第17話 究明 ~ループエンド~

 一ヶ月が過ぎた。


 あれほど色あせていた日常が恋しくなるくらいには入院生活にも飽き始めてきた今日この頃。


 死の淵をさまよった一週間がもう遠い昔のことのように思える――意識がなかったので別に覚えてはいないのだが。


 医者の話では、もう少ししたらリハビリを開始し、数週間から一月ひとつきほどで退院の許可も下りるだろうとのことだった。


 これまで真面目に授業の単位を稼いでいたこと、間に冬休みを挟むこともあって、追試と補習をこなせば進級に支障はないという担任からの言伝ことづてもあった。


 入院の手続きや家のこと、学校への連絡などは叔父さんとその奥さんがやってくれた。身の回りの世話に関しては加古が毎日訪ねてきてくれるので、彼女に任せている。


 ただ、このことを向こうの親が知ったらと考えると、今さらながら身の毛もよだつ思いである。


 母と哀香があの後どうなったかはわからない。叔父さんや加古も気を遣ってか、そのことには触れてこないし、俺自身テレビや新聞にも目を通していないからだ。


 義理の家族に殺されそうになったくらいだ。全国紙で取り上げられていてもおかしくない事件だったが、俺の回りの時間は拍子抜けするほど平和に流れていた。


 学校に通い始めるようになればこれまで以上に奇異な視線にさらされることになるだろうが、今からそんなことを考えていても仕方ない。あの空気にはもう慣れている。好きなだけ噂すればいいさ。




 さて、ここで一番気になる人物の動向として笠原の名が上がるわけだが、彼女が今どうしているのかは俺も知らない。


 意識を失う前に現れた笠原。決定的瞬間を撮り続けている女だ。あのタイミングであの場に現れてもおかしなことではないのだが、うちの母と何か繋がりがあったようだし、気になることもいくつか言っていた。


 そのことについて会って話を聞いてみたいのだが、一度も見舞いには訪れていない。


 それとなく加古に訊いてみたが、学校では見かけていないとのこと。探してもらったり呼び出してもらえば会うことはできると思うのだが、事情が事情なだけに加古を交えて話をするというのは気が進まない。だからといって加古だけ席をはずしてもらうと除け者扱いしているというか、いらぬ疑いを持たれてしまいそうなので、ここは俺が一人でいる時に笠原の方から現れてくれるのを待つほかない。


 こんなことなら携帯の番号でも聞いておけばよかったなと、今さらながら後悔。


 携帯といえば、あれから着信や受信があるのは加古と叔父さんくらいで、例の五文字のメールは一度も届いていない。


 まあ、送る理由が今の俺にはないので、届くわけないのだが……。


 何日か前に試しに一度やってみようかとも思ったが、止めておいた。


 俺が意識を失いかけていた時に交わされた母と笠原の会話、そして哀香の言葉。


 『今回』とか『次』とか、やたら携帯電話の所在について神経質になっていた母のあの場面が、脳裏に焼きついて離れなかったからだ。


 下手に手を出すと、再びあの事件のあった朝にループしてしまうような気がして、どうしても送信ボタンに指が触れてはくれなかったのだ。


 このモヤモヤを解決するには、やはり笠原に会って話を聞くしかない。俺が退院するまであと一ヶ月ほどだが……。


「ん?」


 いや、ちょっと待てよ。携帯の番号は聞いていないけど、自宅の方の連絡先なら笠原の担任からうかがっていたはず。


 時刻はもう夜の七時を過ぎている。女の子を呼び出すには少々物騒な時間帯だが、連絡がつくなら会ってきちんと話を聞きたい。


 携帯電話を手にする。


 マナー的に大部屋での通話はなるべく避けた方がいいと言われているが、別に禁止されているわけでもない。それに今は一人だ。問題ないだろう。


 アドレスを引っ張り出し、通話ボタンに指を伸ばした時に――


「大丈夫ですよ、先輩。わざわざ電話をかける必要はありません」


 病室に笠原が姿を現した。入ってくるなり、


「この椅子お借りしてもいいですよね」


 隣のベッド脇に置かれていた折り畳み式のパイプ椅子を持ち、俺の隣に移動してきた。


 この病室は三人部屋だが、先日一人退院して空きが一つ。隣でいつも小説読んでるおじさんは今席をはずしている。


 つまり、今この病室には俺と笠原の二人しかいないわけだが、いつおじさんが帰ってくるかもわからないのに、全く遠慮することなく人の持ち物を勝手に拝借するなんて、それは人としてどうかと思うぞ笠原……って!


 そんなことはどうでもいい!


「もう面会は終わっているはずだぞ、笠原」


 いや、これも聞きたかったことじゃないのだが――


「でも、先輩は今からわたしを呼び出す予定だったのでしょう?」


 笠原の方から軌道を修正してきてくれた。


 どうしてそれを知っている。俺の心の声でも読んでいたのか?


 わざとらしくそれを言ってくるということが、彼女が普通ではないということを自分で証明しているのだと思えた。


「お前も同じ時間をループしているのか?」


 だからというわけでもないが、思い切ってそのように尋ねてみると、


「はい、驚きましたよ。まさか先輩も『このやり方』に気付くなんて思いませんでしたから。やっぱり相原先輩にメールを送ったことがきっかけですか?」


「そうだが……。でも、俺がループしていることに気付いたことを、どうやってお前は知ったんだ? 俺は誰にもこのことを言っていないぞ」


「そりゃあわかりますよ。事件のあった日とその前日。先輩の行動に変化が起きていたんですから」


 なるほど。例えば今回のように未来からの情報が送られてくるなど、その人物に変化を与える要因でもない限り、俺を含めた全ての人間は愚直なまでに同じ行動を取り続けるだろう。


 そこに変化があることを感じられるのは、同じ時間を何度もループしている奴しかありえないのだから。


「じゃあ、ここに呼び出されることを知っていたというのも?」


「はい。すでにこの日を経験している未来のわたしから、この日起きる内容をメールで伝え聞いていたからです」


「そうか。だからそれを知ったお前はこうして直に会いにきてくれたってことか。でも、この日起きる内容っていっても相当な情報量があるだろう。どうやって五文字の文面で伝えたんだ? 何回かに分けて送るにしても、二時間おきにしかメールは届かないんだろ? その日送った過去へのメールは、その日の朝九時に届く決まりになっているのなら、せいぜい五~六通しか送る余裕はないと思うんだが……」


「やっぱり気付きませんでしたか。まあ気付かないのが普通です。わたしも何度も実験してやっとその方法を知ったくらいですから。答えは簡単です。件名に入れる『かこへ』の前に、日付を打ち込めばいいんですよ。こんなふうに」


 笠原はポケットからメモ帳とペンを取り出し、俺に見せてくれた。


 〈SUB 2001.11.17.09:31かこへ~〉


 例えばこれなら2001年11月17日の午前9時31分の宛先にメールを送れるらしい。


 笠原はメモをしまうと、


「なぜ五文字しか送れないのかとか、なぜ日時を指定しなければ午前九時から二時間おきになるのかとか、そういったことまではさすがにわたしもわかりません。ひょっとしたら、この世界そのものが神様によって創りだされたプログラムで、わたしたちはその中で起動している駒に過ぎないのかもしれませんね。定められた法則によってこの世が成り立っているのなら、過去にメールを送る方法も、そのプログラムの隙をついているだけと考えると納得がいきます」


「面白い発想する奴だな……。なら、宛先を加古のアドレスに設定したのに、俺にも同じ内容のメールが送られてきたのはどういう仕組みになっているんだ?」


「さあ? どうしてでしょう。さすがにそこまではわたしにもわかりませんね。わたしは自分の携帯のアドレス以外で試したことはありませんから」


「そうか。じゃあ、お前がこの『やり方』に気付いたのはいつで、何がきっかけだったんだ?」


「気付いたのは今年の三月の終わりくらいです。つまりこの学校に入学する前ですね。きっかけは……たまたまですよ。こんなことやれば過去にメールなんか送れたりしないかなーってことを普段から考えてまして……。わたし小説書いているんですが、そのネタ用ですね。それで実際に試したらホントにできたんですよ。朝の九時に自分のアドレスから変なメールが届いていたので――この時点でループ二度目に入っているわけですが、五文字の文面の書き出しがその小説で使おうと思っていた文の出だしと一緒だったので、ピンと来たわけです。それから何度も試しているうちに、自分が同じ一日をループしているという事実に気付いた、そんな感じですね」


 今まで決定的瞬間を撮り続けてこれたのも、そのループを利用していたというわけか。


 何時何分にここでこんなことが起こる――ニュースや新聞を見ればそんな情報いくらでも入ってくる。それを過去の自分に報せれば、まさにどんな瞬間でも撮り放題というわけだ。


 ここで確認しておきたいことが一つ――。


「なあ、笠原。事件のあった日のことなんだけど……。あの日俺さぁ、四時間目に新聞部の部室に行ったんだよ。そこの現像室にあった写真のことで聞きたいことがあるんだが――」


「ああ、あの写真のことですね」


 全く悪びれることなく言ってくる。写真とは、社会科準備室から放り投げられた植木鉢に、俺が殺されそうになった瞬間を捉えたあの七枚の写真のことだ。


「どうしてあんな写真を撮る必要があった? ループすることができるなら、あそこで俺が襲われることをお前は知っていたということになるだろ? 哀香が社会科準備室に潜んでいたことも知っていたはずだ。まぁ、さすがにお前一人で捕まえろというのも無理な話かもしれないし、あのタイミングでは警察も動いてくれないだろう。でも、だったら俺に言えばよかったじゃないか。生徒に扮した哀香が俺のことを狙っているって言ってくれたら、俺もその話をもとに動くことはできたのに……」


 その時点で俺は自分がループしているという自覚はなかったが、不可解なメールは届いていた。実際に電車の中で刃物を突き立てられた直後だったから、「命を狙っている人がいる」と笠原が俺に言ってくれれば、疑心に満ちていたあの時の俺なら、お前の話を鵜呑みにはしなくても、言われるままに行動は起こしていたはずだ。


 そうすれば先回りして哀香を捕まえることはできただろうし、その後俺が刺されてこんなふうに入院生活を送ることもなかった。


 違うか? 笠原。


「そうですね。わたしは犯人が誰かその時点で知っていましたし、犯人が窓から植木鉢を放り投げるところを目撃できる場所にもいました。実際に見ましたし」


「じゃあどうして」


「あそこでわたしが哀香さんを捕まえて、先輩のお母様と共犯関係にあることを立証できたとしても、それじゃあ意味がないんですよ」


「どういうことだ?」


「ループできるのはわたしだけじゃないってことです」


「それってもしかして……」


「ええ、あの二人もです。あの二人を捕まえることができたとしても、もう一度彼女たちにループされてしまえば、捕まえたその事実が『なかったこと』になりますから。そしたら彼女たちは方法を変え、別の手段で先輩の命を狙うことになるでしょう。もし先輩が殺されたら、今度はわたしがループします。過去に戻ります。何度も同じことを繰り返すことになります。いたちごっこです。意味がありません」


「ちょっと待ってくれ。二人を捕まえたらその時点で終わりだろ? 哀香を捕まえて、その後すぐにうちの母を拘束して携帯をいじる暇を与えなければ、その時点でループされるおそれはなくなるじゃないか。事前に作戦立てて、哀香が犯行に及んだ瞬間に母も捕まえられるようにしておけばいいと思うのだが……」


 目が合ったまま数秒の沈黙。笠原は一度息を吐き出すと、


「うーん……。ここだけ切り取って話してもわかりにくいと思うので、わたしが彼女たちとかかわるようになった経緯を含め、順を追って話していくことにしましょうか」


 そうして、長い長いこの事件の真相が、笠原の口から語られることになった。






 ――メールを過去に送る、つまりループする事実に気付いたという話はさっきしましたよね。


 時期は三月の終わりくらい。高校に入学する前のこと。最初は事件や事故の瞬間をただカメラに収めたくて始めただけだったんです。


 朝、新聞やニュースを見て気になる出来事をピックアップし、場所と時間、そして簡単なあらましを何回かのメールに分けて送信する。


 それを受け取った『過去のわたし』は、送られてきたメールの指示に従って撮影を始めます。アングルが悪かったり被写体がブレてうまく撮れなかった時は、失敗した理由を詳細に書き込んで送りなおす。つまりもう一度ループして撮りなおすわけです。


 基本的には学業優先ですが、事の内容次第では遅刻なり欠席なりしてでも撮影に向かっていました。


 そんな生活を続けること三ヶ月余り。


 時期は七月の頭ぐらいですかね。その日は学校を早退し、昼近くに現場へと向かいました。目的は自動車同士の衝突事故です。


 見通しのよい道路を走行中の軽自動車が、突如横転して反対車線へ。そこに突っ込んでいく形で黒のセダンが巻き込まれ、運転手は双方とも死亡。


 わたしは歩道橋の上からそれを見ていて、ふと疑問に思ったのです。送られてきたメールには、軽自動車がスピードを出しすぎたせいでバランスを崩し、コントロールがきかなくなって横転。そして反対車線へ――だったのですが、実際には、片輪が『何か』に乗り上げていたんですよね。


 気になって調べてみたのですが、そこには何もありませんでした。


 ただ、アスファルトの上が不自然に濡れていました。


 おかしいと思いませんか? 真夏の、しかも日射しの照りつけるアスファルトの上、温度は四~五十度はあっただろう場所が乾くことなく濡れているなんて……。


 わたしはその詳細をメールにしたため、すぐにループしました。


 事故の三十分前に歩道橋に行き、双眼鏡を使って確認。


 すると、事故が起きる一分前に、一人の若い女性が現場を横断。一瞬だけ腰をかがめ、肩からかけていた保冷バックのようなものから『何か』を取り出し、車道に置いたのです。


 交通量が少ないところとはいえ、歩道には人もいました。しかし誰も彼女に注視していません。それほど自然な動作だったのです。


 その人が去った数十秒後、軽自動車がそれに乗り上げ横転しました。


 わたしはその結果をメールにのせ、もう一度ループしました。今度は間近で確認するためです。


 近くの路地に身を潜め、彼女が現れるのを待ちました。そして、時間通りに現れた彼女の後をつけ、すぐ後ろからその様子を観察しました。


 バックから取り出したものは、氷で作られた車輪止めのような形をしたものでした。


 幅は狭かったですが、奥行きと高さはそれなりにありました。そんなものに走行中の車が乗り上げたらどうなるかは語るまでもないでしょう。


 氷で作られている理由は証拠隠滅のためですね。軽自動車とはいえ重さは一トン近くあります。一度乗り上げれば砕けてバラバラになるでしょうし、散らばったそれらを溶かすのは熱いアスファルト。数分で証拠はなくなります。


 彼女がそれを道路脇に置いた時、わたしは声をかけました。「何やっているんですか? そんなものここに置いたら危ないでしょう」と。


 そしたら彼女はこう言ったのです。「ふーん、あなただったんだ……」と。


 その時のわたしには意味がわかりませんでしたが、すぐにその答えを知ることになります。彼女がその言葉に含ませた意味はこうです。


 『本来なら』誰にも話しかけられるはずのない場所でわたしが話しかけたものだから、彼女は悟ったのです。自分以外にもループしている人間がいることに。いや、ループしている人間がいたこと自体は知っていたのでしょう。


 なんせ、その時点でわたしは決定的瞬間を撮り続け、ネットにバンバン画像を上げていましたからね。そんなことができるのは同じ時間をループしている人間しかありえない。


 彼女が「あなただったんだ」と言ったのは、それがわたしの仕業だと知ったからです。


 ここまで言えばもうわかると思いますが、そうです。彼女の名前は春日哀香。先輩の妹さんです。そして、黒のセダンを運転していた男性、春日光則みつのり。当時、この町の町長をやっていた人物。先輩のお父様です。



 結局、その時はわたしが妨害したせいで事故が起きることはありませんでした。彼女は平然とその場を去っていき、わたしはわたしでこのまま時間を進めていいのか迷ってしまって、哀香さんの後を追うことができませんでした。


 なんせ、歴史改変ですからね。『起きた事実を写真に収める』というのと、『その事件や事故自体無かったことにする』とでは、全く意味は違ってきます。わたしのやっていることもほめられたものではありませんが、未来に与える影響という点ではそこに大きな隔たりがあるでしょう。


 どのみちループしてやり直せば修正はできる。そう考えることにして、わたしは彼女の正体を探ることにしました。


 もう一度ループし、今度は父を連れていきました。あ、うちの父は刑事なんです。仕事ばっかりでろくに家に帰らず、母に愛想つかされて別れることになったのですが、その母も亡くなりわたしは一人暮らしをすることに。


 素人のわたしが怪しいからと判断したくらいで動いてくれるような人じゃないんですけど、今後のわたしの生活について相談したいと嘘をついて無理やり呼び出し、哀香さんの犯行を見てもらうことにしたんです。


 妙に勘が鋭く疑り深い人ですが、腕は確かです。刑事という職業はあの人にとって天職なんでしょうね……。あっ、話が脱線しましたね。続けます。


 場所が場所なだけに思いっきり父に怪しまれていましたが、哀香さんの犯行さえ見てもらえばすぐにスイッチが切り替わるだろうと考え、予定の時刻を待っていたのですが……来ませんでした。


 当然、何事もなく軽自動車とセダンがすれ違いました。事故は起こらなかったのです。


 一度わたしに犯行を咎められたものですから、彼女も警戒したのでしょう。

 

 このままだと、本来なら亡くなるはずだった先輩のお父様、そして軽自動車の運転手が生存する歴史が生まれてしまいます。


 言い忘れていましたが、過去へメールを飛ばせる期間は最長で一週間です。一週間過ぎてしまえば、そこまでさかのぼってループすることができなくなる。つまり、世界の歴史がそこで確定するのです。


 すぐに決断する必要はないのですが、『その時』が来た時にわたしはどう動かなければならないのか考えました。


 あの女性、つまり哀香さんが現れなかったせいで事故が起こらなかった。もし次ループした時に彼女が現れなければ、車輪止めを置かなければ、事故が起こらなければ――


 歴史を歪めないためには、わたしがそれを代わりにやる必要があるのか――と。


 しかしよく考えてみると、ループできる哀香さんがあの事故を起こしたなら、それって本来なら起こるはずのなかった事故だったのではないか――


 そこまで思考が及んだ時、わたしの中の何かに火がつきました。


 絶対にあの女性の企みを暴いてやると思ったのです。


 前回のループで一度出会っただけの見知らぬ女性。しかしその正体にたどり着くのにそう時間はかかりませんでした。


 事故を起こすはずだった二人を調べればよかったのです。


 軽自動車の運転手は県外の人で、里帰りの途中だったそうです。新聞に書かれていた情報ですけど。


 そして、黒のセダンに乗っていたこの町の町長――春日光則さん。


 ある意味有名人です。調べるのはそう難しいことではありませんでした――父にお願いしちゃったんですけど……。


 まぁ、手段は別にいいとして、そこから身元を割り出せました。春日哀香。旧姓大村。写真も見ましたが、本人で間違いないと断定できました。あの陰鬱な瞳は一度見たら忘れられませんから。


 接触する前に彼女についてよく知っておこうと、経歴を洗いました。はいこれも父に頼みました。


 そしたら出るわ出るわで大騒ぎです。確変引いてしまったのではと思うくらい、いえ、なんでもないです。


 えーっとですね、具体的には中学時代、尾崎豊じゃありませんが、校舎の窓ガラスを壊したり、先生殴って停学。テスト全教科白紙で出したり、お店の商品に穴を開けていったりと、今の哀香さんからは想像もできないくらい荒れていたようです。いや、これは壊れていたと表現した方が正しいのかもしれません。


 そして、なぜ義理の父である光則さんの命を狙ったのか。この動機についてですが、実はわかっていません。


 お母様の志保子さんと揃って黙秘を貫いています。しかし警察の捜査力をなめたらいけません。


 浮かび上がってきた事実から推測することができました。本当は一般人のわたしは知ることができない情報なんですが、この事件解決に一役買ってますし、ループの力を使って父にアドバイスしていたのもわたしです。口外しないことを条件に父から教えてもらいました。口外しちゃってますけども……。まぁ、先輩だからいいですよね。


 それでその事実というのがですね、哀香さんのことですけど、実はお父様の実の娘だったそうです。あっ、二回続けて『実』って言っちゃいましたけど、えっ、あ、どうでもいいですか、そうですか。


 えっ? あ、はい。そりゃあ、驚きますよね。


 それでですね、息子さんである先輩からしたら聞きたくない話かもしれませんが、十数年前、お父様が火遊びした相手が志保子さんで、その時できたお子さんが哀香さんのようです。


 どうやって調べたかって? それは聞かないお約束です……が、まあいいでしょう。父です。父が先輩のご親戚から、志保子さんが昔住んでいたご近所さんとか、関わりのありそうな人に片っ端から聞いて回ったそうです。


 当時、このことで結構揉めたみたいで、双方の親や兄弟まで出てきて、一触即発の話し合いが何度か持たれたそうです。


 志保子さん側の言い分は、奥さんと別れて一緒になってほしいというもの。責任を取れということですね。


 一方、お父様は当時市議会の議員さんで、親戚にも数多くの政治家の方がいたそうですね。彼らが何よりも恐れているのはスキャンダルの発覚とそれによる影響でしょうか。


 妻と別れて不倫した女と一緒になるなんて公人としてあるまじきってやつでして、どうにかして子供をろさせ、手切れ金で事を済ませようとしたみたいです。あ、これはお父様のご家族がそのように主張していただけで、お父様本人はひたすら申し訳なさそうにうつむいていただけのようです。


 結局、子供は産むことになったそうです。ただし、その子は志保子さんが一人で育てるという条件。つまり、二度と光則さんに近づかないこと。それと、このことは決して誰にも言わないこと。その対価として出産費用やその後の生活費用を手切れ金として払うことになった、それで決着をつけたみたいです。


 関係者の話によると、それから志保子さん、まるで人が変わったかのように冷たい目をするようになったそうです。


 これは志保子さんのご両親から伺ったことですが、哀香さんを虐待している姿が度々目撃されてます。一度通報されて引き離されたこともあったみたいですが、志保子さんが泣いて反省の意を示し、二度と手をあげないと約束して哀香さんを再び手元に引き寄せることになりました。


 それから虐待する姿は見られなくなったのですが、冷たい視線は依然として娘さんに向けられていたとのこと。かと思えば、異常ともいえるくらい溺愛できあいしたりと、そんなことが頻繁に繰り返されてきたみたいです。


 志保子さんのご両親も、娘が何を考えているのかわからないと、辛そうな顔でうちの父に語ったそうです。


 これはわたしの考えですが、志保子さんにとっての哀香さんとは、愛と憎しみの象徴だったのではないでしょうか。


 光則さんにとってはちょっとした出来心だったのかもしれませんが、志保子さんは彼のことを真剣に愛していたのだと思います。子供ができて嬉しかったでしょう。それなのに捨てられてしまった。


 相反する感情が心の中で攻めぎ合い、どちらに傾くこともなく時間だけが過ぎていく。やがて、その象徴として生まれてきたのが哀香さん。


 恨みつらみを吐き出す受け皿である反面、自分が愛した人との結晶でもある。


 志保子さんもこんなんじゃ駄目だと悩むこともあったでしょうが、それを振り切れるだけの強さを、彼女は持っていなかったようです。それに、哀香さんがこの世に存在する以上、この問題は時間が解決してくれるものでもありません。


 良し悪しはどうあれ、結果的に志保子さんは娘に依存してしまったんです。


 哀香さんが壊れてしまったのは、そういった環境に身を置き続けてきたからでしょう。無理もありません。


 哀香さんが志保子さんのことをどう思っているかわかりませんが、父である光則さんのことは恨んでいたと思います。父が母を捨てたからこそ、自分がこんな目に遭っているわけですからね。


 それが動機、だと思います――





 ずっと喋り続けていてのどが乾いたのか、枕元に置いてあったペットボトルの蓋を開け、勝手に飲み始めた。俺の飲みかけだが……、まあいいか。


「笠原。だったら、なぜあの人は父と再婚なんかしたんだ? 最初から殺すつもりならそんなことする必要ないだろう」


「別に殺すつもりはなかったと思いますよ。今言ったでしょう。光則さんに対する気持ちの半分は愛だと。恐らく、先輩の実のお母様が亡くなられたことを知った志保子さんが、自分の中の飢えた愛をいやしたくて近づいたのかもしれません。もうあの時のことは怒っていないわ。奥さんも亡くなったことだし、今なら私たち一緒になることできないかしら。そんな甘い言葉で光則さんに近づいたのかもしれませんね」


 そう言われれば、真面目な父だ。その気がなかったとしても、責任を取る覚悟で再婚することを決意したかもしれない。


 それに短い期間だったが、母は父といて楽しそうだった。復讐だけに身を焦がしていたらあんな顔はできないだろう。


 でも、だからこそ納得いかない。


「じゃあ、なんで殺したんだよ」


 一緒に生活し、何年も経って愛が満たされたのに、その上でまだ憎しみが残ってしまったのなら犯行に及んだことも理解できる。しかし一緒になってたった二ヶ月だぞ。


 笠原が言っていることが本当なら、これはおかしくないか?


「先輩、愛はストッパーですよ。おっと、わたしとしたことが詩人になってしまいました。まぁ、よい例えがないのでこのままいきますが、愛がブレーキなら憎しみはアクセルだってことです」


「どういうことだ?」


「人を突き動かす一番の感情は、怒りです。志保子さんは長年憎しみという名のその種を育ててきました。それを思い止まらせるものが愛です。実際に殺すかどうかで散々迷ったでしょう。彼女一人だったらやめていたかもしれない。このまま光則さんと一緒にいれば、自分の傷もやがて癒えるのではないか――と。しかし、志保子さんの隣には片方の感情しか持たない娘がいました。純度百パーセントの憎しみを持つ少女、春日哀香。自分でそのように育てたとはいえ、身近に彼女がいたとあれば、その影響を受けてブレーキを踏む足を緩めてしまっても仕方ありません」


「……………………」


 だから殺したってか。言葉が出てこない。俺の理解できる範疇を越えている。ただ、


「笠原、うちの親父は事故で処理されているが、本当に殺されたんだよな?」


「ええ。事故にみせかけられていますが、間違いなく哀香さんの仕業でしょう。志保子さんが直接手を下したわけではないでしょうが、娘さんがそういう行動に出ると知っていて放置していたなら彼女にも罪があります」


「だったらなぜ、うちの親父が死んだことが『確定』している。お前はその時何度でもループできたんだろ? 何度でもやり直すことができたんだろ? 哀香の企みを暴くんじゃなかったのか?」


「そのように言われたら返す言葉もありません。完全にわたしの不注意でした。ですがきちんと伝えなければならないでしょう。あの後何があったのか……」


 あの後――哀香が現れなかったことで、軽自動車と親父の乗っていたセダンが衝突を回避した、その後のことだ。





 ――あの後、日付では次の日ですね。またも同じ手口で事故が起こりました。ループしながら真相に迫ると、やはり現れたのは哀香さんの影。捕まえますが、『何者か』にループされて『なかったことに』。


 またある時は乗っていた車が突如爆発したり、またある時は光則さんが高層ビルの下で転落死していたり……。


 刑事であるうちの父を先導し、準備を整えて捕まえるまではいくのですが、その度に『何者か』がループして時間を巻き戻してしまうのです。


 この時点では志保子さんがその『何者か』であると断定できていたわけではありませんが、第一容疑者であることに変わりありません。


 一度あることないこと言って父をきつけ、哀香さんと志保子さんを同時に捕まえる作戦を決行しました。先輩がさっき言っていたやつですね。哀香さんを捕まえ、その後すぐに志保子さんを拘束して携帯をいじる暇を与えなければ、その時点でループされるおそれはなくなるじゃないか――というやつです。


 残念ですがそれでも意味がありませんでした。


 なぜなら、志保子さんは毎日十通ほど、一日前の自分にメールが届くように細工していたのですから……。いわゆる、定時報告というやつです。


 えっ、言っている意味がわからない? そうですか、じゃあ先輩の頭でもわかるように説明します。


 一日前の自分に毎日十通のメールを送っているということは、明日の自分から毎日十通のメールが届かないとおかしいんですよ。ややこしいですけど、言ってることはシンプルですよ?


 じゃあ、明日の自分がなまけてメール送信をサボるという理由以外で、メールが届かなくなる時とはどんな時ですか?


 ……ふむふむ、そうですね。よくできました。携帯電話をいじることができない時、つまり誰かに殺されたり捕まった時です。


 明日、光則さんを殺すためにこんな行動に出ようと計画を立てます。しかし、予定の時刻になっても送られてくるはずのメールが届かなかった。


 メールが届かなかったということは、このまま行動を起こせば捕まるか殺されるか、ということになります。


 それだったら計画を中止するか、殺害方法を変更すればいいんですよ。


 明日雨が降るのがわかったから学校に行くのやめようとか、自転車じゃなくてバス通学にしようとか、そんな感じです。


 なら、なぜ哀香さんを捕まえることができたのか――。哀香さんも志保子さんと同じで、この定時報告のやり方は知っていたはずです。なのに捕まった。


 たぶん、志保子さんがわたしの素性を調べるために、哀香さんをおとりに使ったのだと思います。


 いつでもわたしを殺せるようにね。


 そしてそれは実行に移されました。何度目かのループ時に、わたし、後ろから誰かに突き飛ばされたんです。飛び出たところは車道。ものの見事に車に轢かれてしまったわけです。


 わたしが夏休み前に入院していたこと先輩も知ってますよね。奇跡的に体はかすり傷で済んだのですが、頭の方を強く打ったみたいで一週間ほど意識が戻らなかったんです。


 そう、一週間。この時のわたしは過去の自分に定時報告するなんてやり方知りませんでした。


 目が覚めて知ったのは、八日前に町長が事故で亡くなったという事実です。


 わたしが呑気のんきに寝ている間に、光則さんの死が『確定』されてしまったのです。


 でも、わたしが殺されなかったのはそのおかげであるとも言えます。わたしが死ななかったことはあの人たちも知っているはずです。なのにループしてまで息の根を止めに来なかったのは、わたし自身がなめられているか、光則さんを殺すことができればそれ以上のリスクを負う必要はないと判断されたのか……。


 結局、今回の一件で彼女たちはわたしに捕まえられるはめになったのですから、慢心まんしんもいいところです。わたしが犯人ならそんなミスはしません。


 まあ、それはさておき、わたしが定時報告のやり方に気付いたのはそれからすぐのこと。


 ここからがあの人たちとの第二ラウンドです。


 あの人たちの次の標的は、先輩、あなたでしたから。


 え? 狙われる理由がわからない?


 そんなの、先輩が光則さんの息子という以外に理由なんてありませんよ。哀香さんにとっては、これまで生きてきた環境の差がそのままねたみの一因になります。腹違いとはいえ、半分は同じ血を引いているのにどうしてこの人だけこんなに満たされた生活をしているのか~って。


 志保子さんからすれば前妻の子ですからね。でも……、あ、いえ、これもわたしの勘ですけど、志保子さんは先輩まで殺すつもりはなかったのではないでしょうか。なんとなくそんな気がします。


 ただ、それでも犯行に及んだのは、一つはやはり哀香さんの気持ちをんだこと。もう一つは……うーん。えっ? 言ってもいいんですか? じゃあ言います。相原先輩との一件ですよ。


 彼女を妊娠させた件で、相原先輩のお父様にだいぶしぼられたそうじゃないですか。志保子さんからすれば普通に腹が立つでしょう。義理の息子がしでかした不義にどうして私が巻き込まれなくちゃいけないのよ~って。


 お父様が亡くなって、いえ、殺してまだそんなに時間が経過していませんからね、先輩にまで何かあればご近所さんや親戚から一斉に疑われることになるでしょう。


 ですが、それでも彼女たちは殺し続けました。何度も何度も、それこそ気が狂ってしまうくらいに。


 えっ? 五、六回しか狙われていない?


 それは先輩が自分でループすることを覚えたからその数しか認知していないだけで、実際には山のように殺されてますよ。本当に、死体で山が造れるくらいに。


 最初の頃は完全に事故死に見えるようにあれこれ工作していたようですが、その度にわたしがループして妨害してきたものですから、最後の方はかなり殺し方が雑になってましたけどね。


 え? まるで見てきたかのようだって?


 いえいえ、先輩が理解しやすいようにわかりやすく言っているだけで、『今ここにいるわたし』が直接目にしたのは、あの二人を捕まえた最後の一回だけですからね。


 それ以外は全て自分の携帯に送られてきたメッセージの内容をもとに、そのとき感じたであろう心情を加味して話しているだけです。なので若干の食い違いがあるかもしれませんが気にしないでください。


 まっ、これで一段落ついたわけです。めでたしめでたし――。





「ちょっと待ってくれ。だからどうやってあの二人のループを防いだんだよ。定時報告だっけ? それがある限り捕まえても意味がないんだろ?」


 そのように尋ねてみると、


「そうでした。もう、ずっと喋っているからどこまで説明したかわからなくなってくるんですよ」


 笠原は可愛らしくコホンと咳払いして、


「答えは簡単です。定時報告を防ぐには相手の携帯を奪ってしまえばいいんです」


「でもそれだと別の人の携帯とか使われたら防ぎようがないだろ?」


「はい、ですからいくつか条件がつきます。一つは志保子さんと哀香さんを同時に拘束こうそくすること。一つはその二人の携帯を確保すること。一つは……、あっ、二つで足りましたね」


「二人を拘束するのは、携帯をいじる暇を与えないためだろ? じゃあ、二人の携帯を確保する理由は?」


「もう! なんでわかんないんですか。さっき説明しましたよ! そうやって人にばかり聞いていないで、もっと自分で考える癖をつけなければ人間というものは――」


 長くなりそうなので言われた通り自分で考えてみた。


 決まった時間にメールが届くように過去の自分に送る。ということは、メールさえ送られてくればその時の安全は保障されていることになる。


 ならば、


 もし携帯を奪い、本人に成りすまして過去にメールを送れば、過去の自分はそれを信じて予定していた行動を起こすことになる。その先で自分が捕まるとも知らずに……。


 それなら迂闊うかつに携帯を持ち歩くことなんてできないだろう。外に出る時はどこかに隠すしかない。そのどこかとは――


「じゃあ、俺の部屋に侵入したのは、うちの母じゃなく――」


「はい。わたしです」


 やっぱり。


「わたしの場合は、携帯を奪われることが即、死を意味します。ですから、外出時は必ずどこかに隠すようにしています。志保子さんも同じように家の中に隠していたでしょう。哀香さんの場合は逆で、必ず肌身離さず持ち歩いていたようです。これは、同じ家の中で隠し場所を共有していると、わたしに二つとも奪われてしまうリスクが高まるからです。あの二人からすれば、どちらかの携帯が生きていればいいんですからね」


 なるほど。これであの時の笠原と母の会話の意味が理解できた。



『笠原ノア……! まさか用一の部屋に入り込んだというのは――』


『ええ、わたしです。そういえばこうしてじかにお会いして言葉を交わすのは初めてですかね?』


『そんなことはどうでもいいわ! それよりも、あの部屋に入ったってことは……』


『ええ、回収させてもらいましたよ。あなたの携帯電話。まさかあんなところに隠していたなんて思いもしませんでした。おかげでずいぶん手をわずらわされました』


『チッ……。でも、まだこの子の携帯があるわ。ちょっと刑事さん。まさかこの子の携帯電話、あそこにいる笠原ノアという女に渡したりしないでしょうね? これは大事な証拠品よ。今回の事件に関する重要な情報がたくさん入っているの。どうなの?』


『そうだな、もちろん調べさせてもらうさ。きちんとな』


『そう。その言葉が聞けてよかったわ。大事に扱ってちょうだいね』



 あの時の母の安堵は、片方の携帯が生きたことがわかったから。もしくは母としては、あの場で携帯を破壊してもよかったのだ。笠原の手に渡り、『成りすまし』さえ防げばいいのだから。大事なのは、過去にメールを送信しないこと。メールさえ届かなければ、一日前の自分が行動を変えることによって、この事件自体を『なかったこと』にできるのだから。


 しかし腑に落ちないのは、


「でもなんで俺の部屋なんだ? 隠すならほかにあっただろう」


「だからこそ、ですよ。毎日過去にメールを送らなければならないなら、日常的に出し入れできる場所がいい。できれば自分の目の届くところにね。でもそうなると場所が限られてきます。志保子さんが買い物か何かで家を空ける時、わたしが家に侵入して集中的にループを繰り返せば、やがて発見できるでしょう。実質、何十時間も何百時間も捜索できることになりますからね。だからこそ志保子さんはわたしの裏をかきにきたのです」


「裏?」


「先輩の部屋ですよ。まさか殺そうとしている人間の部屋に隠すとは誰も思わないでしょうから」


「でもどうやって俺の部屋に隠す? 鍵は毎日かけてるし、疑り深いって思うかもしれないが、侵入されても形跡でわかるように気は配っているつもりだ」


「ノブの遊びのことですね。気付きました。同じようなことする人に心当たりありますから。まあそれはいいとして、得意の針金で鍵を開け、先輩の部屋にお邪魔しましたが、その時点でルートはここじゃないなと思いました」


「ルート?」


「毎日隠さなきゃならないのに、先輩がどんな罠を仕掛けているかもしれないドアを出入り口に使うかなと思ったんです。もちろん侵入したことが先輩にバレたとしても、ループして『なかったこと』にすればいいのですが、日常的にやるからこそそんな面倒が生じることは避けたい」


 笠原は自分の頭に人差し指をつけると、


「そこでピンと来ましたね。あっ、隣って哀香さんの部屋なんだって」


「まさか……」


「はい。壁に切り込みが入っていたんですよ。よく見ないとわからないくらい丁寧な切り込みでしたがね。小さな引っかかりがあったのでそこを指で引いてみると、ビンゴでした。先輩の部屋に通じていたんです。壁の中央の下辺り。ちょうど先輩が寝起きしているベッドの下でした。わざわざベッドの裏側に可愛らしいポーチが取りつけられていて、その中に志保子さんの携帯が入っていたんです」


「マジか……」


「マジです。そもそも、わたしが侵入したかどうか知りたかったら、家の中にセンサーなりカメラなり設置すればよかったんですけどね。その発想には至らなかったようです。志保子さんがアナログな人間で助かりました」


 どうりで、普段からあまり外出しなかったわけだ。常に笠原の侵入を警戒していたのだろう。早朝に俺がリビングにいた時に包丁持って駆けつけてきたくらいだしな。


「その後どうしたんだ?」


「ここで志保子さんの携帯を持ち帰っても仕方ありません。さっきも言いましたが、携帯を手にする時は二人を拘束できる時でなければならない。志保子さんの帰宅が迫っていたので、その事実だけ過去のわたしに伝えることにしました」


「それで?」


「携帯にはロックがかかっていました。四桁の暗証番号です。これを七回ほどループを繰り返して解読し、元の場所に戻し、『その時』を待ちました」


「俺が襲われたあの時か?」


「はい。志保子さんが家を出たのを見て、すぐに携帯を取りに行きました。どこに現れるかは『前もって知っていた』ので、父に連絡を入れ、大勢の警察官と一緒に工場跡地の中で息を潜めて待ちました。あとは先輩も知っての通りです」


「よく警察が動いてくれたな。あの時点では二人とも何もやっていない状態だったのに……」


「そうですね。『不審な人がいる』程度の理由では、交番からお巡りさんが一人二人来るくらいでしょう。『刃物を持っている奴が暴れている』では、騒ぎになって二人に気付かれてしまう恐れがあります。本当のことを言っても信じてもらえるはずありません。仕方なかったので、父にループの事実を伝えました」


「よかったのか? それで」


「はい。どのみち、哀香さんが持っていた携帯を回収しないことには全てが徒労に終わりますから。警察関係者である父の手を借りるほかありません。上手いこと同僚の警察官を呼び出してもらい、みんなであの場で待っていたというわけです」


「じゃあ、あの時哀香の携帯が渡った相手というのは――」


「うちの父です。本当はいけないことなんですが、事件のどさくさにまぎれて父から哀香さんの携帯を借りました。予想していた通り、哀香さんも過去の自分にメールを送信し続けていました。件名には『かこへ』以外何も書かれていませんでしたが……。でも変に暗号めいた文字で定時報告していなくて助かりました。暗号解読の手間が省けましたからね。あとはわたしが哀香さんに成りすまし、過去にいくつかメールを送信して、やっとそこでこの事件が終息を迎えたというわけです」


「なぁ、自分たちの企みが失敗に終わったことを、母と哀香は知っているのか? それとずっと引っかかり続けていたんだが、過去にメールを送ったら、じゃあ、今の俺たちの存在はどうなるんだ? 送った瞬間、消えてしまうのか?」


「さぁ? どうなるんでしょうね。『今のわたし』は、メールを送られ続け、最終的にたどり着いた地点のわたしですから。送った側がどうなったかは知るよしがありません。いくつか考えられるのは……」


 笠原はそこでつばを一つ飲み込むと、


「何も起きない説が一つ。過去にメールを送っても、今のわたしたちの世界には何も変化が起きない場合です。そのメールを見て、行動を変え、歴史が変わったとしても、それはそっちの世界の出来事であり、今のわたしたちのいる世界とは切り離されているという考え方。いわゆる平行世界というやつでしょうか。もしそうなら、事件が解決したこの世界とは別に、先輩が殺された世界も無数に存在していることになりますね」


 今度はこちらが違った意味で唾を飲み込む番だった。


「ほかには歴史改変説でしょうか。過去にメールを送り、それを見たわたしたちの行動次第でどのようにも歴史を変えることができるというもの。ただその場合、メールを送った直後のわたしがどうなるかは試してみなければわかりません。メールを送った瞬間、この世界そのものが消滅してしまうのか、それとも過去のわたしたちの行動により、本来の歴史から変化をげた瞬間に消滅してしまうのか――。実際にやってみましょうか。先輩の前で、今」


 携帯を取り出す笠原。


「いや、いいよ。メールを送った瞬間にこの世界が消滅するなら、俺はその認識を留めておくすべがないじゃないか。何も起きなかったとしても、それは歴史がまだ変わっていないからなのか、本当に世界が切り離されているからなのかの区別がつかない。何より後者の場合、無数に俺が殺された世界が同時に存在していることを認めなければならなくもなるしな。それはそれで気分が悪い。やめておこう」


「そうですね。できるだけこんな裏技は封印してしまった方がいいですからね」


「散々やり続けてきたお前が言っても説得力はないぞ?」


「好きでやっていたわけではありません。わたしが先に諦めるか、あの人たちが先か、これはもう意地の張り合いでした。途中でやめるなんてありえません。まぁ、元々趣味で始めたことは否定しませんが」


「これからも決定的瞬間とやらを撮り続けるつもりなのか?」


「……そうですね。実をいうと、決定的瞬間を撮り続けてきたのはアピールのためでもありました。わたしが見張っている限り、好き勝手やらせませんよって。決して諦めませんよって間接的な犯人へのアピール。それと、途中で諦めてしまいそうになる自分へのいましめというか……」


「やっぱりやってて辛かったんじゃないか。もう事件は解決したんだ。もうやめてしまってもいいんじゃないのか? 友達もできないぞ」


「いいえ。ここまで来たらやり続けますよ。新聞部として活動していかなくてはなりませんし、継続は力なりって言いますしね」


「お前がそれでいいなら、別に止めはしないが……。あっ、そうだ。そういえば篠塚とは一体どういう関係なんだ? なんでうちの前まで押しかけてきて、あんな写真を撮ろうとした」


「ああ、あれですか。言っておきますが、あの人はこの事件には何も関係ありませんよ。篠塚先生が先輩に近づき、それをわたしが写真に収めたのは、そう頼まれたからです」


「なんの目的で」


「先輩とお近づきになりたかったからでしょう」


「嘘つけ。それだけが目的なら写真なんか撮る必要ないだろ。やり方も強引だったし」


「嘘じゃありませんよ。ただ好意があってそういうことをしたわけではなかったようですが」


「どういうことだ?」


「あの人、建設会社社長の娘さんなんですよ。五年前にこの町に霊園が造られる予定が立っていたじゃないですか。そこの工事を受注したのが先生の家の会社だったようです。建材を仕入れ、従業員を増やし、さあこれから工事に取りかかろうとした矢先に住民の反対運動ですからね。今は不況でどこもカツカツです。仕事が流れ、借金を増やし、今では倒産寸前まで追い込まれてしまっているようです。それを見兼ねて立ち上がったのが娘さんである篠塚先生です。ほら、先輩のところって政治家さんが多いじゃないですか。それで……」


 なるほど。


 ダムや道路、鉄道、住宅、教育施設などの公共事業は、入札という制度がとられている。


 例えば、古くなった道路を工事して、道を新しくしたいとする。なら、この工事をどこに任せればいいか、という問題が生じるわけだが、それを決めるための方法が入札制度というものである。


 これは、競争者(工事を希望する複数の建設会社など)がそれぞれ見積額を書いた文書を発注者(国や自治体)に提出し、最も条件がよかったところに工事を受注させるという仕組みのこと。Aという会社が二千万、Bが一千万、Cが一千五百万なら、Bが受注することになる。


 要は、一番安い価格で請け負ってくれるところに工事を任せるというものだ。


 なぜなら、発注者が建設業者に支払わなければならないそのお金は、住民の税金から賄われているからである。


 このご時勢、会社を存続させていくためには、なんとしても仕事は請け負いたいとどこも思うだろう。しかしあまり安い金額を提示すると儲けがなくなってしまう。下手したら赤字だ。


 だが、ギリギリまで突っ込んで安く見積もらなければ、資金面で体力のある大手ゼネコン会社には勝てないという不安もある。


 発注者からすれば、明らかに安い金額――百万や二百万など提示されても、安心して任せることはできない。手抜き工事などされたらたまったものではないからだ。


 そのため、落札価格にはあらかじめ上限と下限が設けられている。上限を超えても、下限を下回っても入札は成立しない。二つの金額の間に収まった中で、一番安い金額を提示した会社が事業を任されることになる。


 春日家は元々政治色の強い家柄だ。うちの父もこの町の町長だった。


 親戚筋をあたれば、市議会や県議会で議員をやっている者が何名もいる。


 俺に近づいたのは、『そういった写真』で脅し、発注者へ接触するための足がかりを作りたかったのだろう。工事の発注者から落札価格の下限を教えてもらい、受注するため。教えてもらうための方法はなんだっていい。


 政治家が最も恐れているのは落選することだ。それを防ぐためには票田を確保することが望ましい。いわゆる組織票。それら票田や資金を安定して確保するためには、地元の土建業者と結びつくのが最も手っ取り早いという裏もある。


 そういった裏を匂わせたり、俺にやったやり方と同じように発注担当者を絡めとってもいい。


 やり方はいくらでもあるが、こんなもの、言うまでもなく犯罪だ。


「なんでそんなことに手を貸した、笠原」


「利用しようと思ったのです」


「利用?」


「今回の事件、ずっと行き詰っていて、出口が見えなかったんです。どうすれば志保子さんと哀香さんを捕まえることができるのか。そんな時に、篠塚先生が志保子さんと会っているのをたまたま目撃して、利用しようと思ったんです。あの二人元々知り合いだったようですね。それで篠塚先生の力をお借りできれば、志保子さんを揺さぶることもできるのではないかと考えて……」


「その見返りとしてあんな写真を撮ることを引き受けたのか?」


「はい」


「でもお前は俺に篠塚の人間性というか、怪しいって教えてくれたじゃないか。篠塚に協力する反面、どうして邪魔なんかするような真似をしたんだ?」


「そうですね。引き受けたはいいんですけど、イザその時が来ると、なんか、相原先輩を裏切っているような気がして、わたしもずっと迷っていたんです」


「加古を? どういうことだ?」


「はい。わたし、今ではこんなにお茶目で可愛らしい女子高生ですけど、中学時代は地味で根暗な女の子だったんです」


 お茶目で可愛らしいかどうかは知らないが、「それで?」相槌を打って先を促すと、


「中学入ってすぐの頃、わたし文芸部に入部しました。本が好きでしたし、書くことにも興味がありました。しかし、部の中は、なんというか、人間関係がすでに出来上がっていまして、新入生も少なかったですし、自分の居場所が見つけられなかったんです。辞めてしまおうかとも思ったのですが、その時積極的に話しかけてきてくれたのが相原先輩でした」


「加古か……」


 俺の時もそうだったな。


「はい。最初の頃はうまく話せなかったんですけど、徐々に受け答えできるようになって、相原先輩が卒業する頃にはすっかり部内にも友達ができていました。たぶんですけど、相原先輩がいなければ文芸部は辞めていたでしょうし、ずっと根暗なまま三年間を過ごしていたことだったでしょう。わたしが勝手に思っているだけですけど、あの人はわたしの恩人なんです」


「それで」


「同じ高校に入学して、相原先輩に恋人がいることを知りました。おめでたいと思いました。あの人には幸せになってほしいですから。でもその時のわたしは、例の決定的な瞬間を撮り続け、周りからは死神呼ばわりされていましたからね、遠くから見守ることにしたのです」


「……………………」


「そんな時に起きたあの事故。先輩のお父様が亡くなられたあの一件です。間接的にとはいえ、相原先輩も悲しんでいる姿を何度も見ました。それで絶対に死なせてたまるものかって思ってループしましたが、結果はあのザマです。しかし事件はそれで終わりではありませんでした。すぐに先輩の命が狙われ始めたからです。恋人である先輩が亡くなったら、またわたしがヘマをしてしまったら、相原先輩はさらに悲しむことになってしまう。そう思ったんです」


「結局加古とは別れることになったけどな」


「それでも、相原先輩はずっと先輩のことを見ていましたよ。遠くから先輩のことを眺めている相原先輩を、わたし何度も目撃していましたから」


「そうなのか?」


「ええ。ちなみにその逆もね」


「うるさいな」


「お似合いの二人だと思いました。別れてしまったのは残念ですけど、でも二人が今も想い合っているのなら、わたしは絶対に先輩を死なせてはならないと、そう思ったのです。だから、手段は選んでいられませんでした。篠塚先生の要求にも応えたのです。だけど、今言ったように相原先輩にも恩があるので、なんかどっちつかずになってしまったんです」


「そうだったのか……」


「ええ。事件は解決したので、もうあの人の言うことを聞かなくて済むようになったのには少しホッとしていますけど」


「一方的に切ったわけだろ。向こうはすんなり諦めてくれたのか?」


「いいえ。今でもしつこく連絡がきます。でも無視してます」


「大丈夫かよ。恨まれて背後から刺されたりしないだろうな」


「その点なら安心してください。前に言いましたよね。あの人は計算高くて利己的、一つ一つの行動に意味があると。そんなリスクおかせる人じゃないですよ。でも、仮にわたしが殺されるようなことがあったら、先輩がわたしを救ってください。例のやり方でね」


「ああ、わかったよ」


「さて、そろそろ隣りの人が『帰ってきます』ので、バレないうちにパイプ椅子お返ししておきましょう」


「ちょっと待て。お前もしかして今もループしているのか? ここの病室に来たの何度目になるんだよ」


「えっ? 『今のわたし』は一度目ですけど、それが何か?」


「……いや、もういいよ」


 彼女は一体、今回の事件と、それが終わってから今まで何万回ループし続けているのだろうか。『今の笠原』は、それを送られてくる文字としてしか認知できないようだが、きっとそのメールを見ながら想像し続けたのだろう。前の自分がどんな状況に置かれ、どんな気持ちで文字を作成し、どんなタイミングでそれを送り続けてきたのか。


 俺には言わなかったが、笠原だって何度も母や哀香に命を狙われたに違いない。いや、俺以上に殺されているだろう。定時報告のおかげでその危機を免れてきたようだが、俺がメッセージを残したように、死ぬ間際に少しでも情報を文字に載せて過去に送ってきたんだと思う。


 その習慣というか、猜疑心というのは、『今の笠原』に染み付いて取れない習性となって残っているのだ。


 事件が解決した今になっても……。


「それじゃあ先輩。またいつか」


 手を振って立ち去ろうとした笠原を、俺は止めた。


「笠原。最後に一ついいかな。お前、さっき哀香が壊れているって言ったよな……。壊れているなら治すことはできないのかな……?」


 笠原はしばしの間を挟んで、


「未成年で家庭環境に斟酌しんしゃくすべき事由もあったとはいえ、殺意を持って先輩にナイフを突きたて、実の父も殺しました。すぐに社会に復帰することはできないでしょう。ですが、面会してお話することはできます。先輩がその気ならカウンセリングの勉強をするのもいいでしょう。長い時間がかかると思いますが、治る可能性はゼロではないはずです。だってあの人も心を持った一人の人間なのですから」


「俺にできるかな……? 面と向かい合ってうまく話せる自信がないんだが……」


「いいんですよ、何度失敗しても。面会の時間は限られているでしょうが、先輩は何度でもやり直すことができるでしょ? 何度もループし、何度もお話してみてください。まずは彼女の心の扉を開く言葉を探してみましょう。きっとあるはずです」


「いや、やめとくよ。ああ、面会の話じゃなくて、ループすることをな。なんか反則しているみたいじゃないか。俺たちは一つの時間の流れを生きている一人の人間だ。さっきお前が言っていたみたいに、この世界が神様によって創りだされたプログラムなら、駒である俺たちはその仕組みに従って生きるしかないんだ。プログラムの隙をついてループなんか繰り返していたら、やがてバグとして処理されてしまうかもしれないだろ?」


 もうループなんてする必要ない。俺は哀香よりも、傷ついたお前の心を治したくて今の質問をしたつもりなんだ。壊れているものは治すことができるんだろ?


「バグですか。そうですね。わたしのやっていることが、これから先どう未来に悪影響を及ぼすのかわたしにはわかりません。わたしが過去にメールを送っているだけで、本来在るべき未来の姿が少しずつ変わっているのかもしれません。矛盾し、辻褄が合わなくなり、整合性が取れなくなり、この世の法則すら歪めることに繋がるのかもしれない。ある日、いきなりこの地球ごと爆発してしまうかもしれません。それでも――」


 笠原は俺の両目をしっかりと見据え、


「わたしはこの世界の異物として、これからもこのスタンスを貫いていくことにします。バグは修正されない限り、その場に残り続けるものですからね。なら神様に発見されるまで、この世の決定的瞬間をカメラに収め続けることにしますよ。あ、安心してください。先輩の寝顔にイタズラ描きした後、『なかったこと』になんてしませんから」


 最後にそう言って、笠原は笑ってその場を去っていった。


 結局説得できなかったな。


 腹の立つ後輩だが、今はあの子に感謝しなくてはならないのだろう。


 理由はどうあれ、笠原がこの事件に首を突っ込み、最後までやり遂げてくれたおかげで、こうして俺は生きながらえることができたのだ。


「死神か……」


 とんだ皮肉だな、そう思った。


 少なくとも、あの子のおかげで死ぬはずだった一人の人間が、こうして救われたのだから。



   〇   〇   〇



 さらに三週間が経過した。


 今日は退院の日。あれから一度も笠原は顔をみせていない。


 荷物をまとめ、病室を後にする。隣りを歩く加古は……、ずっとムスッとしたままだった。


「まだ怒っているのかよ」


「だってひどいじゃない。あんなに怒鳴りつけることなにのに。私の人生なんだから、私の好きにさせてほしいよ、ホントに」


 昨日、加古が俺の見舞いに来ていることが両親にバレたらしい。


「そうは言っても、加古はまだ未成年で、両親の保護を受けている身なんだからさ……。今まで育ててくれた恩だってあるわけだし、短大だってお金出してくれるのは両親なんだろ? 少しは両親の気持ちも考えてやったらどうかな」


「なんでそんなに他人事なの!? 嫌じゃないの? もう会うなって言われたんだよ! 連絡も取るなって言われて携帯まで取り上げられたし……。その、用ちゃんは私と、一緒にいたくないの?」


「いたいと思っているよ。でも物事には順序とか、乗り越えていかないといけない順番みたいなものってあるだろ? そうやって反発していても余計にこじれるっていうかさ、まずは俺たちの関係を認めてもらうにはどうしたらいいかを話し合った方がいいと思うんだ」


「そっか。ちゃんと考えてくれていたんだ」


 少し嬉しそうに微笑む加古だったが、すぐに表情を険しくすると、


「でもダメだよ。私のお父さんすごく頑固で、何言っても聞いてくれないんだから。お母さんは、その……、ちょっと怖いというか……。普段はやさしい人なんだけど、怒らしたら、何も言わないんだけど、お父さんより怖いというか……。たぶんお父さんより話を聞いてくれない人だと思う」


「うん、まぁ、そうだな……」


 あの凍りつくような目は未だに忘れることはできない。


「用ちゃん。こうなったらさ、その、言いにくいんだけど……、二人でどこか遠くまで行っちゃわない? 学校のこととかさ、いろいろ問題はあるけど、でも今はお父さんたちから距離を取らないといけない気がするの。ほら、何事も時間が解決してくれるっていうかさ、何年か経って私たちが二十歳越えて戻ってきたら、うちの親も冷静に話し合ってくれると思うの。今は子供だから甘く見られているんだと思う。だからさ――」


「うん。わかるよ、加古。俺だってそれが嫌で早く大人になりたいって考えていたんだから。でも、やっぱダメだよ。子供なら子供なりのケジメのつけ方っていうか、責任の取り方があると思う。それ以前に、三ヶ月前の俺には熱意が足りなかった。ただ加古の親父さんにビビッて、うつむいて、怒鳴られるままに小さくなっていた。そんな肝の小さい男に自分の大切な娘を任せられるとは思わないだろ? あの時の親父さん、半分は怒っていたけど、もう半分は俺のことを試していたと思うんだ。それなのに俺は逃げていた。早くこの時間が過ぎてほしいとさえ思っていた。だから、今度はもう逃げないよ」


 加古が俺を見上げてくる。


「何年かかるかわからないけど、絶対にあの人たちに俺のことを認めさせる。だからそれまで待っていてほしいんだ。いいかな?」


 加古はうつむき、


「うん。わかった。待ってます」


 そう答えてくれた。


 少し『反則』してしまったが、これが正しい筋道なのだと思う。


 正直言うと、今言ったことの全てが本心から出たものではない。再びあの両親と向かい合わないといけないと思うと、今からでも体が震えてきてしまう。


 でも、『死ぬこと』に比べればこれくらいどうってことはない。


 そう、俺はこの時点で最悪の結末を知っている。


 というのも、


 今朝、俺宛に三通のメールが届いた。


 送信主は俺。本文には何も書かれておらず、件名に日付と『かこへ』、そしてその後に五文字のメッセージが書かれたメールが三通分。


 もうループするつもりはないなんて笠原に豪語しておいて、早速やっているじゃないか。しかも教えてもらった日付指定の便。一分おきに到着するように送られてきている。


 内容を見て背筋にヒヤリと冷たいものが走ったが、逆にこれは避けられる運命でもあるということだ。


 ホントに、どんだけ悪運が強いのかって話だが、それだけ『その時の俺』は必死だったということだろう。


 送られてきた三通のメールには、こんなことが書かれていた。






【七日後用死】




【犯人加古母】




【駆け落ち×】




 もう死ぬのはごめんだ。


 頼むから、ループするのはこれで最後にしてくれ。


 <おわり>

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ループエンド 池上 葉 @YOU-001

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