第六章 追われる者 1

 内心の焦りを無理矢理押さえつけ、不自然にならない程度の歩調で雪の中を行く。右手に握られたカードは込めた力で握りつぶされている。引きちぎり、破り捨てていないのは、証拠が残ることを恐れたためだった。それくらいの理性は残っている。

 

 ――お話したいことがあります。

 

 綴られた文字の向こうに少女の姿が見えたような気がする。

 短いそんな文章と、時間、場所が部屋に備え付けてあるメモ帳に書かれていた。

 このタイミングでの呼び出しには、心当たりが一つしかない。

 どうするか。

 それが問題だった。

 とぼけるか、それとも――

「お待ちしていました」

 後ろから声がかかる。樹の影から少女が姿を現した。指定された場所より少し手前。屋敷の、表の通りとは反対に奥へと進んだ森の始まりの場所だった。もう少し雪がましなときには、子どもたちがよく遊んでいる。

 雪が積もった樹という危険なその下で、彼女は薄く微笑んでいるように見えた。

「いったいどんな用件で、しょうか」

 ぎこちない敬語に、彼女は笑う。今まで聞いたことがないような、大人びた笑い方だった。

「そんな風に無理矢理名敬語は使わないで。ただ、少し話しがしたいだけだから。……警戒しないで」

「こんなところで、何を話すんだい? 唇が真っ青じゃないか。早く屋敷に戻って身体を温めなくては」

「あら、みんなの前で話すのは、ちょっと困ったことになるんじゃないかしら? クインジーさん」

 内臓がすっと冷える、そんな感覚が押し寄せた。

 外見と似つかわない大人びた口調で話す彼女に、目を細める。

「何の話だ」

「……これからどうするのかと思って。それを聞きたかったの」

 クインジーはそっと眉をひそめた。

 さらに少女は続ける。

「血に濡れたその手で、妻を抱くの?」

 

 

 クインジーは問いかけに、顔色で答えた。

 人の表情というのは瞬く間に変化する。そして、最後に現れたのは不気味な笑顔だった。

「いったなんのことだ?」

 とぼける作戦を選択したようだった。

 いくつかパターンを想定してはいたが、一番愚かで、一番やっかいな反応だ。長年人を見て来た中で、今後に影響が出る、パターンだ。自分のしでかしたことを、もみ消し、なかったようにしてしまう。そしてのうのうと生き続け、再び同じ間違いを犯す。

 こちらの反応が得られずに、彼は苛立ち、口元が引きつっていた。

「あまり大人をからかうものじゃない。こんな雪の中にいては風邪を引いてしまう。さあ、帰ろう」

「エドガーと、アーヴァインに関しての動機は同情の余地がある。だけど――なぜマイケルにまで手をかけた?」

 踵を返して屋敷へ向かいかけていた彼が、ぴたりと足を止める。

「あの子が不用意なことを漏らすと思ってそうしたの?」

 奇妙な顔。おかしな物を見るような目でこちらを見やる。

「可哀想に。大好きなクインジーおじさんの手でまさか、湖に沈められるなんて思ってもみなかったでしょう。あの子は自分が言ったことが、父親の殺害に繋がっているなんて考えてもいなかった。……可哀想に。本当に、可哀想だ」

 孫たちの中で誰よりも優しく思いやりのある少年だった。それが、仇となったのだ。

「いいだろう。君は私が、エドガーや、アーヴァイン様を殺したと言うんだね。そして、あまつさえ、あんなに可愛がっていたマイケルをもこの手にかけたと!」

 怒りとともに吐き出された言葉の奥に、怯えを見てとれた。だが、こちらももう手加減をするつもりはない。

「それなら、どうやって。なぜ! なんで私が彼らを殺さねばならなかった! エドガーに関しては、あの四阿の周りに足跡すらなかったんだ。殺人だと言っていたけどね、あれは事故だろう。そうでなければ不可能だ。どうやって、足跡を残さずに彼を殴り殺せたと言うんだ」

 怒りと焦りで早口になるその姿に憐れみを覚える。

 父親の事業を潰され、せっかくの能力も父を陥れた男の利益となるようにしか使えない。ストーンカンパニーの傘下を逃れ、事業を興したとしても、間違いなくアーヴァインに潰されるだろう。彼はそう言った男だ。みな、いやというほど知っている。

「エドガー殺害。それがすべての発端だった。もし、あなたが踏みとどまっていれば、アーヴァインに脅されることなんてなかったでしょうに」

 クインジーはさらに表情を硬くする。

「あのからくりを知っている者なら、犯人は誰か、一目瞭然だった」

 知っていると告げる。彼の顔から笑顔が消えた。

 よく観察していれば、やがてはわかることだ。

 それをなるべく使用人にも知られることがないよう、アーヴァインとブレンダは周囲に気をつけてきた。

 だが、ドロシーたちは言っている。

 いつも、いつの間にか、アーヴァインとブレンダは四阿にいると。

 アーヴァインが健在だった、セイラたちがやってきた朝も四阿にひっそりと座っていた。だが、その周囲は真っ白な足跡一つない雪に飾られていた、と。

 ブレンダ気に入りの温室に、二人はそろってよく入り浸った。

 それは自然な行為だったし、ブレンダの死後、彼女の死を悼みアーヴァインがそうするのもこれまた誰も疑問に思うことがなかった。

 魔導石でできた像の周りには、撫でればすぐに元に戻るセンチェリネアが植えられ、花があれば人はそれをわざと踏みつけようとは思わない。ブレンダの庭だというならなおさら気を使う。

 秘密はずっと守られてきた。

「もちろん利用していたアーヴァインは知っていた。だから、その後の話を総合すれば、誰が犯人なのか、すぐにわかった。そこで、犯人を糾弾するのではなく、自分の手駒として服従を強いるようにしようなんて発想が、あの人らしいけど」

 エドガー殺しの手口を知り、犯人はクインジーだと知ったアーヴァインは、夜、皆が結界の内に閉じこもるために部屋へ向かってすぐに、クインジーへ内線をかけた。そして、皆が寝静まったころに彼を自室に呼び出したのだ。知っているぞと言うために。

 誤算は、アーヴァインの予想以上に相手が切羽詰まっていたことだ。

 彼はその行為を誰にも知られたくなかったのだ。

「……何を、知られたくなかったの? 人を、エドガーを殺してしまったこと? それとも、――パトリシアの子どもが本当は自分の子どもでないこと?」

 その瞬間、彼の中の殺人者が表に噴出した。

 

 

 突然部屋にやってきたマイケルが、泣きながら訴えた。

 ごめんなさい。でも、お父さんを許して、と。

 なんのことかまるでわからずに、なだめすかして聞き出した内容に、自分は我を失った。

『パトリシアは嫌だって泣いてた。だけど、お父さんはパトリシアのことが大好きだからって、言ってた。本当に好きなんだよ。だって、お母さんにするみたいにパトリシアにもキスしてたんだもん』

 あまりにもパトリシアが泣くので、なんだか怖くなって逃げ出してしまったと。彼女の両手首を掴み、無理矢理組み伏せる父の行為に怯えて背を向けたと。

 子どもにはその場面が単にパトリシアをいじめているように映ったのか。

『またパトリシアに会えるよね。お父さんがいじめないように、僕も見張っているから、だから――』

 どうやって彼を丸め込んで部屋から追い出したのかまるで覚えていない。

 ただ、絶対に人に話してはいけないと言い聞かせたことだけは確かだ。

 彼女も、自分も、子どもが大好きだった。だから結婚した当初から、子どもはできるだけたくさんと、そのための努力もした。

 だが、出来なかった。

 男性原因の不妊。その事実はクインジーに重くのしかかった。

 可能性はないわけではないと、パトリシアは自分を慰めてくれた。

 彼女も年を取り、今年で三十。諦めるしかないのか、養子を取ろうかという話も少しずつしてきたところへの彼女の妊娠は、本当に嬉しかった。

 しかし、今考えてみれば、彼女の喜びにはどことなく陰があった。喜ぶ反面、何か思い悩んでいる姿を見るようになった。

 それが妊娠による不安から来るものだと勝手に決めつけ、今回の雪山には自分一人で行くからと言ったときの彼女の表情は、ホッとした中に怯えを含んでいた。

 参加しなかったらなんと言われるかと、心配しているのだろうと思っていた。

 それが、マイケルの言葉ですべて間違っていたと知った。

 子どもが、クインジーとの子どもでないかもしれないと怯え、一人で雪の屋敷へ向かったところで、エドガーに何か漏らされないかと怯えていたのだ。

 パトリシアに非はない。

 昔からエドガーはパトリシアを褒めていた。自分の愛する母親、ブレンダによくにていると、褒めて、彼女にまとわりついていた。

 次男でふぬけと言えども、ストーン家の人間には変わりない。なるべく彼女を庇うよう行動してきたが、それでも強く出きれずにいた。パトリシアには来なくていいと何度も言っていたが、クインジーの両親はそれを許さなかった。アーヴァインが不快に感じることを一番恐れていたのだ。その状況を彼女自身もよく知っており、クインジーの立場を危うくするのは望まないと、結局同行し続けた。

 それがこの結果だ。

 ブレンダの温室でエドガーの姿を見つけたとき、思わず詰め寄った。

 焦って、しまったという顔すら見せずに、彼は笑った。

『もしかしたら俺の子かもしれないね』

 頭に血がのぼり、つかみかかり、揉み合っているうちにあの中央にあるブレンダの像で彼が頭を打った。そしてそのまま、像に抱かれるようにもたれかかった瞬間、姿を消した。

 呆気にとられた。

 しばらく何が起きているのかまったくわからずに呆然と時を過ごした。

 やがて、子どもたちと一緒にセイラがやってきたのだ。

 

 

 

 馬乗りになり、喉を締め付ける。

 それでも少女はぼんやりと視線を宙にさまよわせたまま、微笑んでいた。

 何を笑うと、さらに手に力を込めたところで、突然、肩に衝撃が走り、気づくと目の前が雪で覆われていた。

「そこまでよ!」

 痛みにくらくらしながら身体を起こすと、少し離れた場所に黒髪の少女の姿があった。その手には拳銃が握られている。魔導銃だ。身体がしびれ、思うように動かせない。だが、無理矢理に後少しでアーヴァインの後を追わせることができた彼女を引き寄せる。

「近づくな!」

 自分の指の後がついた喉に再び右手を滑らせた。

「やめなさい。馬鹿ね。死にたいの!?」

「この子が死ぬか生きるかはあなたの出方次第だ」

 そう言って、自分が腕に抱いた少女――ジラの首をぐっと掴む。彼女はまったく抵抗しなかった。もうその元気もないのだろう。

「大馬鹿ね。彼女を殺せば、私が手を下すまでもなく死ぬのはあなたよ、クインジー・カーロフ」

 それは、奇妙な忠告だった。

 意味がわからない。

 だが、ジラが伏せていた目を見開いた。

「ああ、そうなの」

 掠れた声でそう呟いた。

「話は聞かせてもらったわ。私もさっき真実にたどり着いたのだけど、先を越されてしまった。麓に連絡は入れてある。あなたはもう逃げられない」

 逃げられない。

 それは確かだ。だが、認めるのはあまりにも辛い。

 事実を知ったパトリシアはなんと思うか。

 状況を聞けば、原因がどこにあるのか、彼女ならすぐにわかるだろう。

 エドガーを事故とはいえ殺し、からくりを知るアーヴァインに脅された時点で、すべては終わっていたのだ。

「すべて終わっていることよ」

 セイラがクインジーの胸の内を繰り返す。

「さあ、殺しなさい」

 掠れた声で腕の中のジラが言う。

 彼女たちの顔を交互に見返すと、セイラが苛立ちをあらわに一歩近づく。

「お前はいったい何をしたいの!」

 それは、クインジーに向けられた言葉ではなかった。

「その男は、殺人者として処刑されるか、運が良くても生涯牢獄から出ることはできないわ。囚人の処刑は密室で魔導を使って行われる。お前が次の身体を求めることはできないのよ!?」

「何を――」

 まったく意味がわからずにいると、ジラが笑った。空気が漏れるときに、ついこぼれてしまったような乾いた笑いだった。

「つまりね、彼女たちは道を間違えて降りられなくなったわけでも何もないの。目的があってこの屋敷に来たのよ」

 ジラの言葉に、黒髪の少女を見る。

 偶然迷い込み、偶然屋敷に招き入れられ、偶然麓への道を断たれ、ともに過ごすことになったただの、出自が特殊な少女ではないのか?

「彼女はね、私を捕らえにきたの。ああ、でもそうなると、マイケルが殺されたのは私のせいだけじゃないわね。あなたのせいでもあるわね。どうせ、麓への道の閉鎖も嘘なんでしょう? 私を突き止める時間が欲しかっただけ」

 弱々しく体重をクインジーへ預けていたジラが、突然起き上がる。掠れていた声も、はっきりと力強いものになっていく。

「マイケルは、死んではいないわ。たぶん、助かる」

「……そう。それはよかった。湖が冷たかったのが幸いしたのね」

 ジラの小さな声は、クインジーにしか聞こえなかった。立ち上がった少女はこちらを振り向く。父親であるアーヴァイン譲りの青い瞳が真っ直ぐこちらを見つめた。

「半年前マイケルに黙っているように言ったのは私なの。無用な争いは起こさない方が良いと思ったから。どれだけ出来が悪くてもね、私の子どもなのよ」

 今度こそ、本当に混乱する。何を言っているのだ。

 目の前の少女が、薄気味悪い、得たいの知れないものに見える。

 セイラたちもいつの間にかすぐ傍へと近づいていた。お供のクライドとジュリアンは不審な動きがあればすぐに対応できる距離にいる。

「それはね、人じゃないの」

 セイラが言う。

「あら、身体は人の物よ」

「他人のものだった、でしょう」

 ジラがふわりと笑う。どこかで前も見たことがある。

 柔らかい笑顔は、そう――ブレンダのものだ。

「私はね、ブレンダの中にいた魔生生物よ。身体が死ぬと一番身近にいるものに移るようになっているの。ブレンダを看取ったのはジラだった。身体が持たないと思ったから、ジラをわざと呼び寄せたのよ。アーヴァインが、私の、ブレンダの身体の病を知ってすぐにメイドと契約を結んで産ませた娘をね。本当に、あの男は、愚かで、――可哀想な人間だったわ。でも、見捨てられなかったの。あれを見捨てれば、私の子どもたちも破滅してしまうものね」

 魔生生物の告白に全身の皮膚が粟立つ。

「見つからないよう十分気をつけてきたつもりだったけど、潮時だわ。あちらで終わらせましょう」

 そういって顎で森をさす。少女はうなずき、ジュリアンにクインジーの見張りを頼むと、クライドをともなって雪の深い森の中へ消えていった。

 呆気にとられていると、やがて森が輝いた。

 白い雪に反射し、森全体が光り輝いて、終わった。

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