第7話 【賢者】の日常生活 PART1

「ーー【創造魔法】・『時空間魔法』……!」


 白光する体。

 神秘なる光景が築四十五年のボロアパートの一室で発現され、発動者を中心に白き魔法陣が膨大な魔力を含みながら、足元に現界する。

 超常現象というには余りにも優しすぎる光。

 総てを賭して包み込むような感覚が体全身に駆け巡るように血液や筋肉繊維に沁み渡る。


「ーーぁ」


 小さな呻きが漏れた。

 誰から? 決まっている。

 発動した張本人以外はこの部屋にいないのだ、それならばその張本人が挙げたものだと判断する事が出来る。

 身体が縮んでいく。

 筋肉、骨格、臓器が軋みを上げて、常人なら苦痛のあまり、意識を失いかねない。

 しかし、発動者は常人ではない。


 発動者……日神 剣は異世界に召喚された最強【賢者】だ。

 色々あって、地球に帰還した彼が今現在何をしているのか……

 それは至極明快に言うと、身体の復元である。

 現在、原因は不明であるが、剣が異世界転移した日付と帰還した日付は同日という奇怪な現象が起こっている。

 二年もの歳月を向こうの世界で過ごしていたにも関わらずだ。

 恐らく、女神が何かをしたのだろうが、確証は無い。

 どの道、彼女達とコンタクトが取れない今、この世界で通常どおり生きていかなければならない。


 其処で、弊害になるのが時間経過による身長と顔立ちだ。

 勿論だが、剣が異世界で過ごした二年間は間違いなく本物で、成長期真っ只中だった為に、百七十程度の身長が百八十近くまで伸び、体格的にもかなり大きく逞しく育っていた。

 これで日常生活を送ろうものなら、明らかな違いに周りが不審に思われかねない。


 確かに、昨夜時点で裏社会の問題に巻き込まれることは確定事項ではある。

 それでも、変に事立てて、面倒事を増やす必要性は皆無だった。

 平穏に過ごす事が叶わなくとも、せめて昼間ぐらいは静かに暮らしたいと考えていた。


「まぁ、一番の理由は御近所さん方に通報されないためだが……」


 実際の所、突然、躰つきが良くなった高校生。

 しかも、一日で。

 完全におかしな話だ。

 確かに通報されても仕方がないのかもしれない。

 自嘲しつつも明らかに骨格が変化していく。


 そして、変声にも成功したようで、先程よりも高い声だ。

 先の男らしい低い声色が嘘のようにハイトーンになった。

 気付けば、躰つきも細く、身の丈も縮んで百七十程度の平凡な高校二年生になっていた。


「ーーふむふむ、まあまあだな」


 全身ミラーの前に立ち、顎に手を添えて自身の身体つきを確認する。

 その際に、色々な決めポーズを取ったりして、非常に楽しそうにする年相応? 否、明らかな厨二病が其処にはいた。

 やはり、彼は異世界で最強となった【賢者】ではないのでは? と感くぐってしまう程度には常識的に外れた存在である。

 況してや、世界そのものを救った者とは誰も思わない。


「さて、制服も着れたし、朝飯も食った。用意も済んだし、そろそろ出るかな?」


 最後に部屋の中を一瞥し、何もないことを確認した剣は黒いブレザーを羽織り、肩に制定鞄を掛けて、扉の外に出た。


 ーーさぁ、始めようか。 平和と言う『日常』へ……!


 そんな言葉だけを部屋に残して、異世界最強【賢者】は平和な日常へと足を一歩、踏み出した。


 ◇


 ……筈だった。


 ミィーン!ミンミン……!


「ーー煩い……暑い…………湿気が狂ってやがる……!」


 既に猫背でこう垂れる異世界最強【賢者】様。 マジで期待を裏切らないほどのダラけっぷりである。


 六月中旬。 今年は異常気象と言われており、気温は七月上旬並みの暑さを記録している。

 三十度を優に超え、早朝七時五十分にも関わらず、紫外線が多く放たれた太陽光が肌を突き刺すように襲い掛かり、また、蝉の鳴き声が微妙に暑さとコントラストを奏でて、イライラ度合いが振り切れそうになる。

 火照る体。 迸る汗。 陽炎が出る道々。 ガンガン鳴り響く蝉の鳴き声……


 真夏だ。 コレを酷暑と言わず、何というのか!


 ミィーン! ミンミンミンミーン……!


「ーーふんっ!」


 パシンッ!


 蝉時雨が降り注ぎ、強制的に鼓膜を遮断する【賢者】様。

 非常に滑稽である。

 音的にかなりの破壊力が込められた塞ぎ込み方だが、痛くないのだろうかと、周りで打ち水をしている叔母様方は不思議に思っていたが、その答えは案外直ぐに出てくる。


 長い髪で隠れた目。

 しかし、ボンヤリとだが、端に浮かぶ雫が段々と大きくなっていた。

 つまりは、そういう事だったのだ。

 触れてあげないでください……

 これでも異世界最強の【賢者】なんです……

 偶に抜けてるところもあるけど、戦闘になれば別人ですから……!

 ちゃんと頼れる怪物君になっているので、皆さん、見捨てないであげて下さい! (これは、決してコメディーではありません。 あくまでファンタジーです! ご注意下さい!)


 まず、勘違いする人がいるのかどうかすらドウデモイイが、正直、面白くない。 (第三者視点……ごほん、神の声)

 話題が出てこない『神の声』が無理矢理詰め込んでいるだけに過ぎないので、気にしないでおこう。


「いてぇ……」


 赤く晴れた耳朶を抑えながら、魔力を循環させていく。

 目が虚ろになる程の猛暑に耐えられなくなった異世界最強の【賢者】、剣はいよいよ【聖剣】を使うことにしたようだ。

 出来るなら、最初からしておけとツッコミたい気分だが、そうはできなかった理由が存在する。


 それが、【創造魔法】の特徴という名のデメリットだ。


 根本的に【創造魔法】は剣が持つ固有の能力であり、女神により授かった存在しない筈の能力。

 他者に盗まれる事もなければ、真似することすら不可能な天部盤石なる魔法。

 正に無敵なる巨砲である。


 他人に理解できず、理解できたとしても発動不可能とされた魔法や能力を瞬時に創り出せる、原初なる奇跡が、この魔法の総て。


 そんな代物が、なぜ、魔力という対価だけで成り立つというのか。

 空想論、理想論、架空説論、夢想論という数多の不可能論を有る意味可能にした輝石を、払うべき代償もなく発現できるはずもないのだ。


 しかし、剣は、その【輝石】を発現しているのだ。

 つまりはそういう事。

 不可能を可能にする為の代償。

 世界の理を超越し、それでも、神のように凡てを見通し、見守る力を持たない人間が払うべき対価……


 ーー死後の安らぎ。

 彼は【輝石】を受け取る変わりに其れを悪魔と女神に売り渡したのだ。


 精霊王たる七聖女神と死を司る死神が彼の身と心を世界へと循環させ、人生の寿命と共に世界の理へと到る為の鍵となる事が確定した。

 それはつまり、剣は世界から【創造魔法】を提供される代わりに、死後は世界を創り出す【創造神】として永久の時間を過ごす事を役割付けられたのだ。


 そして、それは人間としての身体が段々と蝕まれ、剣が持つ体の一部は聖霊化が始まり、魔力回廊と精霊回廊が融合し、【創造魔法】発動後は暫く、魔力回廊がオーバーヒートを起こして、魔法の一部が使用不可となるのだ。


 勿論、一定時間を過ぎれば、魔法と技術の使用に弊害は無い。


「ーー【神水魔法】・『神水功剣フロッティ』」


 誰も見ていないことを確認してから、聖剣を召喚する。

 神の御業。 原初なる力を脇目も無く使用する。

 出し惜しみ? そんなものをするはずが無い。 何せ、気温がおかしいのだから。 まだ六月でこの暑さ。 大概イカれた気象と言っても過言ではない。

 いつ変動するか分からない天候を気にするぐらいならば、一層の事、最初から肌を水質にしておけば、暑さを感じることはない。 もし、冷えてきたとしても、『神焔剣楼レーヴァテイン』との重ね技を使って、温水にすれば良いだけなのだ。


「ふぅ〜。 とりあえずは、これで何とかなるか……」


 額の汗を拭い、段々と涼しくなってくる感覚に頷きを一つ入れた。

 上出来と言わんばかりに満足気な顔を浮かべて、打ち水中の叔母様方を通り過ぎて、通学路を歩いていく。

 陽炎が揺らめく中、大粒の汗を垂らしている中年太りをしたサラリーマンや、肌に張り付いた肌が艶めかしく見える女子高生などがチラホラと見当たるが、たった一人、日神 剣だけが異世界で手に入れたチート能力をガンガン使用して、この生きづらい気候を汗一つ流さずに颯爽に歩いていく。


 当たり前だが、周りの人間はギョッとした目をして剣を眺めたりしていたのだが、直ぐに暑さのあまり、視線を直ぐに逸らす。

 気を紛らわせる何かを求め、縋り付く様を高みの見物の如く余裕で剣はサムズアップを決める。


 ーーブチリ……!


 切れた。 堪忍袋の尾が切れた。

 その場にいた全員がだ。

 目の前に佇む平凡少年に対して憤慨する。

 しかも、この酷暑故に、苛立ちは通常の三倍は孕んでいるであろう。

 常日頃から温厚な人間でも、さっきのサムズアップはブチリとくるものだ。

 それを聖人君子でもない一般社会人や学生が見たのなら……

 わかるだろう?

 想像してみて欲しい。

 熱いアスファルトを歩いている中、目の前にいる見かけ普通の少年が、突如、平然とした様子でサムズアップを態々向けてくるのだ。

 ……明らかな殺意が湧いてきても仕方がないレベルである。 (✴︎偏見ですので気にせずお進み下さい)


「さぁて、久々の登校……いや、コッチでは二日ぶりか……

 確か、肝試しをしたのは日曜であるから間違いないはずだがな……」


 よくよく考えれば、剣と一緒に肝試しをしていた級友達はどうなったのだろうか?

 あの山はカナリの魔窟であるから、魔獣と遭遇する可能性もあった。

 だからこそ、魔法などの戦う手段の無い彼等が手も足も出ることはないし、昨日は結局、魔女しか見かけていないので、無事かどうかなどは確かめようが無い。


(まぁ、考えても仕方がない……か)


 頭を振り切り、考えを隅に追いやった剣は、周りの狂気の視線を無視して、目前に差し掛かった学校へ歩を進めたのだった。


 ◇


「……やっぱり、そうだったのね」


 剣の後姿をコソコソと拝見し、尚且つ、睨みつける、制服黒ニーソ巨乳美女が何とも形容しがたい様子で電柱に隠れていた。


 寝不足でありながら、整えられた髪と目元。 綺麗に揃った睫毛。 切り目でありながら、それが美しさを際立てて、そこらのモデルを軽く上回るルックスとスタイルを持ち合わせた美女だ。

 周りの視線を集めても致し方が無いが……


 うんうんと頷きながら、ひとりでに理解した様子を浮かべ、周りからの好奇の視線すら切り捨てて、手元の履歴書と剣の後姿を見比べていた。


「何処かで見たことがあると思ったけど…… まさか、こんな所で会えるとは思わなかったわ。 【賢者】 日神 剣!」


 ニヤリと口元を緩めて、なんとも不審者としか表せない顔を覗かせ、彼を追跡する女。


 そんな彼女の言葉は通学通勤する人達の喧騒に掻き消されて、【賢者】の耳に届くことはなかった。


 ーーこうして、【賢者】の日常生活は幕を開けることになった。


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