第6話 最強【賢者】の地球帰還 PART6

「ーーこの魔女が! お前が残ってたカレーを全部食ったからこんな事になってんだろうが! 食事代は払ってもらうからな!」


 顔を赤くさせる程ブチ切れている青年は日神 つるぎ

 黒髪を目元まで伸ばし、眼光から鋭く放たれる紅目が特徴の十九歳だ。

 異世界に召喚された経緯を持ち、最強の【賢者】として崇め讃えられていた。

 しかし、女神達の同意によって地球への強制帰還を行われ、失うはずだった能力を保有したまま故郷へと帰って来たのだ。


 そんな彼がブチ切れている理由。

 相当な事があったに違い無いと、異世界の者がいたとしたらそう感じ取る事だろう。

 だが、それはアッサリと裏切られる事になる程、たわいも無い内容である。


「ーー貴方! この柊家の長女に向かって何て傲慢な態度!? この不敬、どうやって償ってもらおうかしら!」


 ムキになって言い合う魔女服を着た痛々しい少女は……

 まだ名前は出てきていないので詳細は省くが、仲間だと思っていた者に裏切られ、上級の魔物に追いかけられる羽目になった経緯の所に剣が救った少女である。

 ストレートヘアがサラサラと靡くあたりよく手入れが行き届いているだろう事が手に取るようにわかる。

 出るところは出ており、括れはキュッと締まっている。

 完璧な八方美人。


「「ウググ……!?」」


 火花を散らし、どちらも元からの切れ目をさらに細めて、怒りを強調する。

 敬遠。

 犬猿の仲とは正にこのことだろう。

 今の二人の様子は間違えなく、初々しい新婚さんの夫婦喧嘩である。

 カレーが足りないことに不満を言う夫。

 それに反論する妻。

 既に、その構図が見られる。


「お前の家系図なんぞ知ったことか! ここは俺の家だ! お前がどれ位の地位にいようが、ここでは俺が一番偉いんだからな!」


 ガキだ。

 拗ねたように頬を含ませる異世界帰りの【賢者】様。

 子供である。 年甲斐もなく燥いでいるガキだった。

 これが単独で一国を潰すことが出来る準S級の巨人を圧倒した人間だと誰が思うのだろう。

 この件だけでなら、小学生高学年の方が、まだ理知的である。

 非常に残念で最強すぎる十九歳だ。


「それなら、私は客よ! お客を持て成せない家主なんて舌を抜いてから針千本呑んで死ねばいいわ!」


「それは指切りした時の奴だろうが! お前のフレーズみたいに使って、偉そうな態度を取るんじゃねえ!」


 決して、指切りに舌を抜くというフレーズはなかった筈だが、確かに少女も中々強情である。

 恐らく、感情的になることが少ない少女。

 憤りや憎しみを感じることはあってもそれらを矢面に出すことはしない。

 傀儡として重宝されていた少女。

 家柄、秩序、礼式を気にして、人前では感情を押し殺し、吐き出すことはしなかった。

 そんな彼女が目の前のカレー……彼、日神 剣には情を曝け出している。

 とんでもない異常事態だと、彼女を知るものがいたとしたら必ずそう考えて目を丸くさせることだろう。


「ええい! 五月蠅いわね! 私は怪我人で、貴方は無傷! OK!?」


 ……若干、キャラ崩壊を起こしていることは否めない。


「どんな暴論だ! てか、怪我は全部俺が治してるだろうが!」


 どちらも真面な人生を送ってこなかった者同士で思い合う部分があったのかもしれない。

 深夜遅くに繰り広げられた夫婦喧嘩、もとい、カレー争奪戦は日が昇る寸前まで続いたという。


 その後、ご近所さん方には大きな誤解と迷惑を掛けた事は言わずもがなである。


 ◇


 ――翌日――


 ジリリリ……ッ!!

 狭い四畳半の部屋に鳴り響くボロい目覚まし時計のアラーム音。

 故障しているのではと疑いを持ちそうになるぐらい大きな音で朝早くから鼓膜を破壊しかねない勢いで鳴り響く。


「ーーふぁぁっ。 もう、七時か……」


 暴音鳴り響く中、ムクリと布団から出てくる青年。

 時間を確認し、身体を伸ばした状態で大きな欠伸をしていた。


「痛っ! ちきしょうが! ったく、まだ常態が良くねぇ」


 唇の端を噛み、頭に感じる苦辛をはぐらかしながら悪態をついた。

 体が予想以上に重い。

 靄掛かっている視界。

 外で蝉が鳴いているが、それが超音波となった感じで頭にガンガンと鳴り響く。


「はぁ、はぁ……! くそっ! まだ【術式作用】が残ってんのか?!」


 苦しそうに捥がきながら魔力を身体中に回すように操作する。

 これは体内に残る魔力残滓を辿って何らかの障害があるかを確かめる為に魔力を敢えて循環させる。

 それによって、自分のとは違う波長の魔力が浮き上がり、何をしようとしていたかを探れる。

 これを【魔導解析アナライズ】という。

 努力すれば誰でも使えるようになる単なる技術だ。


 ついでに、コレをマスター出来ると、敵の魔力の流れを確認できるようになり、属性と系統を知ることが可能になる超便利スキルである。


「ん……!? な、何だこれ……?」


 しかし、【魔導解析】で感知できたのは【術式作用】では無かった。

 寧ろ、それよりも複雑な魔力。

 能力や技術とは違う。

 何かに引っかかりを覚える感覚。


「ーーまさか、魔法……なのか?」


 その自問に心がストンと落ちる。

 では、何の魔法なのか?

 精神異常の魔法ではない。

 それならば、真っ先に【魔導解析】が捕らえる。

 ならば、脳の改竄? 確かに女神・シンモラが彼の記憶を一度消し去ろうとしていたことは事実。

 だが、それとは違うと剣の本能が告げた。

 脳の改竄の跡が残っているのなら、その時の記憶……異世界で感じた人の死と血生臭い感触が残っていること自体が可笑しい。


 だとするならば、何なのか……


「ーーわからんが、この魔法は何らかの害を排除する能力だろう。 じゃないと、俺の【魔導解析】が分析仕切れないなんてありえないからな」


 当たりである。

 剣は異世界最強の【賢者】である。

 それ故に、女神が起こした奇跡すらも時として凌駕する。

 たとえ、それが無意識化であったとしても……


 ーー【白天魔法】・【能力保持魔法】


 剣が異世界に飛ばされる前から保有していた【白天魔法】と莫大な魔力。

 それを異世界で得たチート能力、【完全魔法】と【創成魔法】にて昇華させた、天衣無縫の能力。

 女神の力すら封じ、誰にも干渉を受ける事が間々ならない驚異的な術式。


 この世の理を無視した認識外の魔導。


「ーーちっ! まぁ、いいや。 どうせ大したことねぇし。 それよりも、今は……って、あれ?」


 辺りをキョロキョロ。

 何かを探しているようだ。

 顔を顰めている。 何を其処まで怪訝そうにする必要があるのか、ボロいアパートの部屋を隅々まで見渡していく。

 しかし、見つかりものは見つからないようだ。

 眉を寄せて、困惑した様子を浮かべた。


「ーーあいつ、どこ行きやがった……」


 あいつとは……

 間違いない。 深夜に剣とカレー争奪戦を行っていた黒髪ロング魔女の柊と名乗った少女の事だろう。

 眉目秀麗の変人。

 一見、大人しそうな顔立ちにも関わらず、その素性は荒々しい獰猛さを感じさせる危なっかしい魔女。

 怪我の状態はかなり安定して治したが、完治は出来ていないのだ。 まだ体の何処かが痛みを帯びているはずだった。


「あの糞魔女……聞きたいこともあったが、それよりあの傷と心だ。無事に帰れるといいんだが……」


 一度顔を合わせた程度の少女。

 しかし、剣としては何処か放っておけない雰囲気を感じていた。

 それが同情なのか、あるいはなのかは分からない。

 それでも、放っておけば余りにも脆く消え去りそうな魔女。

 幼気な少女と言うには切実さや清潔さは皆無だったが、心はまだ見た目通りの子供。

 打ちひしがれた心を持ったままこれから先生きていけるのかが気にかかったのだ。


 しかし、考えても答えが出るはずもない。

 これは、彼女が考えるべき問題。

 自分の管轄外と頭を振り、現在の自分の状況を考えることにした。

 この切り替えの早さも剣が異世界最強と言われる所以であった。

 切り替えの早さは実戦での迷いの少なさを表す。

 それ即ち、余計な思考回路を省くという一点において有利に立てるということだ。


 自身の状況把握。

 敵の戦力。

 作戦の優勢・劣勢の見分け。

 全てにおいて、正しい判断が出来るということである。


 そして、それは現状の把握においても適応されるはずなのだが……


「ーーさて、一体全体どうなってんのかね? 俺が異世界に召喚されたのが、確か二年前の筈なんだがな……」


 頭を掻きむしりながら電波時計でもある目覚まし時計の日付を一瞥し、窓の外を気怠そうに生気のない目で見た。

 蝉が鳴く初夏。

 異世界転移させられた日も肝試しをしているので、初夏と言える時期。

 そして、忘れる筈もない死の恐怖を初めて感じた日。

 剣が召喚された日の翌日……2018年 6月22日。 ありえない日付が剣の脳裏を離れないでいた。


 ◇


「ーーむぐ……考えても仕方ない。 日付が変わってない以上、学校はあるんだろうし、あむ……んぐ……まぁ、もう行く必要はないかもしれないけどな……」


 自嘲気味に苦笑いを浮かべた剣は手元のトーストしたパンを口に頬張りながら、既に学校へ行く準備を始めていた。


 テレビのニュースを見ても、日付に間違いはない。 どの番組を見ても平成最後の夏で甲子園百回目という見出しが強く出ている。


 特に、高校ビッグスリーと呼ばれる怪物球児達の事を熱く取り上げるニュースキャスターや元プロ野球選手の解説者が盛り上がっているようだ。


「ーーへぇ。 今年の大阪は二校になるんだな。 それは知らなかったなぁ」


 異常事態でそんな呑気にニュースを見ている者はきっと剣だけであろう。

 彼には常識という概念が無いのだろうか?

 彼の辞書にも載ってなさそうである。

 そもそも、存在自体が規格外なのでそう言った固定概念は通用しないのだろう。


 兎に角、彼が【賢者】であり、地球に戻ってきたら日付が変わっていなかったという事実は変わる事はないので、この状況で慌てたとしても何ら良いことは無いのだ。

 それにーー


(ーー考える事は別にもあるしな)


 この世界における裏社会の存在。

 魔獣の現界。 魔力の使用。 魔法使いと魔女。 そして、監視者。

 どうやら、地球という世界もかなりのファンタジーに侵されている事は確定事項であり、最早、自分にその逃げ道は一切合切有りはしないのだと悟りきった。


「ーー仕方ない。 腹は括るしか道はない……か」


 何処か嫌そうな顰め面を浮かべているのに、声色は嬉々を感じるほど上ずっている。

 この地球帰還は予定外で、何時までも異世界にて英雄になる事を望んでいたはずの剣。

 しかし、今は、心の底で淡く甘い青春の学生生活と濃く滲みよる死の危険と隣り合わせの現代ファンタジーを両立することが楽しみになってきていた。


 それは最強になり過ぎたせいで失った命懸けの戦闘と、時間が無く、心からエンジョイできる青春時代を取り戻す喜びに他ならない。


 この時、剣は初めて【英雄】や【正義の味方】以外の事で自分を見出すことを選んだのだ。


 ーー弱きを救い、敵意を穿つ。


 ーー他者への救いを自身の救いと信じて戦う。


 ーー争いの種を費やし、醜く奪い合う者達を挫く。


 ーー青春を謳歌する事も願い、人々の救いも願い続ける事を選んだ。


 ーーそして、その選択が彼や彼を取り巻く運命の歯車達が回り始めるキッカケになる。


“ーーさぁ、《幸福ハッピーエンド》の物語を始めようか”

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