第11話 翌日

 目を開けると、そこは暗闇の中だった。


 頭を持ち上げ、周囲を見渡す。


 薄闇に包まれた自分の部屋……。


 どうやらあのまま布団の中で眠りこけてしまったようだ。


 机の上の時計を見ると、時刻は朝の六時。落ちた携帯を拾って画面を確認。あれ以降、誰からもメールや着信は来ていない。


 ほっと一息つくと同時に、頭に締めつけられるような痛みが走る。ひたいも少し熱い。困ったことに、本格的に風邪が悪化してしまったようだ。


 湿り気の残る服を脱ぎ、いつものジャージを身につける。トイレに行こうと、フラフラになりながら階段を下りていく。用を足し、リビングに行くと、テーブルの上に俺用の夕食だけ放置されたままだった。


 極端に具の少ないみそ汁。かぴかぴになったご飯。しわくちゃのレタスに傷んだニンジンやブロッコリー。極めつけが、焦げたまま固くなったハンバーグだ。


 朝食同様、用意してくれることはありがたいし、なんだかんだ言って三人そろって夕食を一緒することも多い。ただ、夕食ができても呼びに来られることがないため、このように冷えきった食事を一人でとるということも珍しくない。


 昨日は俺が部屋から出てこなかったから、こうやって放置したままだったのだろう。


 もったいないけど、生ゴミとして捨てることにした。さすがにこれを見ても食欲はわかないし、それ以前に食欲がない。お皿をスポンジで洗い、食器乾燥機に入れておく。


 途中何度もめまいがして倒れそうになった。今日は学校は休むことにしよう。


 きちんと加古に謝罪して許しを請う必要があるが、今の体調ではうまく言葉で伝えられる自信がない。メールで済ませるのもどうかと思うので、自分勝手かもしれないが、明日まで待っていてくれ、加古。


 テーブルの横を通り、リビングを出ようとしたところで、いきなり扉が開いた。


「誰!」


 そこに、包丁を持った志保子が立っていた。


「ちょっ!?」


 慌てて背後に飛びすさる。母はリビングにいたのが俺だと知るや、


「なんだ、あなただったの。驚かせないでちょうだい」


 いや、驚かせたのはあんたでしょ……。それよりも、ちょっと警戒心が強すぎないか? なんで包丁持っている……。台所はここで、今まで俺がここにいたということは、その包丁は自分の部屋から持ってきたってことだよな……。なんでそんなの持ってたんだよ。


 疑問に思ったが、尋ねたいとは思えない。答えてくれる気がしなかったし、尋ねることが地雷を踏む行為のような気がしたからだ。


 母は迷惑顔で俺を一瞥いちべつし、自分の部屋――寝室へときびすを返した。


「志保子さん」


 この名前を呼ぶのも久しぶりだ。いつかは「母さん」と呼ぶ日も来るのだろうかと考えていたこともあったが、それはもう永遠に来ないと断言できる。


「今度から食事は自分でとるから用意しなくていいよ。それと、週末に大事な話があるから時間あけてもらってもいいかな」


 俺がこんなことを言っている意味はすぐに理解できるだろう。あんたが俺の部屋に無断で入ったから、今まで繋ぎとめられてきた最低限の信頼まで失われたのだということに。


「……ええ、わかったわ」


 それだけ言って、母は去っていった。


 階段を上り、自分の部屋に戻る。隣りは哀香の部屋だが、物音一つしない。寝ているのだろう。あんな性格とはいえ、一応女子だ。まさかピンクのカーテンとかお人形さんとかで部屋の中を飾っているわけないだろうが……。


 どうなんだろうね。まあ、別に確認したいとも思わないが……。


 机横の小型の温冷庫から水を取り出す。一口含み、ベッドに倒れ込む。眠くはなかったが、横になっているうちに再びまどろみの世界へといざなわれてしまった。





 目を覚まし、時計を見ると、ちょうど午前九時から十数秒経った辺りだった。


 携帯のランプが点滅している。バイブレーションの振動音が原因だろう。重たい頭を持ち上げ、ベッドの上で意識が覚醒するのを待っていると……って!


 いやいやいやいや……。午前九時!? ってことは、もしかしてまた?


 一気に目が覚めた。


 机の上に手を伸ばし、折りたたみ式の携帯を開く。一度唾を飲み、確認してみると――


 【犯人を捜せ】


 送信主は『俺』。昨日来た五通のメールと同じで、件名に五文字だけで内容が表されていた。


「……………………」


 しばらく何も考えられなかった。一晩経ったせいか、やけに現実感が薄れている。しかし認めないわけにはいかない。これは『俺自身』が未来から送ったメールだということに。


 ただ、送ったとしたらそれはいつのことなのか……。明日とか明後日の俺なのか。さすがに一年も二年も先ということはないだろう。


 今日、これから行動を起こし、その結果犯人に殺されそうになった俺が、瀬戸際で『過去』に――というのが一番ありえそうではある。


 待てよ。昨日は五回危機を伝えるメールが俺宛に届いた。その五回とも死ぬ直前、または追われている最中に送ったものだとしたら、俺は……、同じ時間を繰り返しているということにならないか?


 だったら、『過去』の俺に『未来』の情報を伝えられるなら、どんな小さな『気付き』でも、もっと頻繁に送信すれば……って、それじゃあ駄目か……。


 二時間おきにしかメールが届かないなら、この『枠』の無駄遣いはできない。送るとしたら、犯人の正体をつかんだ時、または殺される直前。


 今日すでに一回目のメールが届いたということは、俺は最低でも一度『この日』を経験しているということになる。『今の俺』が、これから過ごすこの日が何回目のループなのかわからないからこそ、そこは慎重にならざるを得ない。


 もし犯人の正体がわかってそれを送信したとしても、実際に『過去の俺』に届く前に殺されてしまっては意味がないからだ。


 【犯人を捜せ】――このメッセージからは、特に目新しい情報は得られない。


 つまり、一回目の俺は犯人の正体をつかめなかったことになる。これを送ったのは死ぬ直前と考えるのが濃厚。昨日の五回と併せて、六回も即死をまぬがれて携帯をいじる余裕があったというのは奇跡的というしかない。


 一度でも送れなかったり、送信ミスしたら、俺の死は確定することになる。


 ならせめて、手間を省くためにも今からメール作成しておいた方が賢いかもしれない。内容は一応『仮』ということにして、送信ボタン一つ押すだけで全てが完了するように……。


 昨日、五回目に送られてきた【にからされ】なんかがよい例だ。この時は本当にヤバイ状態だったのだろう。『この時の俺』は打ち間違いに気付いたはずだが、やり直す余裕はなかったのだと思う。なら、リスクを低減させるためにもぜひそうすべきだ。


 ただ、


 ここまで俺の推測が全て合っていたとして、一体どうやれば過去にメールを送れるのか?


 普通にアドレスを設定して、件名、本文に文字を載せて送信するだけではこんな不可解な現象は起きない。これまでの実例にならって、本文抜きで送信しても……、それだけじゃ駄目な気がする。


 考えろ。一番最初、【どうしてこ】の時は過去の自分にメールが送れるなんて知らなかった。この時俺は誰宛にメールを送ったのか。死ぬ間際に俺がメッセージを残したい相手とは……。


 加古しかいない。


 ならアドレスは加古宛に設定し、本文には何も書かない。あとは件名に五文字打って送信ボタンを押すだけでいいのか? いや、それだけじゃ足りない気がする。


 過去の俺に送るには……、過去? 加古、かこ……。


 『かこへ』か。


 かこへ、の後に続けてメッセージを入れるのが正しいのだろう。というか、それしか考えられない。


 昔、加古宛に送ったつもりが、間違って友達に送信したことがあってえらく恥ずかしい思いをしたことがある。その時からの癖で、件名に相手の名前を入れるようにしているのだが、たぶんそれがこの時も出てしまったのだろう。


 ただその時と違うのは、加古へ、ではなく、かこへ、と平仮名で打ち込んだことがこの不可解な現象を作り出したきっかけになったはずだ。


 もちろんこれだってかなりぶっ飛んだ考え方だし、現実的にあり得ないとは思うのだが、今は『枠』を無駄遣いできないため、これが正しいと信じてやるしかない。


 〈TO 加古<○○○○-××××@azweb.ne.jp>〉


 〈SUB かこへ手直送準備〉


 添付ファイルと本文はなしで、この状態で携帯を持ち運びするようにしよう。


 送信内容は、ぐに手紙メール送れるように準備しておけって意味だが、同じ人物が同じ時間を繰り返すなら同じ発想に至るはずなので、わざわざこんな内容にする必要もないのだが、一応仮ということなのでこれにしておいた。


 よし、そうと決まれば学校に行くか。熱があるので明日以降に持ち越すことも考えたが、一回目の俺が【犯人を捜せ】と忠告してくるならそれに従うまでだ。


 送信主は俺自身。一度目の俺がこのメールを送ってきたということは、逆に考えるなら、このまま家にいるのは危険だと告げていることでもある。


 想像したくもないが、犯人が加古で俺の命を狙っているなら、この家に火を放ってくる可能性だってゼロではないということだ。悠々と寝てなんていられない。


 連絡取るのは双方の親から禁じられているが、この際仕方ない。犯人が彼女なのかどうしても見極めなければならない。


 昨日届いた【御免なさい】のメールに返信する形で、俺は三ヶ月ぶりにメールを送った。


 内容は、会って話したいことがあるというむね。時間は二時間目の休み時間、図書室でと付け加えておいた。


 手早く着替えを済ませ、鞄を……と、そうだ。学校に置きっぱなしだった。財布と携帯だけ持って部屋を出る。一応鍵は閉めておくが、また俺のいない時に開けたりするんだろ?


 思い出すだけで鬱積うっせきしてくるものがあるが、この不満ももう少しの我慢だ。鍵をポケットにしまい、階段を下りていく。


 玄関で下履きを履いていると、母がリビングから顔を出してきた。


「学校に行くの?」


「……うん」


「……そう」


 それだけ言って室内に戻っていった。


 なんなんだ、一体。いつも「行ってきます」に返事一つ返さないくせに……。


 玄関のドアを叩きつけるように閉めたことが俺なりの当てつけだったが、そんなことやっても何が変わるというものでもない。


 腹立たしいものを感じながらも、学校への道を急いだ。





 頭上や背後、交差点や駅のホーム、車内や人混みの中で襲われないよう、最大限に注意力を働かせながら学校に到着。


 まだ二時間目の最中で、約束の時間まで――返信はないため読まれているのかわからないが――あと二十分あまり。


 そういえばまだ学校に欠席の連絡はしていなかったはず。無断で休んだからといって、小学校や中学校の時のように向こうから家に連絡があるわけでもない。


 無事事件が解決したらそのまま授業に出るし、犯人が加古じゃなかったら他の怪しい人へと接触しなくてはならない。担任への連絡は後回しにすることにした。


 図書室の中で待つと司書の先生にあれこれ聞かれそうなので、校舎の端の非常階段のところで待機することにした。ここなら誰かに見つかるということはないだろう。





 二時間目終了のチャイムが鳴る。


 隣の校舎や階下からぞろぞろ人が集まってくる。この時間は一、三時間目よりも五分休憩時間が長いため、この時を狙って本の貸し借りに訪れる人が多い。あまり人のいるところでする話でもない。今さらながらこの場所を選んだことを後悔。


 もう隠れている必要もなくなったので、図書室の前まで行って張っていたが、結局この時間に彼女が姿をみせることはなかった。


 休憩時間が終わる前に思いきって電話をかけてみたが、留守電になっていて繋がらない。メールももう一度送っておいたが、それもどうなることか……。


 付き合っていた頃は休み時間に何度かメールをしたことあったので、携帯自体は学校に持ってきているのだと思う。受信したことに気付いていないって可能性もあるが、もしそうなら困ったぞ。


 彼女に会えなければほかの容疑者に接触すればいいなんて簡単に考えていたけど、篠塚も笠原も授業中なんだよな。


 俺自身、この問題を解決しない限りとてもじゃないが授業に出る気になれないし、だからといってぷらぷら手がかりを求めて歩いていても目立つだけだ。


 とりあえず加古のいる三年の教室を確認しよう。ひょっとしたら移動教室かもしれない。彼女が今いる場所と、あわよくば接触できる可能性にかけて確認しておくだけでも損はない。



 隣の校舎三階から覗いてみたが、加古の在籍している三年一組には誰もいなかった。渡り廊下を伝って移動し、教室の中に入る。


 黒板横の時間割り表で確認してみると、この時間は体育のようだ。恐らく体育館だろう。来た道を戻り、あえて堂々と体育館まで歩いていく。


 さっきまで意識したことはなかったが、案外学校というのは死角が少ない。どこにいても、どこかしらから誰かの目に映ってしまう。


 なら、こそこそしているとかえって目立つし怪しまれると思う。


 もし先生に見つかっても、体調が悪いので保健室まで行くところです、なんて答えたら深くはつっこまれないだろう。まぁ、体調が悪いのは事実だ。今だって体がダルくて仕方がない。それなのに『堂々と』歩くというのもおかしな話だが――


 ぱっと振り返る。


「……………………」


 誰もいない。背後から視線を感じたのだが、気のせいか? 漫画じゃないんだから、さすがに後ろからの視線などわかるわけないと思うのだが、なぜかそのように感じてしまったのだった。




 体育館に到着。途中グラウンドも見たが、男子はサッカー、女子は……どうやらバレーボールのようだ。


 さすがにここでは堂々としているわけにもいかないので、敷地横の換気窓からこっそり覗く。覗くといっても目的は『それ』ではないのだが、やってる行為自体に違いはないため、やはり見つからずに済むならそれに越したことはない。


 隣のクラスと合同で行われているせいか、さすがに人数が多い。見学者も含め全員で三十五人ほどいる。


 だが、相原加古の姿はここにもなかった。


 何度も見返したが、間違いないと思う。一旦体育館の裏に身を潜め、授業が終わるのを待つことにした。


 その途中――


 時刻は十一時ちょうど。この日二通目のメールが届く。送信主はもちろん『俺』。内容は、


 【たぶん女だ】


 大した情報でもない。電車の中で刃物を突き立ててきた女子生徒が犯人なら、相手の性別にも予想はつく。このメールを送った時の俺が犯人の姿を目撃しているなら、『たぶん』なんて書き方はしない。このことから、これは前もって作成しておいただけのメール。ただ保険を利かせただけのものだと判断できる。


 進展なしか……。少しでもエネルギーの消耗を抑えるため、たった今見たこの五文字を意識の端へと追いやった。

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