第8話 ループ n+4回目

 翌朝。


 風邪をひいた。


 といっても微熱があるだけで、せきやくしゃみはほとんど出ない。今の段階では、だが……。


 何が原因だったかは考えるまでもないだろう。


 昨夕、川で溺れた少年を助けた後、ずぶ濡れのまま家路についたわけだが、帰りついた時は寒さで凍え死ぬかと思ったほどだった。


 まだ十一月中旬とはいえ、山の麓に広がるこの町は、日の出が遅く日の入りが早い。山から吹き下ろしてくる風も冷たく、あと一月ひとつきもしないうちに積雪も観測されるだろう。


 つまり、寒い。一年の半分くらいは寒いとつぶやいている気がする。


 手早く支度を済ませ、鍵をかけて部屋を出る。いつものように歯をみがき、リビングの扉を開いた。


「おはようございます」


「……おはよう」


 母の素っ気ない挨拶。隣に座る哀香は返事一つしない。まぁ、いつものこと。早速哀香から視線を感じたので、自然な仕草を装って目を向けるが――見た時にはもうそらされていた。


 ホントに、何を考えているのかわからない子だ。


 手早く焦げた朝食をのどの奥に押し込み、折りたたみ傘を持って家を出た。




 駅に到着。しかし、加古の姿はそこにはない。一本早い電車で行ってしまったのだろうか。


 わずかに訪れた寂寥せきりょう感を無理やり排除し、まだ誰も並んでいない指定場所の先頭に立ち、次の電車が来るのを待った。





 そのメールが送られてきたのは、一時間目の途中だった。


 休み時間に入り、早速確認してみると、件名に【どうしてこ】の五文字。


 意味がわからなかったが、どうせセンターでバグか何かが生じているのだろう。気にしていても仕方ないので、次の授業の準備に取りかかった。


 三時間目の休み時間。またも送られてきた謎のメール二通目。内容は【用命狙手送】。


 そして昼休みにも【信じろ犯捜】というメッセージが……。


 本当になんなんだこれは……。


 文字の意味を考えるに、何を伝えたいのかは読み取ることができるのだが、不可解なのは、誰が何の目的でどのような手段を用いてこのようなことをやっているのか、ということだが、無論わかるわけもない。


 最初はバグかとも思ったが、それにしては二通目と三通目に意図が含まれている気がする。だが、バグでないのだとしたら、このメールを送れるのは俺しかいないことになる。しかし俺はそんなことやってない。持病で夢遊病にかかっているとか、実は二重人格でしたとか、そんなことでもない限りそれは断言できる。


 大体、犯人ってなんのことだ? 二通目のメールには、俺の命が狙われていると取れる文字が書かれているが、それだって推測に過ぎないし、何より、俺自身誰かに殺されそうになったことなど一度もない。少なくとも自覚はない。


 二時間おきに送られてくるので、次来るとしたら十五時か……。


 六時間目の途中ということになるが、果たして――




 ヴィーー。


 来た。ポケットの中で一度震えた携帯。時間は十五時ピッタリ。


 授業中だったが、机の下でチラッと確認。これまでと同じく、送信元は自分の携帯、本文には何も書かれていない。


 気になる件名には――


 【お前は誰か】


「……………………」


 何を言っているのだ、こいつは。俺は俺だが? 自分からメールを送っといて、その聞き方もないだろう――とここで、語尾に引っ掛かりを覚える。


 相手に素性を尋ねるとしたら、『誰か?』なんて使うだろうか。『誰だ?』の方がしっくりくると思えるのだが……。


 ならなんで『誰か』なのか。答えは一通目のメールにあるようだ。


 『どうしてこ』。一文を最初の五文字で区切ったかのような文字の並び。ならこれも、『誰か』の後に続く言葉があると推測できる。


 『誰かが』、『誰かに』、『誰かと』、『誰かの』……。


 多いな。ここからさらに残りの文字も推理しなければならないんだろ……、と、ここで嫌なことに気付いてしまった。


 もしこれが、二通目と三通目の内容を補完しているものだとしたら、その後に続く言葉に想像がついてしまう。


 ――『お前は誰か』『に殺される』、とか。


 まさか……な……。


 携帯をポケットにしまう。


 この不可解なメールについて、軽視するには謎が多すぎるし、深刻になるには書かれた内容が突飛すぎる。


 信じた方がいいのか、切り捨てた方がいいのか。信じなければならないのか、鼻で笑って捨て置いた方がいいのか。


 何か、喉の奥に刺さった小骨がいつまで経っても取れないような、そんな気味の悪い感覚。


 この後の授業は、何も耳に入らなかった。





 放課後。


 あれからずっと落ち着かない。なんでか、あのメールが気になって仕方がない。


 やたら背後が気になる。上から何か落ちてきたりしないだろうか?


 周りの生徒に不審がられていたが、首をキョロキョロ振りながら学校を後にした。




 誰かに付けられては……いないな。


 見通しのよい道路。背後には誰もいない。このまま細かい路地を抜けていき、家の近くにあるショッピングセンターに行くつもりである。


 そんなに警戒するなら、さっさと家に帰るか警察に相談に行くかした方がよいのだろうが、こんなこと警察に話したって真剣に聞いてはくれないだろうし、俺も説明しづらい。


 家に直行しないのは、あの何を考えているのかわからない妹と、俺に不満を抱いている母がいるから。つまり、俺を狙う容疑者として認定するには理想的な配置というわけだ。


 いや、理想という言葉を用いるのは違う気がするが、相手からしたら、いつでも俺を見張れる位置にいるのは大事なことだろう。その割りに自宅で危機を感じたことがないのは、あくまでも事故を装って俺を始末したいからか?


 うーん、あまりしっくりこない。外にいる時も何か危険にさらされたことがあるわけでもないため、俺の考えすぎな気もするが……。まぁ、気の抜けない二人ではあるということで、時間を潰しがてらのショッピングセンターである。


 三階までエスカレーターで上がり、東口の非常階段のそばにある男性用のトイレに入る。


 施設の最奥にあり、なおかつ手前一帯が婦人服売り場として展開されているため、ここの男子トイレにはほとんど人が来ない。


 音楽プレイヤーを耳にしながら、昼休みに図書室で借りてきた本を開く。


「……………………」


 内容が頭に入ってこない。気になるのはやはりあのメールのこと。あと一時間ほどで十七時になる。


 二時間おきにメールが来るなら、ここでもまた謎のメッセージが届くと思うのだが……。


 待つこと一時間。十七時になったが……メールは来なかった。


 やっぱりバグだったのか? 迷っていても仕方ないということで、契約している携帯会社の電話番号を調べ、連絡を取ってみた。


 結果は、特にそのような異常は報告されていないとのこと。ならこれは一体どういうことなのかと尋ねてみたら、オペレーターも返答にきゅうしたみたいで、一度上司に報告して調査してみますとのことで、電話が切れた。


 原因を丸投げしているみたいだが、これ以上想像を膨らませても憶測の域を出ない。あの様子だと大した成果は得られないことはわかっていたが、結果を待つことにした。


 一時間後。


 遅いな……。そんなに時間のかかることなのか? それともおかしなこと言ってる客だと思われ、適当にあしらわれただけなのか……。期待していたわけではないが、放っておかれるというのもこれはこれで釈然としないものである。


 本を閉じ、鞄にしまう。現在午後六時。いつもは七時くらいに家に帰り、そのまま俺のだけ不出来な夕食を食べたあと自分の部屋に閉じこもるという流れだが、ここにいても何か落ち着かないので、この日は一時間早く帰ることにした。


 便座から立ち上がり、体の緊張をほぐすようにノビをしたところで――照明が消えた。


 ――停電か!?


 耳からイヤホンを取りながら個室から出る。しかし、館内からは音楽が聴こえるし、トイレの入り口も館内からの明かりが届いている。


 ということは、誰かがトイレ入り口の照明スイッチを切ったということになる――


 ここでぞわっと全身の皮膚が粟立つのを感じた。


 誰かが消した……のか?


 果てしなく襲いかかってくる嫌な予感に、急速に頭の回転が速まる。答えもシンプルなものだっただろう、だが、その解答が導きだされたのは、思考によってではなく、体に走る痛みを自覚してからだった。


 ドガッ、と後頭部に衝撃。


「グアッ……ッ!?」


 たまらず足元に倒れ込む。意識は失わなかったが、視界がグワングワンと回っている。トイレの中は真っ暗だったが、入り口には明かりが届いている。そこに向かって這っていこうとするが、


「ぐわああぁぁぁ……ッ!?」


 左肩に激痛。何か、鈍器のようなもので誰かに殴られたようだ。なおも続けてそれを振り下ろしてくる。何度も何度も。上半身に集中していたのは、頭部を狙ってきているからか。


 明確な殺意というものがそこから伝わってきた。


 必死に頭をかばい、うずくまってやり過ごす。腹部を殴られ、吐瀉としゃ物を床にぶちまけるが、それでも……耐える……。


 そして――


 相手の動きが止まる。どのくらいの時間殴られていたのかわからない。それほど経っていない気もするが、俺にとっては今生きていることを後悔するほどの苦痛の嵐だった。


 俺の背後に立っている何者かのハァ、ハァ、という息遣い。残念ながらそこからは男か女かの判断はつかなかった。


 お尻のあたりをチョンチョンと突かれる。生死の確認でもしているのだろうか……。この暗さなら相手からは俺の状態などわからないはず。


 そのままジッとしていると、そいつは何も言わずに出ていった。


「……………………」


 もう声なんて出なかった。なんとか……仰向けになる。右向きにうずくまっていたせいか、叩かれすぎたせいで、ひだり腕の感触は、もう……のこっていなかった。


 頭が……いたい……。


 めが……まわる……。


 やっぱり……あのメールに書かれていたことは……ほんとう……。


 ぽけっとから……けいたい……。


 このききを……伝え……ない……と……。


 しぬまえに……はや……く……。

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