第12話 二人目

佐江野さえの先輩」


 体育館から出てきた女子四人のグループ、その中の一人に声をかけた。加古の友人の佐江野なんとか先輩。


 大人しい加古とは違い、明るく活発的な女性。先ほどのバレーでも一番目立っていたのが彼女だ。昔三人で何度か話したことがあるのだが、俺のこと覚えているだろうか。


 佐江野先輩は俺を見るなり少し驚いた顔をみせ、すぐに友人を先に行かせた。そして――


 ものすごい剣幕でにらみつけてきた。


 どうやら杞憂きゆうに終わったようだ。それが安堵感に繋がらないのはこの顔が物語っている。


「なに、あんた。よくも平気な顔して話しかけてこれたわね。もしかしてまたあの子に近づこうとしているわけ?」


 口調がとげとげしい。ずいぶんと嫌われているようだ。


「そういうつもりはありません。ただ、一度だけ加古と話がしたいんです。それが済んだら二度と近づかないって約束します。加古と連絡取りたいんですけど、今日は休みですか?」


「答えると思う? というより、話をするなら電話で充分でしょう。なんでわざわざ会う必要があるの。あの子携帯変えてないみたいだし、番号は一緒のはずよ」


 電話は繋がらないし、緊急の要件だから先輩に尋ねているのに……。いちいち手順を踏んで説明していかないといけないのだろうか。相手の言動にあてられ、ついこちらもいらついてしまう。この調子なら時間がかかりそうだと思ったので、


「なら結構です。先生に訊いてきますから」


 言って、そのまま横を通り過ぎようとした時、ガシッと右腕をつかまれる。


「わかったわよ! 教えるから付いてきて。その代わり、話が終わるまで近くで見張ってるからね。あの子に変なことさせないわよ」


 よっぽど信用がないようだ。まあ、話の内容さえ聞かれなければそれでいい。半ば強引に相手の提案を受けることになったが、この時点で彼女がどこにいるのか大体の居場所は察してしまった。


 予想通り、保健室の前に到着。歩きながら聞いた話によると、一時間目の途中で気分が悪くなったとかで、先輩に付き添われてここに連れてこられたそうだ。一つ気になったのは、それは俺が送ったメールを見たせいでそうなったのか? ということだが、先輩が言うには、


「九時をちょっと過ぎたあたりね」


 時間は一致している。胸のうちでもやもやしたものが膨らんでいく。


 ドアをノックし、中へと足を運ぶ。出迎えてくれたのは山下先生。


「あら、どうしたの? 珍しい組み合わせね」


 興味深そうに微笑む先生に、先輩の眉間が険しくなる。


「そんなんじゃありません! それより先生、加古は?」


「えっ、休み時間に出て行ったけど?」


「……それって何時間目のですか?」


「だから、一時間目の休み時間。チャイムが鳴るなり、もう結構です。ご心配おかけしましたって言ってそのまま。顔色もそれほど悪そうに見えなかったから了承しといたけど、クラスに戻ってきてないの?」


「いえ……、帰ってきてませんけど……」


「じゃあ、早退しちゃったのかなぁ。でも授業に戻るって言ってたんだけど……。サボるような子にも見えないし、うーん……」


 先輩はすぐに携帯を取り出し、加古に向けて電話をかけるが――出ない。


 次いで実家の方にもかけたが、応対した母親によると、家にも帰ってきていないとのことだった。


 何か知らないか担任に訊いてくると言って保健室を出ていった佐江野先輩だったが、俺はその後に続かなかった。俺が向かった先は三年生の下駄箱。


 普通科三年一組、出席番号一番、相原加古。


 ――中には下履きが残されたままだった。


 つまり、早退していないし、二時間目と三時間目、彼女は授業に出ないで校内のどこかにいたということだ。


 山下先生に嘘をつき、俺はともかく、友人である佐江野先輩からの連絡も無視し、授業に出ずに今も学校内に残り続けている。それが、九時過ぎに送った俺のメールをきっかけにしているのだとしたら、彼女は今――


 バッと振り返る。


 シンと静まり返った校舎内。すでに四時間目は始まっている。廊下の奥にも窓の外にも誰もいない。少なくとも、俺が見ている範囲では……。


 ここからだと職員室が近い。先生に見つかると面倒なのでとりあえず移動することにした。





 別棟へと向かって歩いていると、中庭に隣接した休憩スペースに一台のワンボックスカーが停車していた。近くでは中年のおばちゃんが弁当やパンを陳列している。


 昼食の訪問販売の人だ。俺も度々利用しているところだが……と、目が合う。


「だめよ、授業サボっちゃ」


 笑いながら注意された。


「今から行くところです」


「そう。あっ、あんたいつも来てくれる子だよね。特別に何か売ってあげようか? 今なら好きなの選び放題だよ」


「ありがとうございます。でも教室に財布置いているのでまた後で来ます」


「ちゃんと勉強するんだよ」


 適当に誤魔化し、相槌だけ打ってその場を離れた。相手の裏を探ることなく、こんな日常的な会話をしたのはいつぶりだろうか。愛想笑いとはいえ、釣られて微笑んでいる自分に気付いてなんとも言えない気分になった。


 グーっとお腹が鳴る。「そういえば」と、昨日の昼食を最後に何も食べていなかったことに気付く。だが、あまり食欲がない。今食べたら吐いてしまいそうだ。熱も引かないし、体もダルい。さっき寄った保健室で薬を貰っておけばよかった。


 階段を上り、特別棟三階へ。社会科準備室の前に立ち、ドアを開く。鍵は修理されていなかった。ぱっと見ではわかりづらいため、まだ誰も気付いていないのかもしれない。


 室内に足を踏み入れる。誰もいない。五分ほど部屋の中を捜索したが、犯人が残したとおぼしき証拠品は見つからなかった。まあ、元々期待していたわけではないので、特にガッカリすることもなかったのだが……。


 そろそろいいかと、部屋を出る。もちろん注意しながら来た道の反対側へと抜け、一階まで下りる。校舎をぐるりと回り、先ほど会話したおばちゃんのもとへ――


「あら、どうしたの。忘れ物かい?」


「いえ、違います。えっと、変なこと聞くようですけど、さっき俺が通った後に誰か来ませんでしたか?」


 そう、これが聞きたくて一周回ってきたのだ。本当に俺を付け狙っている奴がいるのか、そしてそれは相原加古なのか――


 俺を見失わずに尾行するなら、ここを通るほかない。期待する反面、半分は外れてほしいと思っていた。俺の知っている彼女は、他人の命を奪えるような人じゃないのだから。


 おばちゃんは考える素振り一つすることなく、


「来たよ」


「えっ……」


 心臓がドクンとはねあがる。


「どんな人でした?」


 尋ねると、


「髪の長い女の子だったね。黒髪のきれいな。話しかけたんだけど、返事することなくあっちの方……っていうか、あんたの後を追っかけてった感じだったね」


「顔は……? ほかに何か特徴とかありませんでしたか?」


「さぁ、さすがにそこまでは覚えてないよ。二人ともスーっと通り過ぎていっちゃったし……」


「そうですか……」


 来た道を振り返るが、誰の姿も認められない。人の気配すら感じられない。こちらからは視認できていないだけで、向こうからは俺の姿は見えているのだろうか……。


「……ん?」


 ちょっと待てよ。今何か引っかかりを覚えたような……。


「あの、今『二人』って言いました?」


「言ったよ」


「二人って、俺とその髪の長い女の子じゃなくて?」


「いいや、髪の長い女の子二人だよ」


「えっ!? 女の子二人? それって一緒に行動していたんですか?」


「ううん。あんたが向こう行って三十秒ぐらいして一人目、それからさらに何秒か経ってから二人目の女の子がスススって物陰に隠れながら。あんたたち何やってるんだい?」


 おばちゃんの質問に答えることはできなかった。今話された内容が頭の中をグルグル渦を描いていく。端的にいえば混乱していた。


 二人目? 犯人は一人じゃなかったのか? 一人は加古? 二人とも別の人物?


 わからないが、どっちか一人でも捕まえることができれば答えは出るはずだ。


 移動を開始。旧校舎にある新聞部の部室に向かう。ドアの前に立ってノックするが……もちろん返答などない。今は授業中だ。鍵が閉まっていたら諦めようと思っていたが、不用心にも開いていた――いや、部室に入るなりテーブルの上に学生鞄が一つだけ置かれているのに気付く。いつか見たことのあるキーホルダー、それでなくてもこの部屋を利用する人間はこの学校に一人しかいない。


 笠原、いるのか……?


 奥に小部屋を見つける。元々ここは美術室として利用されており、間取りから考えるに、昔は教員用の準備室として設けられた一室だったのだろう。


 今は現像室と書かれたプレートが取り付けられており、光の入り込む隙間もないほど遮光がなされている。


 言うまでもなく、写真を現像するところだ。『勝手に開けるな!』とダンボールにも書いてドアに貼り付けられている。


 唾を一度呑み込み、笠原の名を呼んでみる……が、返事はない。現像室のドアを開けて明かりをつけてみたが、そこにも笠原はいなかった。


 聞きたいことは色々あったが、いないなら仕方ない。早く目的の物を探さなくてはと振り返りかけるが、一瞬チラッと気になるものが目に入った。


「なっ……!?」


 現像し終わったばかりのものなのか、プレートのようなものに何枚か写真が乗っかっており、その中の一枚を見て腰を抜かしそうになった。


 昨日の昼休み、俺は社会科準備室から放り投げられた鉢植えで危うく殺されそうになったわけだが、その、落ちてきた鉢植えが、顔の前スレスレのところを通過する瞬間が、写真に収められていたのだった。


 別の写真も同様だった。頭上から顔の前を通過し、地面に落ちて破損。そして驚いた顔の俺が飛びのくところまで。


 計七枚。アングルは向かいの校舎、恐らく屋上から撮られたものだろう。


 まさに決定的瞬間。ということは……。


 写真を撮ったのが笠原だとすると、犯人は別にいる? いや、共犯という可能性もある。こんな写真を撮りたいがために俺に恨みを持っている奴を捜しだし、始末するところを撮らせてくれと、そんな交渉していないと果たして言えるだろうか。


 さっきのおばちゃんが言っていた二人目が笠原なら、俺と犯人(一人目)から適度に距離を置いて付けてきていたことも説明できる。


 そして笠原といえば、昨日の篠塚との一件が脳裏によみがえる。


 もしも二人が結託しており、篠塚が女子生徒にふんして俺を狙っている一人目だとしたら、加古はこの件には無関係ということになる。


 少しだけ気持ちが高揚した。加古が犯人じゃない可能性が膨らんだことが、俺にとっては光明だった。自分の命が狙われているこの時においてもだ。


 よし、こうなったらグズグズしていられない。今この密室の空間で犯人に襲いかかられたらたまったものじゃない。ここにはある物を取りにきただけなのだ。


 たぶんこの辺りに……あった。


 一昨日、屋上から降下してきた笠原が、俺と裸の篠塚の写真を撮った時に使用した縄だ。


 一体どんなところから調達してきたのか知らないが、この縄があの写真を撮るためだけに使用されたものだったら、あとは用済みになって部室の端にでも放置されているのではないかと思ったが、ビンゴだ。


 長さは十メートルほど。丸めて制服の中に隠し、来た道から遠ざかるように再び特別棟を目指した。

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