第16話 真犯人

 放課後。俺が向かった先は特別棟の屋上だった。ここなら誰も来ないだろうし、目撃されるおそれもない。学校には迷惑かかるだろうが……、すみません。先に心の中で謝っておく。


 俺の命を狙う犯人として、ほぼ決定的になった人物――相原加古。確定とまではいかないが、俺を殺すほどの動機があるのは彼女しかいない。


 尾行していた『二人目』というのは笠原ノアで間違いないと思う。鉢植えが落ちてきた時に向かいの校舎から撮影していたくらいだ。今回も加古が犯行に及ぶ瞬間を捉えるつもりだろう。


 これから殺されるかもしれないというのに、気持ちは不思議なほど落ち着いていた。


 赤ちゃんの命と加古への謝罪。俺の命で全てがつぐないきれるものではないが、開いてしまった傷を埋める足しにはなるだろう。


 西の空に薄っすらと差した赤み。夕陽に照らされた俺の影が、校舎三階へと通じる踊り場まで伸びていた。


 その影を踏みしめながら屋上へと姿を現した女子生徒――相原加古。


 両手で何かを握り締めながらゆっくり近づいてくる。キョロキョロと辺りを探っているのは、やはり目撃者がいないか警戒してのことか――。


 昨日襲われた経緯から、てっきり奇襲でも仕掛けてくるのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。俺に抵抗する意思がないことを悟っているのだろうか……。


 先に口を開いたのは加古だった。


「久しぶりだね、用ちゃん。こうして話すの……。あの……、さっきは逃げ出しちゃってごめんね。急だったからびっくりしちゃって」


 なんだ……? 加古の言動に違和感を覚える。これから刃を向ける相手に気を遣ってどうするつもりだ?


「あの……、昨日もメールを送ったけど、ごめんね」


「ちょっと待ってくれ。なぜ謝る。加古、お前は俺を殺しにきたんじゃないのか?」


「ええっ!? 殺さないよ! 違うの。むしろ私はそれを止めようとして動いていたというか」


「どういうことだ?」


 加古は俺の目の前まで近づき、両手に持っていたものを差し出してきた。思わずビクッと体が反応してしまうが、それは刃物や鈍器の類ではなかった。


 携帯電話だった。画面には受信メールの一覧が表示されている。


「えっ、これ……」


 そこには、送信主のアドレスと、件名に書かれた文字が縦に羅列されていた。送信主は登録名でY。YOUICHIの頭文字をとって俺のことを示しているのだと思われる。


 そして、件名には五文字のメッセージがズラリと並んでいた。


 【どうしてこ】【用命狙手送】【信じろ犯捜】【お前は誰か】【にからされ】【犯人を捜せ】【たぶん女だ】【用五時死亡】


 都合八通の見覚えあるメッセージがそこに表示されている。


 そうか……。元々送信先のアドレスに設定していたのは加古のアドレスだ。全く同じものが同じ時間、二人の携帯に送られていたということになるわけか。


「これを見てどう思ったんだ?」


「誰かに命を狙われているんでしょ? だから、私助けなきゃって思って」


「助けるって、こんな不可解な内容のメールが送られてきて、よくそこまで行動に移そうと思えたな。おかしいとは思わなかったのか?」


「えっ、だってこれってうちの両親にバレたくなくて、こんな風に暗号めかした文章で送ってきたんでしょ?」


 そう解釈したか。なるほど。それで俺のアドレスの登録名をYに変更していたのか……。


「でもごめんね。私あまり頭よくないから、どうしても解読できなかったメールがあって。例えば、最初に送ってきた【どうしてこ】ってどういう意味だったの?」


「いや、わかんなかったなら別に気にしなくていいんだ」


 適当に調子を合わせて誤魔化す。


 このメールを送ることになった経緯や、俺が同じ時間をループしている可能性があることとか、その辺りのことは伏せることにした。


「それでさ、なんで俺のこと尾行なんてしたんだ? 助けようと思ったのなら、まずは普通に話しかけて来てくれたらよかったのに」


「うん、そうしようと思ったんだけど、用ちゃん、私の顔見るなり走って逃げちゃうんだもん。だから嫌われちゃったのかなぁって……」


 あの雨の日のショッピングセンターの時か。なんてことだ。あの時はてっきり加古に襲われるものだと思い込んで走って逃げてしまったんだが、実は逆だったということか。


「それで、俺に嫌われたと思ったから尾行に切り替えたのか?」


「うん。やっぱり心配だったから」


「じゃあ、図書室に呼び出した時、どうして来てくれなかったんだ?」


「えっ、待ってたよ! ちゃんと図書室の中で待ってたんだよ! でも用ちゃん来なくて」


 そうか……。加古は一時間目の途中で保健室から抜け出し、そのまま図書室の中で待機していたのだ。一方の俺は、加古は休み時間に現れるものだと思って、外側から来る生徒しか見ていなかった。


 なんというすれ違い。


 まあいい。ほかにも確認したいことがある。


「今日の四時間目に俺を尾行していたのは二人いたはずだけど、加古はどっちだ?」


「えっ!? どっちって何が? 私四時間目は用ちゃん以外の人なんて見てないよ」


 おばちゃんの話では、二人目は一人目のすぐ後に続いて尾行していたのだという。


 ということは、加古が第三者を目撃していないのなら、加古は『二人目』ではなく、『一人目』の尾行者と考えて間違いなさそうである。


 なら誰が『二人目』なのか――。浮かんでくるのは笠原ぐらいしかいないが……。


 まあ二人目が誰にせよ、二人いることで犯人が警戒して俺に襲いかかってこなかったのなら、俺は加古のおかげで助かったということになる。


 しかし、これでは何も解決していない。この一件を終わらせるためには、犯人の正体を突き止める必要がある。


 巻き込みたくはないが、俺にとって唯一の協力者。ここは加古に協力してもらった方がいいのかもしれない――


「……………………」


 ただ、協力してもらう場合、この案には一つだけ決定的ともいえる落とし穴がある。


 それは――


 加古が犯人だった時だ。


 好きな人のことを疑いたくなんてないが、俺を助けるために来てくれたというのがどうしても腑に落ちない。


 だって、俺はお前の赤ちゃんを見殺しにした男だぞ。


「なあ、加古。なんで俺のこと助けようと思ったんだ? お前は俺をうらんでいたんじゃなかったのか?」


「ええっ!? そんなことないよ! むしろ謝りたかったのは私の方なの。ごめんね。私のお父さん、あんなに怒るとは思わなかったから……」


「それはいいんだけど、その……、赤ちゃんのこととかさ。ろしたんだろ?」


 探るように加古の顔を覗き込んでみると、


「それは仕方ないよ。私にも責任があったことだからさ。手術の前は怖かったけど、麻酔で意識を失ってたし、うん……。目が覚めた時には全部終わってたし……。びっくりしたよ。手術受ける前と後で何も変化がないんだもん。ホントに子供できてたのかなーって。そんな感じだから……ね。だから、大丈夫……だよ?」


 強がりを含んだ、涙まじりのやさしさ。


 少しでもこの人のことを疑ってしまった自分に腹が立ったし、恥ずかしくもあった。


 一年間、誰よりも彼女のことを考え、そばで見てきたはずなのに……。


 この子がどんな人間か、俺が一番知っていたはずなのに……。


「加古、ごめんな」


 遅いかもしれないが、遅すぎるかもしれないが、俺は彼女に謝った。


 彼女は、薄く微笑んで、許してくれた。





 不思議なものだな。さっきまで加古になら殺されてもいいなんて考えていたくせに、犯人が別にいる可能性が高まっただけで、急激に死ぬことに対する恐れが俺の中に生まれてしまった。 昔と何一つ変わることのない彼女の態度に、あの頃と同じ感情がよみがえってきたせいかもしれない。きっかけはなんであれ、再び共有できた加古とのこの時間を、失いたくないと考えている俺がいたのだ。


 こんなところ加古の親父さんに見つかったら本気でぶっ殺されてしまうかもしれないが、それでも俺はこの人のそばにいたいと、そう思ってしまったんだ。




 警察に相談した方がいいよという加古のアドバイス。


 こんなこと信じてもらえると思わなかったし、何より加古に迷惑をかけたくなかったから遠慮していたことなのだが、当の本人に言われたとあっては考えないわけにもいかない。


 色々と悩んだ末に、行ってみることにした。


 時刻は四時半。篠塚に見つからないように特別棟を離れ、学校を後にする。


 二人並んで歩くのはどれくらいぶりだろうか。懐かしいし嬉しくもあるのだが、


「なぁ、加古。やっぱり俺一人で行った方がいいんじゃないか?」


 二人で一緒にいるところを目撃され、そのまま感情のままに非難されるのはごめんだ。もう一度加古の両親に会い、俺たちの仲を認めてもらう――一緒に行動するのはそれからの方がいいと思ったのだ。


 しかし加古は、


「いや。私も行く」


 子供のように駄々をこねられる。一年という短い付き合いながらも、こうなると何を言っても無駄だということは悟らされている。


 わかったと小さい声で了承し、警察署までの道を急いだ。





 尾行を警戒しながら、なるべく人の多い通りを選んで歩いていく。相手は電車の中で犯行に及ぶような奴だ。油断はできないが、人のいないところを歩くよりはマシだろう。


 その時だった。


「用一」


 落雷に打たれたかのような衝撃を受ける。地元から三駅離れた大通りの一角。ここでその声を聞くとは思わなかったからだ。


 何故なぜという疑問を挟んだまま振り返ったその先に、義理の母――志保子が立っていた。


「なんでここに……」


「買い物よ。それよりあなた……」


 隣の加古を一瞥いちべつした後、


「あなた、自分が何をやっているかわかっているの?」


「……………………」


 何も答えられない。


 相手は無断で俺の部屋に侵入した不届き者だ。あんたには関係ないだろと突っぱねたいところだが、心情的にそうできない理由がある。


 三ヶ月前のあの一件で、俺はこの人にとてつもなく迷惑をかけたという引け目があるからだ。


 ほとんど無関係なはずのこの人に、下手したら俺以上に怒鳴り声を叩きつけた加古の父。二度と会うなと脅され、それを母の前で受け入れさせられた経緯もあり、この状況をうまく取り繕うにはあまりにもタイミングが悪すぎた。


 いくら近いうちに追い出そうとしている相手でも、今はまだ俺の保護者なのだ。俺の身勝手な行動や失敗のつけは母が取らされることになる。


 だからこそ簡単に口を開くことができなかったのだが、でも、俺としてはもう一度加古と付き合いたいという気持ちがある。


 彼女もそのつもりで俺のもとに駆けつけてきてくれたはずだ。二人の関係はそれほど浅いものではない。直接尋ねたわけではないが、今の彼女を見ていればそのくらいわかる。


 このまま言いたいことを呑み込んでしまえば三ヶ月前の二の舞になる。狙ってやったわけではないが、加古が俺のもとに来た原因が俺のメールにあるのなら、それに応えてくれた彼女のためにも、ここは俺がビシッと言わなくてはならない。しかし、


「人が多いわね。場所を変えましょうか」


 機先を制される。だが、向こうも話し合いに応じてくれるようなので、ここはその提案を受けることにした。


 母が先導する形で後に続く。脇道に入り、細い路地を抜けていく。辺りから人の姿はなくなったが、母の足は止まらない。無言のまま付いていく。


 不安でたまらなくなったのか、加古が俺の制服のそでを指先でつまんできた。大丈夫という意味を込めて手で握ってやると、彼女も強く握り返してきた。それだけで俺はなんでも出来るような気がした。


 人気ひとけのない工場跡地。母が振り返る。周囲を見回し、


「ここなら大丈夫そうね」


 辺りには人一人いない。ただ話をするだけだというのに、神経質なくらい周りを見回している。


 世間体を気にする母だ。万が一にも他人に聞かれたくないのだろう。


「さて、何か言い残したことはある?」


 話し合いの第一声がそれというのもどうなのだろう。最初からこちらの言い分なんて聞く気はないってことか……。受け身になっては駄目だ。こちらが先手を取らなくては――


「志保子さん。突然で悪いけど、あなたと哀香にはうちを出ていってもらうよ。父との再婚生活も数ヵ月しか続かなかったんだ。息子である俺に義理立てする必要はない。俺のせいで嫌な思いもさせてしまったし、これからもっと迷惑をかけることになる」


 無論、これは俺と加古の復縁の件でだ。母との関係さえ解消してしまえば俺に負い目はなくなる。


「その方がお互いのためでしょう?」


 そのように告げると、


「何を言っているの? そんなの認められないわ」


「どうして……。あんた俺のこと嫌いなんだろ。これ以上あんな生活続けることになんの意味があるんですか。もう終わりにしましょうよ。少なくとも俺はこれ以上耐えられない」


「なに? 食事のことで怒っているの? ダメよ、あれくらいの嫌がらせ、笑って許せるくらいの器量をみせてくれないと」


 自分で嫌がらせって言っちゃったじゃないか……。半笑いだが、冗談か本気かわからない。


 だが、


 これではっきりした。この人は敵だ。ただ俺のことを憎んでいるだけなんだ。もう取り繕った態度を取るだけ無駄。上部だけの関係もこれでおしまいだ。


「どうせあんたが欲しいのは親父の遺産だろ。印鑑とか通帳探すために俺の部屋の鍵いじくって勝手に入ったくらいだしな」


「えっ!?」


「そんなに欲しいなら好きなだけやるよ。だから、もう二度と俺の前に姿を――」


「ちょっ、ちょっと待って!」


 怒りに任せて思っていることをぶちまけようとしたのだが、これまでと打って変わったような母の狼狽ろうばいぶりに、次の言葉が繋げなくなる。


「あなた今なんて言った? 勝手に部屋に入られた? 誰に!」


「は? あなたしかいないでしょう。今さらとぼけないでくださいよ」


「……………………」


 一点に地面を見据え、何か考えている様子の母。


 どうした? もうボロは出ているんだ。今さら容疑を否認されたところで、あなたの印象がよくなることはない。もう完全に悪化しきっているからな。


 母は険しい顔でぶつぶつと何かつぶやいている。


「チッ、やられたわ……」


 微かに聞き取れたのはその言葉ぐらいか。母はすぐに顔を上げると、


「話はここまでよ。私は先に帰るから」


「え? ちょっと……!?」


 早足で俺の横を通り過ぎていこうとする。たまらず体を入れて進路を防ぐが、


「どきなさい!」


 切羽詰まった様子でいきり立っている。俺が今言った言葉のどこに焦りを覚える要素がある。


 ただ、なんとなくここで母を家に帰してはいけないような気がして、必死に腕をつかんで動きを阻害するが――


 母の眼が、俺の背後へと流れ、くわっと大きく見開かれた。


「まっ……、待……ッ!」


 『何か』を止めようとしているのか? 母の尋常じゃない様子を目の当たりにして、俺もき立てられるように危機感が煽られるが、それを行動に移すだけの時間は残されていなかった。


 振り返るよりも早く、背中に『何か』がぶつかってくる。


「カハッ……!?」


 人体の中に入れてはいけない『異物』が入ってきたのがわかった。


 燃えるような熱さと痛さ。失われていく体温と力。自由の利かなくなった体は、そのまま前のめりに崩れ落ちていった。


 一体『誰に』背後から襲われたのか――


 辛うじて繋ぎ止められた思考能力が、想像したくもない『犯人』の名前を浮かび上がらせる。


 ――今の今まで俺の後方で待機していた一人の女性。


 ――霞んだ瞳に映る、女子用の制服を着た髪の長い女。


 加古……、お前なのか。お前だったのか……。


 絶望へと意識がシフトし、暗く、黒く、染められていく。


 もういい。もう充分だ。

 一度信用させてからの、裏切り。

 復讐を果たしたい相手に、これほど効果的な手段もないだろう。


 死にたくない。こんな気持ちのまま、最期を迎えたくない。


 そう感じている俺がいる。

 屋上にいたときの心境とは、大違いだ。


 でも、もうどうしようもない。

 これが加古の望んでいる結末なら、やはり、俺はそれを受け入れるしかないのだ。


 このまま意識を手放そうとしたとき、ふと、疑問が渦を巻いて回遊し始めた。


 待てよ。


 三回目のループ時、なぜ『その時の俺』は【用五時死亡】などと送信したのだろうか――。


 与えられた情報が同じなら、『三回目の俺』も『今回の俺』も同じ考えに至り、同じ行動を取るはずである。変化が起きるのは、『三回目の俺』が送ったメールを『今回の俺』が見たその瞬間からである。


 なら、


 加古に殺されるならそれを受け入れようと覚悟したはずの『三回目の俺』が、【用五時死亡】というメールを送った本当の理由とはなんなのか。


 初めは自宅に火を放たれるなりして、母や哀香を巻き込みたくないと考えた『三回目の俺』が、殺される場所を変更させるために残したメッセージだと思っていたのだが、そうじゃなかったとしたら――?


 『三回目の俺』が、迫り来る『死』にあらがってまでメッセージを残したかったのは――



 犯人は加古ではなく、別にいることを知ったからだ。



「うぐっ……!」


 ポケットから携帯を取り出し、体の向きを変える。少し動くだけでむせ返りそうになる。


 加古は少し離れたところで尻餅をついている。表情も強張っており、信じられないものでも目にしたかのように俺のことを見ている。


 ああ、よかった。俺は安堵した。その顔をするということが彼女の潔白を証明していることになるからだ。


 それなら俺を刺した犯人は一体誰なのか……。


 背後に誰かいるのはわかるのだが、体の自由が利かないせいか後ろを向いて確認することができない。


 ――代わりに、低く抑え込んだ女の声が俺の耳へと入ってきた。


「馬鹿、私が合図出すまで出てくるなって言ったでしょ!」


「……………………」


 母の叱責する声。相手は黙っているのか小声なのか、聞き取ることができない。


「まあいいわ。今はそんなこと言ってる場合じゃない。あんた携帯持ってるわね。今回はそれで『代用』することにするわ。早く出しなさい。急いでここから離れるわよ。もしかしたらここに『あの女』が来ているかもしれな――」


「そこまでだ!」


 突如、横手から男の野太い声が響いた。


「警察だ。春日志保子、春日哀香。殺人、傷害の容疑でお前たちを現行犯逮捕する。大人しく両手を挙げて後ろを向け!」


 春日……哀香……?


 じゃあ、母と哀香は共犯だった……ってこと……か。


 ここでクスッという笑い声が聞こえる。


「よかったですね、お兄さん。『今回』はあなたの勝ちみたいです。でも『次』はこうはいきませんよ。必ずお父様と同じ運命をたどらせてあげますから、楽しみにしておいてください」


 哀香の方から俺の視界に入ってきたが、一瞬彼女だとは気付かなかった。なぜなら、哀香が身につけていた制服がうちの学校のもので、長い黒髪のカツラもかぶっていたからだ。


 ――ッ!?


 電車の中で俺を刺そうとしたのも、昼休みに植木鉢を放り投げてきたのもこいつだったということか。


 二人が共犯なら、家の中で俺を殺そうと思えばいくらでもチャンスはあったはずだ。それなのに変装してまで家の外で犯行に及んだのは、自分たちが疑われないようにするため――


 だが、今の二人に焦っている様子はない。駆けつけてきた警察に取り押さえられているが、抵抗する素振りすらない。


 それに哀香も意味不明なことを言っていた。


 今回? 次? お父様と同じ運命?


 どういうこと……なの……か……。


 ダメだ。血を失いすぎたか……。言われたことが……理解できない。


 そうだ……。それよりも携帯……。早くメールを送らないと……。


 犯……人、母……、哀……香……。


 あとは、送信ボタンを……おすだけ……。


 だったのだが、


 ボタンを押す直前に、何者かに奪い取られる。


 そんな……。二人の身柄は警察が押さえたんじゃないのか……。


 数人の警察に両腕をつかまれ、連行されていく母と哀香の姿が横向きになった俺の視界に入った。やっぱり……。じゃあ誰が……?


「安心してください、先輩。この事件はわたしの手で終わらせますから。だから、先輩はゆっくり休んでいてください。すぐに救急車も到着しますので」


 その声は笠原か。すでに問いかける力もない。ただ意識を失わないように気を張っていることしかできない俺の耳に、再び母の声が聞こえてきた。


「笠原ノア……! まさか用一の部屋に入り込んだというのは――」


「ええ、わたしです。そういえばこうしてじかにお会いして言葉を交わすのは初めてですかね?」


「そんなことはどうでもいいわ! それよりも、あの部屋に入ったってことは……」


「ええ、回収させてもらいましたよ。あなたの携帯電話。まさかあんなところに隠していたなんて思いもしませんでした。おかげでずいぶん手をわずらわされました」


「チッ……。でも、まだこの子の携帯があるわ。ちょっと刑事さん。まさかこの子の携帯電話、あそこにいる笠原ノアという女に渡したりしないでしょうね? これは大事な証拠品よ。今回の事件に関する重要な情報がたくさん入っているの。どうなの?」


「そうだな、もちろん調べさせてもらうさ。きちんとな」


「そう。その言葉が聞けてよかったわ。大事に扱ってちょうだいね」


 哀香の携帯が刑事の手に渡る。


「残念だったわね、笠原さん。まだこの『螺旋』は終わりを迎えていない。次の世界でまたお会いしましょ。さあ、刑事さん。行きましょうか。牢獄なり死刑台なり、好きなところに運んでちょうだいな」


 母はそう言うと、最後に俺を見て笑い、パトカーへと乗り込んでいった。


 なんなんだ……、この余裕は一体……。


「用ちゃん。大丈夫!」


 ようやく動けるようになったのか、加古が俺のもとに駆けつけてきた。目の前で手を握られているが、もはや感触は……ない。


「死んじゃだめだよ……。ねぇ! ねぇってば!」


「安心してください、相原先輩。先輩はちゃんと助かりますから」


「……どうしてそんなことがわかるの?」


「これはもう確定していることですから。わたしにはわかるんです」


 また笠原がわけのわからないことを言っているが、今の俺にはそこに意識を傾けるだけの余力は残されていなかった。


 薄れていく視界。ぼやけて明度を失い、黒に染まって、意識が切れた。

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