫の死に目を赤く腫らしたヘレン。ソファに座りながらも等間隔で互いとの距離を取っている。子どもはその周りで、普段と違う空気を感じ押し黙っていた。

 執事のセバスチャンと下男のユリシーズはチャールズ、オリバー、クインジーとともに館内の捜索に当たっている。

 メイド頭のヴィクトリアは、ワンダとヨランダの二人を使って朝食の支度を進めていた。そうなると、ぽつんと居間に存在するのがジラだった。

 こちらの視線に気づいたのだろう。目が合う。すると彼女はおずおずと会釈をした。セイラはそれに微笑で応える。

 子どもたちとは昨晩ある程度話をしたが、あの少女とはまだ一言も口を聞いていないなと思い出す。クライドも、ジュリアンもそうだろう。

 一度メイドたちとも話をしたい。

 その口実をあれこれと考えていたところへ、扉が開いた。

 全員の視線がさっとそちらへ集まる。

 先陣を切っていたチャールズが、セイラを見て首を振る。

「二手に分かれて探しましたが、我々の他には誰もおりません」

 事前に個人の部屋へ入る許可も得ていたのだから、それは確かなものなのだろう。

 セイラも厳しい表情で彼に応え、うなずいた。

 そこへまたタイミングの良いことにジュリアンが現れる。

「僕は準備できたよ」

 ならば、始めるまでだ。

「アーヴァインさんのお部屋に案内していただけますか?」

 今度は全員が一緒になって移動をした。

 アーヴァインの部屋は東棟の二階、突き当たりにあった。部屋の前まで来ると、確かに不思議な感覚に陥る。扉は見えているのに、それ以上近寄ることを身体が拒否する。

「さて、と。僕はこの後一切魔導の干渉を受けなくなります。つまり、東棟から西棟に行くのに魔導を使っているあの通路は使えなくなるわけです。そうすると、他の棟へ行くには中庭を突っ切るのが一番早いんですかね?」

「普段は閉めてありますが、ドアの鍵を後で開けておきます。ただ、どなたかと示し合わせて一応部屋の中から開けるようにしていただいた方がよろしいかと思います。なにぶんこの吹雪ですので、間違いがあって閉め出されたとなると非常に拙いと思われますので」

「了解しました。それじゃあ少し煙が出ますが、害はないですし、すぐに消えますから心配しないでください」

 そう言って、胸ポケットから一枚の札を取り出すと、小さくつぶやいた。その瞬間彼の周りを青い煙が取り巻く。

 だが、言った通りすぐにそれは霧散した。普段と何一つ変わらぬように見えるジュリアンの姿が現れる。本当に、どこに変化が起こったのかまったくわからなかった。

 彼は上着を脱ぐとそれをクライドに預けた。

「じゃあ行ってきますね」

 一歩を踏み出そうとしたところを慌ててセイラは呼び止めた。

「待ってジュリアン! 確か小さな映像保存機を持っていたわよね?」

 悪い予感がする。誰もが薄々感じている悪い予感から、セイラはできるだけジュリアンを遠ざけたかった。もし、それが当たっているとしたら、彼が唯一部屋に入ることの出来た人間となりかねない。

 少しでも、彼に不利となる条件を排除しておきたかった。これ以上余計な軋轢を生みたくはない。まさか、アーヴァイン・ストーンと、あのように友好的でない知り合いだとは思ってもみなかったのだ。

「一応撮っておいて。絶対に途中で映像を途切れさせないこと」

 セイラの厳しい口調に、言われた当人よりも周囲の人間が息を飲んだ。ジュリアンは肩をすくめてジャケットの万年筆を受け取る。その先に小さな、それでも高性能のカメラがついている。シャツの胸ポケットに入れて、ボタンを押すと撮影が始まったのだろう。彼は扉を開けて、中へ入っていった。

 こういったアイテムが、彼の影の職業を思い出させた。

 魔導を無効にする魔導。それが盗賊王の秘密の一つなのだろう。そんな製品は聞いたことがない。つまり、L&Dはその点で盗賊王に荷担しているのだ。だが、セイラはそれを報告するつもりはなかった。その必要があるとも思えない。

 彼が渋ったのは、確かにセイラの助けとなれない点もあったかもしれないが、この秘密の魔導の存在を少なくともここにいる人間に知られることにもあっただろう。

 盗賊王は謎の存在。だが、ガードラントはそれが誰であるかを知っていたのだ。

 大人の事情というやつだろうか?

 ジュリアンは、入って行ったときの慎重さとは反対に、早足で、しかし、浮かない顔ですぐにセイラたちの前に姿を見せた。

「残念だけれど」

 まず最初に彼はそう言った。

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