第9話 【賢者】の日常生活 PART3

ーーあれから、数時間が経過した頃。


「ふわぁぁ……」


口を大きく開け、無意識の内に零れ出た欠伸。

固まった身体を伸ばすことによって、凝り解していく。

現在は二時限目の国語が終わって、数分が過ぎた休み時間だ。

窓辺の天界。

それが、異世界最強【賢者】日神 剣の居場所である。


誰の邪魔も入らない聖域。

ゆったりと流れる時間。

級友の談笑や喧騒が嘘みたいに離れて聞こえてくる静寂なる空間。


ーーチュンチュン


「ふ……」


僅かに笑みが溢れてしまう。

雀が囀る音だけが空間を支配し、湿気が少し含まれた外気が、それでも長閑な風を連れてくる。

ーーこれ程までに静寂で長閑な時間は途轍もなく長い間、味わっていなかった。

異世界の諸事情によって、あまり猶予ある現状ではなかった。

日々執り行われる戦闘や駆け引き。

経費の遣り繰り。 装備の自己負担。

それら全てをたった一人でやってきていれば、自由な時間など限られてくるだろう。


そして、悪友で剣が悪目立ちさせられる元凶の秋坂 晃が、先程執り行われた授業で涎を垂らし、夢心地の中、腑抜けた顔を晒した罪によって、担当教師……桐山 祥子が生徒指導室という名の拷問部屋へとアイアンクローで連れて行ったのだ。

お陰で、普段、晃としか関わりを持つことをしない剣にとっては、唯一、悪目立ちしなくてすむ、至福の時間なのである。


だとしても……


「黄昏る、剣きゅん…… クールすぎ! ブハァッ!」


「あぁ! ボーッとしてたら、チョークの粉が制服に……!」


「はぁ、はぁ……!」


……若干、危ない二名。

それも野獣のような目付きをした女子生徒がチラホラと見受けられるのは、きっと気のせいではないのだろう。

最後の一人に至っては、メモ帳にガリガリ! と何かを書き始め、瞳孔を開けて、剣の一挙手一投足を見逃さまいと血気迫るものだった。

鼻息も荒い。 かなり興奮しているようだ。


「……?」


しかし、視線には気がついているものの、剣は、何故か自身に向けられる真意を掴み取れずに首を傾げる。

そう、彼は気が付いていないのだ。

自身が、かなり……否、この学年において、一番のモテ株である事を知らないのだ。


容姿は普通。 性格は冷静沈着。 言葉数も少なく、一部の友人としか目を合わせる事しか、基本しない。

日頃は本の虫で、友達付き合いや、恋人といった浮いた話の一つもない目立たない筈の少年。

そんな彼が如何してか、女子生徒のみならず、スクールカースト上位の者達にも親しみを持たれるのか……


それは、かなりの理由と根拠があって、そういった状況下になっているのだが、簡潔に説明するなら……


ーー欲目が無く、秘密の多い少年が気になって仕方がないから。


本来、思春期の男子といえば、多少なりとも盛ってしまうというのがさがだ。

下種な話で盛り上がったり、女子の身体を気にしたりと、そこらの男子高校生は、性欲に忠実な者が多い。


現に剣は、多少なりとも性欲は湧くのだ。

それは致し方無い。 だって、男の子だもの! 性欲を持て余して、何が悪い! というのが本音だ。

それでも、彼は其れを周りに見せまいと、必死に抑え込んでいる。

理由は簡単。 独り善がりの性欲など、何の意味を持たないことを理解しているからだ。


急に暗い話になるが、日神 剣は天涯孤独の身である。

中学に上がったと同時に、最愛で病弱だった母が病死。 死因は脳に腫瘍が出来たことによる、頭蓋底腫瘍だ。

見つけた時には、既に侵食が激しく、手術での除去は不可能だったのだ。

悲しみに暮れる剣。

そんな彼に降り注ぐ不幸はそれだけでは無かった。

その数時間後に、彼の父が運転していた乗用車が逆車線を暴走していたトラックと衝突し、内臓の圧迫痙攣で即死した事が警察から伝えられた。

逆車線を走ったトラックを運転していた男は留置所の脱獄犯で警察の追跡を振り切るために、猛スピードで逆車線を走り抜けていたそうだ。

そのため、周りの目など気にしないまま走行した無茶なトラックは不幸にも、最愛の妻が亡くなったことを聞いて冷静な思考を欠いた剣の父が運転する乗用車に衝突して、犯人はその場で取り押さえられたと、過去の警察官が謝辞を述べ、剣はその場で呆然と立ち尽くし、以降、『愛』の在り方を見失ってしまったのだ。

そして、その後は親戚の所を転々とし、最後には保護者としての名だけ借りて、一人で暮らす事が主な暮らしとなっていた。

その為か、他者との関わりを極端に取らない剣は、本当の意味で『感情』を曝け出す事は金輪際無かった。


ーーそう、ただ『愛している』だけでは、何も護れないと悟り、それならば一層の事、関わりを持たなければ良い。


そのように解釈した剣は、先程のように、女子に興味が無いふりをしている節がある。

勿論、男子が好みという毛も無い。


……あまりの仲の良さで剣と晃の関係を邪推する腐った婦女子が存在する事も事実だが。


浮いた話が一切合切上がってこない事と、同級生ながらも達観した様子、更には、決して美形とは言えずとも、キリッとした顔立ちも相俟って、女子生徒に大人気なのだ。


少々、話が逸れたが、剣には色んな過去が入り混じった精神状態であり、そんな状態で人の心に敏感になれるはずもなく、無意識に壁を作った。

だからこそ、戦闘時や警戒網を解いた状態の彼は然程、感受性に富んでおらず、将又、対象についての心内など察することは容易ではないのだ。


よって、女子生徒から感じる好意の視線をただジッと見つめられているとしか解釈できず、何故、こんなにも面白みもない自分を凝視するのかと心の中で思っている。


だが、その事に言及する相手は晃だけで、今はその晃は担任鬼教師によって、拷問室に強制的に入室されているので聞きようがない上に、以前、同じような事を相談した時に、『リア充め! ぶっ潰すぞォォォォオ!』とガチの血涙を流して膝から崩れ落ちたことは記憶に新しい……とは言い難いが、此方の時系列に合わせると新しい類に入るであろう出来事があったのだ。

そのせいか、剣はこの高校に通い始めて1年半という期間で、この多くの恋慕なる視線を受けても一概に理解することは出来なかったのである。

結局、その後もソワソワとした少女達の熱烈? な視線を浴び続け、それを見た男子は妬みと呪言を残して、チャイムが鳴るまで有る意味で殺伐とした空気がクラス一帯を支配することになったのは言わずもがなである。


そして、休憩時間の終了間近に悪魔教師によって連れ戻されてきた悪友は目の座ってない状態で、クラスに放っぽり出され、まるで呪詛の様に『キリヤマセンセイハ、スゴクイイセンセイデス。 センセイノワカリヤスイジュギョウハサイコウデス。 モウネマセン……』などと、同じセリフをポツリポツリと語り、クラスメイトたちをドン引きさせる事となった。


一体、ここの教育方針はどうなっているのだろうと、根底から疑うようになったのは当然の帰結と言えるだろう。



「ーーであるからして、y=|x^2-9|は二通りの場合に分けて考えることによって『キーンコーンカーンコーン♫……』 おや、チャイムがなってしまいましたか。 これからが良いところですけど仕方ないですね。 それでは日直さん号令を……」


白髪染みており、額の皺が深く掘られた壮年の男性は、見た目の強面とは真逆であろう高い声色でマイペースで号令を促した。

ーー数学教師の神谷 修也しゅうや

彼は、この学校で一番の古参教師。

今年で20年目の勤務となる非常勤ではない常勤講師だ。

威厳のある顔立ちで、見た目だけで判断するなら鬼講師と言われるほどの畏怖すべき存在なのだが、そんな固定概念を覆すような高音がギャップを生み出し、更には性格的に取っつきやすい教師として生徒に人気がある。


……ある担任教師は強面の人気教師を眺めて、死んだ目をしながら『……何で壮年のジジイに人気出て、若い私が畏怖される存在なんだよ』と弱った声で体を震わせている事があったが、『それは一頻りに性格では?』とは死んでも言える空気では無かった事は今でも覚えていた剣はドンマイと心の内に留め、日直の号令に合わせて立ち上がり、しっかりと礼をした。


その後、教室から出て行った神谷先生を確認した生徒たちは一概にして騒めきだし、其々が帰宅の準備やら部活に行く支度を始めていた。


「ふぅ、必要な教科書はこんだけか……」


剣も例に漏れず、宿題が出された教科の教科書を鞄にいれ、帰宅の準備を始めていた。


一人暮らしである彼は、この後にスーパーのセールという修羅場に向かわなければ、家計が浮かないという何とも主婦な悩みを抱えているので直ぐに動ける様にして、他の生徒よりも早くに片付けを終わらせる。

勿論、担任が帰宅する事を承諾するまで動けないのは事実なのだが、取り敢えずは気持ちの問題である。

変な予定が舞い込んでも余裕を見せる気概くらい無ければならないと考えている。


まぁ、その基本思考は異世界に行く前から培っている『救済』なので、人からの頼み事は断られない性格なのだ。

急な事でも基本は請け負う。それが大なり小なりの差があれど、彼は其れを遂行するまで手伝う。

勿論、偽善と承知しているが、既に心底に根付いた理想を覆すことは出来ないのだと誰にも見せずに苦笑を漏らした。


「ーーおい、剣。 お前、今日はどうする?」


突然声を掛けられた剣は顰め面を浮かべて視線を声が聞こえた方に向ける。

考えた通りの人物からのお声掛けということに溜息を吐くが、どうせ自分に助けを頼むこと以外で喋りかける人物はそれしかいないことは悲しくなるが、それでも、彼が声をかけ続けてくれるお陰で学生生活を難なく過ごせていることは間違いないので感謝の意を持ちながら、回答を出す。


「いや、今日はいいや。 そんな気乗りじゃない」


「そっか。 おう、わかったぜ。師匠せんせいにも伝えておくわ」


「おう、まぁ頑張れよ」


お互いに笑みを浮かべて拳を出して突き合う。

そこにあるのは正に友情で、周りから見れば眩しくもある。

2人は幼馴染で昔から真心知れた存在で、1番馴染みがあり、接しやすい関係だ。晃は剣の諸事情の事は殆ど知っているし、彼の根底にあるものも理解している。 更には、剣も晃が考え持つ心理を知りながら受け入れている。

だからこそ、軽い衝突はあれど決定的な亀裂が生まれたことはない。

その事を羨むクラスメイトたちは、その光景を微笑ましく眺めていた。

なんだかんだで問題だらけのクラスだが、そういった情といった部分では暖かく良いクラスであると剣は再認識した。










ーーただ、その中でも、一人だけは仏頂面を浮かべたまま冷徹な視線を隠そうともせずに、未だ明るい湿気た外界を窓越しに眺めていた。










「ーーで、俺は友情を再認識して、無事に下校する予定だったんだが……」


はぁ、と溜息を吐き、右手で頭を搔きむしり、辺りを見渡す。

普通の校舎の中である事は分かる。分かるのだが……


「どう考えても、【結界魔法】で『空間固定』されてやがるな。 お陰で、外に出れやしねぇ……」


そう、彼、日神 剣の『平穏な日常』は、たった1日の学校生活だけで脆くも崩れ去る事となったのだと聡った。


時は遡り、数分前……


「ーーそんじゃあ、お前ら、ハメは外しすぎずに早々に帰るか、部活に励むように。 以上解散!」


桐山先生の有難くも適当な言葉を聞き終えた生徒は徐に立ち上がり、其々の行動を起こし、教室を立ち去っていく。


「ふぅ、やっと終わったか……」


剣も席から立ち上がり、静かになってきた教室を見渡してから廊下に出て帰ることにした。

何時もなら、相談事を持ちかけてくる者もいるのだが、今日はスーパーのセールが待ち受けていたり、地球に帰還してから未だ馴染めていない感覚や授業でクタクタになっていたので、早急に帰って寝ることにしたのだ。 勿論、セールで買い置きを出来るだけしてから。

そんな若干の主婦仕事を卒なくこなす、十代の少年。

傍目から見たら、本当に主夫と何ら印象は変わらないので、対して差はない。


と、無駄な思考に浸っていた剣は鞄から取り出したエコバックに穴や傷がない事を確認してから、再び戻して廊下を歩き出した。 スーパーの袋はなんだかんだで無駄な出費であり、エコバックは必要不可欠な装備品だ。 特に、これから戦場という名のセールに立ち向かうのに万全でなければ待ち受けるのは敗北取り逃がしだ。

そこには軽い絶望が生まれ、1日は立ち上がれない自信がある。

かなりの死活問題だと、剣は認識し、靴箱に辿り着いた。


「(さて、ここまではノーアクションで来てくれてるが、はてさて、今夜はどんな行動を起こしてくるのやら……)」


靴に手を伸ばしながら、剣は昨夜の少女や魔獣関係で今夜も何らかの問題が勃発する事を予測していた。

そして、自分は昨日の時点で、それに巻き込まれ、確実に魔獣を操っていた側に狙われることは明白。

ならば、それ相応の警戒網は張っておくべきだろうと決心して靴を履き替えようとした。


「……っ!」


……瞬間だった。

背筋に伝わった電流が、危険信号だと理解するのにコンマ数秒掛かり、その危険信号が当たりだと経験則が告げた。


魔力の流れが渦巻き、奔流を作り出す。

形成された術式は簡易のものではない事が一目でわかり、術者は朝から練っていたことが容易に理解できた。


「ーー【空間魔法】・『時空牢獄クロノス』か。 成る程、コッチの世界の魔法使いにも“上級魔法”を扱える存在もいるって訳か。 それにしたって、犯行は短絡すぎるがな」


そして、苦笑いを浮かべた剣は魔力を錬成し、覇気を全身に纏わせるのだった。




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