第15話 ミカの感想文とその心
起業は、自己実現の手段であると同時に、社会を豊かにする手段でもある。起業を成功させるためには、会社法などの法律の基礎知識、経済学と経営学の基礎知識、リーダーシップやマーケティングの才覚、交渉術、プレゼン術など、様々な技術を磨かなければならない。
世の中には、自己実現のための手段は数多く存在する。広く言ってしまえば、芸術全体が、自己実現の手段である。しかし、誰もが簡単に絵描きや物書き、更には動画配信者になれる時代にあって、かえって人々の心に残る自己実現は減っているように思う。現代人は単純な刺激に慣れてしまっていて、しかも自己実現の術の生産者は多くなれども、生産の質の向上はなかなか進んでいないからである。
しかし、私の考えでは、この世のあらゆる自己実現の中で、たった一つ、今なお燦然と輝く例外があるように思う。それこそが、この講義で扱おうとしている起業である。
起業が成功するためには、自社の提供するサービスや商品が、市場へ広がらなければならない。その為には、人々が求めているものを理解しなければならず、独りでもとりあえず作業できてしまう他の芸術分野に比べて、より深い人間心理への理解と洞察が求められる。
しかも、その理解と知見を得られたうえで提供する事業もまた、人々がぎりぎり理解できうる範囲内、半歩先でなければならず、歴史上の芸術的な天才のように、理解の果てを越えた一歩先に至ることは許されない。かといって、全く前進がなければ、他の芸術と同じく埋もれてしまう。
ここまで起業と芸術を対比してきたが、起業は、理解を越えながら理解されることが最も強くはっきりと求められている。それは、後世の理解が何とか追いつき、結果として生き延びている芸術の巨匠の作品にも通じる、難解な領域の攻略である。
したがって、私に言わせれば、起業とは、現代を代表する総合芸術である。
結局のところ、起業は、他者の知らない他者を引き出さなければならない。起業について学ぶ中で得られる最も大事なものは、それができる「半歩先」の感覚であると考える。それを学ぶことは、起業という手段を取るか取らないかによらず、様々な方面でより良い結果を得る術となるであろう。
例えば、それは恋愛にも役立つかもしれない。みんながみんな横並びで綺麗に化粧し、対象となる男性の表面的な希望を聞いたうえでの直接的なプレゼントを出したとすれば、その男性は喜びはするだろうが、それだけであり、その心を掴むことはできないだろう。
「僕は、腕時計が欲しい」とだけ言った男性に腕時計を差し出しても、喜ばれはしても、それ以上にはなれない。「何故欲しいの?」と聞いて、彼の欲する本質をつかまなければならない。彼が、「ファッションとして身につけたいから」というのであれば、普段の彼のファッションにマッチする腕時計を吟味したり、あるいはいっそのこと腕時計を起点としてファッション全体をコーディネートしたりすることが考えられよう。それは、求めもしていない高価なロレックスの時計よりも、価値のあるプレゼントになるであろう。
起業の体験で学べるのは、知識を越えた、こうした人間として生きる術だと考える。それ故に、私は、本講義の受講を希望するのである。
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次の講義がないのをいいことに、休み時間に10分ぐらいかかってまで、勢いよく書いてしまった。
カッコつけて難しいことを書いたけど、結局のところ、私は、起業術の中の、ことに組織内部の人間へのリーダーシップとなり、外部の人間の需要を探り当てることとなる人心掌握術に惹かれた、という訳。
その術を身につければ、サトル先輩をめぐってハイスペックなアヤと戦うための、コマ大生らしい武器になるんじゃないかと思ったからこそ、こうしてそれなりに考えた分を一気に書き下ろしたのよ。
打算ずくではあるんだけど、実際『シブコン・バレー』で起業することも面白そうなのは確かだし、せっかく受けた以上は、やっぱり抽選を感想の内容への評価で通過したいものね。
まだ残って書いている何人かを待っている教授に、私は自らの感想を提出して、教室を出る。
書くだけのことは書いたから、来週が楽しみね。
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