7:氷凍の竜

 ケーキとゼリーを平らげたラドはすっかり機嫌を直し、その後はユガーネと入れ替わりでザザキリが戻ってきたこともあり、大人しく午後を過ごした。子守から解放された俺も順調に仕事を片付けることができ、気付けば夕刻も迫ろうとしていた。

 ラドの保護が騎士団からの任務である以上、その面倒を見るのも仕事の内に入る。子供にはよい食事を与えるべきである、と仏頂面の割に優しいことを言うキドゥーエ卿により、俺とラドは星籠亭の夕食に間に合うよう帰宅する義務が発生していた。そうでもせねば、俺がきちんとした食事を与えるか疑わしい、という訳だ。甚だ心外な疑惑である。

 そのせいで、日々仕事を片付けるのが忙しくて参るが、命令とあらば従わねばならないのが騎士団に所属する人員の悲しいところだ。残った仕事は明日に回すとして、手早く帰り支度を整える。

 荷物は少ないが、如何せん俺も立場上しがらみが多い。本部の外に別邸を持つことを許されるような高位席次の騎士には、個別に小型の通信術具が与えられており、外出の際には携帯することが義務付けられていた。その術具がきちんと荷物に含められていることを確認してから、執務室に残っていた隊員には、何かあれば気兼ねなく連絡するようにとよくよく申し渡しておく。

 他の部隊では、そういった連絡を嫌う者もいるらしいが、これに関してはどうも共感しがたい。多少の余暇を惜しんで連絡を拒み、後でとんでもない問題に直面するくらいなら、さっさと連絡をもらって初期段階のうちに解決策を打ち出してしまった方がよほどいいではないか。

 そんなことを思いつつ、連絡事項を伝えるなど軽い引継ぎを行っていると、折よくユガーネが鍛錬から帰還した。これ幸いとユガーネに後を託し、ラドを連れて本部を出る。

 ユガーネは第九竜騎小隊において、年齢こそ中堅であるものの、最も高い戦闘能力を持つ。そのことから、暗黙の了解のようにして、副官めいた役回りを負うようになっていた。原則一人と一頭の二名で編成される竜騎小隊ならばともかく、その他の一般的な小隊では、所属する大隊において定められた序列席次に応じ、部隊長や副官の役職が任じられる。単純に隊の中で最も席次の高い者が部隊長を務め、それに次ぐ者が副官を担う決まりなのだが、我々第九竜騎小隊に限っては、その規則に則りたくともできないのが実情だった。

 第九竜騎小隊の隊員は、俺を除いて誰一人として大隊の序列に組み込まれていない。罰則こそ与えられはしないものの、様々な面で不利が生じる。序列からの除外こそ、その最たるものだった。

 そもそも俺がリィリャに異動してくるまで、ここでも騎士団の「推奨」事項に従わない〈竜謡士〉や竜は、場当たり的な補填要員としか扱われていなかった。何ら瑕疵がある訳でもないのに、充分に実力を発揮できる場を与えられていなかったのだ。そこで俺とユガーネは共謀し、若干無理を言ってファースを後ろ盾につけ、冷遇されていた彼らを取りまとめた。他の部隊と同様に働く機会さえ得られれば、後はこちらのものだ。上層部でさえ無視することのできない価値――純然たる戦果を示し、例外的に第九竜騎小隊の正式結成を勝ち取ることができた。とは言え、各種不利までもを撤回させるまでには至らなかったのは、未だ悔やまれるところだ。

 また、大隊序列からの除外に並び、影響の大きいものとして、〈竜謡士〉としての技量を認定する階級の認定制限がある。俺や部下たちは、どれほど実力があろうとも、最上を一として五階まで定められた級のうち、二級までしか取得することができない。ファースが度々俺に向かって「一級『相当』」などと言うのも、その為だった。

 技量階級にしろ大隊序列にしろ、制限が生じているのは「命令への忠実性に疑問があり、他の竜騎小隊に比べると連携も浅く、戦力として安定的に計算できるか不明瞭である」というのが、公における理由であるらしい。不明瞭だというなら、明瞭にする為の試験でも何でも行えば済む話だと上申してみたことがないではないものの、のらりくらりとかわされて今に至る。

 その境遇において、俺がたった一人大隊序列に組み込まれているのは、「推奨」制度に逆らう跳ね返りをまとめて小隊として運用するにあたり、管理者としての部隊長が必要だと、ファースが独自に判断を下したことによる特例だ。ファースとメレゼ、その他各小隊長の列席の下、当時の序列第三位と戦い、これに勝利したことで認定された。

 今になって思えば、その時に食い下がって全員とはいかずとも、もう二人三人序列に加えさせておくべきだった。副官もいない身の上では、ここのところ雑務の消化が厳しいことこの上ない。星籠亭の夕食に間に合うように本部を出るとなると、おちおち休憩もしていられなかった。

「ろー ろー あした なにする?」

 ため息を吐きかけたところで、傍らからの声に意識が引き戻される。

 顔を向ければ、小さなこどもの大きなまるい眼が俺を見上げていた。手を繋いで歩くラドはザザキリの与えた大きな麦藁帽子をかぶり、袖の丸く膨らんだ淡い水色のワンピースを身に着けている。そうして首を傾げる姿は、まるでただの幼子だ。

 これでユガーネ――リィリャ騎士団指折りの戦闘能力を誇る竜と、互角に格闘戦を演じてみせるというのだから、全く恐れ入る。

「明日は非番で一日休みだからな。どうするか」

「ひばん? やすみ?」

「仕事をしなくていい日だ」

「ふーん」

 分かっているのかいないのか、今一つ分かりかねる顔で頷いたラドが、「じゃあ」と俺の手を引く。

「ずっと いっしょ?」

「まあ、そうなるか」

「いっしょ かー」

 それはもう嬉しそうな、満面の笑顔でラドは繰り返す。その様子を微笑ましいと見たいのは山々ではあるが、まさか一日中遊び相手にされるのじゃなかろうな……?

「どこ いく? なに する?」

「俺は寝ていたい」

「やだ」

「即答するな」

「ちょっとは かまえ!」

「うん? ちょっとでいいのか」

「ろー さいきん いそがしい。しってる」

 思わぬ言葉に、目が見開くのが分かった。

 跳ねっ返りのちび子竜だとばかり思っていたが、いつの間にやら、そんなことにまで気が回るようになっていたのか。

「……まあ、丸々一日部屋で寝ているのも、暇は暇だな。昼はどこか外に食べに行くか。たまには星籠亭でも、本部の食堂でもないところで飯を食うのも良いだろう」

「おでかけ!?」

「昼前からな。それまでは寝かせてくれ。朝も早くから叩き起こしてくれるなよ」

「ぜんしょ する」

「お前、本当にどこでそういう言葉を仕入れてくるんだ? 善処しなくていいから、素直に頷いておいてくれ。頼むから起こすな。寝かせろ」

「ろー おきない と ひま」

「お前も寝てろ。寝る子は育つと言うぞ」

「! ねる と おおきく なる?」

「なる。よく寝ろ。たくさん寝ろ」

「わかった!!」

 必要以上に元気な返事に、若干の後ろめたさを抱かないではないが、俺は俺の睡眠時間が惜しい。素知らぬ振りをして、夕暮れに沈んでいく街の中を進んでいく。

 ――その時だった。

 不意に、繋いだ手が強く、強く握り締められた。何かと思って見てみれば、その顔を窺う間もなくラドが腹にしがみついてくる。

「どうした?」

「ろー にげる。にげて」

 囁く声は、完全に震えていた。こんな姿は、未だかつて見たことがない。怯えている、のか?

「逃げる?」

「ちかく いる。わかる」

「……どういうことだ?」

「るべ」

 囁く声に、目が見開いた。

 ラドの語る「るべ」が何者かは、捕縛した咎竜からの聴取によって、既に明らかになっている。

 ゼセンタデナの片腕と悪名高い、蒼き氷竜ルヴェカヴァ。奴の命によってラドが生かされたことも、何頭もの竜の証言から裏付けが取れていた。

 これも複数の竜から得られた情報であり、妙な話だが、ルヴェカヴァは度々ゼセンタデナに対し、嫌悪を露わにしていたという。ただし、それは決して「反抗的」なのではなく、ゼセンタデナの行動を「悪趣味」だと顔をしかめる類のものであったとか。

 同胞として従っていた竜でさえ、ルヴェカヴァが何故ゼセンタデナに従っているのか不思議だと、何頭も口を揃えて言うほどだ。よほど明け透けな態度であったのだろう。しかし、同時にルヴェカヴァは最もセゼンタデナに忠実な竜であるということも、複数の竜が語っていることだった。全くもって訳が分からない。

 だが、今はその竜の思惑に思いを馳せている場合でもなかった。

「ルヴェカヴァが、近くにいるんだな」

 しがみつくラドを抱き上げて囁きかければ、勢いよく首に縋りついてくる。今朝方にザザキリによって編み込まれた長い髪に隠れた首筋には、人の姿となって尚も残る痣があった。かつて逃亡を阻まれ、首を噛まれた経緯は、肉体だけでなく、精神的な傷となっているのやもしれない。

「るべ いる。くる」

「大丈夫だ、お前を連れて行かせやしない」

 ぽん、と軽く背中を叩く。夕食には遅れるが、こうなっては本部に戻らざるを得まい。奴が何を企んでいるにしろ、対策は不可欠だ。そして何より、あそこには十二分な人手と戦力がある。

 踵を返し、走り出す。夕の通りは人出も多いが、騎士団の制服のお陰で、人ごみの方から道を開けてくれた。ラドを左腕で抱き直しながら、右手で通信術具を取り出す。小さなオーブの表面に指先を走らせ、呼び出す識別番号は第九竜騎小隊執務室。

「ラド、これを持っていろ。絶対に離すな」

 呼びかければ、首筋に押し付けられていた顔が離れて、不安と怯えに歪んだ表情が向けられた。それを哀れに思わない訳ではないが、生憎と慰めている暇もない。いいな、と言葉を重ねて、小さな手の中にオーブを押し込む。細い指ごと掴んで握りこませると、蒼白な顔がかすかに頷いた。

「いい子だ」

 幸い、まだ本部からそれほど離れていない。ラドが気付いたということは、向こうもこちらに気付いている可能性は高い。遭遇する前に本部に駆け込めるかは、分のない賭けではあるが――

「きた!!」

 悲痛なまでの叫び。

 それを聞くまでもなく、俺にもその異様な気配は感じ取れていた。通りがざわめいているのは、果たして騎士団の制服を来た人間が子供を抱えて走っているからか、それとも「これ」が人々の気付くこととなったからか。いずれにしろ、このまま大通りに身をさらしているのは不味い。周囲を巻き込むような騒ぎになった場合、どれだけ被害が出るか。

『――隊長? どうしました?』

 どこの路地に飛び込むべきかと品定めを開始した瞬間、ラドの掌の中から声が聞こえてきた。

 この声は、レアードか。

「ゼセンタデナの右腕、ルヴェカヴァが現れた。ラドを狙っているものと思われる。こちらの現在位置は本部より、およそ一キロゼネ地点。ゾミネル通り近郊路地。詳細は通信術具の位置情報にて確認せよ。至急迎撃部隊の派遣を求む」

『何ですって!? ユガーネ、すぐに動ける奴連れて街に出て! 隊長とラドが狙われてる!』

『あァ!? どういうことだ、そりゃ!』

『事情は後で伝える! 通信術具持って、とにかく隊長と合流して! ――隊長、もう対象と接触してます? お怪我は? ラドは大丈夫です?』

「まだ遭遇してはいない。負傷もなし。ラドは動揺してはいるが、まだ大人しい方だ」

『分かりました、至急ファース大隊長に報告を上げます。追って、正式に部隊が派遣されるかと』

「充分だ、よろしく頼む」

 短く答え、通信術具を思念直結に切り替える。いよいよ標的が近付きつつある今、余計な情報は与えられない。レアードの声は途切れたが、今度はユガーネが逐一状況を伝えてくる。その報告を聞くに、最短で出動が叶ったとして、到着までは多く見積もって十分ほどかかる見込みであるとか。

 それくらいの時間稼ぎなら、俺一人でもできるだろう。それに、奴とていくら何でも騎士団そのものを向こうに回すつもりで飛び込んできた訳ではあるまい。あくまでもラドが目的であるのなら、戦闘を避けるのも不可能ではないはずだ。

 人ごみの壁が途切れた時機を見計らい、路地に飛び込む。左右にそびえる建物の落とす影、夕暮れ時と相俟って、そこは既に夜のように薄暗い。

 悪手か、と一瞬躊躇わないではなかったものの、迷っている時間こそが惜しかった。意を決し、薄暮の路地を突き進む。

「ろー うえ!!」

 ざざ、と風の流れる音。頭上から注ぐわずかな夕陽さえも遮って、影が落ちる。

「存外、小賢しく逃げ回ることだ。ラドユィカが入れ知恵でもしたか?」

 行く手を阻むように、立ちはだかるように降り立ったのは、痩せた細身の男だった。

 整ってはいるが酷薄な面差しは、およそ三十半ばといったところか。竜が人の姿を取ると、鱗の色がそのまま頭髪の色彩に置き換わるという。くすんだ青の総髪は、まさしく騎士団内で共有されている手配写真のそれに一致していた。

 セデナ峡谷を襲った〈翼虎〉の群れ、そして我々リィリャ竜謡騎士団との戦闘を経て、奴も浅からぬ手負いの身で逃げ延びたと聞く。しかし、こうして見る限りでは、特に傷を負っているような様子も窺えない。潜伏中に完治させてしまったか。

「……ルヴェカヴァ、か」

 問い掛けながら、空けておいた右手に召喚術式を展開。手の中に、騎士団の制式装備であるガレカエ式長剣が現れる。滑らかな曲線を描く、片刃の剣。

 鋭利な白銀の切っ先を向けられども、男は貴石じみた緑玉の眼で睥睨するのみ。――否、その目は俺でも、向けられた刃でもなく、ただひたすらにラドへと向けられている。

 そして、感情の乗らない声が、平板に呼んだ。

「ラドユィカ」

 途端、抱えたこどもの身体が震える。

 ラドユィカ。

 それが、ラドの正式な名前であったのか。ルヴェカヴァを「るべ」とだけ呼んでいた幼子だ、自分の名前も略していた――或いは、覚えきれていなかった――としても、何ら不思議はない。

「何をしている。貴き竜の裔たるお前が、人間に飼われようというのか。ただ数が多いだけの、脆弱な者どもに頭を垂れると?」

 淡々と重なる声には、かすかな非難の響きがあった。半ば反射で、眉間に皺が寄る。飼う、だと?

「黙って聞いていれば、勝手なことを言う。我々人と竜は盟約に基づき、国と民と朋友を守る為に共に戦っている。盟約に逆らい、罪を重ねる咎竜なんぞに、偉そうに説教を垂れられる筋合いはない」

「……ローレンツ・ガザート」

 そこで初めて、男が俺を見た。

 緑玉の眼が、嫌悪とも憎悪ともつかない光を閃かせて据えられる。

「ほう、俺のような者を御存知とは光栄だ。数だけが取り柄の有象無象の中の一個体の名を一々覚えているとは、よほどの物好きと見える」

「減らず口を。貴様がラドユィカを誑かしたか」

「誑かす? お前たちが虐げていただけだろう」

「戯言を。その娘を渡せ。ラドユィカは、貴様のようなものの手にあるべきではない」

「分からん奴だな。俺のような『もの』の『手にあるべきでない』などと平気で言うから、お前たちは愛想を尽かされるんだ」

「……分かったような口を利く。貴様、何故ラドユィカにそこまで執着する?」

「執着とは人聞きが悪い。俺はリィリャ竜謡騎士団が一人にして、〈竜謡士〉の端くれ。竜と共に空を駆け、竜と共に戦いに挑むもの。不憫な生まれのみなしごに乞われては、無いに等しい親切心も、多少は捻り出そうというものだ。――第一、お前達はこの子を置いて、さっさと逃げ出したろうが。そのくせ戻って来いとは、勝手が過ぎる。〈高位種〉のお歴々は知る由もないのやもしれんが、戦場にただ独り残されるというのは、存外に堪えるものだぞ」

 そう告げれば、男はあからさまな渋面になった。苦々しげに、憎々しげに表情を歪め、吐き捨てる。

「ナーウレラの死に損ないが、ラドユィカにつまらぬ同情でも抱いたか。傷の舐め合いこそ、脆弱なもの共の所業。下らぬ、愚か以外の何物でもない」

「何とでも。お前の立ち居振る舞いこそ、俺には不可解に思えるがな。嫌う竜に何故付き従う?」

 その問いは、或いは男の根幹に触れるものであったのやもしれなかった。一瞬唇を閉じた男は、短い間を挟んだ後に、

「……ゼセンタデナは度し難い悪竜であり、その振る舞いも無粋で趣味が悪い。だが、奴の吹く焔の煌きは、この世の何よりも美しいと、賞賛するに値する。ただ、それだけのことだ」

 何が「それだのこと」か。語りを聞くと同時に、呆れめいた感情が過ぎった。

 その口腔から放たれる焔が美しい? だから、稀代の大咎竜に加担するというのか。その所業を善きものでないと知りながら。そんなもの、理解しがたいどころの話ではない。

「〈高位種〉というものは、もう少し出来た御仁かと思っていたが、意外とそうでもないらしい。そのような訳の分からん理由で、我々の邪魔をされるのは御免こうむる。仕事が立て込んでいるのでな、お前たちのような咎竜にかかずらってはいられん」

 言い切ると同時に剣の切っ先を振り上げ、鋭く高く口笛を鳴らす。――瞬間、路地の左右の建物の屋根の上に姿を隠していた隊員たちが姿を現し、一斉に捕縛鎖を放った。

「小癪な!」

 遅れて頭上を振り仰ぎ、苛立たしげに吼えた男の背後から、ぬうっと長大な尾が生え出す。

 硬質に輝く、くすんだ青の鱗で覆われた竜の尾。一薙ぎするだけで壁を抉り、石畳を割る様は、まさしく凶器と呼ぶに相応しい。十重二十重とばかりに放たれた鎖でさえ、ことごとく弾き返された。

〈高位種〉の竜は、人の姿であっても部分的に竜の肉体を召喚することができるという。実際に対峙したのは初めてだが、これは中々厄介だ。

「面倒な真似してくれやがって! しゃァねェ、取り押さえるぞ!」

 怒声が聞こえたかと思うと、路地の前後から複数の人影が駆け込んでくる。第九竜騎小隊の竜だ。

 先陣を切るのはユガーネ、その後にアユバゼッツとルコサリが続き、ルヴェカヴァに挑みかかっていく。迎え撃つ竜は長大な尾のみならず、両腕もが竜のそれへと変じていた。ユガーネたち三頭は、並の〈高位種〉にも劣らぬ戦闘能力を誇るが、〈高位種〉ではないがゆえに、同じような戦法は取れない。

 縦横無尽に奔る鞭にも似た尾、刃じみた爪の前には、三頭がかりと言えど攻めあぐねていた。軽率に踏み込めば尾に払い飛ばされ、それを掻い潜っても爪によって痛烈な斬撃が見舞われる。屋根の上から援護の弓射が行われるに至って、ようやっとこちらに趨勢が傾いてきたかというところだ。

「援護を途切れさせるな! 捕縛鎖の残はあるか。増援はどうなっている!」

 指示を出しながら怒鳴れば、遅れてやってきた伝令の隊員が、第四大隊から第一陣として歩兵小隊が一部隊と複数の竜騎小隊が急行している旨を伝えてくる。他にも部隊を動かす用意を整えているらしいが、到着までは今しばらくかかるという。

 ……果たして、それが間に合うか。

 逃げられる前に、少なくとも最低限の情報だけは得ておきたい。通信術具を介して、格闘戦を繰り広げている三頭に連絡を入れる。

 これから対象との会話を試みるが、それに配慮する必要はない。隙あらば確保せよ。――その指示にそれぞれ了解の意を送り返すのを待って、声を張り上げた。

「ルヴェカヴァ! お前の狙いは何だ。ただラドユィカを攫いに来たのか。だが、当のラドは、こうしてお前を拒んでいる。随分な嫌われようだな、〈高位種〉の矜持は傷つかないか? 嫌がる子供を攫うなど、下種の盗賊じみた所業だろうに」

 発した言葉の内容に怯えたか、一層に強くしがみついてくるこどもの背を叩いた瞬間、ルヴェカヴァがこちらに憎々しげな目を向けた。思わず、といったいかにも衝動的な動き。それが、仇となった。

 上空からの射撃も継続している。矢の雨に尾の動きが牽制されている隙を縫って、アユバゼッツとルコサリが両手の爪を抑え込んだ。両手を封じた、その千載一遇の好機にユガーネが踏み込む。

 右肩から左脇へ、閃いて抜ける白銀の軌跡。一拍遅れ、鮮血が噴き上がった。赤の飛沫を振りまきながら、〈高位種〉の竜は二歩、三歩と後退する。

「この――痴れ者共が……!」

 憎悪を押し固めたが如き、鬼気迫る表情で吐き捨てるルヴェカヴァを、ユガーネの追撃が容赦なく蹴り飛ばす。足をもつれさせながらも、それでも膝を折りはしないのは、そこれそ〈高位種〉の矜持か。

「ラドユィカ、私の言葉が聞けぬというか」

 険しい眼差しで、咎竜はこどもを睨み据える。俺にしがみついて、頑なに背を向けたまま振り向きもしない、ラドを。

「私がお前を孵し、お前を生かした。この地は今や虎共の実験場であり、狩場だ。情けをかけただけの人間に縋りなぞすれば、諸共に滅びるのみだぞ」

 何だと、と考えるよりも早く口を突いて出そうになった言葉を、辛うじて飲み込む。

 殊更なまでに朗々と響き渡った声音は、敢えて俺たちに聞かせるべく意図されたものであったのだろう。真偽はともかく、今この場で聞かせることによって、動揺を起こす為に。だからこそ、俺が反応を見せてはならない。

「総員、攻撃の手を緩めるな! 標的の言動を気にする必要はない、正誤の確認は確保の後に見定めればいい!」

「野郎共、歯ァ食い縛れ! 敵の言葉に踊らされて取り逃すなんざ、情けねェにも程がある! 絶対に逃がすんじゃねェぞ!」

 飛ばした指示に呼応してユガーネが気炎を上げれば、応、と地鳴りのような声が唱和する。よし、動揺はない。士気は保たれた。

 ユガーネを筆頭にした三頭に加え、上空からの猛攻が続く。治癒術式でも用いたか、滝の如く流れ落ちる血は瞬く間に止まったが、ルヴェカヴァの動きは明らかに鈍っていた。奴は重傷、完全に天秤はこちらに傾いている。

「未だ耳を塞ぐとは、愚かに過ぎるぞ! ラドユィカ!!」

 ルヴェカヴァが再び吼える。それでもラドが応えることはなく、むずがるように頭を振るばかり。

ルヴェカヴァの表情が、いよいよ怒りに染まる。炯炯とした眼光は、どこか狂的ですらあった。

「その愚昧、己の落命をもって思い知るがいい!」

 捨て台詞、そして突風。

 瞬きの間の後、全身を血に濡らした男の姿は宙にあった。路地の上空、屋根の上に陣取っていた援護部隊をも見下ろす空の中。

 蒼い皮膜の翼を広げ、地上を睥睨する男の喉に薄青い光が収束していく。急速に高まる魔力が示すものは、ただ一つ。恐るべき予感が背筋を震わせる。

「総員、防壁展開! 氷凍吐息に備えろ!」

 怒鳴り上げた次の瞬間、上空が真白く塗り潰された。降り注ぐ氷の波が、空気を、建物を凍りつかせていく。仮にも〈高位種〉の放つ吐息だ。その場凌ぎで急速展開した防壁で、どれだけ持ちこたえられることか。内心で一抹の懸念を抱かないではなかったが――果たして、我が身を守るべく構築した防壁術式が、氷に襲われることはなかった。

 地上から迸った、白い焔。その虹にも似た輝きを放つ炎熱が、降り注ぐ氷の波を迎え撃つ。音さえも飲み込んで迸る焔は、刹那にして氷凍の吐息を蒸気へと散らせしめ、その靄が消える頃には、ルヴェカヴァの姿はどこにもなかった。

 その時、俺を含めて、おそらくは誰もが唖然としていた。何が起こったのかは分かっていたが、それを平然と飲み下すのは、あまりにも難しかった。

 こほ、と咳き込む音が聞こえて、我に返る。

 ハッとして腕の中を見やれば、小さな手で口元を押さえ、こほこほと咳き込むこども。

「ラド」

 こどもは俺を見返すと、かすれた声で答えた。

「しろい ひ。かあさん と おなじ。とうさん きらい いった。やく に たった?」

 縋るような眼で見つめるこどもの頭を、剣を送還して空けた手で、ぐしゃぐしゃと撫でる。

「ああ、助かった。お前の火が、皆を守った」

「よかった」

 微笑むこどもの顔が赤い。もしやと思って額に手を当ててみれば、ひどく熱い。無理に焔を吐いたのか、細い喉にまで熱が伝染している。

「苦しいか? 先に宿に戻るか」

 尋ねれば、またこどもは首を横に振ってしがみついてきた。この分では「先に帰っていろ」と命じたとしても、聞き分けないだろう。諦めて両腕で抱え直しながら、通信術具で現場に急行中の竜騎小隊に指示を出す。

 ラドによる反撃は意表を突いたやもしれないが、さすがに〈高位種〉の竜を仕留めるまでには至らないだろう。おそらく、奴は空を飛んで逃走した。それを捜索するのならば、同じ竜の翼をもってして行うより他に無い。

 適任の部隊に後を任せてしまえば、この場に残された者にできることなど、たかが知れている。

「標的の追跡は、他部隊に委任した。各自状況を確認せよ、負傷者はあるか!」

 通信でなく肉声で指示を出し始めれば、一種硬直したような空気にあった現場が、再び動き出す。

 さほどかからずして、周辺の建物からは住人は避難済みであり、ルヴェカヴァと実際に戦った三頭が軽い手傷を負った以外には負傷者もないという朗報がもたらされた。

 建物の壁は戦闘の余波で大きく損壊されている。この辺りの補償については、後々騎士団の担当部署が家主と話し合うこととなるだろう。とは言え、この件を扱う担当が任じられるまでは、おそらく俺が窓口として対応にあたることになるはずだ。面倒ではあるが、仕方がない。部下たちは標的を退けるまでが仕事で良いとしても、それを取りまとめる身分となれば、様々な雑務が生じる。

 しかし、超過勤務の申請を固く心に決めて後始末に奔走し、短くない時間を費やした後に聞かされたのは、標的の発見ならずという、忌々しい以外の何物でもない報告だった。

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