パンツはただの布です。
もしくはポリエステル? ポリウレタン? よく分かりません。
とにかく、ただの布地です。味はしません。喉に詰まらせると死にます。虚無です。
しかし、これが好きな子のパンツとなれば話は別です。
ただの布地は、最高のディナーに変貌します。噛み締めるほど、甘い味が舌の上に広がっていきます。恋の口噛み酒です。
さらに、それが脱ぎたてであれば……もはやそれは、必殺料理(スペシャリテ)です。食べた衝撃でこちらの衣服が弾け飛びます。凶器です。
好きな人のパンツっていうのは、それくらい凄い物なのです。青春の象徴なのです。
一見風変わりで変態としか思えない水沢くんと、一ノ瀬さんとのやり取り。
しかし、物語を読み進めていく内に……やはり、変態だということが再認識できます。
一ノ瀬さん、騙されるな。そいつは、一級の雰囲気詐欺師だ。哲学的変質者だ。
……でもね、例え変態だったとしても、惚れちまったもんは仕方ないんですよ。恋は盲目、パンツをモグモグなんですよ。
純文学的で情緒豊かな風景描写と心理描写の中に織り込まれた、生真面目風な変質者。これはまさに、青春小説の新境地。
是非とも一読の上、笑い、唖然とし、不覚にもちょっとときめいたりして、最後は「やっぱり変態だああああ!」と叫んでいただければと思います。超お薦めです。
と思わされてしまうのが本作の凄いところです。
男の子から「君のパンツを食べたい」なんて言われたら、どう思います?
「なに言ってるの?」これが普通でしょう。
人によっては「頭、大丈夫?」あるいは「バカじゃないの?」、無言でスルーなんてこともあるかもしれません。
ラノベや漫画ですら、変態的な発言をヒロインが強めのセリフで一蹴するか、実力行使で黙らせるのが『お約束』となっています。
しかしそれを『お約束』で終わらせないのが本作。
愛の告白を期待してたのに、意中の男子から告げられたタイトル通りの言葉。
これを聞かされたヒロインは、戸惑いながらもその意味を理解しようと思考します。
その思考の変遷が実に丁寧な描き方をされているので、オチを読む頃には「仕方ないよね」という気にさせられてしまいます。
「好きな女の子が履いているパンツを食べる行為は、相手への愛情表現の一類型である」そんな哲学を本作から感じました。
――とまあ、色々と綺麗に解釈できるのですが。
このシュールな世界観に巻き込まれてみるのが一番楽しい読み方なのではと思った次第です。
最初の数行で「なんじゃこりゃー!」と思った方、最後まで読んでみて下さい。
きっと「なんじゃこりゃー!?」のままですから(^_^;)
恋愛においてひとに好きになるということは、まさしく己そのものを相手にさらけ出すことにほかならない。
古今東西のあらゆる詩人や哲学者、はては神学に籍を置くものたちが語ってきたその「愛」は、あくまで形而上学的に書き起こされたものであって、実践を伴う説得力とはかけ離れたところで評価を受ける。
しかるに本作が描き出そうとする「愛」は、極めて野心的でかつ先進的な実行者のみが持つ、人類史上最も雄弁な納得力を放っているのである。
これは壮大な謎掛けである。
ひとは果たしてこれほどまで「愛」に純粋になれるのか。
その身を滅ぼしかねないその思想は、愛するものの存在自体を凌駕するのではないか。
否。断じて否である。
彼はきっと証明してみせる。己のが「愛」の純粋さを。
誓って言おう。これはネタである(ぁ
この作品を人に薦めて良いのかどうか。
パンツを食べたい。この作品の登場人物はそう高らかに宣う。
見たい、脱がせたい、嗅ぎたい。どれも変態的で犯罪的だが、異性に対して抱く感情としてはありふれている。
意中の相手のパンツを食べたいという欲求。他の変態と呼ばれていた発想に比べ、二乗倍の変態度を含有する。他のありふれた欲求がまるで健全な発想に思えてしまう程である。この登場人物は紛うことなき変態だ。
一方で、某声優を生業とする人物はTwitter上で「口に含むならシルクをお勧めする」という知見を提供している。つまり、パンツイーターとも呼称すべき変態的な人々は少なからず存在するという事である。
だが、そこで作者様はパンツイーターという極めて小さなターゲットに向けてこの作品を描いたと結論づけるのは早計である。そのような作品であれば、どこかの巨大掲示板の特殊な趣味の板かチラシの裏に書くべきものであるからだ。
では、誰に向けての作品なのか。
それは愛したい、愛されたいと願う人々に向けてである。
考えてもみて欲しい。パンツだ。食べ物ではない。しかも、新品でもない。あなたの愛する相手が現在進行形で着用している物である。それを食べたいと思うだろうか、否、だろう。
または相手にパンツを食べさせて欲しいと願われたら。それも断るだろう。相手に対して嫌悪感すら抱いてしまいかねない。
つまり、パンツを食したいと要求する西野とその想いを真摯に受け止める主人公は、我々よりも遙かに高い次元の愛情を有しているということだ。我々読者など及びも付かない次元で互いを愛し合っているのだ。
真実の愛を超えた超次元の愛を知れ。それがこの作品の真髄なのである。
私は心を決めた。これは世界に勧めるべき作品である。
『パンはパンでも食べられないパンはなに?』
そのなぞなぞの答えを、彼らはフライパンではなくパンツとした。
水沢くんは問う。「パンツって食べられないって誰が決めたんだろうね?」食べられないと決めるとき、その要因を以下の二つと仮定しよう。
①口に入らない、②消化的によろしくない。
この場合、フライパンは①②共にアウトだ。パンツは?①はOKだが②がアウトだ。どうやら消化の都合により、パンツは食べられないとされるらしい。
しかし水沢くんはその「食べられない」パンツを食べたいと言う。
君(一ノ瀬さん)のパンツを食べたいと言うのだ。
そう、彼は彼女のパンツを消化したいのだ。なぜ消化したいのか、彼女のパンツから栄養を得る為ではないだろう。
消化には、理論や知識などをよく理解して自分のものとして身につけること、という意味がある。
彼は身につけたいのだ、パンツを。(断じて物理的な話ではない)
パンツ――それは人間の大事な部分を守るものである。彼女の大事なものを守る、その役割を担いたいのだ。彼は彼女を守りたい。では、何故彼はそう口にしない?何故パンツを口に運ぶ?
「僕は、そんな凡庸な言葉を言いたいわけじゃない」そう言った彼にとって、パンツを食べることは「君の大事なものを守りたい」という気障なセリフの非凡なる体現方法かもしれない。
下吹越エリカ(22歳)の叫び声が響き渡る。
違う違う。作品が違う。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054885413330
しかし今一度言わせてもらおう。
なんじゃこりゃーーーーっ!
僕、コメディ作品に当たると、作品と会話をするノリでレビュー考えながら読んじゃうことがあるんですよ。
この話の、真ん中へんまで考えてたレビュータイトルがこれ。
「結論から言えとはいうけどさ」
最初のセリフはいわゆる結論で、そこへ至るプロセスをたどる話かなー、なんて思ってました。
考えが甘いのよ!
帆多のバカ、ばか、馬鹿!
この作品をスパロボで例えるなら、ロケットパンチよりも烈風正拳突き。
ドラクエで例えるなら
"つゆまるは こしを ふかく おとし
まっすぐに あいてを ついた!"
軽い気持ちで近づいて250越えのダメージ喰らったのは私です。
気持ちいい。