私、カクヨムコン4の参加者でして、自分の事で精一杯で他の作者さんの小説を読んでいなかったんですよ。で、カクヨムコン4が終わって「他の作家さんの小説はどんなかな~」と読んだのがこちらです。
カクヨムって書いて読む場だったはずなのに、書くばかりで読んでなかったんですね。しかも書道というお堅い世界の話だからと食わず嫌いで放置してました。
書道をこれほどまでにコミカルかつアクション満載で小説にした作品は初めて読みました。今まで読まず勿体ない事をしたと後悔しています。
書道に興味が無い方&書道を知らない方はぜひ読んでみてください。そして、実際に書道をしている方もしくは書道家は大きな気持ちを持って怒らないで笑いながら読んでほしいなと思います。
まずタイトルがズルい。嫌が応にも「葉隠」の有名な一文を想起させる。
そしてキャッチコピーだ。ただの五文字で「それってどういうこと!?」とこちらの関心を掴んでくる。
なるほど、これが書道の力なのか……(※フォントです)。
そんなわけで読み始めた本作、ご想像の通り基本的にギャグ作品である。ギャグ以外であってたまるか。
たまにシリアスなシーンになることもあるが、行間にはしっかり笑いの刺客が潜んでいる。毎話必ず一回は思わず声を上げてツッコミを入れざるを得ない場面が出てくる。早々に「これは通勤電車で読んではいけないやつだ」と判じた私は正しかった。
そして肝心の内容だが、てっきり判官筆で殴り合うのかと思ったら本当に書道で勝負している。そして「書道勝負に負けたら自害」というのだ。――そんなまさか!
さすがに最初のうちは「これは出オチだけで後半失速する奴では?」と心配になった。しかし実際はさにあらず、次々と明かされる知られざる書道の本質(?)が物語に燃料を追加する。
書道とサーフィンにそんな関係が!? 書道のメジャーリーグ!? 本当に人が死ぬだと!!??
めくるめく展開の果てに、最終話を読むころには「あれ、書道って何だっけ……?」と悟りの境地に至っていた。単に混乱しただけかもしれない。
多分、上述の文章では何を言っているのかわからないと思う。実際私にもわからない。
なので一度実際に読んでみてほしい。
ここには無病息災、不老長生、人生潮流を操る書道の真髄がある。なお責任は負わない。
バカバカしいからこそ、書が持つ一瞬の輝きが浮き彫りになったような気もします。
『書道は昔から十秒あれば一点書けると言われている』
確かにそうなんですよね。
芸術でありながら躍動感にあふれ、その一瞬に人生をかける。
読み終わって「書道以外に当てはまるものは無いんじゃないか」と思ってしまうくらい、どっぷりハマってしまいました。
実は自分の母は書道の先生をやっておりまして、子供の頃から墨汁を一切使わせてもらえず、嫌な思い出しかないんですよ、書道には。
それは一生消えることはなく、書も書いてみようとは思いませんが、ちょっとだけいいやつに見えてきました。書道ってやつが。
作品の簡単な説明はあらすじを見て頂ければ分かると思うのですが、本作、是非第1話を読んで頂きたい。書道とか難しそうだし、興味ないです。とか言わないで読んで欲しい。後悔しますから。
読まなかった事を。
難しくない。寧ろ、こっちの想定の二百倍ぐらいふわっとした書道バトルが繰り広げられるのである。
書道バトルで死ぬ?どういう事?
本当にどういう事だよって思います。
私の中ではぴゅーと吹くジャガーさんのコメディテイストでミスター味っ子が展開されている感覚に近いです。(笛バトル的な)
第1話の完成度の高さは短編として出しても遜色無いコメディ。寧ろ私は一話の完成度が高過ぎて、二話目を読むのが怖かったです。選考期間終了間際に読んでゴメンなさい。
そして書道協会、水墨画協会、茶道協会などあらゆる方面に全方位射撃のぶっとんだ内容で、書籍化したら怒られるレベルですが……不思議と嫌な感じはしません。コメディなので許して貰えそうです。
主人公の書道への強迫観念からくる歪みっぷりもさることながら、周りの人物像達もなかなかに曲者揃い。
ぽやっとした書道真剣勝負、対戦者同士はまさに命を賭けて戦いを繰り広げるのだ。
刮目せよ、これが書道と見つけたり?(仮)
アナタのツッコミはきっと間に合わない。
これは書道に命を賭けた"漢"の物語。
このように表現すると書道を題材にした熱血スポ根的小説に聞こえるが、この作品は違う。いや実際熱血ではあるんだけれども、一味違うのは本当に命を賭けちゃっている点。本作は『筆勝負』という、その場で書を書いて優劣を判定する1対1の競技を主軸に進められます。主人公は流れ筆として全国を流浪中、何度も『筆勝負』を挑まれます。
この『筆勝負』が突っ込みどころ満載で、かつ当人達は大真面目なのが笑いを誘う。いわゆるシリアスな笑いです。因みに敗者は自害しなければならない決まりですが、それを本気にしているのは主人公ぐらいなのでとっても安心。
『筆勝負』なるヘンテコ競技を見事に描写した華麗な文体に、是非とも脇腹を筆の毛先でくすぐられて下さい。爆笑間違いなしです。
気になった方は第4話まで読み進めて下さい。青き龍の咆哮に、キミはきっと驚愕する。
書道。
それは剣道・弓道・柔道とならぶ日本の武道の一。現代日本の公教育の現場でも、精神と肉体の鍛錬のために保健体育科の正式科目として採用されている。しかし、そのあまりに過酷な競技性のため、専門家の中でも書道ばかりは必修競技から外すべし、との声も上がっている。
わけはない。わけはないのだ。
でも、この作品を拝読すると、なんかこういうこと言いたくなっちゃうんだもの。
最初からぶっ飛んだスタートで、どこまで飛ぶのかと思ったら、もうクライマックスになると怒涛の「なんでもあり」で笑えるやら突っ込みたいやら突っ込む元気も奪われるやら笑えるやら……うんとにかく面白かったです!
笑って笑って笑える書道小説はここですよ!
「くだらなーい」って言いながらも夢中でお腹かかえたい人は集まっておいでー!!
理由(わけ)あって大日本書道倶楽部を追われた主人公・花川毅山(はなかわ きざん)は、『流れ筆』となって全国を回り、命を賭けた『筆勝負』を繰り返して、己が死に場所を探していた。
訪れる土地土地で次々と現れる強敵・難敵を、奇想天外・奇妙奇天烈な『書』で、毅山は打ち破っていく。
こう書くと、いわゆる熱い『書道バトル物』かと思われる諸兄もいるかも知れないが、さにあらず。
あの『滋賀県民の野望withPK 』で諸兄の度肝を抜いた作者氏が、そんな普通の『書道バトル物』を描くはずがない!
真相は、諸兄の目で直に確かめて欲しい。
そして、諸兄のツッコミスキルを存分に発揮して欲しい。
主人公が「死ぬことと見つけたり」の意味を知ってからレビューをしようと思っていた。
しかし、まだ道半ばで主人公が極める前に、私の心が窮まった。
この内容のヤバさは、早めに皆さんに伝えておくべきだと感じたのだ。
この書道はヤバくて危険だ。
読者の皆さんに、関わってはいけないと警告する。
では、この書道がどのようにヤバいのか説明しておかなければならないだろう。
そのヤバさ、それはいわば墨汁のような闇だ。
どこまでも沈みこみそうな闇。
あまりに奥深すぎて、それを端的に説明することは難しい。
だから、理解するにはどうしたらいいか。
答えは一つだ。
――読め!
読むのだ!!
そこに未知の道がある!!
ミスター味っ子的料理バトルとか、みんな好きですよね?
この作品は書道バトル、つまりそういう作品なんですけど、ただその一言で終わらせるのは勿体ない。
単に「どちらが上か」を比べるだけに留まらない、書道家としての生き様と死に様を描いたそのアツいストーリー(方向性はともかく)に、目が離せない。
書道とはなにか。
「死ぬことと見つけたり」
いや、普通に考えて頭おかしいんだけど、でもいつのまにか納得させられてしまい、そしてそれが物語をグイグイと引っ張っていく、そんな謎のパワーに満ちた作品です。
ツッコむのに疲れた頃にやってくる怒涛の激アツ展開が堪りません。
カクヨムコン4の台風の目(ただしコースは大きく逸れている)、必読そして抱腹絶倒ですよこれは。
書道家どうしの命を賭けた《筆勝負》。
敗北が意味するもの、それ即ち、死――。
……というトンデモ時空の書道家の話。
デッドオアアライブ!
シンプル!
しかし誰もが時世の句を読んで爆発四散したりするわけではなく、死に場所を探している主人公以外はわりとゆる~いノリでやってるようです。
温度差~~~~。
そのため今のところ(四話まで)「登場人物が突然死のうとする」ジャンルの中ではマイルドな読み心地となっていて、「登場人物が突然死んだらいやだな」と思っている人でも安心です。
もちろんこれからどうなるかは作者の筆先三寸ですが……。
あと突然の「例の龍」で読者は死ぬ。
おもしろく、変わったものを読ませていただきました。
ありがとうございました。
本作のお題目としても掲げられている「葉隠」の引用について少し。
『武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり』
この言葉を残したのは佐賀鍋島藩士・山本常朝なる人物で、祐筆であったとされることからも本作との数奇な縁を感じずにはいられない。
彼が「葉隠」を執筆したのは(実際には山本の口述を、同藩士・田代陣基が書き記した)江戸時代中期の頃。世は太平の時代となり、徳川幕藩体制も八代吉宗の政権へと移り変わり、武士の生活も目まぐるしく変わっていった頃である。
戦争がなくなり武士のアイデンティティは大きく失われ、士農工商の身分制度で最上位にありながら生活には困窮し、町人(商人)に金を借りてやっと暮らしていたような当時の世相に、憤りを感じていた山本常朝が、武士が華やかだった時代を再び取り戻さんとしてつづった心得がかの「葉隠」である。
しかしこの山本常朝という人は、元来、身体が弱く、武の人ではなかった。
また当時の佐賀鍋島藩は、全国でも先進的な改革として「切腹禁止令」を発布。
武士が命をかけて主君に仕える時代はすでに終わっていたのだ。
このことが山本常朝という人に「武人として死すこと」の強烈な憧れを抱かせてしまった要因であると言われてる。
これに呼応してしまったのがかの三島由紀夫である。
先の大戦で、桜の如く、見事散ろうと心に決めていた三島だったが、身体が弱いため軍隊には入れず結局生き残ってしまったという「殉死」へのコンプレックスがあったのだ。
このふたりと本作の花川毅山はどこか似ている。
「死」への妄執と、己が掲げる理想像に世間を巻き込んでしまうところだ。
「葉隠」はときに馬鹿にされ、ときに利用されてきた思想である。
花川毅山には、どういった運命が待ち受けているというのだろうか――。