6:雌伏の時
ラドを鍛えるという突発的な提案は、俺からの上申を受けたファースを通じて、他の大隊長や騎士団長へと打診された。
再び忙しい合間を縫って会議が開かれる運びとなり、「生後間もない幼子を戦いに駆り出すとは」と至極もっともな論理でもって、キドゥーエ卿と他数名から難色を示される一幕もありはしたものの、最終的には多数決の判定をもって受け入れられた。平時であれば、おそらくキドゥーエ卿に同調する者は、過半数を超えていたことだろう。だが、渋い表情を浮かべこそしていても、表立って反論を口にする者がさほど多くなかったのは、今が決して「平時」などでないことを、誰もが認識していたからに他ならない。そして、ラドの処遇を云々した後に続いた議題からも、そのことは明白だった。
何しろ、戦力増強案に始まり、近隣各村等の哨戒経路の見直しなど、剣呑な話題の目白押し。上層部も、我らが天敵たる〈翼虎〉の挙動に不審な点があることは先刻承知という訳だ。お陰で、騎士団においても警戒の度合いはいや増し、戦力の増強を図るべしという風潮も日に日に強まってゆく。
ラドは良くも悪くも、受け継いだ血が並々ならぬものだ。加えて、少なくとも俺に対しては従順である。上手く扱うことさえできれば、良い手駒になるのではないかとでも考えたのだろう。
かくしてユガーネによるラドの戦闘鍛錬が始まったが、その風景は非常に誤解を招きやすいものでもあった。長身で体格の良いユガーネが、自分の半分も背丈のない子供を相手取っているのだ。反逆部隊は一体何をし始めたのか、と目撃した兵士たちが騒然としたことも記憶に新しい。
――だが、その喧騒も長くは続かなかった。
そもそも竜種族は、その本質的な在り方が人族と大きく異なる。彼らが自らに流れる「血」を最重要視するのは、何も単なる血統主義などではない。血の繋がりによって、明確に受け継がれるものがあるからだ。竜の親から子へ、子から孫へと連綿と継がれてきた血脈は、「知」の集積でもある。
個体差はあるものの、竜の子は父祖から分け与えられた血を介し、多くのものを与えられて生まれつく。例えば、それは知識であり、技術であり、また魔力そのものでもあった。「独りでもある程度生きていけるだけの完成を見て生まれる」と評されるのは、比喩でも何でもないのだ。
そして、ラドは〈魔竜〉ゼセンタデナの直系であり、竜王にも遠く連なる血を持つ。人との混血であることを踏まえれば、尚一層珍しいことに、稀に見る濃い「血」の現れ方をしていた。……要するに、
「ありゃァ、正真正銘の天才だァな」
ラドの鍛錬が始まって、三日目。
ユガーネは当のこどもが昼寝で寝静まっているのを見計らって、そんな報告をしてきた。
晴天の昼下がりの執務室は、遠く練兵場で鍛錬に明け暮れる兵の声が聞こえてくる以外には静かなものだ。ちょうど他の隊員が任務や鍛錬で出払っているだけに、余計に静寂が引き立つ。
ユガーネは自分の席にあり、椅子に座って机に足を乗せるという、この上ない行儀の悪さを発揮していたが、それを指摘していると話が進まない。
「天才?」
説教は後回しにするとして、感じた疑問をそのまま鸚鵡返しに口に出せば、頷いての肯定。
「おうよ、ありゃ真性の戦いの天才だ。あのちび、底が知れん。戦えば戦うだけ、際限なく強くなるみてェだ。あれで父親も竜だったら、どれだけの化け物になったやら――いや、片親が人間だったからこそ、母親の血があそこまで色濃く出たのかねェ」
日頃何かと軽口が多く、軽薄と見られがちではあるものの、ユガーネは職務に対しては限りなく厳しい視点を保つ。その竜にここまで言わしめるとは、よほどのことだろう。
「物にはなりそうか」
「あのちんまいナリでも、俺と同等に戦う。人間相手の制圧なら、居眠りしててでも余裕だろォさ」
「人間相手なら、か。それ以外は?」
らしくもない婉曲な物言いは、それだけで一つの結論を示しているような気もしたが、敢えて口に出して確かめる。ユガーネはかすかに眉を寄せ、頭を振った。
「半人前、半端者……その域を出ねェわな。竜に戻れねェままじゃァ、騎士団の求めるところにも合致しないどころか、
「……だろうな」
予想していた通りの答えが返ってきて、図らずもため息が出る。
ラドは竜である自分を父親から拒絶され、深く悲しみ、傷付いた末に人の子の姿を取った。竜の姿に戻るのは、その拒絶と再び直面するに等しい。
いかに濃い血を受け継ぎ、凄まじいまでの天稟を持っているとしても、あれはまだ子供だ。父との別離――ひいては自分が他でもない父親に拒まれたという現実を直視するのは、さすがに酷だろう。
「まあ、竜の姿を取れない以上、人の身体を使って身を守る術を持っておくのは悪いことではない。今後も、暇を見て鍛えてやってくれ。ファースの許可は出ている」
「了解。しかし、意外にお前も平然としてるな」
「何のことだ?」
「ちびすけを鍛えることだよ。蹴っ飛ばすの吹っ飛ばすのは、さすがにやり過ぎだって止められるんじゃねェかと思ってたぜ」
机の上に置かれた足越しに、琥珀の眼が向けられる。探るような眼差しだった。
ユガーネは、ほとんど騎士団に入隊した新人を鍛えるのと同様に、ラドの相手をしている。蹴り飛ばすこともあれば、投げ飛ばして地面の上を転がすことも日常茶飯事だ。だが、ラドはそれに対しても常に概ね的確な反応を返した。
二頭の体格差は歴然であるので、捕まらないことを第一に立ち回る。その上で、掴んで投げられれば受身を取り、蹴りや拳が迫れば巧みに防いで受け流してみせた。その無駄のない、こどもらしからぬ戦いぶりを目の当たりにしては、外野も黙らざるを得なかったという訳だ。
「悪意があってそうしている訳でなし、鍛錬上でのことだ。当人が泣きも嫌がりもせずにいるというのに、第三者が口を挟んでも仕方がないだろう」
「あれは俺も驚いたわ。慣れ過ぎてるっつーか、もう麻痺してんのに近いかもな。……今まで父親を庇って守ってきたってェが、そんな乱暴にちょっかい出されてたのかね。仮にも、自分らの首領の娘だろォによ」
嘆息まじりの言葉に、俺は答えなかった。
ラドは自らに加えられる攻撃に対して微塵の怯えも見せず、時に負傷を覚悟で反撃に出ることすら少なくないという。その積極的と評するには危うい傾向については、初日に報告を受けていた。
それが何故か、などと惚けたことは思わない。独り父親を守って過ごしてきた日々、それ以外によって培われるはずがあるものか。
竜の子は父祖より連なる血を介し、数多のものを受け継ぐが、それを生かすには相応の経験が必要となる。要するに、ただ知っているだけでは役に立たず、実際に自分で再現しなければ身につかない。
すなわち、ラドはそれだけ戦いの中で揉まれた経験があるということだ。あの幼さでありながら、自分の身体の使い方をよく知っている。いや、知り過ぎていると言ってもいいほどだ。どの程度の負傷なら動けるか、どの程度の打撃なら受けても問題ないか。その取捨選択が、あまりにも正確で、速い。
兵士としてであれば、むしろ申し分ない適性だろう。だが、あれはまだ幼いこどもだ。本来そんな知識も適性も持っているべきではなく、持っているはずでもない。身を守る手段を持っていると好意的に解釈するには、ラドの立ち居振る舞いは、あまりにも殺伐とし過ぎていた。
個人的な尺度で言うのなら、好ましくないという婉曲な表現を通り越して、嫌悪さえ覚える。だが、表立って良し悪しを云々する気もなかった。俺は騎士団から命じられた任務の一環でラドを保護してはいるが、里親にまでなった訳ではないからだ。
「逆に、そこまで〈魔竜〉の奴は崇められてでもいたのってェのか」
「実際がどうだかは知らんが、その可能性も低くはないだろうな。こどもの言うことだ、どこまで正確かはさて置き――悪意を向けられていたのは、あくまで父親だったらしい。あれはその間に入って、本来向けられずに済んだものまで、自分で抱え込んでいたのだろうさ」
「どいつもこいつも、奇特なこって。たったひとりにそこまで執着する気持ちなんてのは、俺にゃ理解しかねるぜ」
特にあんなおっかねェ女にゃ、近付きたかねェがね。ぼやくユガーネには答えず、俺は無言のまま手元の書類に判を捺した。
この第九竜騎小隊に所属する者達は、皆各々が自分なりの理由を持ち、特定の人間ないし竜と部隊を結成しないことを選んでいる。その中でも、ユガーネの動機は異例だった。
端的に言えば、そのプライドの高さが所以である。
騎士団が〈竜謡士〉に竜との一人一頭体制での竜騎小隊を編成せよと命じるのは、二者間での連携を深めることで、戦場における有効性を高める為だ。今現在の騎士団の〈翼虎〉撃退における主戦力が竜騎小隊である以上、少しでもその質を上げんと欲するのは、当然のことと言える。しかし、ユガーネはそれを嫌った。
たった一人との連携に特化しすぎることで、自分の能力が狭まることを許さなかったのだ。仮に相手がどれほど優秀であったとしても、或いは優秀であればあるほど――長らく組み続けていれば、戦術的な要素であれ技術的な要素であれ、どうしても偏りは生じてくる。ユガーネは己の能力が自分以外のものによって歪められることを、非常に嫌がった。
また、一人一頭の連携を深めることで高い能力を発揮する一般的な竜騎小隊は、良くも悪くも代えがきかない。どちらか一方が欠けるだけでも、大きく戦力が損なわれてしまう。〈竜謡士〉がいなければ片手落ちのように語られる身となることも、プライドの高い竜には許しがたかったらしい。
誰と組もうと、最高の働きを見せる。それがユガーネの矜持であり、俺の部下としてこの部隊に在籍している理由だった。
「そう言やァよ」
「今度は何だ?」
「もしも、ちびすけが竜の姿に戻れたとして、だ。そうしたら、奴はお前と組みたがるだろ。どうすんだ、いよいよ腹ァくくって一対一の部隊結成すんのか? そうすると、ここはどうなるよ」
「ラドの処遇をどうするかは上の決めることだが、今の立場を変えるつもりはない。必要とあらば、上手く交渉するさ」
どちらとも、と付け加えてやれば、ユガーネは愉快そうに声を上げて笑った。
「相変わらず腹が黒ェこと」
「褒め言葉として受け取っておこう」
そう答えた時、部屋の隅の絨毯の上から「ろおー」と間延びした声が上がるのが聞こえた。やれやれ、昼寝小僧のお目覚めか。
自分の机についたままでは、絨毯の辺りの様子は窺えない。だが、声を聞く限り、それほど寝起きが悪い訳でもなさそうだ。任務とあらば厭う気もないが、相手をする手間が掛かるのも確かなので、寝起きは良いに越したことはない。
幸先の良いことだと内心でひとりごちつつ、一通り処理が済んでいた書類をまとめ、引き出しに収めてから立ち上がる。そんな俺の様子を、琥珀の眼があからさまに面白がる風で見ていた。
「意外に子煩悩だな」
「任務に忠実だと言ってもらいたいものだな」
未だニヤニヤしているユガーネの背後を通り抜ける。「行儀が悪い」とすれ違いざまに言い捨て、奴の座っていた椅子の背もたれを掴み、勢いよく後ろに引いた。姿勢を崩し、危うく身体が宙に投げ出されるところであった竜は、それでも持ち前の身体能力を生かして上手く均衡を取り直す。
何しやがる、と俺を振り返る目顔は、睨むようでもあったが。
「危ねェな、落ちるだろォが」
「落とされるような格好をしている方が悪い。ここは執務室で、俺はそれを監督する立場にある」
「たまーに真面目になりやがって」
「俺はいつでも真面目だ。お前と違って」
「冗談。お前に比べりゃ、俺の方がよっぽどだ。真面目って言葉の意味知ってるか? 『腹黒』とか『陰険』とかってのとは違ェんだぜ?」
「お前こそ、真面目という語の意味を覚え直したらどうだ? 真面目と書いても『独断専行』や『唯我独尊』の類義語にはならん」
「ろーーー!!」
そのとき、ほとんど俺の言葉の語尾にかぶるようにして、先刻よりも大きな声が上がった。何だ、お子様がご立腹か。呼んだのに構ってもらえなくて、痺れでも切らしたか?
「何だ、寝坊助」
いい年して行儀の悪い竜は放っておくとして、再び歩みを進める。絨毯の上では、自分の腹の上に掛けられていた薄手の毛布を腕の中で丸めながら、ラドが唇を尖らせて俺を待ち受けていた。
絨毯の端に膝をついてみれば、毛布を放り出した子供が駆け寄ってくる。
「おなか へった!」
「すごく減ってるのか? それとも、ちょっとか?」
「ちゅうかん!」
「どっちだ……。お前、それレキヴの真似だろう」
レキヴもまた、第九竜騎小隊に所属する竜の一頭だ。「中間で」だの「間を取って」が口癖の歳若い竜で、これまでラドにはさして興味もないような顔をしていたが、意外と交流を取っていたのか。
「れき いつも あまいの くれる。あまいの たべたい」
「何だ、お前レキに餌付けされてんのか」
話は横で聞いていたらしく、ユガーネが声を上げる。すると、ラドはしかめっ面を浮かべた。
「ゆがーね は いじわる。きらい」
「お前、師匠に向かってまだ『きらい』とか言いやがるのか。『きらい』とは何だ、『きらい』とは」
「意地悪はいいのか」
「餌付けは俺の担当じゃねェんだよ」
「それだけのことじゃないと思うがな」
ご機嫌斜めのちびすけが無言で手を伸ばしてくるので、会話もそこそこにいつも通りの合図だと解釈して抱き上げる。保護された当初の、いっそ病的なまでの痩せぶりからは改善されつつあるが、それでもまだ恐ろしく軽かった。
そういえば、眠いと言ってさっきの昼も、いつもより食べる量が少なかったか。仮にも任務として保護者を務めている以上、欠食児童という不名誉な称号を与える訳にもいかない。
「菓子もいいが、きちんと飯も食えよ」
「んー? んうー……」
む、ついに生返事まで覚えたか……。
多くの他者と触れ合わせるのは、情操教育を初めとして利点も多いが、時に要らんことまで覚えてくるのが悩ましいところだ。軽く嘆息しつつ、立ち上がって休憩室へと向かう。
この執務室には仮眠用など様々な用途でいくつかの小部屋が併設されており、その一つが休憩室と銘打って活用されていた。中には給湯設備や小規模ながら保存庫もあり、隊員たちが各々好き勝手に利用している。保存庫に至っては、子供好きな隊員によって、ラドの為の菓子類が取り置かれるようになって久しい。
保存庫の扉を開け、好きなものを選ばせる。各隊員の私物は名前を書いたタグがつけられている上、ラドも承知しているので、今更注意をすることもない。あれ、これ、と指差されたものを、抱いていたこどもを下ろして取り出す。
白いクリームと、赤い果物で装われたケーキ。淡い青色の中に、色とりどりのキューブを沈めたゼリー。眼にも涼しい後者は、ザザキリが「夏限定」だとか何とか騒いでいたか。
ラドに指示して食器を取って来させながら、休憩室の一隅に用意されたテーブルセットに腰掛ける。申し訳程度の小さなテーブルだが、それでも椅子はきちんと二つ用意されており、向かい合って食事をするくらいはできた。もっとも、俺は特に飲み食いする気もないので、ケーキもゼリーも揃えて向かいの席に置いておく。
「……お前は、本当にこれだけは学習しないな」
しかし、後から追いついてきたこどもは、例の如くテーブルの上の皿をわざわざ移動させてから、俺の膝の上に乗ってきたのだ。
俺は椅子じゃないと、何度言っても聞き入れやしない。こちらのため息もお構いなしに、ラドはぴったり自分の前に置かれた格好のケーキにフォークを伸ばし始める。
「けーき おいしい。ろー あげる」
ただ、美味いものを口にすると、決まってそう報告して俺にまで食べさせようとしてくるのは――まあ、何だ。
「おいしい?」
「ああ」
口にケーキの塊の刺さったフォークを押し込まれながら、頷き返す。すると、こどもは目に見えて満面の笑顔になるのだ。白い頬を赤くさせて、それはもう嬉しそうに。
ラドは時に手を焼かせ、時にやんちゃの過ぎることもあるが。
「手のかかる子ほど何とやら、か」
「ての かかる?」
「あー……かわいいってことだ」
「かわいい しってる! ざざきり おそわった! かわいい? ほんと?」
「ああ、かわいいかわいい。かわいいから暴れずに食え」
むふーっと得意げになってにやつくラドの頭を掴んで、ぐるりと前を向かせる。喜んでもらえたのは結構だが、フォークを振り回すんじゃない。クリームが飛んでくるだろうが。
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