第五章 遺言書 1

 すべてを投げ出したい衝動にかられつつも、まだ自分は希望にすがっている。彼らの手が自分にのびやしないか。ガードラントの、中央の者。彼らの注意を引きはしないか。

 自分は助かりたいのだろうか。

 そう何度も問いかけた。

 私は、私の愛する者を護りたいだけだ。

 何が一番良いのか。

 すでに起こってしまったことは仕方ない。私が手を下した者たちにしてみれば、起こってしまったでは済まされないのだろうが、今はその点を議論し合う余裕はなかった。

 何が一番良いのか。

 それを、ずっと考えている。

 

 

 二人がぐったりとソファに身を預けているところへ、軽食を携えたクライドが帰ってきた。セイラは喜んでそれに飛びつく。

「お疲れのようですね」

 尋ねる彼に肩を落としてうなずく。

「もう喋る喋る。すごいわね。あれは一種の技術よ」

「確かに」

 ジュリアンもよく話す方だと思っていたのだが、自分の認識が間違っていたとつくづく感じ入った。

「でもおかげでいろんなこといっぱい知ったわ。ストーン家のゴシップなら売れるほど手に入れちゃった」

 紅茶に角砂糖を二つ入れ、スプーンを回す。

 代謝がよすぎるセイラの身体は、準備される食事の量では足りなかった。外見で判断されるのはいつものことで、鞄に色々とお菓子を詰めて来ている。それと一緒にハムやチーズ、生野菜を挟んだパンをほおばる。

「やはり東棟二階のどなたかが?」

「それしかないと思うわ。私たちが昨日利用した、食堂からこちらの東棟一階廊下へ渡ってくる手もあるけれど、それには絶対ジュリアンが気付くと請け負うし」

「ドアの開け閉めはかなり音がするからね。昨日は部屋の扉を開けて寝たから、あれだけの音がすれば目が覚める」

 そこは彼のことを信じるとする。そうなると、二階に部屋があるストーン家の人間の誰かということになった。

「クライドは? 食べないの?」

 立ったまま座ろうとしない彼に三分の一残った物を示す。

「執事の方たちと一緒にお先にいただきました。どうぞ、お嬢様」

 彼の顔をじっと見つめる。本当かしらと思いつつも、お腹はもっとと求めていた。どうせいらないと言っても食べないのだからありがたくいただくことにする。

「ジュリアンは?」

「ん、いいよ。さっきクッキーもらったし。僕はあんまり食べ過ぎたら腹回りについちゃうからね。身体は軽めにしておかないといけない」

「……じゃあいただきまーす」

 ヴィクトリアの作る物は美味しい。料理に目覚めてしまったというのは本当なのだろう。たかが軽食にも色々と手間をかけていた。

 最後の最後まで堪能すると、紅茶を飲み干してよしと手を叩いた。

「一度まとめてみましょう。――エドガーの事件もね」

 一瞬ジュリアンの表情が引き締まる。

「そうだね。それじゃあ順を追って」

 そうやって始める。

 昨夜午後八時前。夕食が終わって大人は自室へ引き上げた。子どもたちは居間に残り、セイラたち三人と一緒にいた。

「途中でマイケルが出ていったね」

「あんな小さな子が、アーヴァインをつるし上げられるとは思わないわ」

「ああ。けど、何か契機になったかもしれないから万全を期そう」

 マイケルが居間を出たのは八時半頃。本人はその後部屋に戻ったと言っていた。それは母親であるヘレンも認めている。そのときにはもうエドガーは部屋にいなかったそうだ。

「エドガーが部屋を出たのはマイケルが戻る十分ほど前だったとヘレンは言っている。彼女の言葉が正しいとすれば、八時二十分。その時点で彼は生きていた」

 その後誰もエドガーの姿は見かけていない。

 温室へ向かったのが九時少し前。そこでクインジーに出会った。温室から出たのが九時十分過ぎ。途中ヘレンに会い、そしてエドガーを発見するに至った。

「子どもたちは外していいわよね。マイケル以外。アーヴァインさんの殺害も無理だと思う。女性でも難しいもの。死んだ人をつるし上げるのは」

「だが、魔導があればどうにでもなる」

「でも、普通お屋敷内では魔導は使えないように防犯上なっているものだわ。それは執事のセバスチャンも証言してた。よっぽど魔導に通じていればすぐわかると思う」

 セイラ自身は使えなくとも、魔導には敏感だ。屋敷に掛けられている魔導を覆すほどの人間ならすぐにわかる。

「あ、けど、子どもたちの中で素質があるのはケヴィンとマイケルだけって言ってたわよね? アイザック、ジェイク、ローラは外していいと思う」

 セイラの指摘にジュリアンは素直に同意する。

「問題は大人だね。雪に跡が一つもなかった。魔導を使わないとあそこで殺して、凶器を持ち去るなんてことはできない」

「うん。どういった魔導を使ったかも、よくわからないわ。こんなとき自分が魔導を使えないのが悔やまれるわね」

 ジュリアンとクライド、どちらも本人はからっきしだと言う。札を使ったり道具を使用するのはできても受動能動魔導は使えない。人を天井から吊すよう命ずる札などそうそうない。

「エドガーの方は消えた凶器とどうやって四阿へ行ったかが問題かな」

「ええ。次はアーヴァインさんね。朝八時半頃遺体を発見した。その時点で死後硬直などの状況を見て、午前二時半以前に亡くなった。最後に姿を見たのは前日の夜十時。つまり死亡推定時刻は十時から午前二時半の四時間半の間ね。ベッドが乱れていなかったから眠る前だった」

「こちらはお手上げだなあ。手がかりらしい手がかりもまったくない」

「唯一確かめられる可能性があるのは、部屋に入ったかどうかね。つまり、外から結界を解ける呪文をアーヴァインの部屋の前で言ってもらう」

「もし結界を施したのが誰かであるのなら、それでわかるわけだ。けど、ぎりぎりまで待とう。午後十時がタイムリミットだ」

「今は一時ね。あと九時間かあ」

 時計を見てセイラは首を傾げた。アーヴァインはなんとなくわかるのだが、なぜエドガーは殺されたのだろう。

「ファティマさんが言ってた通りアーヴァインさんの代わりに殺されたのかしら?」

「四阿にいたから? なら後ろからだよね。でも外に足跡はない」

 そうねえと言ったきり、二人は考え込んでしまった。

 エドガー殺害には謎が多い。

 アリバイは大人はほぼない。夫婦が共謀してならば、上手く切り抜けられるだろう。札も使ったと言ってしまえば閉め出されることを恐れて、出て確かめることもできない。夜中抜け出して、こっそり戻ることも簡単だ。

「あの傷、後頭部の」

「エドガーさん?」

「ああ。あれはこう、よく打ち所が悪かったとか、当たり所が悪かったってときの位置に似ているんだよね」

「事故だと?」

「後頭部の、それも下の方なんだ。あの場所を殴るのは、かなり状況が限定されてくる」

「突き飛ばされて後ろの置物なんかにぶつける位置ね」

「うん。殴るとしたら、しゃがんで、首の後ろをかなり無防備にさらしているところへの一撃だろうね」

「でもあの四阿にはそんな場所はない」

 ソファの縁には血痕はみられなかった。命を奪うほどの衝撃なら、何かしら痕跡があるはずだ。

「動機は何かしら?」

「ファティマさん案を取り入れれば、アーヴァインと間違えてエドガーを殺した犯人が目的を遂げたというところかな」

「目的は地位? 遺産はどうなるのかしら?」

「遺言がなけりゃ、配偶者を亡くしている今、子どもたちに等分だろうね。ジラの件がどうなるかものすごく微妙だが」

 昨日の夕食での発言をみれば、このままでは社長職を得られないと、チャールズが犯行に及んだようにも思える。ガブリエルは実子ではない。遺産を得るのはドロシーだ。社長の覚えがよいとはいえ、慣習に逆らうのをよしとしない者は多く、長男のチャールズが継ぐのが一番穏便だと思う経営陣が多いのだと、どこから情報を得たのかワンダが話していた。

 ファティマの説は、自ら夫の犯行を暗示することとなっていた。

「クインジーさんやガブリエルさんのことは本当に気に入っていたみたいだものね」

「ああ。だから、正直彼らにとってアーヴァインを殺すことはマイナスでしかないだろうな」

「けど、今日あるはずだった話し合いによっては何が起こるかわからない。それならばとは……ならないわね。どちらにしろ会社の権利を巡っては、正直彼らにとって今アーヴァインをなくすことは不利だもの」

 だいたい、犯行動機から考えることは不確かなことを突き詰めていかねばならず、セイラはあまり好きではない。

 動機を考えずにこの事件を見るとどうなるか。

「動機を考えずに、か。そうだな。今、人が二人亡くなった。どちらも第三者の手が加わっていることはわかっている。何かしら細工がなされていることがね。一つ目は、犯人が別な場合」

「共犯でもなく、ってことね」

「うん。エドガーが殺された。これは、エドガーを殺した犯人に罪をなすりつけて、かねがね消えてくれればと思っていたアーヴァインを亡き者にするチャンスだと」

「わお! 姿の見えない犯人のせいにするのね!」

「そう。この場合、一日目に完全なアリバイがあるとなおよいね。まあ、なくてもほとんどの人にないようなものだから、平気だろうと犯行におよぶ。夜、アーヴァインが部屋に入ったところを見計らって、話をしたい、部屋を訪れてよいだろうか? 結界はまだ発動させないで欲しい。なんて言ってさ」

「『エドガーを殺した犯人が分かったような気がする。まずは家長であるアーヴァインに話をしたい』とかなんとか言ってもいいわよね」

「うんうん。便乗殺人ってやつだね」

「それで、二つ目は?」

「連続殺人の場合。つまり同一犯人による犯行。この場合は三つの可能性があると思うんだ。一つは、さっきも話していた、アーヴァインを殺そうとして間違ってエドガーを殺してしまった。で、慌てて本来のアーヴァインを殺した。二つめは計画的な物。エドガーを殺した。そして計画通り次のアーヴァインを殺した」

「エドガーさんも予定通りなのね」

「そう。この際順番は関係ないかもしれないけどね。二人を殺すことが目的だったんだ。人が一人殺されたとなると誰もが警戒するだろうから、この順番は得策じゃないとは思うけど、チャンスってのはなかなか巡ってこないしね。犯人にとってあの時間がエドガーを殺すにはうってつけだった。これだと四阿の周りに足跡がないとかに関係してきそうだよね。で、最後の一つは、エドガー殺害が起こってしまったから、アーヴァインが殺された」

「……それは?」

 セイラが尋ねたとき、部屋をノックする音が響く。

「どうぞ!」

 セイラが応え、クライドがさっと動きドアを開けた。そこにはチャールズがいる。この二日で憔悴しきっているように見えた。それでも身なりには気を使っており、ネクタイまできっちりと締めている。

「オブライエン様、お電話が入っております」

「警察かしら?」

「いえ、それが、父の専属弁護士なんです」

「アーヴァインさんの?」

 ジュリアンと顔を見合わせ、促されるがままに席を立った。

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