第17話 【凡人】と書いて『ヒーロー』と読む 後編

 ────愚者の鏡だ。


『ヒーロー』は自らを顧みない。

 凡ゆる危機に自らの意思で我武者羅に突っ込み、挙げ句の果てに自信を傷つけてまで、他者を救う。

 美徳に聞こえるこれも、ただの無謀でしかない。

 考え無しに突っ走る時も確かに必要だ。理性に任せっきりでは、いつかは限界が来る。


 ただし、本能に任せきりという無作為な行動は、無意味で、無利益で、無能である何よりの証拠である。


 何も助けられず、何も手に入らず、何も出来ない。

 そんなの、只の無頓着な人間と何ら変わらない。

 諦めなければ何かが起きる。その通りだ。

 ただ勘違いしてはいけない。それは『思考』ありきであるということ。


 人が『奇跡』と称する『結果』を出す事が出来るのは、偏に『思考』し、『行動』した『必然』なのだ。


 ガリレオが重力を見つけたのは、林檎の木から実が落ちたのを偶々見たから。しかし、そもそもである。そもそも、彼がそこに着眼するまでの経緯に必ずしも重力についての思考を持っていなければ林檎の実が木から零れ落ちた所で何も思わずに素通りするだけに違いないだろう。


 例えば、エジソンが白熱電球を発明した際に労した時間の殆どは微かに残った可能性を見出すための『思考』に率いられているのだ。

 有した脳細胞が数々の不作を過ぎらせて、それを活かす形で彼は不可能の領域を可能にしたのだ。


 その他にも、前者に述べた事例と同格に、偉人と呼ばれる者たちの最高の裏側には必ずしも、失敗をものともしない『不撓不屈』な精神力と、誰よりも働かせた『思考』の末に見出された『偶然必然』であった。


 どれほどの『栄光』の裏にも、必ず常識外れな『理性ある思考が備わっている』。


 それをしない者に夢の先にある【理想】に通ずる価値などありはしないのだ。


「─────考え無くして、諍う道を見いだすことなど出来はしない……。えぇ、その通りです。その通り過ぎて、反吐が出やがります」


 肩まで伸びてツインテールに括った美しく爽やかな金髪を持ち、特色溢れるオッドアイを鈍く妖しく輝かせる少女は呻きに近い形で悪態を吐く。


 夜の灯火光り人々の喧騒が騒々しく広がる街並みを、この地区で1番高いビルから睨み下ろし、標的を捜索・感知する『神聖術』で目的の魔力を追尾し続ける。


 今日も今日とて、フギンこと神谷 優は教会から提示された信託により、悪行を働く罪人を神の源へ捧げるという名目の惨殺を繰り返す。


 どれだけの数をこなしても未だ感じる不快感は消えはしない。


 これが『思考』を止めておきながら『栄光の道』を望んだ者の末路なのだ。考え無しに、存在する筈もない『栄冠』に縋った結果が、この幾多もの『悪』を薙ぎ倒す『悪』への道程だ。


 ナイフを心臓の深部に突き立て、確実に生命を奪う……。

 一体、幾度感じた事だろうか。突き立てた途端に耳朶に響く、狂気で嘆く苦悶の叫声。痛々しく、生々しい止まり知らぬ致命傷からの多量の返り血の温もり。白目を剥きながら、顔を蒼白とさせて行き泡を吹き出し、ビクンッと痙攣を起こす生命体が徐々に息絶えていく瞬間の体の冷たさ……。


 怖気を噛み殺して、猟奇を続ける自身の異常さは、他者から見れば、さぞ惨めで、醜く、狂気的な存在なのだろう。


 終わりの無い『終わり』を延々と続けて歩む。

 こうなることを『考えていれば』、少女は『理想』を『望むだけ』の普通の女の子として要られた筈であった……。


 けど、既に取り返しの付かない所まで来てしまった。ここで止めれば、それこそ自分が抹殺の対象にされかねない。そして、第2、第3の自分が生まれて行き『連鎖的に退路ない悪へ染まっていってしまう』。それだけは、何とかして避けるべき事である。


 ならば、『殺す』しか無い。何を? 決まっている。


 ターゲットを……。悪を……。自分の『理想』を……。確実に、一瞬にして殺す、殺す……殺す殺す殺すコロスコロスコロス…………。


 狂った『思考』は止まらない─────止められない。


『殺す』ことに『意識』は要らない。つまり、『思考』も『理性』も要らない。

 必要なのは、『殺戮本能』と『標的』の『急所』だけ。


 努努忘れてはならない。自分は『殺し屋』であって『ヒーロー』では無い。『殺し屋』に『殺す事以外での思考は一切不要』。余計な感情は『仕事』に『悪影響』を作り出し、『隙を赦す』事になる。それは絶対避けなければならない事。


 少女にとって『殺し』は生き残るための『プロセス』では無い。必然的に付きまとう『事象』なのである。


【幸福】なんてモノは無かった……。


 ─────


『─────だからこそ、アンタの【在り方】が羨ましかったです……。自分には一生かけても出来ないやり方で『人を救い続ける』アンタの強さにアタシは憧れてたデス……」


「…………」


『アタシに残るのは『殺した後に襲ってくる虚無感』と、微かに香る血液の臭いが付着した法衣だけ……。『救われた人』は居ない……っ!」


 少女は夕闇深くなり始めた空中で対面する少年へ憤りを打つける。

 八つ当たりに近い形で行われる苦言の数々は、一つ一つに確かな重みを孕んでは行く末を闇へと染めていく。

 それを少年は表情が読み取れないように髪で目元を覆い隠しながら、無言で聞き続ける。


 彼女の受けた残酷な境遇と、少年が歩んだ王道は余りにかけ離れすぎている。


 始まりは同じだった筈なのに……。同じく『正義のヒーロー』に憧憬を抱いていた筈なのに……。


 何がここまでの違いを生み出したのか。


 少女の憤りは更に加速する。


『なんでアンタだけ【普通】に頼られる!!? なんでアタシが【苦しむ】!!? アタシとアンタは何が違うんデスカっ!!? アンタは助けた数の方が多いのに、アタシは何で殺した数の方が多いデスカ!!? こんな、不平等な人生……っ!! 最初からなかったら良かったんデスっ!!』


 全て吐き出した後に、少女の肉体は更に発光し、全部を呑み込む様に輝き出した。

 まるで、世界そのものを改変しようとしているかの様に魔力の波が荒ぶり出す。少女の苦行を発散させる金色の神聖力と膨大な魔力が世界への干渉を始める。


「な!? これは……!? (マズイっ!!? あの子の不安定な精神力が魔力の制御を完全に手放させてるっ!!? この桁違いな魔力が暴発すれば、校舎だけじゃない。結界を突き破って街一つ消し飛んでしまう……。それでは、これまでの頑張りが全部無駄に……)」


 鈴奈は感じ取った危険性に歯噛みしながら、何とかして封じることが出来ないかと、封印術を模索する。自身の中にある残量魔力と持ち合わせた術式を全展開させても、あの膨大な力を完全に抑えつける事は不可能。


 いつのまにか過去回想が終わって、何故か街一つの消滅危機が迫っている事にツッコむ余地すらない。

 鈴奈は焦りを膨らませながら、限界ギリギリまで魔力を絞り上げる。

 同胞を皆殺しにし、挙げ句の果てには実娘を神への生贄として投げ入れようとしていた両親に復讐する事が叶わなくなるのは、彼女にとって何よりも避けたい事態である。

 街の消滅は二の次だったのだ……。








































「ふざけんな……。テメェの【理想】と、俺の【理想】を同種に語ってんじゃねぇぞ……」





 けれど、この少年は少女の憎しみの言葉を受けて、更なる激情へと変貌を遂げていた。


「自分が【苦しん】で、俺が【普通】に頼られる……? は、バカ言って笑かすなボケ……」


 剣は聖剣を時空間へ戻して、拳を握り締める。朱く染まった魔力光は、純真な銀白色へと変化して行き、特徴的であった紅眼までもを白銀に染め上げた。

 少女を見下す眼は、確かな怒りを孕ませて金色少女を射抜く。


「俺が【普通】に見えるのは、そうなる様に見せかけてるだけだ……。別に、最初から【普通】に頼られてたわけじゃない」


 金色の神々しさを掻き分けて、白銀の日輪龍が神聖を喰らう。

 少年が纏う白銀色の魔力が少年の激情が増していくのに応じて苛烈さを増していく。


「縋って、縋って……。縋るだけの人生を『諦めて』漸く掴み取ったのが【普通】の『正義のヒーロー』への道だったんだ」


 右拳へ魔法陣を組み立てたモノを接続させて、莫大なエネルギーを込め続ける。集約される日輪光は決して目を開けていられるものではない。


「常に自分の為だけに『正義のヒーロー』になろうと決めたから、【普通】になれた。『平凡』で要られた……!」


 唇を強く噛み締めて、血を流す。

 異世界にいた頃の自分は、本当に他人に寄り添いすぎて、周りから侮蔑なる意思を向けられて耐えられる精神状態のものではなかった。

 怪物と言われて来た。強すぎる力に誰もが畏怖し、恐怖した。


 異世界に行く前にも、助けようとしすぎて逆に周りから鬱陶しがられた。そのうち、周りから人がいなくなり孤独な存在として嘲笑われた事もある。


「─────テメェは【普通】じゃないからマトモな『正義のヒーロー』になれないって言ったな……。それは違う……!」


 スッとずっと俯き気味だった顔を上げて、暴発寸前の黄金少女へ強気の意思を見せつける。


「本当に【普通】じゃないと蔑んでいたのは、自分自身なんだ……! 自分が選んだ道にグチグチ悩んでるやつが【理想】通りの『正義のヒーロー』になれるなんざ、甘ったれた事言ってんじゃねぇぞ!!」


 溜めたエネルギーを右拳だけでなく右腕全体に再装填させる。


「“魔力炉ブレイズ第1段階フェイズ・ファースト……!! 再装填セット解放オープン”っ!!」


『っ!!? ─────ァァァァァァァァァアアアッ!!!』


 少女は明らかに、遥かに上回る魔力に危機感を覚え、それを封じ込めるためだけに全速力で飛空する。神速を超えた超速に臓器がダメージを負うが構ってなどいられない。


 10メートル、5メートル、2メートル……。

 もう手の届く位置に到達し、少年の存在を消し飛ばそうと全神聖力と魔力を注ぎ込んだ一撃を放とうとする……が─────。


「─────“白銀なるHvitt sølv太陽神の神戦鎚Guds jern”ッッ!!!」


『─────っ!!?!!?」


 ─────それよりも速く【賢者凡人】の一撃が少女の鳩尾に炸裂した。

 計り知れない魔力が、膨大さあまりに神爆を引き起こし体内に宿していた『神格』を破滅させる。

 浄化とは違い、破滅。それは宿った『霊体』を今生から完全に消し去るという意味合いを示す。


 今までの剣は浄化によって魔物などを消滅させて、次世へ繋げる黄泉へと魂を誘って来たが、破滅はそれをせずに完全に存在を抹消させるのだ。慈悲を与えない敵に使う一撃を、少女の中に潜む『神格』へと解き放ったのだ。


『─────ッ!! ─────Ammvramtugatjpjmtld'mtpmtamtpッッ!!!!』


 既に破壊されつつある『神格』の『核』から、声にならない悲鳴が聞こえてくる。

 少女からは切り離され、分離した『翼鳥人』が霊格として現れ、苦しみ悶えていた。

 本来は絶世の美女と言われてもおかしくない顔の造形をしているはずの翼鳥人は見る影もなく、白銀に包まれて灼かれていく姿は痛々しい。


 慈悲のない神鎚を放ちながら、少年は感情を荒げた声を上げる。



「─────認めろ!! 神谷 優ッ!!! テメェの歩んだ道筋をッ!! どんなに穢れきった道程でも、それを認めない限り、テメェが【普通】になることなんざ、できやしねぇんだよッ!!!」


 苛烈していく魔力。暴威に感じていた拳からは真剣な想いと、彼が紡いできた世界観を植えつけられる。


 ─────彼が描くのは誰もが笑顔で、争いのない穢れなき世界だと、思ってた……。



 けれど、そんな事はない。寧ろ、穢れを被り続けている。今でも、誰かを救いながら【罪】を被り続けていた。


【普通】じゃないから、『平凡』になれないんじゃない。


 自分が【普通】とはかけ離れていると、勝手に決めつけて投げ出しているから『平凡』に【理想】を追う事が出来ないのだと、悟った。


 幾らでも【罪】を重ね続けていた自分だけども、目の前の少年が示し続けるのだ。

 今の【在り方】を『諦めて』、【普通】に【理想】を追い続けろと……。


 自分よりも多くの【罪】を重ねて来た【賢者ヒーロー】からの一撃エールは少女の心へ刻み込まれていく。



(あぁ……。たったそれだけでよかったんデスね……。アタシは自分の罪を認めて、諦めればそれだけで『普通』になれた……。ホント、バカデスね……アタシは─────)


 目を瞑り、少年の強かな一撃に身を委ねる。

 神格は消し炭になり、少女の中に燻っていた神聖呪縛は完全に消失された。




 ─────『正義に囚われていた姫様』を救い上げて、目を覚まさせたのは王子様の熱いベールではなく、ただ何処にでもいる【凡人ヒーロー】の魂の乗った拳だった。














 ─────


 差別、侮蔑、嘲笑……。人を傷付ける事象は幾らでもある。どの時間軸、どの空間軸、どの世界線でも其れ等の存在は変わらない。


 他者と目指した地点の違いから、【賢者】は怖気と蔑みの視線を受け続けた。

 誰かを助けるために人一倍の配慮と尊重を持っていたのにも関わらずだ。


 時には、救った村の住民からオマエのせいで襲われたんだと八つ当たりもいいことに石を投げつけられたこともあった。


 時には、魔族の進軍をたった一人で退けた事を手柄の独り占めだと、冒険者などから殴りつけられたこともあった。



 時には、経済難で喘いでいた街の領主に金貨を贈呈して、飢えから解き放ったにも関わらず、領主に雇われた暗殺者から命を狙われたこともあった。


 一向に収まらない【賢者】への煮えたぎる憎悪心。人々は抗えぬまま【賢者】を冒涜し続ける。


 しかし、【賢者】は助ける事をやめない。

 石を投げつけられて頭から血が滴り落ちても、殴られて歯が欠け落ちても、暗殺者から斬り付けられて鮮血を撒き散らそうが、彼は世界を救うために一人で戦い続ける。


 何故、そこまで人々を救う事に固執する事が出来るのだ? と、付き人の剣士が聞いたことがある。

 その時の、【賢者】は有り得ないぐらいこ怖く感じてしまうぐらいの綺麗な微笑みで、こう言った。


「─────俺が【凡人ヒーロー】だからだ。【凡人ヒーロー】は何処にでもいて、救える時に救う存在だ。俺は、そういう存在で有りたい。助けられるなら、助ける……。それが、【賢者】として……。いや、それが『日神 剣』の在り方だから─────」


 その言葉通り、【賢者】は世界を救う為の旅を続けた。魔王を討伐し、世界の平穏を取り戻した。


 こうして、少年は【伝説】となり、【凡人ヒーロー】として初めて周りから認められたのだ。


 世の中には決して、叶えられないモノが確実に存在する。それは世界の「在り方」で、必然的な事実なのだ。


 いくつもの代償を支払った先に掴むチャンスを漸く貰える今生の世界。チャンスを掴みとっても、必ずしも叶うとは限らない狭門に誰しもが苦難し、諦観を示す時が訪れる。


 手を伸ばして届かない領域。


 なら、やめて仕舞えばいいと割り切る人も多くいる。寧ろ、割合的にはそちらのほうが多い。


 けれど、【賢者】は其の類には入らない。

 彼が諦めたのは、人々の理解を得ることと、自分の【在り方】を変えることだった。


 開き直り、誰かに認めてもらえなくても諍う道を進むという矛盾した世界を放浪した。



 ─────自我を通せないモノに、【栄光】を掴む資格は無い。


【賢者】の父が常に口酸っぱくして言っていたことだった。

 少年の深層意識のさらに奥深い意思に刻み込まれた言葉は【賢者】を奮起させるのには十分なものだった。


 力なんて無くたって、【賢者】は世界を救う為の努力を惜しまない。どれだけの苦難が訪れても、それを超えて誰かを救い上げる。


 だって、その先に在るモノが少年がなんとしても掴みとりたい『栄光』への片道切符なのだから……。


【凡人】だからといって、何も捨てる事はない。捨てるのは固定概念だけで良い。これだから出来る、あれだから出来ないは終わりにしよう……。


 何処にでもいる【賢者】が囚われ続けた少女に伝えたかった言葉はそれだけだったのだ。


 ─────夢を追うのを諦めるな。 諦めるのは、自分を勝手に際限する事である……と。


 ─────少年はきっと微笑みながら、少女や、異世界の人、全世界の人に、そう伝えたかったのだ。

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