第5話 最強【賢者】の地球帰還 PART5

「ーー俺は【賢者】だ」


「…………はい?」


 耳を疑うようなワードが現れた事に驚きを隠せない少女。

 迷いなく放たれた言葉を聞き逃したというにはあまりにも無理がある事に頭を抱えたい気持ちになるが、このまま分からずじまいで逃げられても困ると考えて脳を切り替える。


「……ぅ」


「おいっ……!」


 立ち上がろうとした時に視界がボヤけて足元が定まらなかった。

 お陰で態勢を簡単に崩して意識を朦朧とさせたが、それを目の前の男に右腕を抱え込まれる形で何とか転けずに済む。


「……は、はな、して」


 明らかな無理。

 魔力が限界を超えた影響によって既に生命力にて補っている危険な状況。

 顔を青くさせ、口端からは内臓にダメージでも受けたのか血が垂れている。

 あの量では唇を噛み切っただけという事は無さそうだ。

 油断できない状態だ。

 一度行動すれば命の保証はない。

 それを理解している剣は彼女を嗜めるように、しかし、優しく告げた。


「離せるかよ。 あんた、明らかな無茶をしてることに気がつけ。 そんな状態で動けばーー」


「ーーわかってるわよ! ぁっ……」


 ズキリと痛む脳。

 魔力の枯渇によって魔力の流れが止まった為に脳の神経回路が傷んだ。

 豆腐のようにみっともなく崩れていく感覚が襲い、彼女を微睡みへ堕とす為に睡魔が現れた。

 きっと、大声を張り上げたことにも原因があるのだろうと判断できる。


「ちっ! 無茶するからだ! ちっと待ってろよ。 直ぐに助けてやっからなーー!」


 その後、少女は意識を完全に絶った。

 目の前にいた男が何者なのかは未だ理解できなかったが、どうせ此処で逝くのなら関係ないと考えての意識遮断であった。

 だが、その目の前の男は異世界にて【魔王】を単独で討伐し、その絶対的な力で凡てを超越した存在であることを知らない。

 よって、この後に起きる奇跡は少女たちの現代ファンタジーでは理解しえないことになるのは必然なる事実であった。


 ◇

 小柄ながらに修道服を着た少女が木の枝から高みの見物をしていて、その様子を不服そうに覗いている。


「ーーなんですか。 あれは」


 闇夜に吹く湿った夏風が木の葉を舞わせる中、先程の準S級の巨人とたった一人の青年が見せた脅威なる戦闘を思い浮かべ、今尚、彼が魔女っ子を抱えている様子を見て不快そうな顔を浮かべるロリっ子少女。


 夜に靡く短いブロンド髪が輝きを見せているが、その事に気がつくものは誰一人としていない。


「むぅ〜。 彼奴、何処かで見たことがあった気がしますけど、誰でしたっけ?」


 異常な戦闘能力と魔力を保有する単独軍事戦力の青年を軽く一瞥しながら思い当たりのある顔を当てはめていく。


 しかし、裏社会で会った人物達やリストには無かった顔である。

 ならば、考えられることはたった一つ。


「ーーなんだ。 勘違いですかぁ〜。 つまんないですね」


 気楽な顔を浮かべて、実につまらなさそうな目で三日月を眺める。

 冷酷に光る月の灯りによって視界は良好。

 よって、先程の戦闘が見間違いという事は無いだろう。


「あぁ、どうしますか。 上にこの事を報告しようか悩みますね〜」


 頭をポリポリと掻き、この状況を上に伝えるべきか悩んでいる様子だ。

 報告しようにもどうやってこの事を伝えるべきか……


「むぅ。 報告しづらくしているのにはも含んでいるんですけどね……」


 そして、最後に湿った空気を体に感じ、再び剣達を一瞥して告げた。


「ーーさて、貴方はどちら側に付きますか?」


 妖美な微笑みを浮かべ、ロリっ子は誰にも気づかれないように去っていった……筈なのだが。


「……」


 少女は去り際にチラッと映った剣が此方に視線を向けているような気がしたが気のせいだろうと高を括り帰路へ着いた。


 どうせ、大した事はないのだろうと……


 三日月が照らす山(荒野?)に突如として現れた謎の人物が異世界にて【賢者】と呼ばれていることをまだ知らないロリっ子にとってはその程度の事だろうと考えてしまうに違いなかった。


 碧眼と赤眼に写った光景をソッと胸の内に秘めた事を後悔することになるのはほんの少し後の話になる。


 ◇


『ーーお母様、お父様。 私はどうして他のお友達と遊んではならないのですか?』


 小学四年生の頃だった。


 その頃から裏社会に出ることを前提とした訓練を実家から強制され、子供ながらに血反吐を吐く思いで肉体と精神を鍛えてきた覚えがある。


 だから、余計に彼女は他人と自分が違う事をコンプレックスに抱え込んでいることさえ隠してきた。


 それでも、限界というものは孰れ訪れるもの。

 たとえ、人並み外れた怪物だとしても肉体の限界や精神的なストレスで見るも無残な事に成り得るのだから当然といえば当然である。


 だが、彼女が放った言葉が大人達に劣情を与えた根本になる事など幼い娘に分かるはずも無い。


 他者と違う。

 それがどれ程子供の心労に繋がるなんて大人には一生理解出来得ないものだ。

 そして、其れが軋轢を生むことは必然であった。


『ーー貴女は【魔法使い】なのです。 人とはスペックが圧倒的に違うのですよ。 役に立たないゴミと行動を共にする事の意味が分からない貴女ではないでしょう?』


 憤慨な口調で放たれた言葉の一つ一つが彼女の鎖を強く蝕んだ。

 人とは違うことは理解できる。

 自分が他の人よりも何でも出来ることを知っている。

 他の人達が使えない魔法も使える。

 それでも……


“ーー当たり前の暮らしが出来ない”


 彼女が名家の生まれで魔法の才能を持ってしまった為に、使い潰されるまで家の言うことを聞く運命になった。

 それは道具と一緒だ。

 両親は自分を厳しく育てた。

 時に暴力と拷問が簡単に振り下ろされる事もあった。


 暖かい料理は出してくれるが、家族全員揃っての食事などした事はない。

 友達という友達は作ったことはない。

 いつも外面だけで対応しているだけ。

 本音をぶつけ合える者など……


 闇に飲み込まれかけた心。

 それを優しく包み込む虹の光。

 感じたことが無い温かみ。

 穏やかな風。

 凍てついていた思考回路を溶かしていく。


 ドン底? いや、違う。

 ここは地獄? それも違う。

“ーーここは天国だろう”


“ーーあぁ、漸く。 漸く、この負の連鎖から女神様は解放してくださるのだろう”


 自分を信じてくれた者は既に家に居ない。

 殺された。 両親や信じていた筈の者に。

 生きる意味を無くした。

 正義などという理想は儚く遠く愛おしいが決して届かない。

【日常】がある様に【非日常】も存在するのだ。

 その中で生きて来た自分が最後の最後に辿り着いた答えがこの様。


“ーー自らの死をもって同士達に贖罪することしか出来ない”


 理想が叶うはずのない物だと知った時には既に遅かったのだ。

 自分に理想を語る資格など……


「ーーぁ」


 思考が止まる。

 光に包まれる中で唯一感じるはずが無かった嗅覚が突然敏感になった。


「ーーうし、もうチョイだな」


“声? 誰の? 男の人の声だ”

 それよりも……


「ーー久し振りに作ってみたが、問題なさそうだな。 これなら大丈夫そうだ」


 香りだった。

 スパイスの効いた香り。

 鼻腔を擽る。

 唾液腺が緩む。


“ーーん? 唾液腺が緩む?”


 その時、彼女は気がついた。

 死んでいるのなら感じるはずがない五感。

 現れるはずがない食欲。

 この湧き上がる衝動は偽物と言うにはあまりにリアル過ぎる。


 グツグツと煮ている音が更に胃袋を刺激してくる。

 どんどん濃くなる香り。

 既に、少女の理性は限界だった。


「ーーお腹すいたっ!」


 起こせるはずがない身体を神速の如く条件反射で起き上がり、掛けられていた布団を弾き飛ばした。


 その時の少女の顔はヒロインとして如何かと思う程の阿修羅であったと後に聞かされて赤面させる事になるのだが、それは又別の話である。


「うぉっ! ビックリした! 急に生き返んなよ。 心臓に悪いだろうが!」


 体をビクつかせた青年。

 先程まで着ていた黒色の外套は窓際に掛けられ、四畳半の狭く何もない部屋で目立っていた。


 慌てた顔だったが、直ぐにボケェ〜とした表情に戻してから少女の元へ歩みを進めた。


「ぇ、ぁっ……ぇ?」


 困惑が抜けていない。

 明らかに可笑しい。

 生きているはずがない自分が生きている現実。

 準S級を瞬殺した男が眼前にいる。


 要するに……


「私、助かったの?」


 その疑問は青年の微笑みと頷きよって肯定される事になった。


 ◇


「ーー美味しい」


「だろ? 俺も久々に作って見たんだが、案外上手い事いってると思ってたんだ。 ほれ、お代わりもあるからドンドン食っちゃいな」


 カレーだ。

 先程までギャンギャン騒いでいた犬(魔女っ子)。

 それを一発で黙らせたのは眼前に広がるビーフカレーだ。

 実にシンプルな作り方なのだが、何処かホッとさせる一面を持たせるオカン料理が彼女の胃袋を掴んだのだ。

 今は借りてきた猫のように大人しく食べている。


「……(はむはむ)」


「……」


 沈黙。

 二人とも気不味い空気を醸し出しているだけにとても居た堪れない感じになっている。

 咀嚼する音だけがボロくさく狭いアパートの部屋に響き渡るが、剣としてはどうしようもないので黙ってカレーを口に放り込む。


 彼としては自己紹介していない女性を帰ってきたばかりの家に招き入れる事自体が異常事態。

 異世界に行くまでは平凡な環境で過ごしてきた自負を持っており、お陰で女性関連の揉め事には一切関わってこなかったのだ。

 こういった場合の対処の仕方など分かるはずもない。


(まぁ、異世界でも【魔王】討伐の為に師匠……女神達に扱かれたり、パシられたり、振り回されたりと忙しかったからなぁ〜)


 振り返ってみると、周りに碌な女性がいなかった事に気がつく剣。

 大変哀しくなる恋愛事情である。

 彼の遍歴が気になってくる。

 第一、女神が相手をパシらせるなど、逸話上の暖かな後光はなんだというのだろうか?

 恩情? 確かに有りはするのだろうが、剣の反応が唯楽しいだけだろう。


 特に闇女神は……


 過去回想に入り浸る剣。


「……?」


 小首を傾げて、剣の手が突然止まったことに驚きを隠せない美女。


 なんとも言えない状況が出来上がってしまった。

 それでも手を止めない美女は既に皿の上にはルーと御飯が少々残っている状態で勝手に立ち上がり、台所に向かっていった。

 如何やら、大層気に入ったようでお代わりをしに行ったようだ。


「……な、んだと?」


 ガーンッ!

 何故か聞こえてくる擬音語。

 普段ならこんな事は無い。

 四つん這いになり、ショックを隠そうともしない。

 一体、彼女に何があったというのだろうか。

 剣は過去を振り切り、彼女の様子を凝視する。

 いや、彼女はおかしくない。

 だが、違和感が拭えないのだ。

 あの絶望顔。 一体何時からだろうか。

 そんなもの考えるまでも無く鍋を覗いた時からに決まっている。


 そして、剣も立ち上がり、ありえない状況を鍋の中で目撃する事になる。


「……ど、どういう事だ」


 あの異世界最強【賢者】が! 【魔王】という絶対的な脅威を前にしても怯ま無かった最恐が! 鍋の中を見て動揺したのだ!

 余程の緊急事態である。


「おい! 魔女っ子! お前、何してくれてんだっ!」


 憤然。

 跪く魔女っ子を睨みつけ怒鳴りつける最強【賢者】。

 どういったシチュエーションだろうか?


「わ、私は悪くないわ! 悪いのはカレーとお米よ! 第一、私が其れを行ったという証拠はあるのかしら!? 無いのなら、口を慎みなさい! この変態黒外套厨二腐野郎!」


 必死な弁明だ。

 というより、確実に誹謗中傷を入れてきているのは気のせいではない。

 確実に精神的に仕留めに来た言葉が剣の心HPをゴリゴリ削った。


「だ、誰が、変態巨乳好黒外套厨二美尻超好思春期野郎だ! てか、お前、一言目から犯人って認めてんじゃねぇーか! 明らかに隠しきれてねぇーよ! せめて、今持ってる皿の上に乗ってるカレーライスを隠してから物言えコラァ!」


 目を大きく見開き叫び散らす変態【賢者】。

 やはり、ど変態である。

 呆れてモノを言う気力すら『神の声』 (第三者視点の言葉)には無い。


「貴方、私が言った誹謗よりも酷いわ。 言ってて恥ずかしくないの? 私、良い脳外科知ってるの。 そこに行きましょうか? あ、保険書は持って行きなさい! どれ位の歳か分からないけど、多分同い年ぐらいだと思うからね」


「おいおい、今のはジョークだろうが。 それに、あんたに心配されるほど気が狂ってる訳でも無い! このコスプレ女」


 ブチリ! と眉間の血管が切れた音がした。

 それも両方から……


「ーーグルルゥ!」


「ーーシャァア!」


 警戒する鳴き声。

 両者、構えを取る。

 犬と猫、夫と妻の壮絶な痴話喧嘩が今始まる!

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