終幕

 退院の朝は、よく晴れていた。

 迎えに来ると言った部下たちには通常通り仕事をするよう命じてあるので、職員たちに送り出されるだけの静かなものだ。送り出されると言っても、未だ病院は負傷者で溢れ返っており、担当であったキーリー・ユアニックと挨拶を交わした程度の、実に簡単なものではある。

 忙しい中、わざわざ玄関にまで送りに出てくれたユアニックに会釈を返し、歩き出す。左にささやかな荷物を持ち、右にラドの手を引いて踏み出すと、途端に暑気が押し寄せた。残暑の厳しい空は、まだ朝に近い時刻にもかかわらず、早くも暑さの予兆を感じさせる。

「暑いな」

「まだ なつ?」

「もう少しはな」

 病院の正面玄関は街の中心部に直結する大通りに面しており、周囲には飲食店の店舗も多い。この暑さを商機に転じようというのだろう、氷菓を売りにした宣伝装飾が、あちこちに見受けられた。

 病院は街のほぼ中心に位置し、大通りをまっすぐ北に向かえば、騎士団本部もそう遠くはない。火急の案件は、先日気を利かせたレアードが届けてくれはしたが、今頃執務室の机には処理を待つ書類が山の如く詰まれていることだろう。

 悲しいことに、自分の机が白く埋もれている様子すら、確信をもって思い浮かべることができた。それを処理することを思うと、憂鬱を通り越してため息も出やしない。

 ――だが。

「ラド」

「なに?」

「どこかで飯でも食っていくか。前に外に食べに行くと言ったきり、そのままになっていただろう」

「! ほんと!?」

 提案すると、ラドは文字通りに飛び上がって喜んだ。外食一つでここまで喜ばれるというのも、何というか、些か良心の痛む話だ。

 過度に甘やかすのは褒められたことではないだろうが、元々生まれが不憫なこどもだ。少しくらい良い目を見させてやっても、咎められる筋合いもあるまい。今後も、折を見て機会を作ってみるか。

「何か食べたいものはあるか」

「んー? なに が あるか しらない」

「……それもそうだな」

 何だかんだで、これまでのラドの行動範囲は星籠亭か、騎士団本部に限られていた。それでは希望もへったくれもない。退院したてで、俺の頭も些か鈍っているのかも分からん。

 とは言え、俺の方で当てがあるかと言われれば、それもまた困る話だ。これまで街に出て飲み食いをするとなれば、大方が夜に酒を飲む為だった。さすがに真昼間から、子供連れでそういった店に出向く訳にもゆくまい。

「まあ、気になる店があったら言え。今日はまだ休み扱いだ、時間はある」

「よゆー?」

「ああ、物凄く余裕だ」

「そっかー!」

 歓声を上げて、ラドは周囲を見回し始める。ぐいぐいと手を引かれながら、つられて小さく笑った。

 まだ懸念事項は多く、全てが解決したとは言えない。だが、今――この時くらいは、少し息抜きをしたとて、咎められはしないだろう。

「おい、そんなに急ぐな。走らなくったって、何も逃げやしない」

「にげるかも しんない じゃん!」

「何がどうやって逃げるんだ」

 こどもに引っ張られて、晴天の下を行く。

 見上げた空は、抜けるように青かった。

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