4:過去る日

 ラドを伴って訪れた会議室では、ファースとメレゼの他、第二大隊キドゥーエ卿とシリル・ラムジー卿、騎士団長の補佐官の一頭であるサシピリオ卿の二人と三頭が待ち受けていた。騎士団長と、他の大隊の面子は、さすがに手が空かなかったらしい。

 今回は取り急ぎの報告のつもりであり、また迂闊に座ろうものなら、膝にこどもが上ってきて報告どころではなくなりそうな懸念もある。着席を勧められたが固辞し、下座の位置に起立したままで進行させてもらうことにした。すると、円卓を囲む五対の視線を一斉に向けられ、張り詰めた空気に感じるところでもあったのか、背中のこどもが滑り落ちて、腰にしがみつく。さながら、隠れるように。

 その様子に対する反応は、微笑ましげに見守るもの、驚きに目を見開くもの、物憂げにため息を吐くものなど様々だった。

「これで全員揃いましたね。それでは、第四大隊第三位席次ローレンツ・ガザート――先の会議を中座し、対処に向かった件の報告を」

 軽く周囲を確かめるような素振りを見せた後、サシピリオ卿が口火を切る。

彼の人間としての姿は、三十半ばほどの柔和な顔つきの男だ。今も穏やかな眼差しで、俺と俺の後ろからチラチラと顔を覗かせるラドを眺めていた。

「ご覧の通り、第七隔離房にて錯乱状態にあった竜の沈静化には成功致しました。対話の末、対象は人の姿へと変化を遂げたものの……」

 一度そこで言葉を切り、先刻までとは違った意味で背中に貼りついたこどもを見下ろし、「ラド」と呼ぶ。きょとんとした風で俺を見上げてくる目顔は、いかにもあどけない。

「元の姿には戻れるか」

「もと? りゅう?」

「そうだ」

 頷いてみせると、途端にこどもは嫌そうに頭を振った。ぶんぶんと、音がしそうなほどに。

「やだ」

「戻れと言っている訳じゃない。戻れるか、と訊いているだけだ」

 言葉を重ねても、ラドは首を横に振るだけ。

 よほど竜の姿に戻ること――或いは、竜の姿そのもの――に対し、苦手意識があるらしい。それが何故かという理由を踏まえてみれば、無理からぬことではあるのだろう。しかし、今俺が確かめなければならないのは、「戻りたいか否か」という感情ではなく、「戻れるか否か」の事実だ。

 そもそも〈高位種〉の竜の子として生まれたラドは、おそらく同じ歳の人の子とは比べ物にならないほど知能が高い。上手く機嫌を取り、言葉や態度を適切に選ぶことができれば、話を理解させること自体は、決して難しいことではないはずだ。

 かくして、ああでもない、こうでもない、と宥めすかすこと暫し――ラドはむすっとして言った。

「わからない」

「どうやればいいのかが、か?」

 重ねて問い返せば、一層に膨れた顔での頷き。分かった、と相槌を打てば、こどもはまた俺の後ろに隠れた。今度は服を掴んで、顔までもが押し付けられているらしい。その上、ぐすぐすと不穏な音。

 そうするのは別に構わんが、人の服で涙以外のものまで拭いていないだろうな……? 些かの不安を覚えつつも、気を取り直して報告を再開する。

「――このように、対象は姿を変じること自体に不慣れではありますが、それ以上に竜の姿を取ることに否定的であり、これは父親の反応が直接的な原因であると考えられます」

「父親と、不仲だったということかね」

 苦々しげに告げたのは、キドゥーエ卿だ。先の会議の時よりも、一層に険しい表情を浮かべている。

「いえ、そうと断言はできかねます。件の被害男性は時に錯乱してか、心無い言葉を発することもあったようですが、対象は一貫して父親に対し親愛の情を抱いており、彼を守る為に孤軍奮闘し続けた。全ての理由は、彼に『会いたくない』と言われたことにあります。竜である自分を拒絶され、その痛苦により、人の姿を得た。正しくは、竜の姿であることを拒んだ」

「会いたくない、とは――ガザート、まさか対象にあちらの意向を伝えたのか?」

 顔をしかめたファースが口を挟む。

「伝えるな、という命令は受けておりませんでしたので。訳あって隔離房に収容されていたものの、対象はあくまでも咎竜ではなく、父に会いたいと強請る、ただのこどもにすぎない。その前では、私とていかんとも」

「ふざけたことを言う。お前のような曲者が、子供の泣き落とし程度で屈するものか」

「心外ですな」

 敢えて軽く、肩をすくめてみせる。ファースはちらと俺を睨む振りをしてから、殊更大仰なため息を吐き出した。

「それで? 対象の危険性及び今後の処遇については、どう考える。意見を聞かせてもらおう」

「少々話を聞かないきらいはありますが、生後一年と考えれば、妥当どころか手が掛からない部類でしょう。暴力的な兆候もなし、強いて言えば多少やんちゃではありますが、並べて赤子などそういうものかと。今後については、里親を探すべきであると考えます。竜ないし、その教育に詳しい者に一任するのが最良の――おい、締めるな! 人の腹の中身を潰す気か!」

 腰に回った腕の力が、俄かに強まった。

 ラドは生まれたばかりとはいえ、竜の子だ。外見は同じに装えても、やはり身体の造りが根本的に異なる。特に〈高位種〉ともなれば、幼少の時分から人間の成人男性に勝るとも劣らない身体能力を発揮するものであるとか。今まさに、俺がその餌食になっているように。

 ぎりぎりと締め付ける強さに耐えかねて、背後を振り返ると、

「ろー も おいてく の か」

 丸い目に今にもこぼれんばかりの涙を湛えて、見上げる顔があった。思わず言葉に詰まっている間にも、こどもの涙腺は決壊し――

「やぁああだああぁぁああ!!」

 耳をつんざく大音声で泣き始めた。一瞬、真面目に耳を塞ぐべきか考えてしまうほどの声量。

「……見事に傷を抉ったな」

 キドゥーエ卿が、ため息まじりにぼやくのが聞こえた。そんなことを言われてもだな、俺は問いに答えただけであって……ああ、全く!

 ギャンギャンと大声で泣き喚いていながら、抱き上げろと手は伸ばしてくるのだから――本当に、このちびすけはいい根性をしている。ここまで清々しいと、いっそ愉快だ。

 ポケットから取り出したハンカチで、べしゃべしゃになったこどもの顔を拭く。拭いている間は大人しくしていたというのに、ハンカチを離すと、また盛大に泣き叫びだした。何だそれは、と最早おかしくさえ感じながら、両手で抱き上げる。

 肩に顔を埋めても、まだこどもは泣き止まない。……おい待て、噛むな服をかじるな。今度は上着をよだれまみれにする気か。今日一日でどれだけ服を洗濯に出させるつもりだ。

「今日は、これ以上の問答は無理だな。ひとまず、その子竜の面倒は一時ガザートに預けておく他あるまい。もう少し落ち着いてから、改めて報告と検討の機会を設ける。一同、それで問題はないか」

 早々に現状から匙を投げたらしいファースの提案だが、異論は上がらなかった。

 解散の号令が上がるや、円卓に集っていた二人と三頭はそれぞれに席を立つ。第二大隊の一人と一頭はそのまま部屋を出ていったが、どうやら残りの面子は俺――もしくは俺たちに用があるらしい。

「随分と懐かれたものだな。お前も俺と似た類だと思っていたが」

「二十九歳にして、未婚の父ですか……」

「お前ら茶化しに来たのか?」

 近付いてきて開口一番、そんなことをファースとメレゼが言いやがるので、思わず顔をしかめた。こいつら、人の苦境を面白がってやしないだろうな。

「ローレンツ卿、どなたか幼竜の扱いに詳しい知り合いはいらっしゃいますか」

 そして、そこに割って入るサシピリオ卿。

 もしや、まともに相手をしてくれる気があるらしいのは、この御仁だけか。だけなのか。

「生憎と……」

「であれば、しばらく街に住んでみませんか。宿の手配は、私の方でしておきますから」

「は?」

 思いもよらぬ言葉に、素っ頓狂な声が出た。

 ガザート、と露骨に咎める響きでファースに呼ばれたので、とりあえず「申し訳ございません」と取り繕ってはおいたが、サシピリオ卿は心の広い寛容な人物であるらしく、「構いませんよ」と朗らかな表情のまま気にした風がない。どこかの凶相の大隊長にも、見習ってもらいたいもんだ。

「私の妻が、街で小さな宿を営んでいるのです。息子を二人と娘を一人育て上げているので、子供の扱いにも慣れておりますし、その子の面倒を見てくれるよう連絡も入れておこうと思いますが、いかがでしょう? 騎士団の任務――保護幼竜の経過観察という名目にしておきますから、費用なども気にすることはありません」

 滔々と告げられた言葉は、まさに渡りに船だ。しかし、俺一人の独断で受けることはできない。

 ファースに目を向けると、仕方がない、とでも言いたげな表情を返された。

「盟約にも刻まれている。『人と竜は、相互に助け合うべし』とな。提案は許可するが、なるべく普段通りの仕事をしてもらうぞ」

「それは俺じゃなく、こっちのちびすけに言ってくれ。これのご機嫌次第だ」

 未だベソベソとぐずったまま、人の服をガジガジとかじっているこどもを顎で示してみせる。ファースは塩の塊でもかじったような顔になり、メレゼとサシピリオ卿は苦笑を浮かべた。俺はいよいよ上着の下のシャツまで湿ってきたような気がして、若干気が遠くなりそうである。

「兎にも角にも、とんだ想定外の事態になったものだ。こんなことになるとはな」

「それは俺の台詞だな」

 ファースはわざとらしいまでの嘆き節で言ってくれるが、あんたは現在進行形で上着をよだれまみれにされていないだけマシだろうというもんだ。俺としては、立場を変わってくれて一向に構わない。もっとも、ちびすけの方が拒否するだろうが。

 それからはサシピリオ卿に宿の場所を聞いたり、今後の勤務に関してなど、取り留めもなく打ち合わせをしていたが、

「……寝たか」

 ふと、抱えたこどもの身体が急に重くなった気がした。顔を見てみれば、あの特徴的な色合いの目は閉じられて、口は半開きになったまま、よだれを垂らしている。せめて口を閉じて寝てくれ、などと空しい感慨を抱いていると、

「ガザート」

 ファースが、やたらに真剣な声を出した。顔を上げて見れば、かすかに困惑を滲ませた目が、俺とこどもの間を見比べるように行き来している。

「何故、その子竜にそこまで手厚くする?」

 嫌味ではなく、純粋に疑問に思っているらしい声音だった。……ふむ。

 確かに、日頃の素行を踏まえれば、疑問にも思われるか。だが、今回の件については別段企みもなければ、何らかの思惑がある訳でもない。突き詰めれば、ひどく個人的で、とても単純な話だ。

 腕の中のこどもを抱え直し、は、と短く笑う。

「何、単純な話だ。――同病相憐れむ、という。状況が過酷であればあるほど、独り取り残されるのは堪えるものだろう」

 言った瞬間、ファースはかすかに目を見開き、息を呑んだ。メレゼはあの話は知らなかったか、首を傾げているが――

「……ああ、そうでしたね」

 物悲しげに呟くサシピリオ卿は、どうやら俺のような者の経歴まで御存知らしい。恐れ入ることだ。

「あなたは、ナーウレラの災厄の生き残りでしたね」

 真実痛ましげな眼を向けてくる竜に、俺はただ片頬で笑って見返した。そんな紋切り型の同情には、とっくに飽き飽きしているんだ。




 サシピリオ卿の奥方が経営しているという宿「星籠亭」は、騎士団本部から徒歩で二十五分ほどの街中にあった。宿は一家の自宅を兼ねてもおり、父親を除いた全員で切り盛りしている。

 そんな中、サシピリオ卿の差配で一室を借り受けた格好の俺達は、宿泊客と言うよりは下宿に近い扱いを受けることとなった。何せ、連れてきたちびすけは手が掛かる。食事をとらせるにしろ、風呂に入らせるにしろ、俺の手には余りすぎる案件だった。

 それらの世話を、サシピリオ卿の奥方は一手に引き受けてくれた。頭が上がらないとは、まさにこのことだ。さすがの俺も、心底感謝して頭を下げた。ただし、どうにもラドの奴は留守番という概念を覚える気がないらしいので、日々子連れの出勤を余儀なくされているのは、何とも頭の痛い話である。

 ともあれ、〈高位種〉と人間の混血児を文字通りに抱えるという異常を孕みながらも、日々はそれさえ日常の一つとして呑み込んでいった。

 俺の預かる第四大隊第九竜騎小隊は、例外的に人竜混交二十人ばかりからなる。人間は全て〈竜謡士〉であるが、その誰もが特定の竜と組んではいない。竜もまた然りだ。

 一般的に〈竜謡士〉と竜は、特定の相手と一人一頭で構成される竜騎小隊を編成することが推奨されている。これは辛うじて義務と称されていないだけの、かなり高い強制力を持つ指示ではあったが、第四大隊第九竜騎小隊は、敢えてそれに逆らう者ばかりが集っていた。

 正しくは、それに逆らう者達の寄せ集め集団、とでも言うべきなのだろう。お陰で、「反逆部隊」だの「偏屈集団」だのと、口さがない者には影で囁かれることも度々だ。別に気にしやしないが。

 第一、国は〈竜謡士〉となる素質のある者を容赦なく掻き集めてくるが、その全員が相応の適性を持っている訳ではないのだ。〈竜謡士〉と竜が部隊を組んで任務に出るようになれば、必然的に思念対話でのやり取りが増える。思念対話は回数を重ねれば重ねるほど、双方の意識が密接に絡み合ってゆく。それは、己の内実全てを曝け出すに近い。

 今現在〈竜謡士〉として騎士団に在籍しているのは、皆幼くして竜語を解す能力の高さを見込まれ、国の士官学校へ半強制的に徴集された者ばかりだ。士官学校では〈竜謡士〉としての心構えやら、かくあるべしと言う理想やらを叩き込まれる。しかし、それでも自分の心の内全てを他者に開示するということを、誰もが受け入れられる訳ではない。

 かつてはそれを規則で封じていたそうだが、耐え切れず職を辞す〈竜謡士〉が相次いだことから、撤廃となって久しい。それが、〈竜謡士〉と竜の各一名からなる竜騎小隊の平静が、表向き「推奨」に留まっている理由だ。

 第四大隊第九竜騎小隊においては、近隣空域の哨戒や、緊急出動の際には一時的な一人一頭の組み分け編成を行うが、あくまで編成は固定せず、流動的であることを第一としている。部隊員は並べて他隊ほど結束を重視しない、ある種さばさばとした空気の中にあったが、その中でも互いを尊重し上手く融通しあうことだけは徹底していた。

 各々が距離を適切に保つことこそが、己の求めるところにも繋がると分かっているからだ。その意味では、我が隊は騎士団随一の協調性を持つとも言えるだろう。

「はー、ちびっちゃいなー。一緒に寝てたら、潰しっちまいそうっすわ。隊長、夜はどうしてんすか? 一緒に寝てんです?」

 よって、子守の当ても、なくはなかった。

 二十余人の人員が在籍していれば、全員が出払うという事態も、まず発生しない。本部棟一階に割り当てられた執務室も、所属人数相応に広く取られている。床に絨毯を敷いた上にクッションだの小机だのを持ち込み、こどもを遊ばせておく区画を作るのも、さほど難しい話ではなかった。今も部屋の片隅では、ラドと赤い金髪の乱雑に飛び跳ねた若造が戯れている。

 その隊員の名を、ロブ・バイアットといった。大隊での席次こそ得るには至っていないが、この小隊で三指に入る腕の〈竜謡士〉だ。まだ十八という若さも手伝い、迂闊なところがないではないが、気さくで陽気な人柄をもって、老若男女に好かれる。ラドも、いつの間にか懐いたようだった。

「隔離しておこうとしたが、勝手に抜け出して人の寝台に上がりこんできた」

 一人と一頭に向けていた目を、手元の書類に戻しながら答える。ファースの親切なのか嫌がらせなのかは知らないが、ここのところはやたらと書類処理に追われ、内勤が続いていた。

 因みに、ラドの寝台はサシピリオ卿の夫人が納屋で眠っていたという子供用のものを提供してくれたが、先述の通り初日にして脱走してくれたので、一夜にして返却されるという憂き目に遭っていた。以来、ちびすけは味を占めて人の寝台に上がりこんでくるのだが、まあ、人の子でなく竜の子だ。早々潰れることもあるまいと放置している。

 ただし、どうも寝相がよろしくないらしく、たまに脇腹に蹴りをぶちこんでくれるのだけは、どうにかしてもらいたいと思うが。夜中に鈍痛と衝撃で叩き起こされるのは、中々に空しい。

「好かれてますなあ」

「光栄だな」

「隊長ってば、本気で言ってんのか、皮肉で言ってんのか、時々分っかんねーんですよね」

「想像に任せる」

「うっわ、ずるい言い方!」

 バイアットが、けらけらと笑う。

 ラドはその近くで何やら絵本――所帯持ちの隊員が持ち込んだ――を読んでいたが、おもむろに顔を上げると、じっとバイアットの顔を見つめて、首を傾げてみせた。

「ろぶ うた うたう?」

「ん? 歌?」

「ろー うた うたう。すき」

「ああ、隊長の歌? 隊長歌うめーよな。ただでさえいい声してんけど、歌うとなると低音が余計に引き立つってーかでさあ。ちょっとハスキーになるとことかも、めっちゃカッコいいし」

「ん。ろぶ も うたう?」

「俺? 俺は……うん……。歌……そんな得意じゃねーんよな……。〈竜謡士〉してんけど……」

「うまくない?」

「そんなズバッと言わないでね……」

 がっくりと肩を落としたバイアットを、ラドが「いいこ いいこ」と頭を撫でて慰めている。

おそらくは、いつも自分がされて嬉しいことをしてやろうという、こどもなりの善意なのだろう。もっとも、それが正しく有効かは別の話であり、「ありがとね」と答えるバイアットの背中は、明らかにしょぼくれて煤けていた。

 はあ、とため息を吐いたバイアットが、絨毯の上から俺の机に向かって振り返る。

「隊長おー、俺にも歌教えてくだせーよー」

「いつかな」

「隊長、いっつもそう言うじゃねっすか! いつか、いつかって!」

「そーだ そーだ! ろー あとでな ばっかり! よくいう!」

「だよなー! ひでーよなー!」

「なー!」

「そこで意気投合するな」

 そんな会話をしていると、俄かに執務室の扉が開き、がやがやとした喧騒が入り込んでくる。哨戒で飛んできた連中が帰ってきたのだろう。

「一班戻ったァ」

「二班も戻りましたあ」

「あー、暑かったァ。ケズト湖の辺りは湿度が高くっていけねェわ」

「あんたは身一つで風切って飛んでるんだから、まだいいだろ。こっちは下手に保護術式で守られてる分、風は感じられないのに直射日光は刺さるわ、汗だくだっつの」

「確かに、あのギラギラした陽は嫌あねえ。肌が荒れちゃう」

「肌? 日光浴びてるの鱗でしょ?」

「お馬鹿さんねえ。鱗がくすんだら、人の肌にも影響出るのよ」

 哨戒任務に出ていたのは、ユガーネとジョール・ダルトンの一班、アラーナ・レアードとザザキリの二班だ。二人と二頭の計四名が、執務室に入ってきたその足で、俺の机の前に並ぶ。

 他の隊と異なり、我が隊では人と竜の組み合わせが流動的に変化する。そこで任務を遂行するにあたり不要な混乱を避ける為、数の若い方の班の班長に現場における指揮権を一時的に付与し、指揮系統の確立を図っていた。任務完了報告も、もちろん代理指揮官の役目に含まれる。

 今回一班の班長を務めたユガーネは、任務に携わった全員が揃っていることを確認すると、朗々とした声で告げた。

「第四大隊第九竜騎小隊一班及び二班、任務完了に伴い帰還した」

「ご苦労。取り急ぎ報告することはあるか」

「一班なし」

「二班もありません」

 二班の班長のレアードが付け足す。

 取り立てて問題はなし、と。結構なことだ。異変がないのならば、それに越したことはない。

「了解した。各班報告書を提出後、休憩に入れ」

 一つ頷いて解散の指示を出せば、各自が口々に了解を答えつつ、自分の席へと向かっていく。同じ竜で子供好きだとかいうザザキリなどは、机を通り越してラドを構いに行ったが、先に報告書を片付けてもらいたいものだ。

「ところで、ローレンツよォ」

 自分の机に向かうべく歩き出していたユガーネが、不意に足を止めて振り返る。

 ユガーネは黒金の髪を逆立てた、大柄な男の姿を取る竜だ。俺とは、三年前にリィリャ騎士団に配属されてからの付き合いになる。外見の年頃が近かった上に、特定の相手と組んで部隊を結成したくないという共通の方針を持っていたこともあり、騎士団の中ではかなり親しい部類に入った。……まあ、俗に言う悪友のようなものだ。

 その竜が、これ見よがしに名前を呼ぶという前置きをした上で、琥珀の目をじっと向けてきている。常ならぬものを感じ、書き物をしていた手を止め、「どうした」と促した。

「これで哨戒任務の割り振りも一巡すんだろ。次からはどうする、お前も戻るのか?」

 問われて、暫し考える。

 今は書類が多く回されてくる現状と、ラドのお目付けがあるので、隊員全員からの了解を得て、一時的に俺は外に出る役目からは外れている。だが、いつまでもそうしている訳にはいかない。

 部隊員の負担が増えるのもさることながら、やはり俺の仕事は子守ではないのだ。任務として命じられた以上、それを拒む気はないが、それだけに手を割く気はない。この第九竜騎小隊を統率し、街を防衛する戦力となること。他でもないその為にこそ、俺はここにいて、様々な無理も押してきた。

「そうだな、あれも少しは慣れてきただろう。哨戒任務の間くらいは我慢してもらうさ」

「できるのか?」

 半信半疑といった目顔で、ユガーネが問い返す。何だ、らしくもなく甘いことを言うな。

「できなくとも、やってもらう。子竜一頭の為に、隊の運用に支障を出す訳にはいかないからな」

「へェ、意外に厳しいことを言う」

「甘やかしても仕方がない。それを求められて預けられている訳でもないしな」

「……お前は情が深いんだか薄いんだが、たまによく分からんなァ」

「解釈は任せるさ」

 何だかね、とユガーネが肩をすくめる。その琥珀の目が、つと部屋の隅へ向いた。

 そこでは若い女の姿を取った竜の膝の上に乗せられたこどもが、今まさにその白金の髪に櫛を入れられ、何やら小難しい意匠に編まれているところだった。サシピリオ卿の奥方がばっさりと切って整えてくれはしたが、それでもまだ十二分に長い髪は、さぞ遊び甲斐のあることだろう。こどもの方も、まんざらでもない顔で編まれているのが意外だった。

 その光景を眺めていたユガーネが、眩しいものでも見るように目を細める。人にも竜にも淡白な態度を取る奴ではあるが、同じ竜族同士、さすがに何か思うところでもあるのもしれなかった。

「ローレンツ、あれよォ」

 ラドとザザキリを眺めたまま、おもむろに喋り出したので、黙して続きを待つ。

「あれ、明日からお前の仕事になるんじゃねェの」

「知らん」

 何を言うかと思えば、そんなことか……。

 真面目に構えていたのが、馬鹿のようだ。それこそ、サシピリオ卿の奥方にでも頼んでもらうさ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る