第5話 隠れイカコマのタケル

 彼女が行ってしまう前に、手早く脳内再生しなくてはならぬ。この声を聞いている諸賢は、俺がこの思考を分速10000字レベルで展開していると思ってくれたまえ。


 仮にもコマ大生の私には、それぐらいの能力はあるのだ。大したものじゃないけどね。


 学校が始まる前に、科類と語学クラスが一緒の学生同士でちょっとした旅行に出かける、オリ合宿というイベントがコマ大の伝統としてあるのだけど、俺は、そこで、見てしまったのだ。


 ライトアップされた光に照らされて舞う夜桜と、バックに映った富士が美しい湖畔に佇む、一人の美少女を。


 世の中には、ウィンドウズのパソコンが意地でも「さくらかげ」と入力させたがる学校があるらしいが、その女子校の出身だという彼女は、まさに桜の陰にて映える姿を見せていた。


 私は、胸を打たれた。雷に打たれたとしても、こんなに焦がれることはなかったに違いない。


 ああ、なんて美しいのだ、お前は?


 俺がそう思って見とれていると、彼女はふと振り向いて俺に気付き、言った。


「こんなにきれいなところがあるとは、知らなかったわ。あなたもこの場所に惹かれたのね、タケル君」


 俺も、彼女のことは一度は見ていた。自己紹介した時に、彼女は確か、ミカと名乗っていた。


「お、俺は…」

「あなたも見ていくといいと思うわ。私は、ちょっと寒いから、もう戻るけど」

「あ…」


 彼女は、微笑みながら、去っていってしまう。まるで散りゆく夜桜のように、儚く、俺の心に恋の炎だけを植え付けて。


 なんて罪な女だ…、という呟きすら漏らすことができず、俺はスマホの画面にある歌を書きつけて、結局送信ボタンは押さずに済ませたのだった。


夜桜の 散る花乗った 手のひらを 君の名残と そっと撫でても


 だが、今、再び、俺が彼女に恋文を差し出す時が来た。


 先ほどまでずっとリサという別のクラスメートだった彼女が、ようやく一人になったのだ。


 今日こそは、美しい一首を、その美しさにふさわしい女性に捧げなければ。


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 独りになって、この後どうしようかぼーっと考えていると、クラスメートの一人が近づいてきた。


 確か、タケルとか言ってたわね。


 微妙に髪を染めているけど、服装が地味で、ミスマッチすぎる。「イカコマ」になることを恐れて回避しようとした典型的なタイプね。


 一応語学クラスが一緒ということで組み分け上は一緒だけど、そんなに深く関わろうとは思わないわ。


 そんな彼が、私に近づいてくる。


「あ、あの…」


 どもった口調、女子慣れしていなくてキョロキョロする視線。確か彼、共学出身だったはずなのに、敢えて「イカコマ」を演じているのかしらね?


 いつまでも話が進みそうにないので、私から声をかけることにした。


「タケル君、どうしたの?」

「こ、この前は、確か、富士のほとりでお会いしましたね。覚えていますか?」

「まあね」

「あの日は、つ、月が綺麗でしたね」


 何言っているのかしら。これでも私は高校では地学選択だったから、月の出方は今でもちゃんとチェックしているのよ?


「いや、あの日はちょうど新月だったから、月なんか出てなかったわよ」

「えっ?俺は、確かに…」

「お話はそれだけかしら?」

「いえ、実は、…」

「何?」


 私が問い返すと、彼は急に赤面して、頭を掻きむしりだして、何かぶつぶつ言いだした。


「ああ、さっきまで考えていたのに。度忘れしちまったじゃないか。思い出せ、俺。今日こそは、彼女に美しい和歌を捧げるのだから…。ああ、何で思い出せないんだよ!全部、あの鋭いまなざしの美しさのせいだ。ああ、俺はお前のせいでどうにかなってしまいそうだよ…」


 和歌って何よ、しかも、捧げるって?

 言いたいことは、嫌でもわかったわ。でも、そんな使い古された手を今になって敢えて使う理由は、全く分からないわ。

 やっぱり彼は、「イカコマ」のイメージから無理に抜けようとあがいて、かえってそのイカコマぶりを晒す口ね。


 まあ、思い出せないと言ってるし、いったん話を切るか。


「思い出せないのなら、後にしてくれる?私も忙しいからさ」

「あ、あの…」

「いいわね?」

「は、はい」


 そして、私は畳みかける。


「ラインで送れることだったら、そっちでよろしくね。じゃあ、またどこかの講義ででも」

「あ、ああ。では、また」


----


 こんなはずじゃなかったのに。ちゃんと恋愛心理学の薄っぺらながら使えそうな選り抜きを、この日のためにもう2回は読み直しておいたのに。


 何で、俺はミカへの想いを言葉にできないんだよ。

 ああ、どこかで百舌が鳴いている。そうか。


舌足らず 届かぬ想い 届けろよ 百の舌の 名にしおう鳥よ

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