第4話 ループ n+1回目――①
翌朝。
風邪をひいた。
といっても微熱があるだけで、
何が原因だったかは考えるまでもないだろう。
昨夕、川で溺れた少年を助けた後、ずぶ濡れのまま家路についたわけだが、帰りついた時は寒さで凍え死ぬかと思ったほどだった。
まだ十一月中旬とはいえ、山の麓に広がるこの町は、日の出が遅く日の入りが早い。山から吹き下ろしてくる風も冷たく、あと
つまり、寒い。一年の半分くらいは寒いとつぶやいている気がする。
頭が働かないのは朝だからか、それとも熱があるからなのか――。
もしくはその二つの要因が合わさっているからなのかはしらないが、そんな状態の中でも
どうせ朝のほんのわずかの時間にしかすぎないが、やはり彼女の姿を目に収めないことには一日が始まらない。こんな状態で来年度を迎えたら一体どうなってしまうのか――ひょっとしたら何もやる気が起きなくなって不登校に発展してしまうのではないかとひそかに危惧しているわけだが、でも、まあ、その点については大丈夫だといえる。
この家には、一日中母の影がちらつくからだ。
昨日笠原にも言われたが、俺と母は血が繋がっていない。妹の哀香ともだ。父の再婚相手として半年ほど前に連れてこられた二人。言うまでもなく義理の関係だ。
哀香は最初からあんな感じだったが、母の志保子は普通に愛想よく接してくれていたのだ。初めのうちは……。
変わったのは父が亡くなってから――ではなく、俺が『あの一件』を起こしてから。
一応、朝の挨拶や食事の用意はしてくれるのだが、それが逆に俺にとっては辛いと感じてしまう一因。これだったらまだ無視されていた方が気が楽というものである。
父が亡くなってから買い物の時ぐらいしか外出しなくなった母。娘の哀香とも会話が少なく、表情の変化も乏しい。
そんな母が専業主婦としてこの家に居座るのだ。しかも父の遺産として、ほとんどの資産を譲り受けたのは俺。一応未成年ということで親戚の
これでは気も休まらないだろう。まだ学校の保健室で寝ていた方が疲れもとれるというものだ。
フラフラになった体で
いつものようにドアに施錠し、開けようとした形跡がないかを調べるため、わずかに左右に『遊び』のあるドアノブ、その位置を少しだけ傾ける。まあ、通帳も何もかも銀行の貸金庫に預けているため、入っても取られるものはないのだが、念のためである。疑いたくはないが、あの二人の人間性を知っておいて損はない。そう、念のためである。
いつも通り洗面所に向かい、顔を洗う。携帯用の歯ブラシセットを取り出し、軽くブラッシング。
なぜ歯ブラシを洗面所に常備せず、わざわざ持ち歩いているのかというと、母と哀香がこの家に来てすぐの頃、ハサミか何かでブラシの中頃から先が切り落とされていたことがあった。
俺のだけ。
泥棒に入られた形跡はない。入られてもピンポイントでそんな意味不明なことする物好きがいるとも思えない。
必然的に犯人は家族の誰かということになるが、父はもちろん除外。俺が幼い頃に母と死別し、再婚するまで男手一つで育ててくれた人。自分で言うのもなんだが、こんなに真面目な性格で、勉強もスポーツも一生懸命頑張ってきたのは、父に認められたかったがゆえだ。客観的にみても尊敬できる人だと思う。そんな人がそんなことするとは思えない。
それよりも明らかに怪しい二人がいる。
母と哀香だ。
父を通じて母に確認を取ってみたところ、「ひどいことする人がいるものねぇ」などと沈痛な面持ち。哀香がこれをやったんじゃないかと言及する素振りはなかった。
娘を甘やかしているのか父に嫌われたくなかったのか――そのどちらかだとは思うのだが、表情からは読み取れなかった。
父も気を遣ってか、俺と二人になった時に、「年頃で色々難しい子なんだろう。うまいこと付き合ってやってくれ」と、暗に誰がやったかを匂わせる言動。
父にそう言われてしまっては、事を大きくするのも忍びない。十中八九犯人は哀香で間違いないだろうが、結局、糾弾することはなかった。
そんな
慣れたとはいえ、今日も嫌な朝の始まりだ。いつものように深呼吸をし、リビングに通じるドアを開ける。
「おはようございます」
「……おはよう」
母の志保子から消え入りそうな声が返ってくる。これもいつものことだが、今日は少し様子が違っていた。
哀香がいなかった。
休日ならまだしも、平日の学校のある日に哀香の姿を食卓で目にしないのは初めてのことだ。
テーブルの上にも哀香の分の食事は乗っていなかった。
「あの、哀香は?」
尋ねてみると、
「もう学校に行ったわ」
「そうですか……」
視線一つ交わることのないまま、会話が終了。
哀香は俺より一つ下の高校一年生。隣町にある進学校に通っている。俺でも受験するかどうか迷ったほど偏差値の高い学校。何を考えているのかわからない子だが、頭は良いようである。
部活をやっているのかどうかすらも知らないわけだが、まあ、学校行事か何かで早く家を出たのだとしても不思議ではない。
彼女がいないことで、少しだけほっとしている自分に気付く。
席につき、今日の朝食へと目を向ける。
焦げたスクランブルエッグに食パンが一枚。飲み物は今日もなし。
何か一つは焦げてるな……。
一方、母の前には艶やかに光るタマゴと生ハム。それをオーブンで焼いた食パン二枚で挟み込んでいる。あれは……チーズとレタスも入っているのか? それに湯気の立つコーヒーも。
この、俺に対する『当てつけ』にも大分慣れた。こんな小さな嫌がらせでこの人の気が済むのなら、文句一つ言わずに耐え切ってみせようではないか。どうせあと一年ちょっとの辛抱だ。
足りない時は近くのコンビニで済ませているし、何も問題はない。これは食事ではなく、ただの儀式なのだから。
二分とかからず胃の中に全てを収める。皿を洗い、行ってきますと告げ、部屋を出た。
空は前日までの晴天が嘘のように厚い雲に覆われていた。
携帯で天気予報を確認すると、一日中曇りマーク。降水確率は十二時まで三十パーセントを表示。その後の六時間は二十パーセント、次が十パーセントと減っていっていたため、次第に天候は回復傾向にあるのだろう……が、一応折りたたみ傘を準備。雨に降られ、これ以上体を冷やして風邪を悪化させたくない。
大した違いなど感じていないが、さらに重くなったであろう鞄を持ち、駅へと向かって歩き出した。
自宅から駅までは十分ほど。歩くコースもペースも一定なため、いつも同じ時間に到着する。いつもと同じ改札を通り、いつもと同じ場所で待機。
しかし、いつもいるはずの彼女の姿は、そこにはなかった。
周りを見渡しても……いない。彼女も風邪だろうか……。まさか俺に見られるのが嫌で、乗車する時間帯をずらしたとか……。
しかし、昨日の笠原との一件で俺を避けたかったにしても、これまで俺の存在に気付いている様子はなかった。意図的にそんな行動に移したとは考えられない――とここで頭を振る。
ダメだな。考えすぎてしまうのが俺の悪い癖だ。しかもネガティブな方に。
きっと、少し早く着いてしまったため、一本早い電車で行ってしまったのだろう。
無理やりにでもそう考えた。
前の電車が行った直後ということで、ホームに人は少ない。まだ誰も並んでいない指定場所の先頭に立ち、次の電車が来るのを待った。
同じ学校の生徒がわらわらと集まってきたが、その中に彼女の姿はなかった。
そのメールが送られてきたのは、一時間目の途中だった。
ポケットに入れていた携帯電話が一度震えたが、授業中だったため放置。
しかし、
一体誰からだろう……。少し気になった。
加古と別れてからというもの、めっきり着信も受信もしなくなった携帯。それほど密な付き合いをしていたわけでもないが、友人だった人たちとも今では疎遠になっているし、母や哀香ではないことはわかりきったこと。父も亡くなった今となっては、一番ありえそうな人といえば親戚の叔父さんくらいだ。
休み時間に入ってから確認。メールだった。しかし、受信メールの一覧のトップに表示されたそれを見て、思わず「は?」と声が出てしまった。
そこにはアドレスと件名が表示されていたのだが、アドレスは自分の携帯だった。つまり、今手に持っているこの携帯のメールアドレスから送られてきたということだ。
受信時間は九時ちょうど。確かに自分の携帯から自分宛に送れば、送った内容がそのまま返ってくることは知っているのだが……。
そんなことした覚えはないし、そんなことする理由もない。
ひとまずそれは置いておいて、次に気になったのは件名。
【どうしてこ】
とだけ表示されていた。首をかしげながらも本文を確認。だが、そこには〈このメールには本文はありません〉とだけ表示されていた。
意味がわからなかった。
ひょっとしたらアドレスが一字違いの別の人かもしれないと思ったが……、そんなことはない。あらためて自分のメールアドレスを表示し、照らし合わせてみたが、全てが一緒。それほど複雑なアドレスでもない。何度も見比べたが違いはない。
となると、センターで何かトラブルでも起きて、よくわからないが、バグか何かが発生したと考えるのはどうだろうか。昔誰か宛に送ったメールがサーバに残っていて、そのトラブルがきっかけになって自分宛に送信された……とか。データが破損していたため、断片的に文章の一部が件名に載って送信された……とか。
周りにいるクラスメイトはほとんどがおしゃべりに夢中。携帯を手にしている人もいるが、何かアプリでゲームでもやっているのか、せわしなく指を動かしている。他の人も悩んでいる様子はない。
この変なメールが送られてきたのは、どうやら自分だけのようだ。
「……………………」
意味はわからなかったが、気にしていても仕方がない。携帯をポケットにしまい、次の授業の準備を始めた。
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