第15話 観念

 五時間目が始まる。


 俺は授業に出た。勉強する気分でもなかったが、家に帰る気にもなれなかった。


 この時点で『死』が予告されていたからだ。


 五時間目が始まる前、十三時ピッタリに送られてきたメッセージ。


 【用五時死亡】


 内容など吟味するまでもないだろう。この日三通目ということで、三度目のループを経験した俺からの危険予告メッセージ。


 五時というのは夕方の五時、つまり十七時と考えるのが自然。用は俺。死亡はそのままの意味。俺がこのままの行動を取れば、犯人は諦めずに俺を殺しに向かってくることを告げているメッセージでもあるということだ。


 ただ、それが今日の十七時になるかどうかは定かではない。


 なぜなら、『三度目のループを経験した俺』が『今の俺』と同じ心境――つまり加古に殺されてしまっても構わないという心境に至っているとして、『今の俺』と同じ行動を取っているとは限らないからだ。


 『今の俺』は、『三度目のループを経験した俺』が残したメッセージを見て、この授業に出ることを決めたのだ。どうせ殺されるなら、普段通りの生活をしようと、そういう気持ちからである。


 もし『三度目の俺』が、どうせ死ぬならとそのまま家に帰り、加古に侵入されるなり家に火を放たれるなりした結果、殺された時間が十七時だったのかもしれない。


 『今の俺』と違う行動を取っているなら、【用五時死亡】が示す内容にはなんの意味もなくなってしまうというわけだ。


 ここで一つだけ気になることがある。


 今の俺は死ぬことを受け入れてしまっている。もう過去にメールを送るつもりはない。ループするのもこれで最後だ。加古に手を汚させるのは一度で充分だからだ。


 じゃあ、『三度目のループを経験した俺』が『今の俺』と同じ心境に至っているとした場合、なぜ『三度目の俺』はこんなメッセージを『後の俺』に送りつけたのだろうか?


 もしかしたらたった今考えた、家に放火されるというのが本当で、母や哀香まで巻き込みたくないと考えた俺が、『後の俺』の行動を変えさせるために送りつけたメッセージだと、そう考えるのはどうだろうか。


 殺されるなら別の場所にしろよ、と。


 相手は他人じゃない。『俺』だ。『三度目の俺』がそのメールを残したら、『今の俺』がどのような思考に至るかを読み取ることは難しいことではないはず。


 ということは、これから俺が取る行動として、家に帰るというのはなしという選択になる。できれば誰にも迷惑がかからない場所がいい。目撃者がいなく、加古が俺を殺しやすい場所。


 まあ、あの子の性格からして、俺を殺したらそのまま自首じしゅしそうではあるのだが……。


 授業そっちのけでそんなことばかり考えていたら、いつの間にか五十分過ぎていた。休み時間に入り、トイレに立つ。こんな時でも生理現象だけはどうにもならないらしい。


 教室に戻ってきて、自分の席へと向かう。相変わらず俺を見てヒソヒソ話をしたり、わざとらしく距離を空ける女子がいる。


 一体どこから漏れたのか知らないが、俺が加古を妊娠させたという噂がこの学校では広まっている。狭い町だ。ひょっとしたら加古が手術を受けた病院の息子でもこの学校にいたのかもしれない。


 今頃噂に尾ひれがついて相当ひどい内容として女子の間で広まっていることだろう。中学の時からの連れも俺から離れていったくらいだ。ほかの男子もこんな爆弾には近寄ろうとは思うまい。


 誰一人知る人のいない人ごみの中をかき分けていくときほど、強く孤独を感じるときはない――とは誰が残した言葉だっただろうか……。その相手が顔見知りとなると、孤独というよりはあわれというか悲惨というか、なんともみじめな気持ちになってしまう。




 六時間目。教科は世界史。篠塚芽衣子の登場である。


「きゃっ!?」


 教室に入ってくるなりつまづいてこけていた。わざとらしい。このアピールには一体なんの意味があるのか……。俺には通用しないことはもうわかっているだろうに。


「先生、くちびるどうしたの?」


 別の男子生徒が心配そうな顔で質問。昨日俺にキスしてきた時に切った傷だろう。下唇に少し跡が残っている。それを見た女子の一人がからかうような声で、


「男の歯で切っちゃったんじゃね?」


 正解。これにどんなリアクションを返すのかと見ていたら、


「えっ? 男の歯……?」


 キョトンとした顔でつぶやき、そしてハッと何かに気付いた顔をして、


「や、やだ! そんなんじゃないからっ! き、キスとか、そんなんじゃないからねっ! これはね、ちょっとぶつけちゃっただけで。ほら、先生ってちょっとドジなとこあるじゃない? 前見ないで歩いてて、自分ちの冷蔵庫でやっちゃいました……。へへ」


 顔を赤くして必死に説明している。すごいな。これを全て演技でやっているなら主演女優賞ものだ。


「えーっと、あ、はい。それじゃあ今日も小テストからやってもらいます」


 少し引きずった感を残しつつ、プリントを配っていく。時間は二十分。篠塚担当の世界史の授業では、週に一度は小テストをやることになっている。ほとんど先週の復習問題だが、この中からそっくりそのまま中間や期末テストに問題を流用しているのだから、進学希望の生徒にとっては気の抜けない時間だろう。


 一部……、まあ篠塚のことを嫌っている女子生徒だが、テスト作りで楽したいだけとの批判をしているが、それを言うなら、そもそも小テストを毎週作ることの方が手間がかかるため、的を射た意見とはいえない。


 進路を就職に切り替えた俺も一応は真剣に取り組んでいたのだが、もはやどうでもいいこと。


 このテストの結果が返ってくる頃には、俺はこの世にはいないだろうから……。


 机に肩肘ついて、名前も書かずにボーっと問題用紙を眺める。そんな俺の態度に篠塚も気付いているのだろうが、特に何も言ってこない。ゆったりとした歩調で教室の中を前後に歩いている。


 常に数十の視線にさらされる教師も、この時ばかりはそのプレッシャーから解放される。その空白に紛れ込ませるように、篠塚が俺の机の上にそっと手を乗せてきた。だがそれも一瞬のこと。顔を上げた時にはスーッと横を通り過ぎていく。


 あらためて机の上を見ると、折りたたまれた三センチ四方の紙が置かれていた。


 またよからぬことをたくらみやがって……。一応確認だけしてみる。


 その紙には短い文でこう書かれていた。


 【今日の放課後、五時に社会科準備室で待っています】


 即行で握り潰した。行くわけないだろ。母と篠塚が昔からの知り合いだったということを聞いたのはつい最近。そのせいで俺と加古との一件を知っていたみたいなのだが、それをネタに脅してくるにはもう効力は尽きている。


 俺が死んでしまえば脅迫などできなくなるのだから。加古も自首覚悟で俺の命を狙ってくるだろう。迷惑がかかるからとか言っている場合じゃない。


 テスト用紙には何も書かなかったし、黒板の文字も書き写していない。ただ時間だけが無為に過ぎていく。


 六時間目終了のチャイムが鳴り、俺は鞄を持つことなく教室を後にする。


 十五時に送られてくるかもしれない四度目のメールは、来なかった。

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