9:異変の兆

 招集を受けて会議室を訪ねてみると、想像以上に人でごった返していた。議題の重要度からすれば当然だろうが、随分と参加者が多いらしい。

 会議室中央に据えられた円卓には、お決まりの並びで騎士団長と五人の大隊長、その副官がぐるりと陣取っている。他にも、情報部隊の所属と思われる隊員、俺やユガーネと同様に報告に呼び出されたと思しき連中が何人か、部屋の隅に並んでいる。俺たちが入室してからも、更に複数名知らぬ顔がやってきた。……どうやら、この人数と顔ぶれを見るに、議題は昨日の襲撃事件だけではなさそうだ。

「長引きそうだな」

「ちびが泣かなけりゃいいがなァ」

「あれが泣こうと喚こうと、どうしようもない。我慢を覚えるいい機会だ」

「厳しい親父だこと」

「誰が親父だ」

 低く笑うユガーネに、顔をしかめて言い返す。

 今回の会議は参加者も多く、さすがに全員で円卓を囲むことはできない。お偉方と、その副官以外の参加者は円卓の下手――壁際に並ぶよう指示が出された。ユガーネと前後して列につけば、また会議室の扉が開く。そうして駆け込んできた隊員が、最後の一人であったらしい。その隊員が壁際の列に加わると、途端に場が静まり返る。

「全員お揃いですね。それでは、これより開会と致します。まずは、昨日の襲撃事件に関し……」

 サシピリオ卿の言葉をもって会議は始まり、まずは昨日の襲撃事件が議題に挙げられた。

 手始めに被害状況が述べられ、ひとまず周辺建造物への物的損壊以外に被害がないと告げられると、あちこちから安堵の息が漏れる。かく言う俺も、ひそりと息を吐いた一人ではあるが。

 一通りの被害報告が終われば、今度は事務方から現場近隣の住民への補償に関する答弁に移る。ルヴェカヴァが派手に暴れたせいで、洒落にならない金額が計上されているらしい。答弁を行ったのは五十がらみと見える男性隊員だったが、早くも顔色が青くなりつつあった。一応、俺たち現場も被害を度外視していた訳ではなく、人的被害はゼロに抑えているので、ご容赦いただきたいところである。

「続いて、ウェズリー卿、バセット卿、報告を」

 更に報告は進む。呼ばれて応じた二人は、第四大隊の第三竜騎小隊と第六竜騎小隊の隊長で、昨晩ルヴェカヴァの追跡にあたった当事者だ。

 その論述内容は、昨夜受けた報告に続き、今朝執務室に届いていた続報で知っている。空を飛んで逃げたと思しきルヴェカヴァは、今に至るまで発見できておらず、手がかりすら皆無だそうだ。偉そうなことを言っておきながら、逃げ足が速い。

 昨日を思い返し、内心で忌々しさを蘇らせたりなどしていると、いつの間にか同じ大隊の小隊長たちの報告は終わっていたらしい。サシピリオ卿が俺とユガーネへ目を向けるのが、視界の端に映った。

「では、ローレンツ卿、ユガーネ隊員、報告を。あなた方は、ルヴェカヴァと直接言葉を交わしたそうですね。一報は先んじて受けていますが、改めて、その詳細をお願いします」

 穏やかな声音に促され、壁際から一歩前に踏み出す。俺たちが何を訊かれるかなど、分かりきった話だった。はい、と返事をして、予め考えてあった報告内容を述べる。

 この場において、告げるべきは主に二点。

 ルヴェカヴァの目的が、ラドの奪還――いや、拉致であったこと。そして、奴がほのめかした虎共の異変、思惑についてだ。重要度としては、後者の方が断然高い。虎共が一つところを「実験場」だの「狩場」だのと認識するほどの知能を得たなどと、前代未聞だ。そのような異常事態、リィリャどころか国そのものを揺るがす大異変とも繋がりかねない。

「ルヴェカヴァの言は、信用に足ると思うか」

 一通り述べ終わると、険しい表情のファースが口を開いた。……さて、「信用できるか」ときたか。

「あくまで個人の所感ではありますが」

「構わん」

「では、僭越ながら。――ルヴェカヴァは、危険を冒してまで街に潜入し、ラドユィカを回収しようとしました。このまま放置しておけば、虎共の餌食になると危惧して。その行動こそ、奴があの与太話を信じている何よりの証左では」

 答えると、あちこちでざわめきが起こる。

それぞれに副官や、隣にいる隊員と話をしているようだった。会議の最中にはあるまじき反応ではあるが、それをさせるほどの異常事態でもある。

「ルヴェカヴァは」

 しかし、おもむろに騎士団長が口を開くと、室内を満たしていた漣のような会話の声も、ぴたりと止んだ。周囲の視線が、円卓の上座に集中する。

 騎士団長が口を開けば、どんなに騒がしい場も、決まって静まり返る。その場に居合わせる度に不思議に思わずにはいられないが、ヘンリット卿の語りには、自然と聴衆を引き付ける、不思議な力でも込められているかのようだった。

「何故、そこまでしてラドユィカを回収しに来たのだ。セデナ峡谷で、奴はあの子竜を見捨てたのだろう。やはり、ゼセンタデナの直系であるからか」

「その点に関しては、確たることは分かりかねますが――そもそも、ルヴェカヴァはゼセンタデナに対し、純粋に忠誠を誓っているとは言いかねる模様です。あくまでも、かの竜の吐く焔が美しいが為、それだけの理由でもって従っていると、自らで述べておりました。……ラドユィカは、母竜と同じ焔を持つ。それ故の執着ではないかと考えられます」

 再び、ざわりと場が揺れる。そのさざめきの中、喧騒にも我関せずといった調子で「一つ、気になるのですが」と切り出す声があった。

 第一大隊長――モーガン・サマーヘイズ卿。

 歳は確か四十の半ばほど、丸い眼鏡をかけた金髪の男だ。一見して線が細く、柔和な顔立ちをしているが、槍斧ハルバードの扱いにおいては、騎士団でも右に出るものはいない。王国一の使い手として、広く勇名を轟かせる傑物だった。

「逆に、ルヴェカヴァは何故今になって、件の子竜に接触を? 執着しているのなら尚更、もっと早くに連れ戻しに来そうなものではありませんか」

 その問いには、俺が口を開くよりも早く、ファースが答えた。

「ルヴェカヴァは、我々第四大隊でセデナ峡谷を攻めた時、既に手負いの身だった。逃亡こそ許してしまったが、瀕死に近い状態までは追い込んでいる。潜入が可能な程度まで回復するに、昨日まで時間を要したのではないか」

「なるほど。だとしても、疑問は尽きませんね。ルヴェカヴァは、一体どのようにして『実験場』だの『狩場』だのと評するに至る根拠を得たのか」

「それはこちらとしても疑問の残るところだが、今現在重要なのは、奴がどこでその情報を得たのかではないだろう。我々にとって、どのような意味を持つかだ」

「ご意見もっともかと思いますが、原因を軽視すべきでもないでしょう。ルヴェカヴァが〈翼虎〉を観測し続け、その結果、独自に件の情報を得たとは考えにくい。一頭の竜が少し戦況を眺めた程度で奴らのことが分かるのなら、我々は千年も戦い続けていませんからね。となれば、奴は虎と接触し――直接虎から情報を得たのだ、とも考えられませんか」

「馬鹿な。〈翼虎〉に、対話に応じるような知能はないはずだ」

 ファースが目を見開く。信じられないといわんばかりの表情を前に、モーガン卿は平然として肩をすくめて見せた。

「ええ、そのはずですね。ですが、それはあくまでも『これまで』の話です。前代未聞の異変が起こっているのやもしれない時に、過去の記録に縋り、自ら視野を狭めてどうします。……とは言え、所詮はただ私が思いついただけの話。未だ奴らに大した知能がないというなら、その方がいい。対処に大きな変更がなくて済みます」

 そこまで述べて、モーガン卿は「話が脱線してしまいましたね」と会議の進行役を務めるサシピリオ卿に向けて苦笑して見せた。いえ、と律儀に応じたサシピリオ卿は一堂を見回し、

「ひとまず、ルヴェカヴァの発言が虚偽でないことを前提として、話を進めましょう。異議のある方は――……いらっしゃらないようですね。モーガン卿もおっしゃった通り、今回の最大の論点は、この地に襲い来る〈翼虎〉に異変が起こっているとして、それは何か。また、それが我々にとって、どのような影響を及ぼすか。この二点です」

 言葉を切り、サシピリオ卿が中空に手をかざす。その指先から光が迸り、やがて円卓の直上の空間に現れたのは、無数の光の点によって描かれる近隣一帯の地図だった。

 一際大きく輝く白い光点が、リィリャだろう。その周囲に点々とまちまちに浮かぶ赤い光は、〈翼虎〉との遭遇地点か。ご丁寧に日付と時間、出現数までもが添えられている。

「直近の三月で、〈翼虎〉の出現回数は二十三。一月あたり七から八の数はやや多いものの、そこまで平均から逸脱したものではありません。一度に出現する数も三から五と、これまでの記録に乖離するものではない。出現時間や場所にも、同様に明確な偏りはありません。――ですが、敢えて各々方にお尋ねします。これまでの撃退作戦において、何か気付いたことはありませんでしたか」

 厳しい声音で告げたサシピリオ卿が、真っ直ぐに壁に並んだ面々を見据える。そして、俺とユガーネの後に並んでいた隊員たちが、順に指名されて意見を述べていった。

 一様に所属と氏名に加えて、いつ何時撃退任務に出たかを添えて発言していくので、どうやら彼らは皆直近で〈翼虎〉の撃退任務に出た部隊の者であるようだ。しかし、誰もが「特別おかしなことはなかったように思う」と口を揃える。

 次第に、嫌な空気が漂い始めた。薄ら寒い感慨が背筋を伝う。真実、誰にも何も心当たりがないと言うのなら。ルヴェカヴァが気付いている「異変」の片鱗すら、俺たちには見えていないということになる。それは、とんでもない見落としをしているということにはならないか。

「……小さなことでも、よろしいでしょうか」

 その時、細い声が挙手と共に上がった。一斉に視線が集中した先には、一人の女性隊員の姿がある。

 黒髪を束ねた、両目の閉じた面差し。その眼の様は、何も伊達や装いなどではない。彼女――ネル・オーティス卿は、騎士団唯一の盲目の〈竜謡士〉として知られる才媛であった。第三大隊の第五位席次にあり、光を持たぬ代わりに、魔術によって外界を知覚する。お陰で、その視野は時に千里眼に擬えられるほどに広いのだとか。

「構いません、どうぞ」

 サシピリオ卿に促され、ネル卿が「かしこまりました」と頷く。

「第三大隊第四竜騎小隊ネル・オーティスが申し上げます。私が〈翼虎〉の迎撃に出ましたのは、七日前のことになります。天候は晴れ、北部のゾアトゲ村からの出撃要請を受けての任務でした」

 騎士団では、日常的に竜騎小隊による各方面の哨戒を行ってはいるが、哨戒の最中に〈翼虎〉と遭遇する確率は、実はそれほど高くない。

 リィリャ竜謡騎士団の管轄となる防衛領域は、管制部隊が管理する対空の感知術式と、村々に設置された物見の櫓によって監視されている。感知術式はリィリャの騎士団本部を中心とした、一定空域を覆うに留まる規模であるので、各村の自警団〈翼虎〉の出現を発見し、出撃要請が出されることで撃退に向かう場合と、割合としては半々程度といったところだ。

「ゾアトゲ村に向けて侵攻する〈翼虎〉の数は四。他二つの竜騎小隊と共に現場へ急行し、対処にあたりました」

「村にも、隊員にも負傷などの被害はなかったと聞いています。見事な働きでした」

「恐縮です」

 サシピリオ卿の賛辞に、ネル卿は軽く目礼をして応じる。しかし、そこから先は、ここまで滑らかに言葉を紡いでいたのに反し、どこか躊躇いがちであるようにさえ聞こえた。

「サシピリオ卿のおっしゃった通り、任務自体はつつがなく完了したのです。しかし――〈翼虎〉の中に、一頭、終ぞ村に近付かず去ったものがありました。報告書にも、その旨は添え書いておいたかと思いますが」

「ええ、ここに写しを用意してありますが、確かにその通りの記載があります。ここには、特に所感などは書かれていないようですが」

「はい……。初め、私はそれを一頭だけ他に遅れたものがあり、先行した四頭の全滅を察して逃げ帰ったものかと思いました。ですが、あれは……今考えれば、初めから村に近付こうとしていなかったように思われます。もしや、あれの役目は持ち帰る・・・・ことであったのでは」

「持ち帰る……?」

「例えば、我々が到着するまでにかかった時間、到着した数、そして実際に撃退にあたった戦力。そういった情報を。他に、同じような例に遭遇された方はいらっしゃいませんか?」

 ネル卿が瞼の閉じられたままの顔を巡らせ、周囲へと声を掛ける。すると、驚くことに「確信はないのだが」「もしかすれば」などと、挙手をする者が出始めるではないか。

 そうして口々に言い始めるのは、一頭戦闘の終結を待たず逃げ去ったものがいただの、戦いを遠巻きに逃げ腰になっていたものがいた気がするだの、頭の痛くなるような話ばかり。それらが何もかも本当であるとすれば、これはとんでもない事態だ。

 ここしばらく――もとい、ラドを保護してからというもの、様々な思惑の下に、我が第九竜騎小隊は〈翼虎〉の撃退任務からは除外されていた。そんな立場では、横から何を言えたものでもないが。

「……む?」

 ふと、円卓上に展開した地図に目をやって、違和感を覚えた。上手く表現する言葉の見つからないそれを、どうにか手繰り寄せる。

 ――ああ、そうか。

「上手く散りすぎている」

「あ?」

 呟けば、隣で退屈そうにしていたユガーネが、怪訝そうな顔を向けてくる。その不真面目極まりない部下に、わざわざ円卓上に浮かんだ地図を示してやってから、ひどく苦々しい気分で告げた。

「虎共の出現地点だ。見てみろ、見事に重なっていない。場所どころか、時間帯すらもだ。メビ村近隣では二度出現した記録があるが、朝の七時と夕の五時とで、大きく開きがある。ヤヒリ村も、それ以外も全てそうだ。似たような場所に現れていても、必ず時間帯が異なる」

 地図を見ていると、改めてリィリャ竜謡騎士団の担当する防衛空域の広さが思い知らされる。

 南の山脈を源流とする大河の恩恵に与り、肥沃な土地柄のリィリャ地方は、西方の一大穀倉地だ。付近の山林にも豊富な天然資源が眠っており、長い歳月をかけて、山際に川沿いにと、多くの村が築かれてきた。地方の中規模都市が平均して大隊三つ分ほどの兵力で留めておくところ、リィリャがその倍近い兵力を擁しているのは、それだけ守る対象が多いからだ。そして、それだけの兵を支えられるだけの財力と物資を擁しているからでもある。

 兵を増やすのならば、同じだけの装備も、食糧も確保せねばならない。一定以上の規模の騎士団を擁する都市は、往々にして豊かなもので、豊かであるからこそ兵力の維持が可能となる。リィリャの兵力も、ひとえに肥沃な大地の恵みあってのものだ。

 ――だが、その広大な穀倉地こそが、今は俺たちの足枷になろうとしていた。

「虎共の最大兵力は、俺たちの窺い知るところではない。もしも奴らが統一的な戦略の下、防衛空域遠方において同時多発的に現れたとしたら? もちろん、撃退に出ない訳にはいかん。しかし、その結果がどうなるかは、火を見るよりも明らかだ」

 すなわち、戦力の分散。本丸リィリャの守りは、恐ろしいほどに薄くなる。

 いつの間にか、室内は静まり返っていた。

 今や、居並ぶ隊員たちからの視線を集めているのは、俺だ。だが、そんなものに頓着してはいられない。この恐ろしい推測を口に出してしまうことの方が、よほど重要だった。

「この地図に表れている全ての件において、戦闘を傍観するだけで逃げ帰る個体があったとすれば、もう間違いはない。奴らは、探っているんだ。いつから、どうしてそんなことをするようになったのかは分からん。だが、俺たちの戦力、移動速度、その時間帯による変化……それらの情報を収集し、分析しようとしていることは間違いない。その結果を踏まえて戦略を立てる頭のある個体までもが発生しているとしたら、不味いぞ。――奴ら、こちらの数と力を測った上で、この街を落としにくる気だ!」

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