第13話 対面

 たどり着いたのは屋上。


 時間がない。すぐに作業に移る必要がある。外周を覆っている柵に駆け寄り、縄をきつく縛る。さすがにロープワークの知識はないが、人一人の体重をほんのわずか支える程度ならこれで充分だろう。


 あとは、俺にその勇気があるかだ!


 下界を見下ろす。


 ……高い。ホントに笠原の奴ここから降りて写真を撮ったのかよ……。


 一度深呼吸。大丈夫! このくらいの高さなら足から落ちれば即死はない……はず。落ちたことないから知らないけど……。


 覚悟を決め、柵の向こう側へと足を踏み出す。


 今から俺がやろうとしているのは、犯人を屋上に誘い込んで閉じ込めるためだ。


 相手は女性とはいえ、今の俺が走って追いかけても捕まえる前にぶっ倒れるのが関の山だ。平然としているようにみえて実は結構ギリギリなのだ。


 犯人を逃がさないためには袋小路に追い詰めるしかない。


 そのための手段として俺が選んだのは、縄を使って屋上から三階の社会科準備室へと移動することだった。校舎の中を通り、俺を追って屋上に来た犯人の背後をとる。


 その後、追い詰められた犯人がどのような行動に出るか――ひょっとしたら刃物を持って襲ってくるかもしれないが、ここは学校だ。大声出して助けを呼べば、たちまち数百人の生徒が駆けつけてくる……はず。


 『はず』とか『だろう』とか、行き当たりばったりの作戦だが、自分の意思で砕けることができるなら、自分から当たりにいくまでだ。


 縄を持つ手に力を込め、体重を預ける。


「ぐっ……!」


 これは……思っていた以上にキツイ。自分の体重を握力だけで支えるのがこんなにキツイなんて……。少しずつ、焦らずに降りていく。指の皮がずるけそうだが、死ぬことに比べればこんなもの……ッ!


 三階、社会科準備室の窓が見える位置まで降りてきたが、


「……………………」


 詰んだと思った。窓のロックが外れているのは確認済みだが、肝心のその窓まで手が届かない。屋上のへりが出っ張っているせいだ。


 血の気が失せていく音というものを、初めて耳にした気がする。


 今さら屋上に戻れと言われても無理だ。必死に足を伸ばしてこの状況を打開せねば!


 窓枠の中央部に足を引っかけ、スライドさせる。二、三度繰り返してなんとか窓を開けることに成功したものの、代わりに失われた筋力による影響は甚大だ。


 あとは、ここから窓まで飛び移らないといけない。


 言ってもたかだか一メートルちょっと。振り子のように前後に揺れればいけると思うのだが、しかし――


 失敗の許されない挑戦というのは、どうしてこうも人を臆病おくびょうにするのか……。


 迷っている暇はない。足の裏と股の間にも縄を挟み、下を見ないように意識して、ブランコをこぐように前後に体を振る。


 勢いをつけるためには何度も振らなければならないが、それに反比例して減っていく握力。


 うおおおおおぉぉぉぉ……ッ!! 怖ええええぇぇぇぇ……ッ!!


 五往復、六往復、七往復、そして――


 決死のダイビング。窓枠に腹部を強打。そのままでんぐり返るように室内に転げ落ちていった。


ッ……!」


 何も食べていなくてよかった。腹に何か入っていたら逆流して悲惨な目に遭っているところだった。


 息も絶え絶えに立ち上がる。


 追い詰めた犯人に利用されないためには縄を回収する必要があるのだが、ここから結び目をほどけるわけでもないし、切り落とそうにも手元にカッターのたぐいはない。


 大体、それ以前に縄に手が届かないため諦めるしかない。


 それよりも今は犯人の背後を取ることに意識を集中させねば。


 問題はどのタイミングで行くか――。


 ドアを開けてそっと廊下の中央部を覗き込む。すぐそこだが、ここからだと壁が死角になって階段が見えない。無論、そこを上る誰かもだ。


 二人同時に追い込むとなると数的にこちらが不利。かといって一人目の後を追っていけば挟み撃ちにあう可能性がある。


 顔だけ確認して逃げる手もあるが、ここで捕らえないと後々のちのちとぼけられるおそれもある。


 正解はない。どれが最善かだ。


 スカートの裾がひるがえるのがわずかに捉えられた。


 迷っていても仕方ない。今のが一人目か二人目かの判断もつかないのだから――


 部屋から出て壁際に張り付く。この時点でこちらの存在を知られるわけにはいかないが、相手が誰であるかを知っておくに越したことはない。姿が見えなくなる前に確認しようと顔を出した瞬間――


 向こうも警戒していたのか、周囲へくまなく視線を散らしてていた、その、一点が――交わってしまった。


「あっ……」


 あまりにも間抜けな声。しかし相手も口を開けて同じ言葉を吐いている。


「なんでここに……」


 言ったのは相手だが、心境はこちらも同じだ。


 動揺が二人の時間を止める。先に動いたのは向こうだ。


 上りかけていた階段から足を引き、身をひるがえして廊下の奥へと走り出した。


「待て……待ってくれ!」


 必死に呼び止めるも、相手は止まってくれない。追いかけて捕まえようとするも、足は空回るばかり。


 俺は、三ヶ月ぶりに彼女の名を叫んだ。


「待ってくれ! 加古!」


 一人目か二人目かは知らないが、俺を尾行していた女子生徒――相原加古は、そのまま行方をくらませてしまった。


 元々運動の得意な子ではないのに、今の俺はそれ以下だ。めまいがしてまともに走ることすらできない。


 フラフラになりながらも来た道を戻り、屋上へと足を運んだが、そこには誰もいなかった。無論、今さら捜したところでもう一人が見つかるわけもなく、予想したくもなかった最悪の事実だけが残されてしまったのであった。


 今目の前に犯人が現れたら、抵抗することなく命を差し出してやってもいい、それくらい投げやりな気分だった。

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