第五章 遺言書 2

 セイラへの電話の用件は先ほど話題にも出た遺言書のことだった。もしなんらかの事故でアーヴァインが亡くなった場合、速やかに遺言書の内容を相続人に提示しなければならないとしていたらしい。七十二時間以内にそれがなされない場合は、そのほとんどを寄付へ回すという念の入れようだ。また、アーヴァインの死後、遺言書の公開までに相続人に不審な死傷が合った場合も寄付となる。人死にが二人も続いている今、三人目が出る可能性を恐れているのがわかる。

 しかし、この閉鎖された空間で今それを行えば、相続人が外から――つまり、ストーン・カンパニーを潰そうとする輩から――妨害として危害を加えられる心配はないが、公開後に、その遺言を巡って何か起こりそうな気もした。

 だが、セイラは弁護士の申し出を断ることはしなかった。

「これ以上ややこしい事態にならないうちに、遺言書の公開をしてしまいたいそうよ。弁護士のトーマスさん本人がいらっしゃるのが一番良かったのだけれど、雪に阻まれているので代理人を立てたいそうなの。異議はないかしら?」

 セイラの招集に、全員が食堂へ集った。閉じこもっていたヘレンも、内線で事の次第を告げられると、否とは言わなかった。目を赤く腫らしたマイケルとともに現れ、周囲へ険のこもったまなざしをまき散らしている。

 異論の声はあがらなかった。

「それじゃあ、よろしくね」

 セイラが自分の斜め後ろに向かってそう言うと彼女は彼女の席へ座った。驚いたのはストーン家の者たちだ。

「オブライエン様が、代理人ではいらっしゃらないのですか?」

 オリバーがおずおずといった様子で尋ねると、彼女は屈託のない笑顔でうなずく。

「ええ。私は公証人の代理。さすがに弁護士の代理人を出来る資格を持っていないのよ。その代わりクライドは弁護士の資格をきっちり取っているし、私が保証するわ」

 全員の瞳がクライドへ集まる。

 彼は相変わらずの落ち着いた仕草で軽く一礼した。

「お嬢様にお仕えするにあたって、どのような事態にも対応できるよう、出来うる限りの事柄を学びましたので」

 そう言って、代理人二人を認めるとのサインをもらうため順に回って行く。アーヴァインの孫に当たる子どもたちは拇印ですませた。

「それにしても、遺言書がすでにあったとはな」

 チャールズの言葉に、ドロシーが笑う。

「お父さまをなんだと思ってらっしゃるのかしら? 魔導市場に多大な影響をもたらすストーン・カンパニーの筆頭株主よ? 自分に事故があったときのためにこれくらい当然でしょう?」

 彼は妹のそれに、不快な顔をして手を振る。

「わかってるよ。わざわざ嫌みたらしくそこまで説明していただかなくてもな。いつもそうなのか? それじゃあ人に好かれる人物にはなれんぞ。歳を取るにしたがって、内面が顔に表れるというしなあ」

「なんですって!?」

 喧嘩が長引きそうになったところを、ジュリアンがパン、と両手を合わせて止めた。二人はバツが悪そうに目をそらし、署名を終えたクライドへ瞳を向ける。彼は立ったまま、セイラの目の前に置いてあった封筒をつまんだ。

 空白の家長の席の後方には執事やメイドが控えていた。他は全員定位置で、今までその存在を気に書けることはほとんどなかったクライドの動向をじっと見守っている。

 弁護士から依頼されてすぐに、アーヴァインの部屋にある金庫を開いてその中から遺言書を持ち出した。弁護士の手元にあるものとリンクしており、三年前に作ったままだと言う。もちろん魔導管理がなされており、不用意に開くことも、読むこともできない。手順に沿って開封しなければ無効となる。

 これは、魔導を使って管理されている、間違いのない遺言書だった。

「それでは開封致します」

 クライドが言うと、封筒から封書を取り出す。両手に収まってしまいそうな小さなものだった。クリーム色をしたごくごく普通の紙で出来ているように見えるが、彼が触れた部分が青白く光っている。

 決められた言葉を順に小さく呟いていくと、その光が封書全体へ広がった。蝋で閉じられていたものが、自然と開く。中からゆったりとした動作で紙を引き抜くと、広げ、ざっと目を通している。三枚に渡って書かれた文書を読み終えると、彼は困ったように一度首を傾げた。

「財産の分配は概ね法律通りです。彼の実子に均等に配分されます」

「けれど、エドガーは……」

 声を上げるヘレンにクライドはうなずいて見せる。

「大丈夫ですよ。アーヴァインさんの死より先に相続者が亡くなった場合、その配偶者や子どもへの配慮は十分なされています。ご安心ください。ただ、不動産や会社の利権等がありますので、その詳しい分け方はトーマスさんから追って説明があるようです。なので今回は、その部分は省略し、この遺産を受け取る資格と、条件についてお話します」

 息を飲む音が伝わってきそうなほど、空気がしびれるように緊張する。

「ストーン・カンパニーの次期取締役社長は、チャールズ・ストーンとする」

 クライドが厳かに告げると、誰もが息を詰まらせた。チャールズは喜びの声を無様にあげることを抑え、他の者は様々な思いを抱いてうなり声を飲み込む。

「エドガー・ストーン、ガブリエル・ストーン、オリバー・カーロフ、クインジー・カーロフについては昇格は認めるが無闇な降格はしないようにとあります。あくまで助言として書かれているものです」

「もちろんだ。とんでもない損害を出すようなことをしない限り、優秀な人材として是非ストーン・カンパニーに貢献していただきたいと思っているよ」

 勝者の余裕だろうか、鷹揚にチャールズが言うと、ガブリエルたちは複雑な表情をし、ドロシーは兄を睨み付けた。

 遺言書にまでそう書かれたことに恥じ入る気はないようだ。

 そんな彼をちらりと見やり、クライドは小さくため息をついて続いての文章を読み進めるために息を吸った。そんな珍しい態度に、セイラは眉をひそめる。クライドの視線がセイラのそれと絡みつく。

 面倒ごとが書いてある。

 彼の瞳がそう物語っていた。

 セイラはすぐさま全員の位置を把握し、クライドの言葉をさかのぼり、標的になりそうな人物を見つける。

 だが、それよりも早く、座っていたはずのジュリアンが立ち上がり、そっとその傍に忍び寄っていた。その動作にまったく気づいていなかった。まるで普段のクライドのように。彼の動きにまったく注意を向けてはいなかった。

 あれが、盗賊王か。

 心の中で呟く。

「ただし――」

 互いを睨み合っていた兄弟が、再びクライドへ視線を戻す。

「相続人の一人である、ジラ・ストーンが成人するまでである。チャールズ・ストーンはジラ・ストーンが成人しだい、彼女、または彼女の夫となる人物へ取締役社長の地位を譲ることとする」

 次の瞬間の騒然とした様は、なかなか見られない光景だった。いつもは仲違いして罵りあっている兄妹が、一丸となってジラへ詰めより、ジュリアンが止めなければ六歳の子どもへつかみかかっていただろう。もちろんオリバーやナンシーも同じように顔色を変えて立ち上がっていた。

 奇妙だったのは、ヨランダが我が子を守るでもなく立ちつくしたままその様子を眺めていたことだ。

 言いたいことは言い尽くしただろうというところで、セイラは大きな音が鳴るように手の平でテーブルを叩いた。手袋に包まれた左手がじんとしびれる。

「席に着いていただけるかしら?」

 自分の笑顔が不気味に取られることは百も承知で満面の笑みを浮かべた。

 彼らは興奮冷めやらぬようであったが、辛うじて残っていた理性で身なりを繕うと元の位置に戻った。ジュリアンも座る。

「クライドは言ってないけれど、まさか、実子の相続者がチャールズさんとドロシーさんの二人だなんて思っていたわけではないでしょう? 昨晩のアーヴァインさんの言葉を忘れたの?」

 ――その席にはヨランダとジラも同席させる。

「まさか、まさかメイドにまで相続権があるとでもいうのかっ!?」

「いえ、養子縁組をしているのはジラ・ストーンのみです。ヨランダさんとは何も取り交わしてはいらっしゃいませんよ。つまり、現在生きてらっしゃる人の中で相続権があるのはチャールズ・ストーン、ドロシー・ストーン。そしてジラ・ストーンの三人と言うことです。そして、十四年後、彼女が成人とみとめられる年になったあかつきには、ストーン・カンパニーの社長の座は彼女、または彼女の夫に譲られる。それがチャールズさん、あなたが役職を手に入れられるための条件です」

 先ほどまでとは一変し、顔を赤く染めて怒りを抑えているチャールズに、ドロシーは複雑な表情を向けていた。兄が調子に乗っている姿を見るのは苛立たしいが、まさかジラに横から持っていかれるとは思ってもみなかったというところか。

「また、ジラさんには、アーヴァインさんのお孫さんの中から相手を選ぶように薦めるという記述もあります」

 近親者同士の結婚は推奨はされていないが法律で禁止されてはいない。生物学上から言えば、問題が起こりやすいと言われているが、〈混沌と浄化の節〉で人が減りすぎたとき、そうは言っていられない状態で、結局今もその風潮があった。二親等での婚姻は禁止されているが、甥や叔母との結婚は許されていた。

 その瞬間、ドロシーとヘレンの瞳が光る。つまり、己の息子とジラを結婚させれば、自分は社長という座に就くことはできずとも、その権力を我がものとする可能性は開けるのだ。

「なお、ジラさんが原因不明の病や、事故で亡くなった場合は再び会社の権利等はすべて金銭に換えられ」

「寄付とされるわけか」

 どす黒い炎のような怒りを含んだチャールズの言葉に、クライドは平然とうなずいた。

「遺言が提示された現時点から効力を発揮します。一度麓へ降りられることですね。株やや不動産について細かく指示がなされています。ちなみに、この屋敷はジラさんの物です」

「お母様の屋敷がこの娘に譲られるの!?」

 心底、クライドが相手で良かったと思う。ジュリアンでは面白く煽ってしまう可能性がある。窮地に陥っても常に余裕しゃくしゃくとした態度は心強いが、時と場合による。ドロシーの憤りに対しても、クライドは呆れるほど淡々と彼女の言葉を肯定するだけに留める。怒りはぶつける相手がいなければむなしいものだ。すぐに場がしらけた。

 その隙を逃さずに話を進める。

「公証人代理として、今回の遺言公開が正当なものであったことをここに証言するわ」

 右手を挙げ、クライドの持つ遺言書にそっと触れると、それがぼんやりと光を放った。

 正式な遺言と認められた今、それに従わねばならない。彼らは互いに顔を見合わせ、最後に部屋の隅に立つ親子へとそれが流れる。

 つい今まで仕えられる者と仕える者であった彼らが立場を同じくした。いや、主人であった彼らが、今はこの屋敷に迎え入れられる客に成り代わった。

 アーヴァインの死によって引き起こされたこの複雑な状況に、彼らの精神が脅かされないうちにまとめるのがセイラの役目だろう。この閉鎖された空間で、これ以上ヒステリーを起こされたらたまったものではない。

「一応遺言はこうやって開示されたけれど、実際にそれに従うのは一度麓へ降りてからということにしてはどうかしら? 皆さんも困惑しているだろうしね」

 彼女の提案に、チャールズたちはもちろん、ジラとヨランダもぜひとそれを受け入れた。ヨランダは、必要以上に大声をあげたりうろたえたりしていたわけではないが、十分この遺言に衝撃を受けていた。先ほど身じろぎもしなかったのは衝撃に自失状態だったのかもしれない。顔を見合わせ、ヨランダはジラをぎゅっと抱きしめている。

 ただ、ジラはそんな母親にそれなりの対応をしてはいたが、どこか他人事で、とても落ち着いて見えた。まるで、こうなることを知っていたかのようだった。

 

 

 

 最初にそれに気づいたのはセイラだった。クライドとジュリアン、三人でもう一度エドガー殺しをたどってみようという話になった。どうやってエドガーと何者かはここへ現れ、そして消えたか。

 雪は止んでいた。

 日が落ちかけ、夜の闇がそこまで迫っている。

 積もっている雪が箒によって荒らされていた。セイラとジュリアンは顔を見合わせ、それはまるで、雪上に残った足跡を消すために用いられたように思える。

 急いで四阿へ向かう。

 その途中、ふと、目の端に黒い影が見えた。

 赤く焼ける空など見えない、暗鬱とした曇天。手元を照らすライトが、湖面に跳ね返る。

 セイラが足を止め、そちらを見ると、次の瞬間隣のジュリアンが駆け出した。クライドがすぐ後を追う。

 湖は、岸辺にも雪が積もっていた。気温は低いが、この湖は凍ることがないという。今もゆらゆらと、それが揺れている。

 

 ――セイラが見たそれは、水を吸って冷たくなったマイケルの背だった。

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