13:雲居紛う

 本部にすれば、この時点で喉元にまで攻め上がられるのは想定外の事態であったのだろう。冷静沈着を至上とする管制部隊でさえもひどく慌て、焦った様子を隠さないほどだった。

 しかし、管制部隊の混乱は、意外に長くは続かなかった。覚えのある声――第二管制部隊長の『管制が取り乱してどうする!』という術具の通信にまで入り込む大喝が轟くや、驚くほどの速さで統率は取り戻されたのである。

『ガザート、こちら第二管制部隊ケネス・ロースソーンだ』

 そして、凄まじいまでの大喝を聞かせてくれた男が、今度は俺を名指しで通信を試みてきた。一体何を言われるのやら。

『そちらは現在、リィリャへの帰還途中だな?』

『ああ』

『君は今現在、リィリャの東方を飛行している。防衛線が破られたのは、北だ。第二陣が迎撃に上がっているが、連中は援軍を呼び込みながら南進しており、戦況は厳しいと言わざるを得ない。街には戻らず、そのまま直接現場へ向かってくれ』

『……了解した。可能な限り最速で現場に向かう。詳細な位置情報をもらえるか』

 間を置かず、リィリャからさほど遠くない北部地域の、とある空域であることが伝えられた。〈オルゼベカの瞳〉に投影された探索情報に、目的地として印をつける。

『ラド、針路変更だ』

『きた に いく?』

『そうだ。また大群を相手にすることになる。大丈夫か?』

『だいじょぶ。まだ よゆう』

『そうか。だが、無理だけはするな』

 ラドに針路を指示しながら、〈瞳〉の投影範囲を操作し、周辺の状況を探る。点々と同じ場所に向かっているらしい白点が見受けられたが、目的地は一面の赤色に染まっていた。

『〈オルゼベカ〉が真っ赤だ……。奴ら、どれだけ大挙して押し寄せてきたんだ』

『怯むな。どれほどの数であろうと、撃退するのが我らの役目だ。街を食わせてなるものか』

 通信術具は、予め設定した術具の保有者との他、一定距離内の術具保有者とも通信を行うことができる。どこの部隊かは分からないが、弱音を吐く声やら、それを叱咤する声やらが、引っ切り無しに飛び交っていた。作戦中に私語が増えるのは、もちろん褒められたことではない。だが、気持ちは分からなくもなかった。

 ここまで多くの〈翼虎〉が出現した例となれば、直近では遡ること十年前――ナーウレラの一件くらいのものだ。あの災厄の夜だけが、異常だった。

 後に閲覧した騎士団の記録では、数百にも上る数が押し寄せていたそうだ。災厄の前も後も変わらず〈翼虎〉は現れ続けているが、二桁を超えるような群れをなしていたことすら、ほとんどないと聞く。お陰で、多くの〈竜謡士〉は対多数や、長時間にわたる戦闘に馴染みがない。誰しも、未知の状況の前には怯むこともあろう。

 こうして考えると、つくづく情報の少なさが腹立たしい。〈翼虎〉の生態については、戦いが始まって長い――永い歳月が経っているというのに、今現在でさえ不明な点が多い。何故十年前に突如としてナーウレラを壊滅せしめる大群で現れたのかも、依然として明らかにされていない。

 これまでは脅威を退けることばかりに力が注がれていたが、その生態や意図にも目を向ける時が来たのだろう。今まさに、奴らに変化が起きているからこそ、俺たちは奴らを知らねばならない。

 そんなことを頭の隅で考えていると、思念対話の術式を通じて、ひそりと窺うような調子の言葉が伝わってきた。ろー、と呼びかける、こども。

『あのさ つかれて ない?』

『うん? 大丈夫だが、どうした?』

『だまってる つかれた?』

 何? まさか、黙って思索に沈んでいたのが、疲れによるものかと思われたのか。

 苦笑の一つでもしたい気分で、鞍の上から手を伸ばし、厚い皮手袋で覆われた掌で鱗を叩く。

『少し考えごとをしていただけだ。問題ない』

『そっかー』

『もうじき敵影も見えてくる距離だ。俺の心配よりも、戦いに集中してくれ』

『りょーかい』

 やがて空の向こうに、たなびく黒煙じみた影が見え始めた。時折爆発が起こるやら、焔や氷の迸る様子を見るに、あれが第一防衛線を突破して南下中の〈翼虎〉の群れと思しい。

『管制、ガザートだ。じきに北部より南下中の大群に接触する。真っ正直に数を減らしていくか? それとも、援軍を呼ぶ個体を探すか。どうせ、この群れにも仕込まれているだろう』

『こちら、ロースソーン。ガザート、君は援軍を呼ぶ個体の識別と撃破を優先してくれ。その場で、その経験があるのは君だけだ。必要とあらば、護衛をつけるのもやぶさかでない。朗報を期待する!』

『朗報を期待、ね。軽く言ってくれるな……』

 求められていることは分かったが、今から相手する連中は、先刻ラドと壊滅させた群れとは比べ物にならない規模を誇る。その中から挙動の異なる個体を探しだせなどと、砂山の中に落とした針を見つけろと言っているようなものだ。

『だが、まあ、仕方あるまい。――ラド、俺たちは飛び回って増援の呼び手を捜索、然る後に潰す。攻撃は二の次でいい。捕まらずに飛び続けることに専心しろ』

『わかった! さがす なら あんまり いそがない ほうが いい?』

『いや、俺の方を気にする必要はない。まずいと思ったら、周りのことは気にせず一目散に逃げ出せ』

 飛ぶのはラドの仕事、探すのは俺の仕事というものだ。ただ飛ぶのでさえ難しい状況、他人の世話を焼いている場合ではない。命じれば、ラドはやろうとするだろうが、そんな無理をさせる意味自体、存在などするものか。

 再び『わかった』と答えた忠実なる幼竜は、これまでと違い、ひらりひらりと蝶を思わせる軌道で空を舞い始めた。敵の群れとつかず離れずの間隔を保ち、上手く身をかわして飛び回る。おそらくは、まだ俺の仕事のしやすさを気にしているのだろう。幸いにも獣の群れを様々な方向から眺めることができたが、やはり事は簡単にはいかないものらしい。

 まず大前提として、ここまで群れを成す個体の数が多いとなると、どんな術具を使おうとも、さすがに虎の一頭一頭の動きまでは探りきれない。効率が悪いことこの上なくも、自前の目で確かめ、探るより手立てはないのだ。

 苦々しい思いを噛み締めつつ、目を皿のようにして、辺りを見回していたのだが、

『きりがないな。――ラド、左後方から接近!』

『もー いっぱい いすぎ!』

 叫びながら、ラドが身体を傾かせる。ぐん、と加速し、宙に円を描く螺旋軌道で追いすがる虎を引き剥がしにかかるが、群れを観察し続けなければならない役目上、迂闊に距離を取ることもできない。逃れたと思えど、すぐに次が来て、回避行動を余儀なくされた。追われては逃げ、終われては逃げを繰り返すのは、俺でもうんざりする。

『ラド、悪いが、まだ標的は見つからん。辛抱してくれ』

『うん だいじょぶ』

 さすがに少し元気がないが、返事自体は素直だ。この様子なら、まだ多少は耐えてくれるだろう。

問題は、むしろ周りの方かも分からん。通信状況はひどく騒然としており、囲まれたと叫ぶ者に、増援が出たと怒鳴る者やら、喧しいほどだ。

『時間をかけてはいられんし、かけたくもないとも思うがな……』

 願って状況が改善されるのなら、苦労はない。圧倒的物量は、厳然として存在し続けている。どれだけ注視してみても、動きの変わった個体は見つからない。焦りそうになる頭を律するのも一苦労だ。

『ろー なら できる』

『励ましをどうも』

『――誰か助けてくれ、後ろにつかれた!』

 応じた瞬間、術具から悲鳴が上がった。

 一体どこだ、と〈瞳〉で確認する傍らで周囲を見回してみれば、今まさに一頭の竜がゆうに二桁に上る虎を引き連れて右下方の空を逃げ惑っている。竜の背から〈竜謡士〉が迎撃を試みているようではあるが、焦りゆえにか、鎗も逸れるばかりで、今一つ効果に欠けていた。

『近場で事が起きている以上、見過ごす訳にもいかんか。――ラド!』

『りょーかい!』

 竜を追う虎の群れを、更に白金の竜が追う。

『こちら第四大隊ガザート! 虎に追われる友軍の救援に入る。流れ鎗に気をつけろ!』

 通信術具に向かって声を張りつつ、〈鎗〉を展開。選ぶは散弾、放つは連装十射。

 煌く鋼は光の尾を引いて、虎共の背に食いつく。連鎖して起こる爆発が、一面に血煙を上げた。

『た、助かった……! ローレンツ卿、感謝申し上げる!』

『礼は不要だ、それよりも生き延びて仕事を果たしてくれ』

 救援要請を上げた隊員は、無事に逃げ延びられたらしい。安堵の滲む声に言って返しながら、再度周囲を窺う。嫌な予感を覚えて手元の円盤に目を落とせば、また赤色が増えていた。……また増援か。

『ラド、包囲される前に離脱するぞ。ここまで増えられると、半端な距離では食いつかれる。一度距離を取って、仕切り直しだ』

 舌打ちを飲み込んで指示を出せば、軽快な返事と共に加速。旋回、宙返り、上昇下降を繰り返し、続々と増え続ける虎の群れから離脱を試みる。だが、奴らも奴らで、飛び込んできた獲物を逃す気はないらしい。執拗に追いすがり、回り込んでくる。

 逐一〈鎗〉を放って牽制し、時には逃走路をこじ開けてはみるものの、堂々巡りでしかない。〈疾駆謡〉での急速離脱が難しい以上、状況を変える決め手がないままでは、いつ包囲されるか。

『管制! 虎が増え続けている、こちらの増援はどうなっている!?』

『既に本部の竜騎小隊は全隊上がっている! 余裕の出た空域から向かうよう指示してはいるが、妨害も激しい。何とか切り抜けてくれ!』

 通信術具に向かって怒鳴れば、間髪を容れずケネス卿からの応答。要するに援軍は望めないに等しいと、全くもって嬉しくない内容ではあったが。

「無茶を言う……」

 さすがに、嘆息が堪えきれない。

 近隣に展開する友軍の声を拾う通信は、今や悲惨すぎるほどの有り様だ。食い付かれた、落ちる、と悲鳴が引っ切り無しに上がり、〈瞳〉に投影された白色も次々と消えていく。その理由は〈瞳〉が破壊されたなり、飛行不能になったなり、何でも構わないが、せめて食われていないことを祈るばかりだ。

 ともかく、俺の憂鬱や苛立ちまでもを、ラドに伝えてしまう訳にはいかない。軽く深呼吸をして、心を落ち着かせる。

『ラド、聞いていたか?』

『うん』

『援軍はまだ来ないらしい。まだやれるか?』

『しょーが ない。がんばる』

『頼むぞ』

 身を乗り出し、手を伸ばして首筋の鱗を叩く。

 がんばる、と答えた言葉通り、ラドは俺の想像を超えて上手く飛んだ。十重二十重と立ち塞がっては進路を塞ぎ、囲い込もうとする虎を、軽やかな身のこなしでかわし、すり抜けていく。

 ラドがこれまでにユガーネと積んだ訓練は、あくまでも人の姿における格闘戦であり、竜としての空中戦は含まれていない。それでいて、リィリャの竜の内でも五指に入るであろう速さと巧みさでもって飛び回ってみせるのだ。これが〈高位種〉の竜の血のなせる業か、と感嘆せずにはいられない。

 それだけに、じくじくと胸の内を焦燥が焼く。ラドはよくやっている。だが、俺は。

「どこだ、どこに隠れている……」

 何故ここまで見つからない? 浚う数が多過ぎて目が行き届いていないのか? それとも、全く違う場所に潜んでいるとでも?

 人を乗せるのに慣れた騎士団所属の竜は、どの程度の速さ、或いは挙動ならば、背に乗せた人間が耐えられるか熟知しているものだ。しかし、ラドにその知識はない。分厚い虎の包囲をすり抜ける飛び様は見事ではあるが、時に嘔吐感を覚えるほどの容赦ない挙動に出るのも確かだった。その苛酷とも言える飛行の最中にあっては、周囲の索敵に全力を注げているとは言い難い。だが、ここまで一向にそれらしきものが見つからないとなれば、よほど俺の目が曇ったか、向こうが上手く隠れているか……。

 くそ、と呑み込みきれない罵声が唇の端を震わせる。――その時だった。

『ろー! かこまれた!』

 突如として頭の中にねじこまれた悲鳴。そして、それ以上に眼前の光景に息を呑んだ。

 それこそ、まさに壁だった。藤黄の獣が、隙間も見えないほどに集い群れている。それが前方のみならず、左右、後方からも押し寄せようとしていた。

 周囲の様子を探るのに急くあまり、まんまと誘い込まれたか……!

『悪い、俺の指揮に隙があった! どうにか一点を集中突破する、そこを抜けろ!』

『でも ろー すごく おおい!』

『それでもだ!』

 今ここで、俺たちが落ちる訳にはいかない。他の隊で特異体の索敵が難しい現状、俺たちがやらねばならないのだ。

「〈カルゼヒカの鎗〉二式、多重展開――」

 散弾と並行し、貫通鎗を構築する。余力を惜しんで落ちては元も子もない。とにかく、包囲に穴を開けることこそが先決だ。

 斉射、と号令を発する――否、発そうとした瞬間のこと。

「何っ!?」

 天上から、白色が降り注いだ。雲や霧に似て、されど明確に異なるもの。そう断言できるのは、凄まじいまでの冷気が頬を撫でたからだ。

 瞬きの間よりも速く、並み居る虎を凍りつかせた氷凍の吐息を、俺は……俺たちは知っている。

 刹那にラドと俺の間で走った感情は、まるきり同一のものだった。すなわち、驚愕である。

『実に愚か。脆弱な人族と、蒙昧な幼竜とが戦場に躍り出て何とする。我が身を食えと差し出すようなものではないか。心底から呆れ果てる』

 居丈高に侮蔑する声。凍てついた空気を震わせて舞い降りるは、くすんだ青い鱗の巨躯。

 直接頭の中に響く言葉は、思念対話の術式への強制的な介入によるものだ。しかし、言葉の刺々しさに反して敵対の意思はないのか、術式干渉に特有の不快感もない。何を企んでいるのやら……。

『ルヴェカヴァ、どういうつもりだ』

『どういうつもりだと? 全く、人というものは低能で度し難い。私の目的は、初めから変わっていない。お前たちが愚かしい行動に走るが故、私までこのような場に出ねばならなくなった』

 初めから? その「初め」とは、いつだ。

『ラドユィカ、お前はいつも手を掛けさせる』

 嘆きとも呆れともつかない感情が、ルヴェカヴァの言葉越しに滲む。――それで、察した。

 ルヴェカヴァは、他の誰にとってはそうであろうと、ラドにとってだけは敵でなかったのだ。それこそ「初め」から。

 かつて口にした言葉に真実偽りがないのなら、この竜こそが、母竜に見捨てられた子を孵した。その後も、囚われの父に預けて面倒を見させた。同時に逃亡を許さなかったのは、並々ならぬ執着を抱くがゆえのことだろう。ラドは、母竜と同じものを持っている。――あの、白い焔を。

『帰るぞ、ラドユィカ。ここはお前の居てよい場所ではない』

 問答無用とばかりの、厳然たる響き。

 冷淡でこそないが、剣呑であることに変わりはない。まだ幼いこどもに、そのあからさま過ぎる威圧に立ち向かえというのは、些か酷だろう。危惧した通り、かすかに怯むような気配が感じ取れた。

『か かえら ない』

 だが、こどもは自分の意思で、自分の言葉で、言い返した。自らを鼓舞しようというのか、大きく吼え、口腔から焔の片鱗を覗かせながら、ルヴェカヴァに牙をむいて見せた。

『ぜったい いか ない!』

『どこまで愚かなのだ、お前は。この期に及んで、まだ我が儘を言うとは』

『うる さい! るべ なにか しってる。おしえろ!』

『それが物を乞う態度か』

『ろー と たたかう。でも てき わからない。このまま だと やられる』

 人の話を聞かないのは、今ここでも健在らしい。思念対話の術式を通じて、ほのかにルヴェカヴァの苛立ちが伝わってくる。だが、奴は決して突き放したりはしなかった。

 どこまでラドが考えているのかは、分からない。単に事実を述べ、要求を述べただけであるのやも知れない。だというのに、それこそが最善手となるのだから、何事も分からないものだ。

 その手段や表向きの態度はともかくも、ルヴェカヴァはラドを庇護してきた。このこども一頭を回収する為に、単独でリィリャに侵入するほどに、この悪夢のような戦場に現れるほどに、執着している。

 ――であればこそ、みすみす失うことだけは避けたいに違いない。

 沈黙。戦いの騒音は激しく、未だ敵影も減少の兆しが見えない。そんな状況が継続していながらも、俺達の周囲ばかりは静かだった。

 おかしなことに、〈翼虎〉も近付いてこない。ルヴェカヴァが何かしているのか、それともルヴェカヴァには近寄られない理由があるのか?

『……節穴の、痴れもの共め』

 不意に、ルヴェカヴァがこぼした。その響きは小さくも、吐き捨てるようだった。

そらを見ろ。その中に、お前たちの探しているものはある』

 そう言い残し、ルヴェカヴァは背を向けた。

『行くのか』

『愚かもの共が自らすすんで死地に向かうというのなら、それに構ってなどいられるものか。勝手に逸り、勝手に死ね』

 ばさ、と青く透ける皮膜の翼が空を打つ。その背に向かって、最後に一言と投げかけた。

『ならば、餞別に教えていけ。お前たちは、奴らに何を差し出した?』

『……何だと?』

 ゆらり、蒼竜が振り返る。その炯炯とした眼を、俺は真っ向から見返した。

『〈翼虎〉は、本来見境ないものであったはず。だというのに、その牙から逃れられているとあらば、何らかの手段でもって命乞いでもしたのだろう』

『低脳らしい、下手な挑発だな』

 ルヴェカヴァの口振りは、未だ見下す色が濃い。さすがに挑発は失敗し『だが』――だが?

『所詮は今日ばかりの薄命、哀れと思って餞別に教えてやろう。……あれは、言わば『女王蜂』だ。肉を食らい、魂を呑むだけの群体より、悠久の時をかけて生まれ出でた特異体。ゼセンタデナは戦いの末に、奴と同盟を結んだ。心するがいい――お前たちの敵は、最早虎のみではない』

 絶句せざるを得ない爆弾発言を残し、ルヴェカヴァは飛び去っていった。さりとて、呆けてもいられない。奴が去るのを待っていたかのように、四方八方から虎が迫り来ようとしていた。

『ラド、上だ! 高度を上げろ!』

『りょーかい!』

 大きく身を逸らし、ラドが天頂へと向かって羽ばたく。鞍に固定された身体は振り落とされる心配こそないが、傾きはする。手綱を掴み、努めて上体を倒して鞍と密着させながら、管制を呼んだ。

『こちらガザート! 今し方、ルヴェカヴァと接触した! 嘘か誠かは分からんが、ゼセンタデナの一派は〈翼虎〉の特異体と同盟を結んだらしい。いよいよ、我が国の敵となった訳だ』

『何だと!? 待て、情報量が多すぎる! それに援軍を呼ぶ個体はどうなった!?』

 こんなことを急に言われたのでは無理もないことだが、ケネス卿の声は部下に平静たれと怒鳴った人物にあるまじきほど、驚愕に揺れていた。泡を食った顔が目に浮かぶようだ。

『目標の個体についても、情報は得られた。ルヴェカヴァに曰く、上にいるらしい。試しに高度を上げて探す。このまま成果がないままでは、ただすり潰されるだけだからな』

 ルヴェカヴァの言葉が信用できると判断できる根拠は、もちろん無い。だが、奴の言う通りであったとして、冷静に考えてみれば「有り得ない」という否定ではなく、「まさか」という意表を突かれた驚きが先に立つのも事実だった。

 各竜騎小隊が空中戦において、第三の眼として頼みにする〈オルゼベカの瞳〉は、広い範囲の探知を可能とする。だが、そこから得られる情報には、決定的な欠落があった。

 すなわち――高度である。

 円盤に示されるのは、あくまで平面での位置情報だけだ。居場所の高低までは反映されない。通常の任務なら、敵性反応の数もたかが知れている。〈瞳〉の円盤上において目の前にいると示され、そこにいなければ、上か下かと我が目で探れば済むことだった。しかし、今回はそれができない。

 敵の数が、純粋に多すぎるのだ。円盤に投影された情報と、眼前の個体との結び付けは、今や限りなく不可能に近い。術具の表面が一面に赤く染まるような現状では、どれがどの個体であるかなど、特定できようはずもなかった。

 例え、その中に遥か上空で見下ろす、特異極まりない個体がいたとしても。

『ルヴェカヴァの言が、真実であると?』

『分からん。だが、今は藁にでも縋りたい状況だ。可能性があれば、一つずつ潰していく他ない』

『それは、そうだが……』

 口を濁す返事を聞き流しつつ、自前で探査術式を展開。思い描くは、遠く広くまで届く波。波紋を立たせるように、己を中心として魔力を放ち、上空一帯を探る。

 ここからまだ一戦、もしくはそれ以上の事を構えねばならない以上、あまり魔力を消費したくはなかったが――果たして、それは厚い雲の中にあった。

 なるほど、物理的にも隠れていたとは小賢しいことをする。特異体と言われるだけのことはあり、それなりに頭も働くようだ。

『ケネス卿。幸か不幸か、迷っている暇はないらしいぞ』

『何、今度は一体何事だ?』

『上空――雲の中に、一つ反応がある。〈翼虎〉だ。ゼセンタデナ一派から〈オルゼベカの瞳〉の性能について情報が漏れたのか、それとも向こうが独自に気付いたのかは分からんが、してやられた。今回ばかりは、ルヴェカヴァに感謝する他ないな。上手く隠れられていた』

 軽くため息を吐けば、ケネス卿の罵る声。机でも殴ったのだろう、鈍い音も聞こえた。

『くそっ、何ということだ……!』

『この件に関しては、改めて議題として挙げねばならんだろうが――こんな状況で未来を語るのも、お笑い種だ。いずれにしろ、上空から見下ろすものなど放置する訳にはいかん。雲の中に突入し、撃破を図る。――行くぞ、ラド!』

『わかった!!』

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