第18話 【戦乙女】、来る! PART1

 暗い、昏い、溟い─────。



 痛い。苦しい。溺れる。呼吸が出来ない。見えない。寒い。だれか助けて─────。



 助けを求めて手を伸ばす。懸命に伸ばす。遥か先にある光源へと必死に目一杯に上げる。それでも届かない。絶望に染まる思考回路。いっそ諦めて仕舞えば楽になれる。



 けれども足掻く。生きる為に醜くても捥がく。鼓動が響いてる限り生への渇望を求め続ける。少女は希望を失った。だが生きる。そう決めた。だから諍う。揺るぎない『運命』に対して反骨心を剥き出しにする。



【正義のヒーロー】なんてならない。生きる為なら【悪童】にだって成り下がってみせる。【正義のヒーロー】だって利用してやる。



 生きる生きる生きる生きる生きる生きる生きる生きるイキルイキルイキルイキルイキルイキルイキルイキル─────。



 狂った脳内。抑えられない本能。気狂いの少女はみずからに降りかかる破滅なる終焉を拒み続ける。



 警鐘が鳴っている。それが余計な焦りを生む。息をするのもままならない水中擬きで無理矢理に身体を動かす。すでに手足先の感覚はほとんど無くなっていた。



 鼻腔を伝って器官に塩分の含まれた海水が大量に流れ込む。それによって咽せる。ゴボボォ……ッ! と口腔に溜めていた空気が水中に排出されて海中に溶けていく。



 浮力は働かない。深海に吸い込まれていく。捥がいても決して海面に届くことはない。意識も海底に吸い込まれていくのと比例して深い微睡みに段々と堕ちていった。



 惨めに落とされた自分に手を差し伸べて地獄から掬い上げてくれる存在はいない。自力で這い上がる気力も失われた。



『死』しか残されていない現実。



 少女は瞼を閉じて過去の出来事が映し出される。思い返せば酷くて短い人生だった。



 他人に強要すれば間違いなく慄き拒絶されるような懼れを含んだ畢生。少女はこれまでの十数年間は強靭な精神力で耐え忍んできた。けれど限界だった。痛みや辛みにどれ程の耐性があろうとも凌げない実験。もはや自殺を余儀無くされたも同然の辛酸を舐めた。



 感情の読めない研究者。せせら笑う投資者達。陰鬱に穢された少女の苦悶の喘ぎが響く室内。それを思い出すたびに吐瀉物を吐き出していたこともあった。



 だが今となってはどうでもいい。生き残る為に踠いていた腕の力を弛緩する。目を虚ろにして死を受け入れた。生き延びていたところで待ち受けているのは死よりも辛く怖ろしい実験の日々だけだ。



 走馬灯が見えた時点で少女の心は生きるための執着を断念した。拒絶した。



 どこまでも落ちていく体は若干の浮力によって徐々に降下していく。指先はほとんど感覚は残されていなかった。体の芯から冷えていくのが伝わる。



「─────っ!」



 最後に、ぼんやりと視界に映ったシルエットは何かを叫びながら徐々に加速して近づいてくる。ふわりと持ち上げられる感触とともに少女の意識はプツリと途絶えた。



 この時、この瞬間……少女の一つの物語は終焉する。絶望の詩を奏でた彼女の行く末が記された手記は少女本人によって処分されていた。そして少女は新しい手記を手に取り冒頭にこう記した。



 ────『正義のヒーロー』は存在する。



「大尉。こちらは準備が整いました」



 部下が少女の役職を呼ぶ声で現実へ引き戻された。忌わしい過去も醜い執着心も全て霧散させて顔色を即座に引き締める。



「あぁ、わかった。すぐに行く」



 短く返答して部下を退出させる。そこから準備を手早く済ませていく。



 質素な部屋着を脱衣し、美しい肢体と大人の色香を醸し出す黒いレースをこれでもかと見せびらかすわけでもなくタンスにかけてあった軍服に直ぐに袖を通す。



 自前の銃剣を手に取り、弾倉、銃口、トリガーと次々にチェックを済ませてセーフティを最後にかけていることを調べ終えたところで自室から足早に退室する。



 短く整えられた緋色の髪を揺らめかせる。廊下を歩く仕草一つとっても優雅で可憐さを漂わせる。着ているのが軍服ですら、この少女にかかればファッションモデルが着るようなお洒落な服装に見えてくる。



 軍服を着た屈強な男達は少女が横を通り過ぎる際には必ず敬礼をいれる。階級差は男女の隔たりさえ消し飛ばすのだ。軍属するものたちは上下関係を重んじる傾向にある。



 たとえ女性であろうと、十代であろうと上官に逆らえるものなど、少なくとも少女の所属する軍隊では考えられない。



「大尉」



 聞き覚えのある声が少女の耳朶に入り込む。振り向けば細身の男が敬礼しながら少女を待ち構えていた。



 目的の場所にいたのは先程の青年。背丈が高く細身だが引き締まっていて貧弱そうには見えない。目は細く切り目だが、少女に対してはしっかりとしたオマージュを持っているあたりから礼節は弁えている。



「カーズ少尉。大尉はやめてくれ。わたし達は同期で切磋琢磨してきた仲ではないか。昔のように無遠慮でかまわん」



「そうはいきません。位階が貴女の方が上のうちは敬意を表して接しさせていただきます」



 少女は青年の相変わらずな言葉に苦笑する。カーズと呼ばれた青年は真面目で負けず嫌いな一面があり、まさに石頭で頑固者だ。規則や暗黙の了解には人一倍煩い。けれど青年の腕前と状況判断は目を見張るため少女は仕事では頼りにしていた。



「ま。今はいいだろう」



「今後もないと思ってください」



 仲の良いことだ。

 しかし弛緩した空気は少女と青年の雰囲気が変化することで直ぐに引き締められた。



「カーズも聞いているとは思うが、今回の任務は長期にあたる。それも潜入任務だ。大きなリスクを伴う」



「はい。心得ています。場所は日本の荒野大付属高等学校。そこに転入を装っての異端児の調査と目標の捕縛ですね」



 カーズの答えに頷く。



「あぁ。その校内には今回の目標である【雷帝】と『天神聖教師団』の序列一位である【煌翼】も在学していると聞く」



「もはやバケモノの巣窟ですね。高位の魔導師が二人も在籍しているなんて」



「しかも今回任務は柊家直々のものだ。理由はわからんがな」



「また変な任務を担ぎ込まれたものですね。まさか柊の本家自らが自分の娘を捕縛してこいって……おかしな話だ」



 緩い口調に少し戻ったが、青年の言うことはもっともである。柊家の当主が日本政府に依頼した内容は鈴奈の捕縛だ。



 まさか一人の娘を捉えるのに国を利用してくるとは考えていなかった日本政府。しかし柊家には数々の恩赦と数え切れないほどの借りを受けている。みすみす見逃せる案件ではなかった。だが魔導師相手に何の力も持たない者を派遣したところで話にならない。



 そこで白羽の矢が刺さったのが国防軍にある異能力対策化である。



 魔法、神聖術、呪術などといった一般では未知数の力を抑制し、その力を世に役立てる研究を取り仕切る機関だ。そういった機関だけに所属数は少数精鋭で精々30名ぐらいだろう。



 そこに所属する少女とカーズは、その中でも選りすぐりだ。ダブルエースとも取れるトップ実力と明晰がある。その二人を駆りださなければ娘を取り押さえられないのか。それは違う。鈴奈を捕縛する程度ならば、二人もいらない。どちらか片方で十二分に事は足りる。たとえ【煌翼】が横槍をいれたとしても無難に済ませられる。それだけの実力を二人は兼ね備えている。



 しかし今回の任務に当たって実はもう一つの案件が二人を動かす要因となった。



 それは新たな異端者の調査および、それの接触。未知数の存在が新しく浮上した事実を公表した柊家と天神教師団の概要に政府は慌てて対策本部を設立した。



 そしてその者の能力と実力を把握させて、あわよくば暗殺か捕虜として一生飼い殺しにすると上層部は判断を下した。だが情報が少なすぎる。氏名や年齢、家族構成や住所以外の情報が明確には存在しない。他にも変わった履歴はなく。魔法などに精通することもない一般人。それが少年についての全ての情報。



 いや真偽は別として、少年についての供述はもう一つあった。六月二十一日の深夜。森林の奥で解き放たれた準S級魔獣に指定されるサイクロプスをたった一撃で屠ったとの報告が、先日の議題で持ち上がった。それが少女とカーズの両者を駆り出す原因となったのだった。



「構わん。どうせわたし達のやる事はさして変わらない。標的を見定めてから徹底的に追い詰める……それだけだ」



「確かにその通りです」



 二人は頷きあい厳重に固められた扉を開ける。強くて湿度の高い風が吹き抜けて二人の若人に襲い掛かる。



(どんな異能者であろうとも、わたしが総てを抹消してみせる。たとえこの身が他人の血で穢れるものだとしても……!)



 新たな道標を提示された少女は前進する。生き抜くため。異能を喰らうため。



 そして、海に転落して死際に立たされた自分を拾い上げてくれた『正義のヒーロー』に再会するために少女は強く地を踏みしめて先の見えない旅路を突き進む─────



 ─────たとえその先にあるのが破滅だとしても。





 ✴︎ ✴︎ ✴︎ ✴︎


 六月二十三日 (火)



「貴女。少しは落ち着きを持ったらどうかしら? 今の貴女非常にはしたないわ。レディーなのだから、もう少し慎みを持ちなさい」



 毅然とした物言いから放たれる言葉は非常に刺々しく、まず初めて聞く者なら萎縮してしまいそうな威圧感を纏っていた。

 黒水晶を彷彿とさせる長い黒髪を掻き上げて睨みつける様が似合っている女性は、世の女性全てが羨むボディーラインを包み隠す事なく強調する姿s─────ゴホン……失礼。非常に礼儀正しい姿勢を崩さずに眼前に座る宿敵同然の少女を睨みつける─────



 ─────ガツガツ……!!



「ふん! おっぱい魔人の【雷帝】さんに言われても全っっっっ然っ! 説得力ありませんけどね。そもそも仲間に裏切られた程度で泣きべそかいている弱者が何を言っても負け犬の遠吠えにしか聞こえないです」



 女性の売り言葉に対して買い言葉で全面戦争の構えを取る少女は机を叩き割る勢いで目一杯に殴りつける。

 目が焼けると錯覚する程の光彩を肩口まで伸びた金糸が解き放っている。

 その特徴的な緋と葵の左右で色の違うオッドアイを細めて女性に向けて対抗心を眼光に込めてぎらつかせた─────



 ─────ガツガツ……!!



 ここからコント擬きの言い合いは苛烈さを増していく。



「貴女だって現状は似たようなもんじゃない!」



「はぁ? おっぱいさんとは違いますぅ〜。アタシは裏切られたわけじゃありません〜。ただ謹慎処分になっただけですぅ〜」



「それってもっと酷くない!? それとさっきからおっぱい魔人とかおっぱいさんとか、僻むのもいい加減にしてくれるかしら?」



「うるせぇです! アンタの取り柄なんておっぱいしかないでしょうが!ついに脳内まで脂肪で満たされやがりましたか! このデーブデーブ! そのまま腹に行っちまえです!」



「ふ! ロリ体型の貴女に何を言われても、無い物ねだりにしか聞こえないわ! 残念だったわね。きっと需要のある人にはあるわ! 諦めないで」



「貶すのか励ますのかどっちかにしてくださいよ! しばき倒しますよ!」



「へぇ? 殺るの? 本気でこの私と」



 空気が一変した。先程までの貶し合いという名のじゃれあいが止まり、狭い部屋の空間に冷気が漂う。決して物理的な寒気でないことは誰の感覚でも分かる。これは二人の殺意の気が恐怖を煽っているだけに過ぎない。



「そちらがお望みとあらば、本望ですよ。一度、本気で【雷帝】とは手合わせ願いたいと思っていましたから」



 黒と金のオーラが部屋中を埋め尽くす。鬩ぎ合う意思に応じて、二人の魔力が激烈に膨れ上がっていく。



 この日この時間で震源地がとある古アパートになる震度3の地震が起きた。その原因が魔力圧によるものだとは、この時の二人はまだ知らない。



「しかしここは一度─────」



「えぇ。そうね。ここは一度─────」



 少女と女性はいがみ合いながらも頷く。どうやら考えは同じらしい。次の動作に迷いが一切なかった。



 右手に持つ銀匙を曲芸じみた動きで巧みに扱う。直後、二人は机の上にある物体に向けて匙を一息に突き刺す。ここまでの動作に一寸の狂いもない、見事なコンビネーションだ。そして─────



「「腹が減っては戦はできぬ!!」」



 ─────(食欲が) 暴走した。



 ガツガツ……!!



「モグモグ……やっぱり、カレーライスは美味ね。家庭の味方なだけはあるわ。思いついた人は天才ね」



「モギュモギュ……それは同意ですね。カレーは至高! 全ての市民の救世主です。あぁ。考案者を崇め奉りたい」




 白い米にかけられた至高の存在であるカレーを全力でかきこんでいく。最新式の吸引機を過ぎらせる吸引力でカレーライスを食べる。否、飲み込む。



 先ほどの一言を発したあとは、二人とも黙々と食すだけに専念した。もはや匙がカレーを盛り付けた皿に当たる音と、二人の咀嚼以外に音が聞こえてこない。



 女性はネグリジェ、少女は裸ワイシャツと非常に扇情的な格好であるにもかかわらず色香の一つも感じないのはどう考えてもおかしいと言わざるを得ない。



 二人の勢いは途絶えることはなく、遂にカレー本体が無くなった。空になった器を見て両者は目を合わせて再度頷きあって─────



「「おかわりっ!」」



「結局仲良しじゃねぇか!」



 ─────仲良く家主にカレーのお代わりをせがむ。



「ふ、笑わせないで。これはカレー協定を組んだだけであって、決して子供相手に戯れているわけではないわ。勘違いしないで頂戴」



「そうですよ。アタシとコイツが仲良くなることなんて一生ありえませんから。たんにここで殺し合いに発展した時、被害者カレーライスが出ることを恐れただけです。そこは考慮してください」



「カレー協定と被害者がカレーライスって何だ!? オマエらカレー好きすぎかよ」



「「ま、否定はしない(わ)(です)」」



「そこは否定しろよ」



 家主、不憫で死ぬ。謎の居座り女性二人にカレーをせがまれ疲労死!



 この見出しで新聞の一面を飾られた日には、きっと冥界で快適に過ごしているであろう【魔王】が嘲笑しながら愚弄してくるに違いない。



 家主である日神 剣は二人の器を持ってカレーを入れるついでに、正露丸を取り出して二粒ほど胃に流し込むのだった。



 異世界最強と謳われた【賢者】の微妙に不思議な平日は、こうして始まった。

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異世界最強【賢者】は現代ファンタジーを無双する! KAMITHUNI @KAMITHUNI

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